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まるでウイスキーのような熟成香のテキーラ

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このたび数量限定で新発売された「サウザ オルニートス ブラックバレル」は、ウイスキーのように芳醇な香りが魅力のテキーラ。3段階のオーク樽熟成を経た、かつてないほど深みのある味わいを体験してみよう。 文:WMJ サウザといえば、メキシコを代表するテキーラのトップブランドである。2015年のインターナショナル・スピリッツ・チャレンジでも「テキーラ プロデューサー オブ ザ イヤー」を受賞しているように、原料や製法へのこだわりも高く評価されている。このたび数量限定で新発売した「サウザ オルニートス ブラックバレル」は、特別な樽熟成を経た風味がウイスキーファンにも嬉しい品。その実体に迫るため、メキシコ合衆国大使館で開催されたレセプションを訪ねた。 カルロス・アルマーダ駐日メキシコ大使の挨拶に続いて登壇したのは、サントリースピリッツウイスキー輸入酒部課長の竹内淳氏。まずはテキーラに関する素朴な誤解を解こうと、来客たちに訴えた。 「テキーラは罰ゲームのお酒ではありません! そして必ず二日酔いになるわけでもありません(笑)。原料もサボテンではありません。アロエに似たアガベというリュウゼツランの一種なのです」 竹内氏によると、アガベの樹液はちょうどグレープフルーツのように爽やかな味。サウザでは、原料のブルーアガベの大部分を自家農園で栽培し品質を追及している。他社製テキーラのように皮ごと粉砕するのではなく、フルーティーなジュースだけを絞り出すため、とりわけすっきりとした繊細な味わいが特長なのだという。 新発売の「サウザ オルニートス ブラックバレル」は、このブルーアガベを100%使用している。2回の蒸溜を経て生まれるクリーンなスピリッツは、すでにサウザ特有のマイルドでスムースな風味を持っている。 「サウザ オルニートス ブラックバレル」の本領であるオーク樽の3回熟成は、ここから始まる。まずは、12ヶ月の熟成を経てベースとなるアネホテキーラが完成。次に内側をしっかりと焼き焦がしたアメリカンオーク樽に移し替えられ、4ヶ月熟成することでバーボンのような甘いバニラ香がつく。この工程が、ブラックバレルと呼ばれる所以であろう。そして最後にはソフトローストの新古樽で2ヶ月熟成し、やさしく味をまとめ上げる。樽を変えた通算18ヶ月の熟成で、まるでスコッチのように複雑な風味も加わるのだ。   驚きの熟成感と、ブルーアガベの爽やかさ   さあ実際にテイスティングしてみよう。色は輝かしい黄金色で、テキーラとしては格別な濃厚さである。鼻を近づけるとウイスキーのようなバニラ香があり、ジャスミンのような花の匂いや、心地よいスパイスも感じられる。 口に含むと、スムースでかすかにスモーキー。そしてウイスキーのような香りを纏いながらも、はっきりとブルーアガベのまろやかな甘味が感じられる。冴えたのどごしの後には特有の余韻があり、やはりテキーラ特有の高揚感に包まれてくる。この味わいが、発売以来アメリカで数々の賞を総なめにしているのも不思議ではない。 ブルーアガベのフレッシュな味わいに、驚きの熟成感が加わった「サウザ オルニートス ブラックバレル」は、楽しみ方のバリエーションも豊富である。お酒そのものをじっくりと味わうストレートやオンザロックはもちろん、BBT(ブラックバレル、ブラックペッパー、トニック)などのシンプルなカクテルもおすすめだ。マルガリータなどのフルーティーな定番カクテルに使用しても、独特の深みが加わったワンランク上の味が楽しめるだろう。テキーラを愛する竹内淳氏が、この新商品の魅力をあらためてアピールする。 「ウイスキーを思わせるプレミアムな香りと味わいが特長ですが、やはりこれはテキーラ。フレッシュなブルーアガベの香りが、陽気なエネルギーを与えてくれるお酒です。ぜひメキシコ人たちのようにリラックスして、明るい気分でゆったりとお楽しみください」  

開業直前レポート(1):厚岸蒸溜所【前半/全2回】

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ジャパニーズウイスキーに続々と新しい顔ぶれが加わる2016年。開業直前の新設蒸溜所を訪ねるレポートの第1回は、道東で初めてのウイスキー蒸溜所となる厚岸蒸溜所。ステファン・ヴァン・エイケンが現地を訪ねた。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   あと何ヶ月もすれば、日本のウイスキーマップにはいくつかの新しい蒸溜所が加えられることになるだろう。現存設備の拡張も多いが、それよりも冒険心に満ちた事業が北海道東岸で進行中だ。今年の末までには、厚岸の地で新しいウイスキーの歴史が始まっているだろう。まったく新規の蒸溜所が日本で建設されるのは、秩父蒸溜所以来初めてのことだ。建設計画はどのくらい進んでいるのか。将来に向けてどのような計画を立てているのか。はるばる厚岸まで赴いて、関係者にお話をうかがうことにした。 厚岸蒸溜所を運営するのは、東京で食品の輸出入をおこなう堅展実業である。代表取締役の樋田恵一氏は長年のウイスキー愛好家で、とりわけアイラモルトには目がない。日本で巻き起こったハイボールブーム以降、高品質のウイスキーが日本でも入手困難になり、わずかな新発売ウイスキーに大勢の人々が殺到する様子を憂いてきた。このような状況で、高品質のウイスキーを確実に入手する方法はひとつ。もはや自分でウイスキーをつくるしかないと樋田氏は悟った。2010年から真剣に蒸溜所建設の検討を始め、建設候補地を模索。だが樋田氏にとって、そもそも蒸溜所を建設するなら北海道以外の場所は考えられなかった。愛してやまないアイラ島と気候風土が似ており、自分がウイスキーをつくる理想の地だと感じていたのだという。北海道の西岸にはすでに蒸溜所がひとつある。ならば道東で建設地を探そうと樋田氏は決心した。 厚岸町が候補として浮上するまでに、さほど時間はかからなかった。釧路市から東に約50kmの海岸近くで、美しい湿地帯に囲まれ、ピートもふんだんに埋蔵されている。厚岸は蒸溜所に必要なすべての条件を満たしていた。それに厚岸には、ピーテッドウイスキーと非常に相性のいい牡蠣もある。2010年に樋田氏は厚岸町長に事業計画を明かし、町は2014年になって借地に合意した。カラスが飛び交う、海から約2km離れた土地に蒸溜所の建設を認可したのだ。建設は2015年10月に始まり、寒さの厳しい冬季も工事が続けられた。今回の取材時には、蒸溜棟が完成間近の状態だった。   スコットランドから設備を輸送中   蒸溜所設備の大半は、スコットランドのフォーサイス社製である。ちょうど船で日本に輸送しているところで、7月末までには到着するはずだ。蒸溜の開始は今年の11月を予定している。11月の第1週にフォーサイス社のチームがやってきて、最初の蒸溜に着手しながらスタッフに機器の取り扱いを指南する。第2週目からは、厚岸蒸溜所のスタッフだけで操業されることになる。最初の蒸溜シーズンは、11月だけの丸1ヶ月間。メンテナスのために夏を休業期間とする他の蒸溜所と異なり、厚岸蒸溜所は冬季に休業する。気温が−20°Cにまで落ち込む冬に蒸溜所を運営するのは、少なくとも容易なことではない。厚岸蒸溜所のメンテナンス期間は12月下旬〜3月中旬で、2017年3月から蒸溜が再開される。 厚岸蒸溜所は、今年だけで約30,000Lの生産を予定している。1日300Lで、毎週5日稼働させる計算だ。来年は週7日で蒸溜をおこない、フルシーズン初年度の生産量は100,000Lが目標。2018年以降は、毎年300,000Lのニューメイクを生産したいと計画している。初年度の2016年11月は、原料の80%がノンピートのモルト。2017年以降は徐々にピーテッドモルトの比率を増やしていく予定だ。また、最初のシーズンに使用されるモルトはスコットランドから輸入する。道東地方で蒸溜所を運営するにはいろいろな課題があるのだという。そのひとつが、原材料を蒸溜所まで輸送する手段だ。実用上の問題から、近くの釧路港は使えない。大麦(だけでなく蒸溜所の設備も)は札幌に近い苫小牧港まで送られ、そこからトラックで300km離れた厚岸まではるばる旅をさせなければならない。 最終的に、厚岸蒸溜所は地元産の大麦とピートを使ってウイスキーをつくりたいと考えている。ピートは、蒸溜所の周囲にも、真下にもふんだんにある。深さが2〜50mほどもあるため、将来に枯渇する恐れはほとんどない。だが地元産ピートの使用は即座に始まるわけでもない。将来には地元産の大麦とピートによる実験をおこなおうと考えている。 (つづく)    

開業直前レポート(1):厚岸蒸溜所【後半/全2回】

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壮大にして緻密なビジョンを必要とする蒸溜所計画。厚岸蒸溜所がこれから生産するウイスキーを、設備や計画から分析してみる。北海道の気候は、ウイスキーの熟成にどのような効果をもたらすのか。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   厚岸蒸溜所の設備を列挙してみよう。マッシュタンは、セミロイター式で容量1,000kg。ウォッシュバックはクローズタイプのステンレス製が6槽(温度調整なし)。水は蒸溜所のすぐ背後を流れる尾幌川から採る。ポットスチルは、5,000L と3,600Lのセットだ。洋ナシのような形状で、ちょうどアイラ島のラガブーリン蒸溜所と似たようなタイプなのだという。付属するコンデンサーはシェル&チューブ式(多管式)だ。厚岸蒸溜所のスピリッツが、どのような味わいになるのか興味は尽きない。もちろん蒸溜の速度やラインアームの形状など、他の要素もスピリッツの特性を決める要因になるだろう。 フォーサイス社にスチルを注文したのは2年前のことで、当初は納品までに4年かかるとのことだった。だが運良く厚岸蒸溜所の注文が先に回されたため、今年から蒸溜ができることになったという。事業の成否は、こんな運命のいたずらが握っていることもある。 樽のマネージメントについていえば、現在のところバーボン樽、シェリー樽、ミズナラ材の樽で貯蔵する計画だ。いずれはこの構成も幅を広げ、赤ワイン樽(フランスやオーストラリアから調達)、ラム樽、ソーテルヌ樽、その他さほど一般的に使用されないタイプの木材も使用するという。蒸溜所内には、400樽を収納できる小さな貯蔵庫が1棟できる。貯蔵は4段のダンネージ型だが、床は土間ではなくコンクリートになるという。さらに厚岸蒸溜所チームは熟成過程におけるマイクロクライメートでさまざまな実験をおこなうため、山の中に1軒、海のそばに1軒の新しい貯蔵庫も建設しようと計画中。どれもダンネージ型の貯蔵庫になる。 2013年10月より、蒸溜所の敷地には試験用の小さな貯蔵庫が建っている。国内の蒸溜所で生産して樽詰めされた2種類のニューメイク「江井ヶ島」と「アラサイド」を購入し、厚岸に運んで貯蔵しながら、どのような熟成プロセスへの影響が見られるのかを見極めようというわけである。年間を通した寒暖差は、厚岸蒸溜所が日本にあるどの蒸溜所よりも大きい。ここでは夏でもめったに25°Cを超えないが、冬には−20°Cにまで下がることもある。これは余市蒸溜所の冬の平均的な最低気温より10°Cも低い。この年間の寒暖差が、熟成のプロセスを速めてくれるのではないかという期待がある。この試験熟成に参加したいちばん新しい樽(おそらく最後の実験)は、2015年の「アラサイド」のスピリッツをミズナラのパンチョン樽に貯蔵したものである。   激しい寒暖差による熟成のスピードを実感   この試験用貯蔵庫で、現在熟成中のカスクをいくつか試飲してみた。はっきり言えるのは、熟成のスピードが予想よりも確かに速いということだ。ブラインドテイスティングをすると、ここで熟成中のスピリッツのほとんどがまだ貯蔵期間3年未満のものだとは信じられないだろう。試験用貯蔵庫で熟成中のウイスキーは現在15樽あるが、これらがボトリングできる状態に仕上がったとき、どのように扱われるのかは定かではない。ひとつの案は、これらのウイスキーをブレンドしたピュアモルト(ヴァッテドモルト)のウイスキーをつくることである。 そうなると気になってくるのが、ウイスキーを商品化するビジネスの展望だ。厚岸のウイスキーが消費者の手に届くまで、あと数年かかることは明らかである。厚岸蒸溜所のチームに、ニューメイクや未熟なウイスキーを積極的に販売するつもりはなさそうだ。蒸溜所のプロジェクトは100%堅展実業の資金で運営され、銀行やクラウドファンディングなどによる資金繰りはおこなっていない。支援者がいないということは、もちろんプレッシャーもないということだ。他の蒸溜所ではキャッシュフローの必要に応じて製品や販売時期が決められてしまう場合もあるが、厚岸蒸溜所の場合は他のスピリッツ(ジンなど)の売上に頼って運営する必要もない。また商品を早く市場に出せというプレッシャーに負けて、不完全なウイスキーを商品化することもないのである。 短期的な目標は、高品質なシングルモルトウイスキーとしての厚岸ブランドを確立させること。だが厚岸蒸溜所の関係者たちには、さらに大きな夢もある。それはすべて自社製のブレンデッドウイスキーをつくることだ。日本の小規模な蒸溜所は、ほとんどがグレーンウイスキーを海外からの輸入に頼っている。だがモルトウイスキーと同じくらいこだわったグレーンウイスキーを小規模生産できたらどうだろう。もちろんこの夢を実現するには、グレーン蒸溜所を別途で建設しなければならない。場所はやはり北海道のどこかになるのだろうか。 蒸溜所の周辺には、タンチョウヅルの繁殖地がある。厚岸蒸溜所のロゴには、このタンチョウの図案があしらわれている。タンチョウヅルは、忠誠、幸運、長寿などのシンボルとしても知られる鳥。その3つの要素は、ウイスキー蒸溜所にも不可欠な資質である。事業の成功に必要な他の条件は、チームが努力して整えていくだろう。厚岸蒸溜所の成功を祈り、今後の動向を楽しみに待ちたい。    

スコットランドの蒸溜所新設ブーム【前半/全2回】

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世界的なウイスキーブームによる需要に応えるため、ウイスキーの本場スコットランドでも蒸溜所の新設や増設が相次いでいる。夢と野心にあふれた数々の計画を、ガヴィン・スミスがレポート。 文:ガヴィン・スミス   近年、スコットランドではたくさんの新しい蒸溜所が誕生してきた。ウイスキーづくりに乗り出そうという情熱にあふれた起業家たちも、この辺でそろそろ出尽くした頃なのではないか。いや、そう考えるのはまだ早い。現在この原稿を書いている時点で、少なくとも12軒以上の蒸溜所建設計画がスコットランド内で進行中だ。すでに着工している案件もあれば、設計段階のものもある。 エディンバラでは、デーヴィッド・ロバートソン氏が動き出している。マッカランの元マスターディスティラーで、ウイスキービジネスの仕掛け人として名高い人物だ。1920年代に閉鎖されたグレンサイエンス蒸溜所以来、スコットランドの首都ではモルトウイスキーづくりが途絶えていた。計画が実現されれば、およそ100年ぶりの伝統復活ということになる。 この計画の詳細は、ホリールードにも近いセントレナーズ通り沿いの鉄道機関庫跡周辺に、360万英ポンドの蒸溜所とビジター向けの設備を建設するというものである。ロバートソン氏は、来年にも年間約53,000Lのスピリッツを蒸溜できるようにしたいと抱負を語ってくれた。 「シングルモルトウイスキーづくりの歴史を、エディンバラに呼び戻します。計画の概要はもう役所に提出しました。美しい手づくりのスピリッツを生産するのが私たちの目標。旧鉄道機関庫は、そんな理想を実現させるのにうってつけの場所でした。1830年代からの長い歴史を受け継ぐ建物なので、小さいながらもワールドクラスの蒸溜所を建設し、エディンバラが誇れる新名所にちょうどよい条件が揃っていたのです」 グラスゴーでもまた、別の歴史的建造物が新しい蒸溜所の舞台になろうとしている。クライド川の岸辺にある通称「ポンプハウス」に、1,000万英ポンドを投じて蒸溜所、博物館、テイスティング用のバーを建設するという計画がある。このベンチャープロジェクトを率いるのは、独立系ボトラーとして知られるADラトレー社オーナーのティム・モリソン氏。すでに建設計画は認可されており、これまでのいきさつをモリソン氏が教えてくれた。 「このポンプハウスを1877年に建てたのは、私の祖父にあたるジョン・モリソン。建物が再活用できるチャンスをつかめたのは、本当に喜ばしいことです。かつての栄光をよみがえらせ、この建物や周囲の景観の素晴らしさを知ってもらうきっかけになるでしょう」 スコッチウイスキーの生産でいえば、ローランド地方は大きく低下の一途をたどってきた。それでもすでにアナンデール、エデンミル、キングスバーンズなどの新興蒸溜所が その状況を一変させようとしている。そしてエディンバラもグラスゴーも、地図上ではローランド地方に属する都市である。   ボーダーズとアイランズで進行中のプロジェクト   スコットランドのボーダーズ地方だけに限ってみても、それぞれ別個の蒸溜所建設計画が3件も進行中だ。ザ・スリー・スティルズ・カンパニーは、目標としていた1,000万英ドルの資金が集まったことを発表。蒸溜所とビジター施設のために、ホーイックで土地も確保済みである。このベンチャーを主導しているのは、ジョージ・テイト氏、ジョン・フォーダイス氏、ティム・カートン氏、トニー・ロバーツ氏という、ウィリアム・グラント&サンズの取締役経験者4人。1837年以来、ボーダーズ地方で初めてとなる蒸溜所の開設が待たれている。 ボーダーズ地方に予定されている2つめの蒸溜所の所在地は、ジェドバラのすぐ南だ。こちらの蒸溜所はかなり大規模で、ニール・マシーソン氏がチーフエグゼクティブを務めるモスバーン・ディスティラーズと、マルシアビバレッジを保有するスウェーデンの投資会社ハイドンホールディングが出資するプロジェクトである。 建設費用は3,500~4,000万英ポンドと見込まれれているが、高額なのは蒸溜所の規模のせいだ。敷地内には2棟の蒸溜棟を設け、ひとつの棟にはポットスチルとコラムスチルを設置し、もうひとつの棟にはハイブリッドスチルとやや小型のポットスチルが設置される。最初の蒸溜棟は来年に稼働する予定だとニール・マシーソン氏は明かす。 「まずは2つの蒸溜棟のうち小さな棟を完成させて、2018年には稼働している状態にしたいと思っています」 ボーダーズ地方の第3の蒸溜所は、アラスデア・デイ氏率いるR&Bディスティラーズと、投資家のビル・ドビー氏が提案中のものだ。蒸溜所の建設地についてオンライン投票をおこなった結果、ピーブルスの町がトップになったのだという。 しかし現在、デイ氏とドビー氏は別の蒸溜所建設計画にかかりきりだ。その蒸溜所とは、スカイ島の沖合にある小さなラッセイ島に建てられる予定のもの。R&Bディスティラーズでマーケティングエグゼクティブを務めるゾーイ・ホワイト氏が語る。 「2016年2月9日、ラッセイ島蒸溜所の建設計画に許可が出ました。現在は助成金申請の結果を待ってるところで、5月中には着工したいと思っています。すべてが予定通りに進めば、2017年の初頭までには蒸溜を開始して、2020年からスコッチウイスキーをボトリングします。1トンのマッシュタンを使って、年間94,000Lの生産量を目指しています。3年経ったところで半分をボトリングして、残りの半分を長期熟成に回す予定です。ウイスキーのスタイルは、おそらくライトピーテッドのようなタイプになるでしょう」 偶然にも、ニール・マシーソン氏とモスバーン・ディスティラーズは、このラッセイ島からさほど遠くない場所で新しい蒸溜所の建設を目論んでいる。場所はスカイ島南西部のスリート半島にあるトラベイグという村だ。 農家の建物を改築してつくるという、この蒸溜所の計画についてマシーソン氏が説明する。 「2016年10月の完成を目指しています。資材はすべて届いていて、配管やら建材やらを舞台下で整えているところ。文化財のような建物の改築は簡単にはいきません。おそらく最初の6ヶ月は、フレーバーのプロフィールやカスクの選択を最終的に決めるための実験に費やされます。ひとたび本番が始まれば年間約500,000Lの生産を見込んでいて、一般公開はおそらく2017年5月頃になると思います」 同じ島でも、シェトランド諸島の最北部にあるアンスト島で、シェトランド・ディスティラリー・カンパニーは、ついにシェトランド産のモルトウイスキーをつくるという長年の夢の実現に向けて動いている。  

スコットランドの蒸溜所新設ブーム【後半/全2回】

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スコットランドでは蒸溜所の新設や増設が続いている。夢と野心を抱いた人々の計画を、ガヴィン・スミスがレポート。 文:ガヴィン・スミス   アイラ島では、アイラでもっとも新しい、第9の蒸溜所を誰が建設するのかというレースが展開されている。フランスはブルターニュにあるグランアーモー蒸溜所のオーナーであるジャン・ドネ氏に、建設計画の許可が下りたところだ。 ボウモアの南西、ロッホインダール海岸沿いのガートブレックにある農家の建物を蒸溜所にしようという計画が2014年初頭に明らかにされたが、その後はプロジェクトに度重なる遅延が発生している。 ドネ氏は必要となる資金をすぐに全額用意できるよう願っており、プロジェクトの完遂を断言している。 「ガートブレックは実現します。計画はすべて整っており、これからプロセスの根幹に立ち戻ります。ガスによる直火蒸溜と蛇管式のコンデンサーを備え、モルティングフロアをつくって使用するモルトの20%を自家製でまかない、モルトの原料はアイラエステート社が生産する大麦を使用します」 だがこのドネ氏を土壇場で追い抜いて、アイラ第9の蒸溜所を建設するかもしれないライバルがいる。独立系ボトラーにしてブレンディングも行っているハンターレイン社が、アイラ島の北東海岸にあるポートアスケイグにもほど近いアードナホーで、新しい蒸溜所の建設に約800万英ポンドを投じるという。 計画の承認を待って、この夏にも蒸溜所建設は始まる予定だ。建設計画の第1段階は蒸溜棟、第1貯蔵庫、ビジター用施設で、2017年末までにはスピリッツの蒸溜を始める。第2段階では貯蔵庫を拡張しながら生産拡大を目指すという。同社の社長であるスチュアート・レイン氏は語る。 「私たちが世界65カ国のアイラファンにウイスキーを販売してきた経験をもとに、ある特定のスタイルのスピリッツが生産できるよう新しい蒸溜設備を設計しているところです。この蒸溜所が建設されたら、私たちの長年の夢が叶います」 新しい蒸溜所が生まれそうな島はまだある。それはアラン島だ。アラン蒸溜所(アイル・オブ・アラン・ディスティラーズ)は、アラン島で第2の蒸溜所の建設計画を申請したところだ。予定地は島の南岸にあるラッグで、1837年まで公式な蒸溜がおこなわれていた場所である。蒸溜所にはビジターセンターと貯蔵庫のためのスペースも確保し、ここで同社のピーテッドモルトのすべてを生産するという。   伝説の地でウイスキーづくりが復活   さて話をグレートブリテン島本土に戻そう。フォルカーク・ディスティリング・カンパニーは、1993年に閉鎖されたローズバンク蒸溜所の跡地で、蒸溜施設の再興計画を着々と進行中だ。長期間にわたる500万英ポンドのプロジェクトを率い、ファイフ州リンドレスでのウイスキーづくりを復活させようとしているのはドリュー・マッケンジー・スミス氏である。蒸溜所とビジターセンターの建設予定地は、ウイスキーの歴史で重要な意味を持つ修道院のそば。1494年のスコットランド財務資料によると、この修道院でスコットランドで最初の「ウシュクベーハ」(ウイスキーの元祖)が蒸溜されたことになっている。 リンドレスほどの年月ではないにしろ、長期間の空白を経て再びウイスキーづくりを再興しようとしている場所は他にもある。それがハイランドの町、ディンウォールだ。 ベンウィヴィス蒸溜所が閉鎖されたのは1926年だが、今ではグレンウィヴィス蒸溜所共済組合が150万英ポンドの資金を集めて、ここに新しいウイスキーづくりの拠点を作ろうとしている。 同社の計画では、コミュニティ・シェアーズ・スコットランド(CSS)と協働して、郵便番号にIV(インヴァネス)がつく地域の住民が250英ポンドからこの計画に投資できるよう機会を提供している。グレンウィヴィス計画の主導者は、ヘリコプターパイロットで農家のジョン・F・マッケンジー氏だ。 「プロジェクト始動時から、単なる蒸溜所建設以上のものを想定した計画でした。すべての社会的投資家を対象にして、歴史あるデングウォールの町を再活性化するチャンスを提供しています。ウイスキーの伝統の地に建設されるグレンウィヴィスは、地域のコミュニティに所有され、環境保全の要件もしっかり満たしています」 ディングウォールから北東に50kmほどのドーノックでも、新しい蒸溜所の設立が計画されている。地元ホテル経営者のフィル・トンプソン氏とサイモン・トンプソン氏が率いるドーノック・ディスティリング・カンパニーが、クラウドファンディングのキャンペーンを開始した。これは築135年の消防署を蒸溜所に改装するために資金を募るものである。ドーノック蒸溜所は2016年末にも完成してウイスキーづくりを始める予定で、そのスタイルは極めて伝統的なものとなるようだ。有機栽培の大麦麦芽をフロアモルティングで製麦し、ビール用酵母、オークでできた木製の発酵槽、直火加熱のポットスチルを使用する。共に2,000Lのポットスチルとコラムスチルを備え、ホワイトスピリッツの生産にも使用されるとのこと。サイモン・トンプソン氏が説明する。 「1970年代以来、長いあいだ絶滅状態だったウイスキーづくりのスタイルを確立するのが目的です。わたしたちが史上最高と考えるウイスキー、とりわけ60年代、50年代、40年代、30年代のウイスキーづくりを復興して、決して技術を逆行させるわけではなく、当時におこなわれていた生産の原則を理解してフレーバーを再現するのです。わたしたちはそれが達成可能なことだと信じています」 すでに建設が完了している蒸溜所もひとつある。アバディーンの北、エロンの町にできたローンウルフ蒸溜所だ。所有しているのは一匹狼のビールメーカーとして知られるブリュードッグ。オープンして数カ月間はウイスキーの蒸溜を予定していないが、いざ始まればブリュードッグがビールづくりでおこなっているような革新的なウイスキーづくりが見られるのではないかと期待されている。 同じアバディーン州では、長らく遅延中の計画も水面下で進行中だ。独立系ボトラーのダンカンテイラーが、もともとグレーンウイスキーの蒸溜所だったハントリー蒸溜所跡に、モルトウイスキーとグレーンウイスキーの蒸溜所を建設するという2007年来のプランである。 そしてもちろん、スコットランドにおける新設計画のなかでも最大の規模を誇るプロジェクトがいくつかある。ひとつはグレンリベットが2軒の蒸溜所を新設する計画。もうひとつは、スペイサイドの中心地イースターエルチーズにあるマッカラン蒸溜所の建て替え計画である。約1,000億英ポンドと試算される巨大なマッカラン蒸溜所の再建は、12槽の発酵槽、24基のスピリットスチルを土台に、年間1,600万Lの生産量を目指して2014年後半に始まった。2017年の春にはすべての工事が完了する予定である。 現在の状況を見るにつけ、スコットランドではまだまだたくさんのベンチャープロジェクトが生まれそうだ。誰が、どこに、どんな蒸溜所の新設を発表するのか、今後の動向にも注目しよう。    

開業直前レポート(3):静岡蒸溜所【前半/全2回】

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開業直前レポートの第3弾は、この秋に開業する静岡蒸溜所。ガイアフロー株式会社代表取締役の中村大航氏に、蒸溜所設立の構想から実現に至るまでのドラマチックな経緯をうかがった。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   中村大航氏は、大学時代から高級酒のマニアだった。さまざまなタイプの酒の味をおぼえ、ウイスキー、ワイン、日本酒などの生産工程にも強い関心を抱くようになったのだという。そんな彼の胸中でウイスキーづくりに参入する意欲が湧き上がったのは、2012年6月にアイラ島(とジュラ島)を旅行したときのこと。中村氏にとって初めてのスコットランド旅行であった。 4日間の旅の最後に立ち寄ったのが、当時アイラでもっとも新しい蒸溜所だったキルホーマン蒸溜所。設立から数年間で確固たる評価を築いていたキルホーマンに、中村氏はある種の先入観を抱いていた。きっとこの新進気鋭の蒸溜所は、自動化された設備で効率よく ウイスキーを生産しているのだろう。だが実際の蒸溜所を見て、中村氏は驚くことになる。キルホーマンは小規模のファームディスティラリーで、小さな貯蔵庫がひとつあるのみ。少人数ですべての運営をまかなっていた。 キルホーマン蒸溜所の庭で腰を下ろしながら、中村氏はふと気づいた。このやり方は、日本のさまざまな酒蔵でおこなわれている日本酒造りにも通じるアプローチだ。自分が細部までに手を下せる小規模な生産ラインで、手づくりのウイスキー蒸溜所を建設できるのではないか。そんな計画の種子が、このとき彼の頭のなかに植え付けられたのである。 スコットランドの旅から帰国した中村氏は、自分の計画を遂行するために思いを巡らせた。まずは誰にアドバイスを乞うべきか。同様の事業を、近年の日本で実現させた人物は一人しかいない。それは肥土伊知郎氏だ。中村氏は初開催された大阪ウイスキーフェスティバルで肥土氏に会い、秩父蒸溜所を訪ねて、肥土氏から得たたくさんの助言をもとにビジネスプランを描きはじめた。 秩父蒸溜所とは決定的な違いもあった。中村氏には肥土氏のように過去のウイスキーベンチャー(羽生蒸溜所)のストックやブランド(イチローズモルト)がなく、完全にゼロから蒸溜所を新設することになる。日本の飲料市場に参入する足がかりとして、中村氏はまず洋酒の輸入会社を設立しようと考えた。そこで2012年1月に設立していた再生可能エネルギー関連企業「ガイアフロー」を再構成して、輸入酒部門を中心に会社全体の 事業目的を変更したのである。 中村氏は地元の税務署を訪れ、静岡でウイスキーづくりを始めるという計画を伝えた。そのときの税吏たちの顔をよくおぼえている。彼らは中村氏の言っていることがまったく信じられないといった様子だった。 その後の4年間で、中村氏は国内外のウイスキー蒸溜所、ビール醸造所、ワイナリーなどを170軒以上見学した。その傍らで、自分の蒸溜所の建設地も探し続けていた。一番の希望は、生まれ育った静岡市に生産拠点を設立すること。しかしそんな望みが叶う可能性は低いこともわかっていた。静岡市は山がちで、蒸溜所のような施設を建設できる平地は高価になる。居ても立ってもいられない中村氏は、静岡県内の他地域や、隣の山梨県と長野県でも候補地を探した。 ただ時間だけが過ぎていくように思えた。肥土氏からもらった助言のひとつに、「蒸溜所の建設を一歩ずつ進めようとするな」というものがあった。一歩一歩、足下を固めてから進もうとすると夢の実現から遠ざかる。肥土氏によると、何事も平行して進める必要があるのだという。A、B、Cと順番にやるのではなく、AとBとCを同時に進めていく。たとえBとCの進行がA次第だとしても、そうやって同時進行したほうがうまくいくというアドバイスだった。   運命の導きで建設地と出会う   2014年5月、中村氏はスコットランドのフォーサイス社に2基のポットスチルを注文した。その時点ではまだ蒸溜所の建設地が見つかっていなかったが、納期まで2年あるし、肥土氏のアドバイスもおぼえていた。その1ヶ月後、中村氏は念願の建設地を見つけることになる。しかも場所は当初の希望だった静岡市内の玉川地区である。 その土地は、1990年代に丘陵地を削って平地を確保した場所だ。この約20年間、土地の利用法についてさまざまなアイデアが検討されたが、どれも実現はしなかった。そして中村氏は知る由もなかったが、この静岡市が所有する土地 の担当者は大のウイスキーファンだった。後に自分で秩父蒸溜所を訪ね、この土地に小さなウイスキー蒸溜所が建ったら素晴らしいだろうと夢を見るような人物だったのである。中村氏が問い合わせを入れたとき、まさに運命の扉が開いた。その土地は、2人の男の夢がひとつになって叶うのを、じっと何年も待ち続けていたかのようにも思えたのだ。 建設地を見つけ、ウイスキー蒸溜所を建設する許可が当局から下りた。ほどなく中村氏は、ガイアフローディスティリング株式会社を設立した。 蒸溜所の建築デザインについていえば、中村氏はシンプルでモダンなデザインが希望だった。彼はデレック・バストン氏が率いる静岡市の建築事務所、株式会社ウエストコーストに連絡をとり、いくつかの案を出してもらった。バストン氏の建築プランを見た瞬間に、中村氏は自分とバストン氏の波長がぴったりであると確信した。 2015年、中村氏は軽井沢蒸溜所の中古設備を御代田市主催の競売で落札して購入。価格は505万円だった。軽井沢蒸溜所は閉鎖して取り壊されることになっており(2016年に工事完了)、まだ使える設備の行き先を探していたのである。2000年以来ウイスキーづくりを休止していた軽井沢蒸溜所に、現役で活躍できる設備が少ないのは明らかだった。ウォッシュバックは腐敗し、マッシュタンはサビだらけ。それでもいくつかの機器が、静岡蒸溜所で第二の生命をつなぐのに十分な状態で残されていた。 軽井沢蒸溜所にあったポットスチル4基のうち、もっとも新しい1基が修理され、静岡蒸溜所で新しい加熱装置が取り付けられた。軽井沢蒸溜所から重要な移設品はもうひとつある。ポーティアス社製のモルトミルだ。軽井沢蒸溜所の最後のモルトマスターである内堀修省氏によると、この粉砕機は1989年に軽井沢蒸溜所が導入したもの。当時はすでに軽井沢蒸溜所の晩年にあたり、生産量も減って稼働量も限られていた。このモルトミルの価値は、落札額の4倍はあるだろうと内堀氏が証言している。中村氏にとっては素晴らしい買い物だったわけである。 軽井沢蒸溜所から静岡蒸溜所に移設され、引き続き使用される機器は他にもある。粉砕前に石などを取り除くデストーナーや、樽にタガをはめる機械だ。もうウイスキーづくりには使えないが、歴史的な価値のある軽井沢蒸溜所の設備(3基のポットスチルなど)も引き取り、静岡蒸溜所内で展示される予定である。 (つづく)    

ジムビームの新銘柄が好評発売中

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今年7月に発売されたジムビームの新銘柄が話題を呼んでいる。ユニークな手法で味わいを進化させたウイスキー「ジムビーム デビルズカット」と「ジムビーム ダブルオーク」。さらにはジムビームのなめらかな味わいに爽やかなアップルフレーバーを加えたリキュール「ジムビーム アップル」。ウイスキー通にもビギナーにも楽しめる味わいをご紹介しよう。 文:WMJ   ますますハイボールの人気が高まる中、日本でもバーボンの味わいに親しみを感じる人が増えてきた。サントリーによると、2015年の「ジムビーム」の国内販売量は前年比162%と大きく伸びている。串かつや焼き鳥などの居酒屋料理と絶妙な相性が証明された「ビームハイ(「ジムビーム」のハイボール)」も人気急上昇中の2016年夏、ジムビームブランドからユニークな味わいの新銘柄3種類が発売された。 なかでもバーボン愛好家たちが注目しているのは、「ジムビーム デビルズカット」。これはジムビームならではの視点と技法を活かした極めてユニークなウイスキーである。ウイスキーファンなら「エンジェルズシェア」、すなわち天使の分け前という言葉をご存じかもしれない。ウイスキーの熟成中に蒸発して失われる原酒の分量のことであるが、実は自然の摂理によって失われていく原酒は他にもある。 熟成を終えてボトリングのために樽からウィスキーを取り出した後でも、まだ樽材の中に染みこんだ状態で残された分をディスティラーたちは「デビルズカット」、すなわち悪魔の分け前と呼び習わしている。今回リリースされた「ジムビーム デビルズカット」は、樽の中に入り込んでしまったこの原酒を特殊な手法で抽出し、厳選したバーボン原酒とブレンドしたボトルである。木との接触が多い原酒を使用しているため、力強いオークの香りとほのかな苦味があり、豊かなバニラのフレーバーが香り立つバーボンに仕上がっている。まさに悪魔に横取りされた香味の強いウイスキーを、ジムビームが独自技術で奪還した成果を味わう楽しさがある。   伝統のフレーバーを強化した新しいバーボンの世界   さらに「ジムビーム ダブルオーク」は、4年間バーボン樽で熟成させた後、さらにアメリカンホワイトオークの新樽で熟成させた原酒を使用したボトル。新樽の清々しさにキャラメルのような甘みとスムースな味わいを備えた、生粋のバーボンファンをうならせる注目の新銘柄だ。 そして最後の「ジムビーム アップル」は、「ジムビーム」に青リンゴ風味のスピリッツを加えることで、マイルドな口当たりとフレッシュで爽やかな味わいを実現した新境地。分類上はリキュールであるが、ジムビームならではの風味を活かした話題のフレーバードウイスキーの一種である。 世界120ヶ国以上で飲まれているジムビームは、世界市場の約41%を占める売り上げ世界ナンバーワンのバーボンブランド。200年を超える歴史は、新たな伝統を獲得する技術革新の連続だった。ケンタッキーにたどり着いた創業者ジェイコブ・ビームが独自のレシピや製法で新しいアメリカ産ウイスキーの土台を確立させ、樽詰めウイスキーを発売したのが1795年のこと。以来、複雑な風味と香味が増すサワーマッシュ法にこだわり、石灰岩層で濾過された天然水「ライムストーンウォーター」は深くマイルドな味わいに寄与している。 現在のマスターディスティラーは、ビーム家の7代目当主のフレッド・ノウ氏。秘伝のレシピと製法を受け継ぎながら、これまでも新しい技術とアイデアでファンの期待に応えてきた。今回は上記の新しい3商品をラインナップに加えつつ、「ジムビーム ブラック」(旧ジムビーム ブラックラベル)と「ジムビーム ライ」はパッケージを、「ジムビーム ハニー」はパッケージと中味をリニューアルしている。 どのボトルを選んでも、ジムビーム定番のマイルドな深みがそこにある。バーボンファンはもちろん、ウイスキー初心者の方でも、オンザロックやハイボールで気軽にその世界観が楽しめるはずだ。  

開業直前レポート(3):静岡蒸溜所【後半/全2回】

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2016年秋に開業予定の静岡蒸溜所は、着々とウイスキーづくりの準備を整えている。待ちきれないウイスキーファンのために、その横顔を紹介しよう。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   静岡蒸溜所は、安倍川支流の岸辺に広がる20,000m²の土地に建っている。周囲には小さな茶畑があり、美しい森を抱いた山々にはサル、シカ、イノシシなどの野生動物が棲む。気候は年間を通してとても穏やかだ。真冬でも冷え込みは厳しくなく、気温が0度を下回ることは稀だという。 メインの蒸溜棟は、独創的な建築デザインで建てられる。軽井沢蒸溜所のように、モルトの粉砕から樽詰めまでが、それぞれ別の部屋ではあるが一つ屋根の下でおこなわれるスタイルだ。空気の循環は、建物内にあるさまざまなシャッターを開閉することで調整できる。さらに考えぬかれた設計を感じさせるのは、蒸溜所の建物内のさまざまな場所から周囲の風景が見渡せることだ。 そして日本のウイスキー蒸溜所にあってもっとも印象的でユニークなのは、「ビジター体験」が蒸溜所のデザインに統合されているという事実である。訪問者が建物の中を歩いてウイスキーづくりのさまざまな工程を見学する際に、作業の邪魔になることがないように導線を工夫している。 蒸溜所ツアーには、非常に面白いビジター体験が待っている。だが今の時点ではまだ秘密にしておくことにしよう。個人的には一般のファンを対象にした日本の蒸溜所ツアーで、もっとも魅力的なビジター体験になるだろうと予想している。このような視点をあらかじめ蒸溜所建設に組み込んだ中村氏とウエストコースト社は賞賛に値する。 原料の大麦モルトは清水港から運ばれてくる。あの白州蒸溜所も使用している港だ。生産されるウイスキーの大半はノンピーテッドで、1年のうちごく短い期間がピーテッドモルトからのウイスキーづくりに充てられる。準備が整い次第、中村氏は地元産の大麦モルトでもウイスキーをつくりたいと模索している。 蒸溜所に到着した大麦モルトは、建物裏手の粉砕室にある2つのサイロに保存される。粉砕室の眺めはとてもカラフルだ。赤いポーティアス社製のモルトミルとグリーンのデストーナー(ともに軽井沢蒸溜所から移設されたもの)、そして真新しいオレンジ色のグリストビンが並んでいる。「グリーンは静岡茶のグリーンで、オレンジは静岡名産のミカンの色ですよ」と中村氏が冗談めかして説明する。 粉砕室の隣の部屋はマッシュタンがある。三宅製作所が製造した、容量1トンのロイタータンだ。ポットスチルの製造を依頼したスコットランドのフォーサイス社ではなく、国内のメーカーにこのマッシュタンを発注したことで、メンテナンスにも工夫が必要になる。 次の工程は発酵室でおこなわれる。この記事を執筆している時点で、すでに7,000Lの木製ウォッシュバックが4槽あった。材料はオレゴン松で、日本酒用の木桶づくりの経験が豊富な大阪の木工会社が製造と設置を担当したもの。計画では全部で12槽のウォッシュバックが導入され、そのほとんどが木製になるという。外壁の左右いっぱいを使った窓からは自然光がたっぷりと差し込み、周囲の美しい風景が室内からも見渡せる。ウォッシュバックがすべて揃い、ひとたび糖化液の発酵が始まれば、この部屋は五感を刺激する素敵な空間になることだろう。 次なる現場は、蒸溜所の建物の前方を占める蒸溜室だ。蒸溜工程も自然の風景をバックにおこなわれる。現時点で、ここには軽井沢蒸溜所が最後に導入した1975年製のポットスチルがひとつあるのみ。16年もの間ほとんど使用されていなかったスチルだが、三宅製作所が再稼働の準備を請け負った。傍らに2つの小さな覗き窓が取り付けられ、加熱システムがスチームコイルからパーコレーターに変更されている。 フォーサイス社から新品のポットスチルが届くのは秋になる予定だ。新しいスチルは2基ともバルジ(ボイルボール)が付いたタイプである。ウォッシュスチル(5,000L)には水平のラインアームが付き、スピリッツスチル(3,500L)には下向きのラインアームが付く。軽井沢蒸溜所の古いスチルには水平のラインアームが付いている。2基の新しいスチルには、多管式(シェル&チューブ式)のコンデンサーが付くことになる。   異なったスチルの組み合わせで個性を磨く   ここで興味深いのは、中村氏が新しいウォッシュスチルを直火式に指定したことである。対をなすスピリットスチルの方は、スチームコイルで間接的に加熱される。直火式はスチルの底の銅板を厚くしなければならず、コスト増にもなるので、当初フォーサイス社は蒸気による間接式を勧めてきた。それでもなお中村氏は、直火式にする価値があると判断した。ウォッシュスチルを直火で加熱することで、面白い付加価値が加わることを重視したのだ。 事実上、静岡蒸溜所は2基のウォッシュスチルが選べることになる。ひとつは直火式、もうひとつは間接式だ。軽井沢のスチルは3,500Lであり、フォーサイス社のウォッシュスチル(5,000L)よりも小さい。そのため軽井沢のスチルを使うときは、ウォッシュを2つのバッチに分けなければならない。最初はこの古い軽井沢のスチルをウォッシュスチルとして使用し、新品のスピリットスチルと組み合わせる(どちらもスチーム加熱)。直火式の蒸溜にはある程度の訓練が必要となるため、新品のウォッシュスチルは準備が整った後で使用されることになる。 中村氏によると、静岡蒸溜所の基本的な方向性は「軽やかで繊細なスピリッツ」である。日本における他の新進クラフトディスティラリーは、秩父、津貫、厚岸とも重めのタイプを志向しているので、静岡蒸溜所が対照的なウイスキーを生産するのは歓迎すべきことである。さらに中村氏は、1,800Lのホルスタイン社製ハイブリッドスチルを秋に設置する予定だ。このスチルはブランデーやリキュールの蒸溜にも使用されるタイプであるが、スコットランドなどの新進蒸溜所がビジネスモデルに採用しているようなジンの生産はおこなわない。 蒸溜所の建物の背後には第1貯蔵庫がある。ダンネージ式で、約1,000樽のカスクが貯蔵できる広さだ。だが実際にここで貯蔵される樽の数は、1,000を下回るだろう。なぜならスペースの3分の1に軽井沢蒸溜所の古いスチルが保存展示されるからだ。 この第1貯蔵庫には、熟成をより早めるようにさまざまな設計上の工夫がなされている。他の日本の蒸溜所に比べて寒暖の差が穏やかであるという条件を埋め合わせるための措置だ。この詳細についても、ウイスキーファンの皆様にはオープン後のお楽しみとさせていただきたい。中村氏によると、静岡蒸溜所のスピリッツの大半はバーボン樽に貯蔵される。繊細なキャラクターのスピリッツであることを考えれば、理にかなった選択だ。 静岡蒸溜所では、10月までにすべての設備が整う予定である。ウイスキーの生産は、製造免許が下り次第すぐに始まることになっている。現在のところ、工場で働くスタッフの数は10人程度。シフトは無休(3交代制)ではなく、2交代で生産される。 また中村氏には2003年に余市蒸溜所で「マイウイスキーづくり」に参加し、2013年6月にスプリングバンク蒸溜所で1週間の研修をおこなった経験があるため、同じようなプログラムを静岡蒸溜所でも始めたいと計画している。 東京や名古屋からもアクセスが至便。先見の明があるチームが、周囲の美しい環境を活かして蒸溜所を建築した。静岡蒸溜所のスチルにひとたび火がともれば、ハードコアなウイスキーファンにも、気軽な洋酒好きの人々にも、魅力的なアトラクションになることは間違いない。    

ラグジュアリーでリッチなラフロイグが登場

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アイラ島のラフロイグ蒸溜所から、シングルモルトスコッチウイスキー「ラフロイグ ロア」が数量限定で発売される。多彩な香味を融合させたリッチなウイスキーを目指したというジョン・キャンベル蒸溜所長が、この話題の新商品について詳細を明かしたインタビュー。   文:WMJ インタビュアー:ガヴィン・スミス   スモーキーな味わいのウイスキーが多いアイラ島のモルトウイスキーのなかでも、とりわけリッチな風味から「アイラモルトの王者」と讃えられるラフロイグ。チャールズ皇太子が愛飲する王室御用達ブランドとしても知られ、日本にも熱烈なファンは多い。 9月13日より発売される「ラフロイグ ロア」は、1815年の創業以来受け継がれてきた技術と経験を次世代へ伝承すべく、ジョン・キャンベル蒸溜所長が情熱を注いだボトル。ウイスキージャーナリストのガヴィン・スミスが、この新商品に込められた革新的なアイデアの詳細をキャンベル氏に訊ねた。   *   Q1:「ラフロイグ ロア」という名前の由来は?   ジョン・キャンベル: 辞書で「ロア」という言葉の意味を引いていただければご理解いただけるでしょう。「ロア」とは、主に口伝によって受け継がれてきた先祖代々の伝統を意味する言葉。私たちはラフロイグで200年以上にわたってウイスキーづくりを続けており、ノウハウと知識を世代から世代へ、蒸溜所長から蒸溜所長へと引き継いできました。今回の新しい表現を生み出す土台となった、何世代にもわたるノウハウと知識への敬意を「ロア」という名前に込めているのです。   Q2:他のラフロイグ商品との違いは?   ジョン・キャンベル: 過去10年の間、ラフロイグの新しい表現といえば、バーボンバレルで熟成した原酒に2次熟成や3次熟成を加えることが主体でした。以前はラフロイグのニューメイクのすべてがバーボンバレルで貯蔵されていましたが、ビーム傘下になってからはオロロソシェリーのホグスヘッド(ファーストフィルとセカンドフィル)、クォーターカスク(ファーストフィルとセカンドフィル)、一度ラフロイグを貯蔵した古樽などでもニューメイクを熟成するようになっています。以上の3種類のカスクに、ダブルマチュアード(バーボンバレルとヨーロピアンオークバレル)の原酒を加えてマリッジすることで、ラフロイグのなかでも特にユニークな風味を生み出したのが「ラフロイグ ロア」です。   Q3:リッチなラフロイグのなかでも、ひときわリッチなウイスキーと謳っている理由は?   ジョン・キャンベル: そもそも私たちは、すべてのスコッチウイスキーのなかでラフロイグがもっともリッチなウイスキーであると考え、全商品ラインでその特長を誇ってきました。「ロア」をつくる際のミッションは、ラフロイグの真髄と呼べるようなウイスキーを生み出すこと。トレードマークである薬っぽいピートのスモーク香はそのままに、驚くべき深みと複雑さを持った味わいを目指しました。7年から21年までの幅広い熟成年とカスクタイプの原酒を使用し、これまでにない深みのあるフレーバーが達成できたことから「リッチのなかのリッチ(richest of the rich)」と呼ぶに相応しいボトルだと考えています。   Q4:スタイルにおける特別な点は?   ジョン・キャンベル: 最初から完全にシェリーのホグスヘッドで熟成した原酒、クォーターカスクで熟成した原酒、21年熟成の原酒がそれぞれの個性を発揮し、「ロア」にしかないユニークな深みを表現しています。ウイスキーはリッチかつスモーキーで、ビターチョコレートの感触と強烈な唐辛子のようなパンチを舌の上で感じるでしょう。その後でピート香がどんどん甘味を増して、余韻が長く忘れがたいフィニッシュに至ります。この傑出した特長を他のボトルと明確に区別するため、ビジュアルにはダークグリーンのラベルを使用しました。ほとんど色彩を逆転したイメージで他のボトルと区別し、「ラフロイグ ロア」が類まれなウイスキーであることを明示しています。   Q5:シェリーカスクの影響を表現したこれまでのラフロイグは?   ジョン・キャンベル: シェリーカスクの影響がはっきりと現れているのは、25年、27年、32年だけ。どれもラフロイグで特に価値が高い評判のボトルです。ラフロイグファンが、これらのボトルと同質の影響を「ロア」に感じ取っていただけたら嬉しいですね。   Q6:アルコール度数を48%でボトリングした理由は?    ジョン・キャンベル: ひとつはチルフィルターを使用せずにボトリングできる度数であること。また46%よりも48%のほうが味覚のバランスがいいこと。そんなシンプルな理由から48%にしました。   Q7:ラフロイグ ロアとは、つまりどんなウイスキー?   ジョン・キャンベル: 蒸溜所の知見の総体を、私なりに解釈したボトル。トレードマークである薬っぽいピートのスモークに、深みとバランスがとれた味わいを実現しました。ジョンストン兄弟がラフロイグを創設して以来、過去200年の進化をもたらした数々の特長を反映しているウイスキーです。新しいウイスキーづくりの技術を開拓したイアン・ハンターやベッシー・ウィリアムソンらの功績は言うまでもありません。このようなウイスキーづくりが可能になったのは、アイラウイスキーの巨人たちが残した実績を土台にすることができたから。知識と伝統をもとに、ラフロイグの重要な特長を再解釈して、リッチなラフロイグのなかでもとりわけリッチなウイスキーをつくることができたのです。   * [...]

禁酒法がバーボン業界に与えた影響【前半/全2回】

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アル・カポネらの暗躍で知られるアメリカの禁酒法時代は、バーボン業界にとって過去のノスタルジーではない。アメリカンウイスキーの歴史を紐解きながら、デイヴ・ワデルが現在の産業への影響を解説する。 文:デイヴ・ワデル   バーボンは、今や世界のブラウンスピリッツ業界で見事な躍進を遂げている。その活況ぶりを見るにつけ、禁酒法というありえないような悪夢によって、一度はこの業界がほぼ瀕死の状態まで追い込まれた歴史を驚きとともに思い出さない訳にはいかない。 今やバーボン業界は、輸出額だけで年間10億ドル以上を叩き出している。世界中で飲まれるバーボンのほとんどを生産するケンタッキー州では、州人口の数を上回る樽がウイスキーを熟成中である。現在、アメリカには数百の蒸溜所がある。約350年におよぶウイスキーとの関わりを巨視的に捉えれば、アメリカの禁酒法は前進し続ける業界にちょっとだけ影が差した、ウイスキー史の1ページに過ぎないと思いたくもなる。だがもちろん物事はそんなに単純ではない。 禁酒法が発効したのは、1920年1月17日のこと。アメリカ合衆国憲法修正第18条によって、酩酊を誘う飲料の生産と販売が禁じられた。密造酒や自家製ワインなどでしたたかに酔ったアメリカ人たちの風刺画などで、禁酒法の歴史は一般的にも知られている。組織犯罪、国境の抜け道、そこから入国するカナダやスコットランドの密輸業者。そして個人あたりのスピリッツ消費は、常識からは考えられないほどに上昇した。1919年には3億6,500万ドルの税収をもたらしていた国内の蒸溜酒製造業界を、禁酒法は一息で根絶やしにしてしまったのである。 20世紀初頭には3,000軒近くあった蒸溜所は、そのほとんどが廃業して永久に再興を諦めた。政府から特別な許可を得てアルコールを生産できた会社や、将来を見通せた会社など、ほんのわずかな裕福で幸運なメーカーを除けば、優れた蒸溜技術を持つ人材が一世代分まるごと禁酒法によって消滅してしまった。その結果、生き残った蒸溜所やブランドの4分の3以上が、4つのコングロマリット(ナショナル・ディスティラーズ、シェンリー、ハイラム・ウォーカー、シーグラム)に吸収されることになった。 これらの企業は、さまざまな種類の古い原酒をほんの少しだけ保有していた。大恐慌の最中、売り先もない原酒をただ抱えているしかなかったバーボン業界は、第2次世界大戦に突入する前にやっとのことで事業を立て直し始める。戦時中に需要があったのは、軍部に納入する卸売部門だ。その後の20世紀のほとんどは、売れ筋ナンバーワンのスコッチウイスキーと、軽快で使い勝手がいいカナディアンウイスキーを目標にして生産量を増やしていくことになった。 要するに禁酒法は、恐慌や戦争の力も借りながら、アメリカ産のストレートウイスキーだけを狙い撃ちにして弱体化させたのである。昔から何度も語られている話なので手短かにしよう。戦後のアメリカで、バーボンは一度バーや家庭に返り咲くことができた。特に1945年から60年代までの間、力強く成長したバーボンは平和な時代の米ドルパワーに支えられてカムバックした。だが禁酒法とその後の時代で、昔ながらの長期熟成されたバーボンはほとんど入手できなかったため、アメリカのウイスキー消費者層の習慣と嗜好は変わってしまっていた。人気のウイスキーといえばスコッチで、在庫豊富な長期熟成のカナディアンウイスキーがカクテルのルネッサンスを巻き起こしていたのだ。 ウイスキー評論家のチャック・カウダリー氏によると、当時のバーボンは労働者階級の酒とみなされていた。それが悪いことであったと一概にはいえない。古株のバーボンファンなら誰でも知っていることだが、バーボンは概ね品質が良く、中には非常に良いものや傑作と呼べるボトルもあった。スティッツェルウェラー蒸溜所は、1935年以来、みずからの伝説を着実に積み重ねていた。ナショナル・ディスティラーズとシェンリーからも、素晴らしいウイスキーが何種類か発売されていた。ビーム社などたくさんのメーカーのルーツを遡れば、戦後も禁酒法以前のスタイルのウイスキーが生産されていた事実がわかるだろう。 だがわずかな例外を除けば、どのウイスキーもあまり売れなかった。売れたにしても、大成功ということはなかったのである。その代わり、特に1960年代からは、サゼラック社の会長兼CEOだったマーク・ブラウン氏が提唱したように、4大メーカーは生産設備の一新を大々的に始めた。「フォードや、ゼネラル・モーターズや、クライスラーの車のようにウイスキーを売ろう。大量につくって、店頭に商品を積み上げて、安く売ろう」という方針が主流になったのである。   そしてバーボンは暗黒時代へ   ブラウン氏によると、この方針によって各社のウイスキーづくりの戦略はパニック状態になり、全体としてバーボン自体の個性を弱体化させることになった。ブラウン氏いわく、1960年代に起こった製品の規格化や効率性重視の流れはバーボンのスタイルを変えてしまった。すなわち古風なノウハウから、化学者とエンジニアによる大量生産への移行である。 そのようにしてつくられたのは、技術的には優れているが、品質は均一で個性や魅力に欠けるウイスキーだったとブラウン氏は述べている。スコッチのプレミアムなステイタスを目標とし、スコッチやカナディアンの特徴を手にする生産技術を土台にしたため、ビッグメーカーはバーボンの力強い個性を押し出すことにほとんど関心を持たなくなった。 もともとのバーボンは、スコッチやカナディアンと異なる独自の特徴を大切にしたウイスキーとしてつくられていた。しかしビッグメーカーは、独自の個性を発揮するよりも、輸入ウイスキーの現地生産バージョンをつくりたがったのである。まずはブレンデッドを実験的に生産し、次はより度数の高い蒸溜液を古樽で熟成した通称「ライトウイスキー」を生産した。 ブレンデッドは、短期間には経済的な成功を収めた。1971年には、アメリカのスピリッツ市場でアメリカンブレンデッドウイスキーが約18%のシェアを獲得したのである。しかしこのカテゴリー(アメリカンストレートウイスキーのブレンドとの混同に注意)は現在ほとんど消え失せ、特にバーボンを飲む層には無縁の存在である。一方のライトウイスキーは、大手バーボンメーカーのクリエイティブ思考の乏しさを露呈するかたちで絶望的な失敗に終わった。その結果、1971年から1981年までの10年でバーボンの売上は33%も下落し、対照的にスコッチは9%上昇。カナディアンに至っては49%という驚異的な伸びでアメリカ本国の生産者を脅かした。どれもウイスキーの売上が世界的に落ち込んだ時期、もっとも活況だったアメリカ市場で起こった変化である。 細かい解説は不要だろう。バーボンは暗黒時代に入った。バーボンのカテゴリーは、まるまる1世代分の長きにわたる下降期に入ったのである。ウッドフォードリザーブのマスターディスティラーであるクリス・モリス氏いわく、当時のバーボン業界は自動操縦状態で打つ手がなかった。貯蔵中のバーボンは、どんどん売りにくくなって放置されていた。アメリカの若い世代は、やや古風で厚かましいわりに中身のないライトボディのブラウンスピリッツに飽きがきて、本当にライトな新しいスピリッツであるジン、ホワイトラム、テキーラ、ウォッカに目移りした。 ビッグメーカーたちは合理化に乗り出した。生産業務は一部が削減され、一部が加速された。ウイスキーの生産は複数の拠点にまたがっておこなわれるようになった。代々続いてきた蒸溜所がいくつも倒産した。古いレシピは見捨てられ、忘れられ、失われた。最下段の棚をめぐる価格競争が利幅をさらに減らし、ついには信用も失墜したのである。(つづく)  

禁酒法がバーボン業界に与えた影響【後半/全2回】

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禁酒法が与えた深刻なダメージから、完全に立ち直ったかのように見えるアメリカのウイスキー産業。だがケンタッキー州にも約120の禁酒郡が残されている。日本ではあまり知られていないアメリカ酒類業界の内幕を解説。 文:デイヴ・ワデル   キャスリン・ルディー・ハリガン氏が1983年に記した分析によると、禁酒法以来も続いてきたバーボン業界は、ほとんど最終局面のような状況だった。1994年までに、バーボンは息も絶え絶えだったのである。かつて栄華を誇ったアメリカのウイスキーづくりは10箇所の主要蒸溜所とわずかなマイクロディスティラリーを残すのみとなり、評判に登ることもあまりなくなった。 この惨状を禁酒法のせいにすることは、禁酒法以前の状況を美化して、禁酒法後に起こったことを正当化することにつながる。だが歴史的に見て、プロテスタントの国としてのアメリカは、いつもアルコールと微妙な関係にあった。酒を飲むことは個人の責任に委ねられるものの、多くの宗派ではたしなむ程度に少量だけを飲むことが美徳とされていた。 象徴的なことに、南北戦争以前のアメリカでは、公民権のない人々や奴隷にアルコール飲料を販売するのは違法だった。南北戦争が終わり、禁酒運動の盛り上がりや勤勉な人々の働きかけによって、1915年までに20州で禁酒条例が成立した。1915年といえば禁酒法施行の5年前である。19世紀の後半にはすでに蒸溜所の数が減少していた。1897年のボトルド・イン・ボンド法、1907年の食品医薬品清潔法、1909年のタフト判決など、低品質な偽物のウイスキーを規制する法律で悪徳ブレンダーや共謀する問屋の不当利益を防止していたにもかかわらず、依然として市場はたくさんの密造業者やバーや居酒屋に卸す業者が跋扈するカオス状態が続いていたのだとサゼラック社のマーク・ブラウン氏は語っている。 この点においていえば、禁酒法廃止の結果から生まれた状況の多くは、必要なものでもあったといえる。特にバーボン業界による自己規制の決断や、ボトリング(樽詰めではないところが重要)によるバーボンのみを自由市場における唯一正当な製品と見なした新生の蒸溜酒製造協会は、状況を正しい方向に変えていった。20世紀半ばから後半にかけてバーボンが迷走し、その後でアメリカのストレートウイスキーが現代版のルネッサンスを謳歌している現在の状況を見るに、1970年代にバーボン業界がおこなった原点回帰運動との類似点を分析してみる価値はあるだろう。この運動は、高品質、複雑、特別感、プレミアムであることを強調して、その後の30年間を変える力があったかもしれないアプローチだった。   保守的な州に今でも残る禁酒政策   確かに、あの禁酒法の歴史を受け入れるにはまだまだ時間がかかるし、1900年頃につくられていたバーボンの品質が低品質だったと断言できるわけでもない。また60~70年代のバーボン業界が愚かな自殺行為をおこなっていたという歴史の裁定にも時間がかかる。私たちはまだ夢を見ているのだ。ハリガン氏によると、バーボンが衰退していくシナリオの中で大規模メーカーが下した決断は、禁酒法が生み出した状況、産業構造、システムと密接に結びついていた。 確かなことは、貯蔵庫で眠る原酒や、ウイスキーづくりに関わる従業員の力量を正当に評価している者が当時はいなかったということだ。そのため私たちはメイカーズマークの独特なポリシーや、国外で予想を上回る成功を収めたフォアローゼズやブランドンシングルバレルなどのブランド、豊満な味わいが口いっぱいに風味が広がるつくり手本位のバーボンの登場を待たなければならなかった。意外性を持った幅広いアプローチへの回帰、クラフトディスティラリーの急激な躍進、高めのアルコール度数、同じタイプの原酒を異なる度数で表現する試み、シングルバレル、スモールバッチなどでボトルごとの違いを重んじる近年の市場傾向から振り返ると、当時の変化はどれもが理にかなった動きだった。 またバーボンの特徴を台無しにした1970年の措置を仮にやめさせることができたとしても、禁酒法がもたらした負の遺産による窒息から逃れる術はほとんどなかっただろう。この負の遺産には、役所による起業への締め付け、流通や販売のネットワークの弱体化、生産者と問屋と販売者を3つに分断した産業構造、州内だけに限定された流通の規制などが含まれる。 そのため私たちは、ニューヨーク、ワシントン、テキサス、オレゴン、コロラドの各州が因習を改革するのを待たなければならなかった。今やこれらの州は、蒸溜所の新規建設への規制が緩和されてコストも低減され、ばらつきがあった問屋の流通網が整理され、その結果として国内の蒸溜所数が現在の約650にまで達する道筋を作ったのである。 つまり結論をいうと、バーボンの現状は条件付きで祝うべきものだろう。長い忍耐の年月が終わってから、少なくとも6年は経つ。バーボンはカムバックを果たし、他のアメリカンストレートウイスキーも復活した。2010年には、禁酒法以来初めてカナディアンウイスキーを売上で上回った。新しい蒸溜所、レシピ、独立系ボトラー、ブランドが急速に生まれているため、常にすべてを把握するのは不可能なほどだ。 禁酒法とその遺産は、もう完全に過去のものとなったようにも見える。あの巨大なスコッチウイスキー産業界でさえ、これまでのバーボンに対する疑いに満ちた評価を改めるかのようにヤキモキした関心を寄せている。「バレルハウンド」や「スクラッチドカスク」などの、いわばバーボン化されたスコッチに代表される不思議なトレンドはその証拠だ。 だが、まだ手放しで喜ぶわけにもいかない。2016年のアメリカにあっても、カンザス、テネシー、ミシシッピーの各州は依然として基本的な禁酒政策を崩していないといっていい。全米の3分の1の州は酒類の仲買と販売を独占し続けている。33州が郡の規制によってアルコール全般もしくはスピリッツ類の販売、消費、所持などを禁じた「禁酒郡」(ドライ・カウンティ)の存在を容認している。そんな州のひとつが他でもないケンタッキー州であり、同州内の約3分の1にあたる120郡が禁酒郡なのである。新しい蒸溜所が芽吹いているケンタッキーにおいて、これは皮肉と呼ぶ以外にないだろう。    

木内酒造額田蒸溜所とジャパニーズウイスキーの革新【前半/全2回】

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日本でクラフトディスティラリーが次々と開業する2016年。すでに2月からウイスキーづくりを始めている額田蒸溜所は、クラフトビールで有名な木内酒造の新規プロジェクトだ。ベンチャー精神あふれるビジネスの裏側をステファン・ヴァン・エイケンがリポート。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   額田蒸溜所は、いま日本でもっとも無名な蒸溜所のひとつといっていいだろう。熱烈なウイスキーファンたちの間でも、その名を聞いてピンとくる人は稀である。しかし同じ場所でつくられるビールの知名度なら抜群だ。木内酒造の「常陸野ネストビール」といえば、印象的なフクロウのロゴでおなじみのブランド。国内のクラフトビールバーはもちろん、米国をはじめ海外での認知度も高い。 木内酒造は、茨城県鴻巣村の庄屋、木内儀兵衛によって1823年に創設された造り酒屋である。ビール部門ができたのは1996年なので、もう20年のキャリアがある。 そんな木内酒造が、リサイクルを促進して廃棄物を減らそうという目的から蒸溜設備を導入したのは2003年のこと。この新しい設備で、まずは酒粕を蒸溜した焼酎をつくった。2008年になると、もともとの日本酒醸造所から4km離れた額田にビール醸造設備を移設。2011年にはその敷地内に大規模な醸造所を新設した。現在、木内酒造は醸造所の隣にワイン畑も保有している。 そして2016年、ついに木内酒造はウイスキーをつくり始める。木内敏之氏いわく、これは決してジャパニーズウイスキーのブームに便乗したものではない。そもそも彼がウイスキーづくりを計画したのは、日本のウイスキーが苦境に立たされていた十数年前のこと。その動機を正しく理解するには、さらに長い歴史を遡らなければならない。 時は今から1世紀以上前の1900年のことである。東京練馬に住む農夫の金子丑五郎氏が、うどんの原料となる国産六条大麦の「四国」と北欧原産の二条大麦「ゴールデンメロン」を交配して、日本初のビール麦を収穫した。出来栄えに満足した金子氏は、この新しい大麦を「金子ゴールデン」と名付け、第2次世界大戦前までに人気を博すことになる。だが戦後になってビール業界が再編されると、より経済的に栽培できる大麦品種への移行を日本政府が促した。さらに安価な輸入大麦の普及も追い打ちをかけて、「金子ゴールデン」は1960年代に姿を消すことになるのである。   伝説のビール麦を復活させ、ウイスキー蒸溜への道を拓く   2004年、木内敏之氏はアメリカ農政省の関連団体で資料用として保存されていた「金子ゴールデン」の苗を12株入手。地元の若手農家で組織する那珂市農業後継者クラブと共同で、伝説のビール麦の再生プロジェクトに乗り出した。そして2009年にはビールづくりに必要な収穫量を達成し、金子ゴールデンを原料にした「常陸野ネストビール NIPPONIA」を世に送り出したのである。 この金子ゴールデン再生プロジェクトの過程で、木内敏之氏が不良とみなした大麦原料がかなり余ってしまった。一部の大麦はタンパク質の含有量が多すぎて、ビールづくりに向いていなかったのだという。このような原料はビールが濁り、マッシュの効率を落とし、品質の一貫性を損ねて全体の生産コストを押し上げてしまう可能性がある。 ビールには使えないこの大麦を、廃棄しないで済む方法はないだろうか。木内氏が行き着いた結論は、この原料を蒸溜してしまうことだった。ウイスキーファンでもある木内氏は、これまでに何度もスコットランドを訪ねた経験がある。ビール用に使えなかった大麦からウイスキーをつくるという発想は、自然に頭に浮かんできた。 額田のビール醸造所を拡張する大型投資が必要だったため、ウイスキーのプロジェクトは数年の待ち時間を余儀なくされた。だが2015年、ようやく包装用倉庫の2階部分を小さな蒸溜所に模様替え。ついに木内酒造によるウイスキーづくりの準備は整ったのである。 額田蒸溜所における最初の蒸溜は、2016年2月10日におこなわれた。この記念すべき最初のバッチは通常のウイスキー用のマッシュからつくられたが、その直後にウイスキーづくりはいったん中断し、古いビールの在庫が蒸溜されることになった。木内酒造の酒類製造免許はこのようなビールの蒸溜もカバーしており、すでに同カテゴリーの商品「木内の雫」が発売されている。自前のホワイトエールを1回蒸溜し(ただし使用するのはウイスキー用のハイブリッドスチルではなく焼酎用のスチル)、コリアンダー、ホップ、オレンジピールを加えてオーク樽で1ヶ月熟成後、さらにホワイトエールを加える。これを再び蒸溜し、さらに6ヶ月間熟成して度数43%でボトリングしたのが「木内の雫」なのである。 (つづく)      

木内酒造額田蒸溜所とジャパニーズウイスキーの革新【後半/全2回】

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クラフトビールファンにはおなじみの木内酒造が、ウイスキーづくりに乗り出した。アメリカのクラフトディスティラリーを参考にした額田蒸溜所から、真に革新的なジャパニーズウイスキーが生みだされる日は近づいている。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   開拓者精神が旺盛な木内酒造は、蒸溜酒づくりでも革新的な手法を模索している。2016年2月に稼働したばかりの額田蒸溜所では、ウイスキー以外の蒸溜酒も生産することになるはずだ。だがまずは同社の基本的なウイスキーづくりの工程について解説しよう。 ウイスキーづくりの最初のステップはマッシュだが、やはりビールメーカーとあって既存のビール醸造の設備でマッシュがつくられる。初めての蒸溜から6ヶ月が経った現在、額田蒸溜所のスタッフは主にドイツ産の二条大麦をウイスキーの原料に採用している。国産の小麦を試験的に使用したこともあったが、当面の計画では2005年から栃木県で栽培されている新しい大麦品種「サチホゴールデン」を原料にしたウイスキーをつくることになっている。 約4,500リットルのマッシュ2回分が、蒸溜所そばにある12,000リットルのタンクに移され、約3日間にわたって発酵される。イーストはおおむねドライタイプのウイスキー用酵母を使用しているが、木内敏之氏によるとベルギー産の上面発酵酵母を使用したバッチもいくつかある。この酵母を使用するとスピリッツに繊細なスモーク香が加わるため、「スモーキーウイスキー」へのユニークなアプローチになると木内氏は考えている。ピーテッドモルトを使用しなくとも、発酵時にスモーキーなフレーバーが生成されるのは実に興味深い。 発酵が終わったウォッシュは、3槽の貯蔵タンクに送られて蒸溜を待つ。蒸溜設備は、木内酒造の要望で細かく仕様を決めた中国製の特注品だ。蒸溜責任者のサムことイサム・ヨネダ氏(両親は日本人とスコットランド人)が、蒸溜プロセスを詳細に説明してくれた。 「ここではポットスチルにコラム式スチルを付設したハイブリッドスチルを使用しています。アメリカのクラフトディスティラリーではかなり人気の高いタイプですが、これを初めて日本で導入したメーカーのひとつが木内酒造なんです」 ポットスチルの容量は1,000リットルだが、ポットの最上部に触れたりラインアームに溢れだしたりしないよう、蒸溜時にはおよそ700リットルぐらいまでしかウォッシュは入れない。ポットスチルはスチーム加熱で、気化したアルコールが水平のラインアームを通ってコンデンサーに向かう。 一部のスピリッツはコラムまでたどり着き、フィルターのように銅との接触機会を増やす4つのプラットフォームを通って再び上昇する。たくさんあるサイドバルブもアロマ、フレーバー、純度、アルコール度数などに影響を与えるのだという。 「このような蒸留器の設計が、蒸溜中にどのような影響を与えているのかは、蒸溜後のスピリッツの香りと味を確かめてみるまでわかりません。スピリッツは水とグリコールに分かれて冷却タワーの上を通過して、気体だったアルコールが液化します。これがスチルから流れだして、ドラム缶に注がれるのです」   独自のアプローチでジャパニーズウイスキーの新境地へ   木内酒造額田蒸溜所の生産量は、まだかなり小規模である。700リットルのウォッシュから最終的に得られるニューメイクは60〜80リットルほど。しかし設備の拡張計画は着々と進んでいる。木内酒造は新しい5,000リットルのハイブリッドスチルを、同じ中国のメーカーに発注済みだ。すべてが計画通りに進めば、スチルは2017年の初頭に納品される予定である。 現在のところ、ニューメイクを貯蔵するカスクは包装用倉庫の2階にある蒸溜所の隅に保管されている。最初の半年間で使用したカスクは9本。シェリーバット4本、バーボンバレル2本(シカゴのコーヴァル蒸溜所で使用された110リットルの小樽)、バージンオークのヘリテージバレル2本、ヘッドを桜材で作った特殊な桜バレル1本という内容だ。すべてのカスクをテイスティングさせてもらったが、まだ貯蔵したばかりにも関わらず、特にシェリーカスクと桜カスクが驚くべき熟成の兆候を見せていた。 木内敏之氏は、「真のジャパニーズウイスキー」をつくることが目的であると断言している。技術面やウイスキーづくりの思想において、あえてスコットランド流を踏襲せずに、元気なアメリカのクラフトディスティラリーを参考にしたのもそのような理由からだ。さほど規制が厳しくないアメリカでは、冒険や実験の余地も多分に残されているのである。 大麦であれ、樽材であれ、地元産の原料を使用するのは、酒づくりに携わるものとして至極当然のことだと木内氏は考えているようだ。ヨネダ氏が語ってくれた言葉も、その意思を裏付けている。 「国産の原材料をもっとマッシュに入れられる道があるのなら、積極的に試してみたいと考えています。例えば米をそのまま焼酎にするのではなく、何らかのかたちでマッシュビルに加えることも検討していますよ」 これまでに見たこともないような、新しいジャパニーズウイスキーづくりの歴史はまだ始まったばかりだ。      

熟成の魅力あふれるワイルドターキーの特別ボトル

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11月に数量限定で新発売されるバーボンウイスキー「ワイルドターキー マスターズキープ ディケイド」。昨年よりワイルドターキーのマスターディスティラーを務めるエディー・ラッセル氏が、10年以上熟成した原酒の魅力を打ち出したウイスキーファン垂涎のボトルだ。 文:WMJ 1869年創業のリピー蒸溜所を起源とし、ケンタッキー州でも指折りの歴史と伝統を誇るワイルドターキー蒸溜所。原料の味わいを最大限に生かすこだわりの製法を守り続け、アメリカをはじめ世界中のウイスキーファンから高く評価されているのは周知のとおりだ。 そんなケンタッキーバーボンを代表する蒸溜所で、新しい時代が動き出したのは昨年2015年1月のこと。禁酒法以前からウイスキーづくりに携わり、マスターのなかのマスターと慕われる父ジミー・ラッセル氏(現ワイルドターキー蒸溜所責任者)に代わって、栄誉あるワイルドターキーの4代目マスターディスティラーに就任したのがエディー・ラッセル氏である。 3人兄弟の末っ子として生まれたエディーことエドワード・フリーマン・ラッセル氏は、1981年6月5日に出生地ケンタッキー州ローレンスバーグでファミリービジネスの手伝いを始めた。当初は草刈り、樽の移動、瓶の処分などの力仕事に従事し、時間をかけてウイスキーづくりの全行程を経験。勤続20年となる頃には、樽熟成と貯蔵庫管理の責任者ととなってワイルドターキーの屋台骨を支え、2010年にはケンタッキーバーボンの殿堂入りを果たしている。 エディー氏は高品質なニューボトルを積極的にリリースしてきた。父ジミー氏の勤続60周年を記念し、息子のエディー氏が長期熟成原酒をブレンドしたのが「ワイルドターキー ダイヤモンドアニバーサリー」(日本では昨年発売)。また今年3月に日本でも発売された「ワイルドターキー 17年 マスターズキープ」は、エディー氏がマスターディスティラーとして初めてリリースした記念すべきボトルで、絹のような滑らかさとほのかな甘さが特長だった。 そして今回発売される「ワイルドターキー マスターズキープ ディケイド」は、エディー・ラッセル氏自身の蒸溜所勤続35年を祝うボトル。マスターズキープのラベルのもと、10~20年というバーボンとしては極めて長期の熟成を経て、見事なバランスと力強さを持ったウイスキーに仕上がった。アルコール度数52%の力強い味わいが特長で、キャラメルやバニラを思わせる香りと、しっかりとした余韻が楽しめる。   エディー・ラッセル氏の夢を叶えた、もうひとつの貯蔵庫   父の伝統を守りながら、独自のこだわりを活かして新しいウイスキーファンの期待にも応えたい。そんなエディー氏が特に重視してきたのは「熟成」だった。そもそもワイルドターキーは、深みのある味わいを実現するために低いアルコール度数で蒸溜と樽詰めをおこない、ボトリング時の加水量を最小限に抑えるという熟成重視のアプローチを伝統としている。 パッケージを見てみよう。羽ばたく七面鳥を描いたボックスのラベルには、エディー・ラッセル氏の手書きでウイスキーのプロフィールが書かれている。104プルーフ(52%)、ノンチルフィルター、原酒の熟成期間は10~20年。そして「マックブレーヤー・リックハウス(貯蔵庫)から高品質なバーボンのバレルだけを個別に厳選」との記載もある。この「マックブレーヤー・リックハウス」とは、ローレンスバーグにあるワイルドターキー所有の貯蔵庫のことである。同じマスターズキープでも、先発の「17年」はローレンスバーグとフランクフォートの2箇所の貯蔵庫で熟成された長期熟成原酒をブレンドしたもの。今回の「ディケイド」は、ローレンスバーグの木造の貯蔵庫だけで熟成された原酒を厳選してボトリングした。 力強くスパイシーなワイルドターキーの特長を継承しながら、長期熟成などのプレミアムなボトルも世に送り出そうというのがエディー・ラッセル氏の方針だ。重要視している日本市場についても、「知識が豊富で、味覚の鋭い人が多く、長期熟成品の良さや違いを感じ取ってくれるので、ワイルドターキーにとって非常に大切な国」と語ってくれた。ワイルドターキーで定番の「8年」や「13年」が、今や日本限定ボトルであるということは意外に知られていない。 まさにエディー氏の夢のゆりかごから、満を持して生まれた長期熟成のバーボンが「ワイルドターキー マスターズキープ ディケイド」である。深まる秋の夕べに、じっくりと味わってみたい。   ワイルドターキーマスターズキープ ディケイド 容量 750ml 希望小売価格(税別) 17,000円 アルコール度数 52% 発売日 2016年11月15日(火) 日本国内3,480本限定 ※価格は販売店の自主的な価格設定を拘束するものではありません。   ワイルドターキーがこだわる伝統のウイスキーづくりや、多彩な商品ラインナップを詳細に解説した公式ブランドサイトはこちらから。   WMJ PROMOTION    

アベラワーが4アイテムで日本再登場

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絶妙なバランスと複雑さで世界のウイスキーファンを魅了するスペイサイドの人気ブランドが、日本市場に公式な再登場を果たした。シングルモルトウイスキー「アベラワー」の4アイテムを、シーバスブラザーズのインターナショナルブランドアンバサダー、ダレン・ホージー氏と共に味わう。 文:WMJ   スコットランドの蒸溜所の約半数を擁するスペイサイド地方は、豊富な天然水や大麦などの原料素材にも恵まれたモルトウイスキーの王国である。その中心部で1879年よりモルトウイスキーをつくり続けているアベラワー蒸溜所の魅力は、卓越したバランスと複雑さにある。イギリス本国とヨーロッパで高い人気を誇るシングルモルトが、8年半ぶりに日本市場で再登場するのはウイスキーファンにとって朗報だ。公式ボトルは4アイテム。贅沢なバランスを生み出す「ダブル・カスク マチュアード」の12年、16年、18年、それにファーストフィルのオロロソシェリーカスクだけで熟成した濃厚な「アブーナ」という顔ぶれである。 シーバスブラザーズのインターナショナルブランドアンバサダーを務めるダレン・ホージー氏は、このアベラワーの魅力を誰よりも知る人物。グラスゴーで生まれ、スペイサイドで育った生粋のスコットランド人だ。2003年よりたびたび来日し、日本のウイスキーファンの経験値に敬意を抱いている。 スペイサイドの中心地でつくられるアベラワーが、華やかな甘味やフローラルなスペイサイドらしい酒質をしっかりと備えているのは言うまでもない。特徴は蒸溜所の細部に現れる。ポットスチルは玉ねぎ型で、ネックの長さは「中くらい」だ。ザ・グレンリベットほど長くないが、ストラスアイラほど短くもない。この中庸な設計が、後の熟成において極めて重要なポイントになるのだとホージー氏は語る。 「アベラワーのスピリッツは、軽快でパイナップルのようなフルーツ香があるザ・グレンリベットと、力強く重みがあるストラスアイラのちょうど中間に位置付けられます。しっかりとしたボディに、軽やかでくっきりとしたバランスを兼ね添えているので、シェリーカスクとバーボンカスクの両方で理想的な熟成ができるのです」 酒質が軽いと、シェリーカスクのパワーに負けてしまうリスクをホージー氏は指摘する。シェリーカスクとバーボンカスクで別途に熟成した原酒をマリッジさせ、絶妙な複雑さを構築するのがアベラワーの「ダブル・カスク マチュアード」だ。2種類のカスクの恩恵を最大限に引き出して、贅沢に同居させられるのがアベラワーのアドバンテージなのである。   熟成年ごとの見事な完成度   ホージー氏の手引で、楽しいテイスティングが始まる。飾り気のない透明なボトルは、どれもヨーロピアンオーク由来の美しい琥珀色を映している。アベラワー蒸溜所が創業した19世紀はまだボトリングをおこなっておらず、アベラワー村の人々がウイスキーを薬瓶に詰めて持ち帰ったものだという。ちょっと風変わりなボトルの形状は、そんな当時の古い薬瓶を再現しているのだとホージー氏が教えてくれた。 「この開封の瞬間がいつもたまらない」と、コルク栓のキャップを外すホージー氏。まずは「アベラワー12年 ダブル・カスク マチュアード」がグラスに注がれる。ストレートでしばらく香りと味を確かめ、少しだけ水を入れる。隠れていたアロマが引き出されてきた。 すぐに感じるのは、赤いベリーやリンゴのようなシェリーカスク由来のフルーツ香だ。そしてバーボンカスク由来のクリーミーな甘さも突き抜けてくる。水を入れたときからシナモンやジンジャーなどのスパイスが花開き、口に含むとダークチョコレートの感触やバニラのような甘味に包まれる。シェリーカスクとバーボンカスクの特長が、まさに抜群のバランスで同居している。 次のボトルは「アベラワー16年 ダブル・カスク マチュアード」。香りはいっそうクリーミーな印象が強く、口に含むと12年よりも少しだけ甘味が増し、レーズン、チョコレートケーキ、フルーツケーキなどを思わせるリッチなアロマがある。シルクのような舌触りが印象的で、スパイスの感触も濃厚だ。シェリーカスクの印象がほんの少し増している。 「熟成年数が多くなるに従って、フレーバーが強まっていくと想像される方がいらっしゃるかもしえれません。でも実際には、何かの要素が強まるというより、複雑さが増して口当たりがスムーズになるのです」 3本目の「アベラワー18年 ダブル・カスク マチュアード」もグラスに入った。うっとりするほど穏やかな香り。ゆっくりと口に含んでもシャープな風味は皆無だ。3つのボトルでいちばんまろやかだが、風味は非常に複雑だ。スペイン産オレンジのような、ほんのかすかな苦味の存在をホージー氏は指摘する。これこそがクラシックなシェリーのアロマなのだ。 しばらく空気に触れさせていると、どのグラスも香りや風味に変化が現れる。18年のグラスは、洋ナシやアンズの風味が強まったようだ。口に含むと、ハチミツのような優しい甘味がそっと舌を包み込む。 「熟成年が長いほどフレーバーは複雑になります。そんなウイスキーほど、細部が花開くのを待ってあげましょう。香りもどんどん強まっています。本当にメローで素晴らしいウイスキーですね」   パワフルかつデリケートなシェリーカスクの深み   残るボトルはひとつ、「アベラワー アブーナ」だ。他のボトルと並べても、深くダークな琥珀色が際立っている。バーボンカスクは使わず、シェリーカスクもファーストフィルのみを使用した特別なウイスキーだ。カスクストレングスなのでバッチごとに度数は異なるが、このボトルは61.2%である。 グラスからは、甘くてドライなオロロソシェリー樽の香りが力強く迫ってくる。クラシックなシェリーカスクに特有なレーズンのアロマ。口に含むと、アルコール度数を感じさせないやわらかさに驚く。甘く、ドライで、ダークチョコレートを思わせるリッチなテクスチャー。口のなかでずっと風味が留まり、その風味をいつまでも噛み締めていたい気分になる。 「驚くべきウイスキーです。ほんの少し加水すると、素晴らしいアロマが解放されて、力強さのなかにいっそう複雑さが表現されてくるのがわかるでしょう。口当たりがよいので、正体を知らなければカスクストレングスだと気づかれないほどです」 アブーナとは、ゲール語で「オリジナル」の意味。このボトルは、1879年にアベラワー蒸溜所を創業したジェームズ・フレミングへのオマージュなのだとホージー氏は語る。樽出しのカスクストレングスで、チルフィルターもおこなわない。グラスをかざすと、ほんの少しだけ霞んだように見えるのはそのためだ。クラシックなカスクの熟成から、何も引かない完全にナチュラルなウイスキーである。 「ジェームズ・フレミングは、フレーバーを包み隠さずに表現することを身上にしていました。簡素なボトルを見てもおわかりいただけるように、派手なデザインやマーケティングをしないのも創業当時からの伝統です。なぜなら、ひとたびグラスでアベラワーを飲んだ人は、必ずまたこのウイスキーを求めることになるから。経験豊かな日本のウイスキーファンの皆さんも、アベラワーを愛してくださるものと確信しています」 スペイサイドの底力が実感できる4つのボトルを、秋の夜長にじっくりと楽しんでみたい。   アベラワー12年 ダブル・カスク マチュアード 希望小売価格 5,500円(税別) 容量 700ml 度数 40度   アベラワー16年 ダブル・カスク マチュアード 希望小売価格 8,250円(税別) 容量 700ml 度数 40度   アベラワー18年 ダブル・カスク マチュアード [...]

アイリッシュウイスキーの深化を味わう

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アイリッシュウイスキー最古の蒸溜所として知られるブッシュミルズから、長期熟成のシングルモルトが数量限定で新発売される。初来日したマスターディスティラーのコラム・イーガン氏が、テイスティングを通じてアイリッシュウイスキーの魅力を解説。 文:WMJ   ウイスキーの起源があるといわれるアイルランドで、400年以上の歴史を持つブッシュミルズ蒸溜所。2002年よりマスターディスティラーを務めるコラム・イーガン氏が待望の初来日を果たし、ブッシュミルズの今を伝える5商品をテイスティングで紹介するセミナーが開催された。 「ブッシュミルズのウイスキーは、今も昔も原材料がたったの5つしかありません」 イーガン氏はそう語り始める。第1の原材料は水だ。1608年に国王からウイスキーづくりを認可されたのも、ここが素晴らしい水源に恵まれた場所だから。蒸溜所から4キロ離れた水源は、火山活動で生まれた有名なジャイアンツ・コーズウェーと同様の岩石地帯を経由して、ピュアで独特なミネラル構成の水を供給してくれる。 第2の原材料は大麦麦芽(モルト)。スコッチウイスキーのように燻すのではなく、自然に空気乾燥させて製麦するのがブッシュミルズの流儀である。そのためスコッチウイスキーにみられるスモーキーな風味はなく、クリーンでピュアな味わいが際立つ。 第3の原材料はアルコール発酵を促す酵母(イースト)で、第4の原材料は樽材となる木。アイルランドの法律上、少なくとも3年間はオーク樽で熟成しないとウイスキーを名乗れない。そして第5の原材料は「時間」だというのがイーガン氏の考えだ。 ウイスキーづくりの工程も、細部に特徴が現れる。まず糖化の工程では粗く粉砕した麦芽のグリストを63〜85℃の熱湯に混ぜ、硬い麦芽に閉じ込められていた糖分をお湯に溶け出させた麦汁(ワート)を作る。発酵に回さない殻(ハスク)は牛の飼料になるのだという。 この麦汁に酵母を入れて約50時間発酵させることで、アルコール度数約8%のもろみ(ウォッシュ、通称ビール)ができる。ブッシュミルズは他の多くのアイリッシュウイスキーと同様に、このもろみを3回蒸溜する。1回目の蒸溜で20%のアルコール度数になり、2回目の蒸溜で約70%にまで純度を高める。多くのスコッチウイスキーはここで蒸溜を終えるが、ブッシュミルズはもう一度蒸溜することでアルコール度数を70%から85%に上げる。 「私たちが求めている味を出すためです。3回蒸溜したスピリッツには、軽やかでフルーティーな花の香があり、風味も極めてスムーズになります」 蒸溜したばかりのニューメイクスピリッツは無色透明だが、オーク樽の中で熟成されると黄金色に染まってくる。新樽を使用しないのは、軽くまろやかなブッシュミルズの特徴が、木の抽出成分に圧倒されるのを防ぐため。バーボン樽とシェリー樽による熟成が基本になるが、ポルトやマディラなどの樽を調達してさまざまな熟成香のバリエーションも生み出す。   さまざまなブッシュミルズをテイスティング   テーブルには、ウイスキーが入った5つのグラスが置かれている。コラム・イーガン氏は、まずスタンダードな「ブッシュミルズ」のグラスを手に取った。 「とてもフレンドリーなウイスキーです。グラスに鼻を近づけると、さらにグラスに鼻を引き込まれるような感じがするでしょう」 刺々しさがなく、穏やかな香りで誘ってくれるのがブッシュミルズの特長だ。モルトウイスキーとグレーンウイスキーのブレンデッドウイスキーであるが、モルト比率は約50%とかなり高く、またブッシュミルズ蒸溜所のモルト原酒のみを使用している点が一般的なブレンデッドスコッチウイスキーと異なる。バーボン樽熟成の原酒のみを使用しているため、心地よいバニラやキャラメルの香りがたっぷりとある。まろやかな飲み心地で、飲み干した後に舌を動かすとバニラのフルーティーな風味が口のなかに広がる。 次のグラスは「ブラックブッシュ」だ。スタンダードの「ブッシュミルズ」に比べると明らかに色が濃い。これはシェリー樽熟成の原酒を使用しているためで、ヨーロピアンオークの風味がブッシュミルズのフルーツ香やスパイスを倍増させている。熟したベリー系フルーツやアーモンドのようなナッツ風味が印象的だ。モルト比率は80%もあり、グレーンウイスキーもリッチなタイプを合わせているようだ。 「舌の上にアロマが浮かぶ感触。飲むと、喉にナッツの風味があるでしょう。舌を動かして、フルーツ香が広がる感覚を確かめてください」 3つめのグラスから、シングルモルトになる。アイリッシュウイスキーでも、シングルモルトの定義はスコッチと同様だ。単一のブッシュミルズ蒸溜所で、100%大麦モルトからつくられたウイスキーである。 「ブッシュミルズ シングルモルト10年」には、実際には約13年までの原酒もブレンドされている。香りはバニラ、ハチミツ、モルト由来の穀物の甘味。3回蒸溜の滑らかさが際立ち、クリーンですっきりした特長が明確である。口に含むと、舌触りもやさしい。バニラ、リンゴ、菓子パンの香り。舌の奥はドライで、舌先では甘味。対象的な味が同時に感じられ、コントラストがエレガントにまとめられている。 「ニューヨークで、22種類のアイリッシュウイスキーを比較するテイスティングがおこなわれたときに、ベストに選ばれたのはこのブッシュミルズ10年でした。それくらいバランスのとれた逸品なのです」 次のシングルモルトは「ブッシュミルズ シングルモルト16年」。赤みがかった色がまず目を引く。バーボン樽とシェリー樽でそれぞれ16年熟成した原酒を、ポートワイン樽の中でマリッジさせて6ヶ月間後熟したものだ。3種類の樽の特長を授けられたウイスキーは豊かなアロマが特長になる。 赤みがかかった色は、ポート樽の影響だ。「1時間でも楽しめるようなアロマ」というイーガン氏の言葉に誇張はない。ミルクチョコレート、ハチミツ、アーモンドような香り。トロピカルフルーツのような後味もある。 「喉でポートワインの甘味、その少し上でナッツの香り、ほっぺたでハチミツの甘味を同時に楽しんでください」   長期熟成で輝くブッシュミルズの底力   そして最後に味わうのは、新発売となる「ブッシュミルズ シングルモルト21年」である。長期熟成のため、数量限定の希少なウイスキーだ。最低19年間をオロロソシェリー樽とバーボン樽で熟成し、その後マディラ樽で2年間熟成している。苦味やスパイスを感じさせるダークチョコレートのような感触や、シェリー樽由来の芳醇で甘い香りがあり、ほのかなスパイスとオレンジピールも感じる。口に含むと舌触りは滑らかで、ハチミツや熟成した果実のような風味が舌に絡む。 「一度、唇を開けてから、また閉じてみてください。まだ同じ甘味が感じられるでしょう? この非常に長いフィニッシュが、素晴らしいウイスキーの証なのです」 テイスティングを終えたコラム・イーガン氏が、ちょっと変わったブッシュミルズの歴史を披露してくれた。1890年、ブッシュミルズ蒸溜所は自前の蒸気帆船「SSブッシュミルズ号」を建造してアイルランドを出港。大西洋を横切ってフィラデルフィアとニューヨークにウイスキーを届けた後、シンガポール、香港、上海、そして横浜にも寄港した。少なくとも120年以上前に、ブッシュミルズのウイスキーを味わった日本人がいたのは間違いない。 今回のテイスティングに同席したウイスキー評論家の土屋守氏も、ブッシュミルズの各ボトルを高く評価した。 「ひとつの蒸溜所で、これだけ方向性の異なるブレンデッドやシングルモルトを揃えるのは、スコッチには考えられないこと。ブッシュミルズは蒸溜所の拡張も進めており、まだまだ大きな潜在力を秘めています。これからが本当に楽しみですね」   ブッシュミルズ シングルモルト21年 容器・容量 : 瓶700ml アルコール分 : 40% 発売日 : 2016年11月1日(木) 価格 : オープン価格   アイリッシュ400年の伝統、ブッシュミルズの商品情報はこちらから。   [...]

セラーマスターが見出した最高のコニャック

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究極のフィーヌ・シャンパーニュを求め、たどり着いたのはひとつの大樽だった。話題の新商品発売にあわせ、レミーマルタンのセラーマスターを務めるバティスト・ロワゾー氏が来日。稀有なボトルを味わいながら、テロワールに根ざしたコニャックづくりの神秘を学ぶ。 文:WMJ   フランス南西部、ボルドーの100kmほど北にあるコニャック地方。ここで収穫したブドウからワインを醸造し、さらにアルコール度数約70度にまで蒸溜するとオー・ド・ヴィー(命の水)と呼ばれるスピリッツができる。だがこのオー・ド・ヴィーが「コニャック」と呼ばれるまでには、まだ長い道のりが待っている。 レミーマルタンの場合、自社畑からつくる原酒の他にも約1,000軒もの農家とパートナー関係を結んでおり、その農家の約半数が蒸溜器を持っている。つまり約500軒からなるファームディスティラリーが毎年収穫されるブドウからオー・ド・ヴィーを蒸溜し、多彩なサンプルをレミーマルタンに届けてくれるのだ。以降の采配を握るのが、セラーマスター(メートル・ド・シェ)率いるテイスティング委員会である。完全なブラインドテイスティングで原酒が選別されるため、先入観や情実が入り込む隙間はない。セラーマスターには、定期的にブドウの栽培者と会ったり、蒸留器の様子もチェックしながら要望を伝える役割もある。いわば楽器の音色やレパートリーを細部にわたって決めるオーケストラの芸術監督のような存在だ。 1724年に創業して以来、レミーマルタンは約3世紀にわたってコニャックをつくり続けてきた。コニャック地方のブドウ畑のなかでも上位2地区(グランド・シャンパーニュ51%以上とプティット・シャンパーニュ)のブドウのみを使用した「フィーヌ・シャンパーニュ」しか使わない。この最上級クリュから生まれるオー・ド・ヴィーは、石灰質の土壌に由来する酒質のため長期熟成にも適している。そんなフィーヌ・シャンパーニュのストックをもっとも多く保持しているのが、レミーマルタンの誇りである。 現在、このコニャックの老舗メゾンでセラーマスターの重責を担っているのは、1980年生まれのバティスト・ロワゾー氏。地元コニャック地方で生まれ育ち、農学者兼ワイン醸造家への道を選んだ。名門校で学んだ後は国外で実績を重ね、2007年にレミーマルタンに入社。2011年より副セラーマスターとして前任セラーマスターのピエレット・トリシェ氏に師事し、2014年にセラーマスターに就任した。トリシェ氏は、若いロワゾー氏がセラーマスターに相応しい素質を備えていることに当初から気づいていたという。 セラーマスター就任から1年以上が経った2015年のある日、オーナーのエリアール・デュブルイユ家がロワゾー氏に提案を持ちかけた。セラーマスターになって2年の節目に、まったく自由な采配でコニャックをつくってみないか。そんな「白紙委任状」はもちろん栄誉なことであるが、2年目のセラーマスターにとっては重圧でもある。 「自由にやるためには、まず自分自身で楽しむこと。目標は、私たちが持っている財産の豊かさを世に知らしめるようなコニャックです。私はこの課題が、『フィーヌ・シャンパーニュの魅力をあますところなく表現せよ』というミッションであると受け止めました」   フィーヌ・シャンパーニュを体現する味わい   白紙委任を受けたロワゾー氏は、師であるピエレット・トリシェ氏と共に書き溜めてきたテイスティングコメントの山を読み直す。そのメモを参考に30種類の原酒を選抜し、ブラインドでテイスティングを始めた。 「今のタイミングで、レミーマルタンの財産の奥深さを世界に証明できる原酒はどれか。何度もテイスティングして考えました。ひときわ輝いている原酒の出自を調べたら、2004年にブレンドが完了してジャンサック=ラ=パリュ村のセラーで眠っている大樽だとわかりました」 限られたクリュの原酒を用いながらも、常に大胆なチョイスをするのはレミーマルタンの伝統である。パワフルなアロマをそのまま提示しようと決めたロワゾー氏は、大樽に約5,000リッターほど残された原酒を、カスクストレングスの41.1%でボトリングすることにした。分量としては約7,000本分である。 「樽からは、天使の分け前でかなりの分量が蒸発していました。熟成年はいちばん若い原酒で20年、他にも40~50年の原酒がブレンドされたもの。しかし年数よりも重要なのは、凝縮感とアロマです。さあ実際に味わってみましょう」 グラスに注がれたコニャックは、長い熟成期間を暗示する琥珀色に輝いている。鼻を近づけると、イチジク、砂糖漬けのフルーツ、ナッツ、リラの花、チョコレートなどの香り。驚いたことに、時間が経つとスモーキーな感触が姿を現してくる。葉たばこや紅茶。スパイシーなナツメグやジンジャー。圧倒的に複雑だ。 口に入れると、大きな優しさが広がる。ドライフルーツや、砂糖漬けのフルーツ。プラムのジャム、紅茶と、少しスモーキーな風味もある。口のなかで風味が変化し、お香やレザーの匂いも混じる。そして長期熟成のフィーヌ・シャンパーニュらしく、フィニッシュが延々と持続する。 フランス語で「白紙委任状」を意味するこの「レミーマルタン カルト・ブランシュ」は、IWSCで金賞を受賞するなど、専門家の評価も高い。複雑に変化する味わい、絹のようにスムースなあたたかさ、満ち足りたフィニッシュなど、レミーマルタンのスタイルを余すところなく持ち合わせた銘酒である。   多彩な原酒から伝統の風味を生み出す   できたてのオー・ド・ヴィーには、フレッシュな果実味がある。それが何年もかけて変化していく様子をじっくり追跡していくのもセラーマスターであるバティスト・ロワゾー氏の仕事だ。気候やワインの栽培者によってオー・ド・ヴィーの性格は異なり、新しい原酒が毎年1,000アイテムも加わってくる。特性を見抜いて長期熟成用にキープする場合もあれば、より早期の商品化に最適化すべく先を見通したブレンドや加水をおこなう場合もある。 多彩なチョイスと変化に適応していくのが、コニャックづくりの基本だとロワゾー氏は語る。本拠地のメルパンだけでも、29箇所のセラーで14万本ものコニャック樽が眠っている。細かく分類された膨大なストックを駆使し、各銘柄のスタイルを一から組み上げていくのがセラーマスターの責務なのだ。 「初めて出会う原酒を使いながら、変わらない伝統の風味を表現する。この困難な仕事を完遂するにはチームワークが欠かせません。ひたすらテイスティングを繰り返す忍耐も必要ですが、自然が相手だから退屈はありません。レミーマルタンの真髄は継続性。私たちは毎日、先人たちから受け継がれたものに感謝しながらコニャックをつくり上げています」     レミーマルタン カルト・ブランシュ 発売日:2016年11月14日 アルコール度数:41.1 度 容量:700ml 希望小売価格:45,000円(税別)   3世紀に及ぶクラフツマンシップの結晶、レミーマルタンのオフィシャルサイトはこちらから。   WMJ PROMOTION      

ジム・マレーが「ブッカーズ ライ」を世界最高のウイスキーに選出

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世界のウイスキーファンが注目する、年刊の『Jim Murray’s Whisky Bible(ジム・マレー ウイスキー・バイブル)』。2017年版で、世界最高のウイスキーにあたる「ワールド・ウイスキー・オブ・ザ・イヤー」に「ブッカーズ ライ」が選ばれた。   文:WMJ   ウイスキー評論家のジム・マレー氏が毎年発行する『Jim Murray’s Whisky Bible(ジム・マレー ウイスキー・バイブル)』は、世界で最も権威あるウイスキーガイドのひとつである。生産量の多いトップブランドの商品はもちろん、少量生産のブランドまでをくまなく網羅し、世界中のウイスキー数千件の詳細なテイスティングノートを掲載しているのが魅力だ。   このたび発行される2017年版で「ワールド・ウイスキー・オブ・ザ・イヤー」に選出されたのは「ブッカーズ ライ」(米国限定、数量限定発売)。ウルトラプレミアムバーボンブランドのブッカーズが世に出した初めてのライウイスキーである。1,240点にのぼるニューボトルのひとつとして試飲され、最終的にジム・マレー氏がここ1年の頂点に位置づけた。同書内では「ウイスキーの真髄を見事に体現した、堂々たるライウイスキーであり、まさに驚嘆すべき一例」と評されている。   「ブッカーズ ライ」は、これまでにないライウイスキー用のマッシュビルを使用して13年以上熟成され、加水や濾過をおこなわない「ブッカーズ バーボン」の基準に則ってつくられた数量限定のボトル。ビーム家6代目のブッカー・ノウ氏(1929~2004)が生前に仕込んだライウイスキーで、現時点で彼の最高傑作と称される樽の原酒を使用している。ブッカー・ノウ氏の息子でビーム家7代目のマスターディスティラー、フレッド・ノウ氏は次のように述べている。   「父であるブッカー・ノウにとっても、ブッカーズ ライがワールド・ウイスキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれたことは最高の栄誉。父は単なるディスティラーの域を超えた存在で、創意に富み、試行錯誤することが大好きでした。ブッカーズ ライはまさに彼の創意工夫の賜物であり、この革新の精神と当家220年に及ぶ最高級バーボンとウイスキー作りの技を、息子のフレディ・ノウと共に継承していくことに喜びを感じています。これからも素晴らしい製品が生まれる予定ですのでご期待ください」   ホリデーギフトから生まれた特別なブランド   このブッカーズ ライを生み出したブッカーズ バーボンは、200年におよぶ家族の伝統から生まれたウイスキーブランドである。ブッカー・ノウ氏が親族と友人のためのホリデーギフトに選んだことから親しい人々の間で瞬く間に評判になり、やがて商品化されて店先にも並ぶようになった。割水や濾過をおこなわずに熟成樽からそのままボトリングされるため、バッチによって微妙な差異がある。バレルの内面にチャーを施したオーク樽で6~8年熟成し、ラック式貯蔵庫で熟成される。当代のフレッド・ノウ氏もブッカーズ バーボンの全バッチを自ら選定し、各ボトルがブッカーズの名に相応しい味わいと香りを備えたフルボディのウイスキーであることを保証している。   今回の受賞に際し、ビーム サントリーでチェアマン兼CEOを務めるマット・シャトック氏も喜びのコメントを発表した。   「権威ある『ジム・マレー ウイスキー・バイブル』で、世界最高の評価をいただき光栄に思います。マスターディスティラーのフレッド・ノウ氏とご家族に、心から祝意を表します。フレッドの父であるブッカー・ノウ氏が始めたブランドが最高の栄誉に輝いたことは、全従業員にとって喜ばしいニュースであるとともに、我々が日々アメリカンウイスキーに最大のケアとクラフトマンシップを注いでいる証でもあります」   『ジム・マレー ウイスキー・バイブル』は生産者やバッチの規模に関わらず最高品質のボトルを「ワールド・ウイスキー・オブ・ザ・イヤー」に認定することで知られ、2年前にはサントリーの「山崎シェリーカスク2013」も受賞している。最近のビーム サントリーにとっては「ジムビーム ブラック」「ノブ クリーク ライ」「山崎シェリーカスク2016」などに続く有力コンテストでの栄誉となった。   ブッカーズをはじめとするクラフトバーボンの思想や製法を詳しく解説した特別サイトはこちらから。   WMJ PROMOTION    

ケンタッキーの躍進(1) フォアローゼズ蒸溜所

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バーボンの本拠地で進行中のさまざまな取り組みが、数年後には消費者への恩恵となって現れるだろう。ケンタッキーの躍進を牽引する3つの蒸溜所を、日本在住ジャーナリストのステファン・ヴァン・エイケンが訪ねる。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   現在のフォアローゼズには、高揚感がありありと漂っている。昨年9月に旧任のジム・ラトリッジ氏に代わってブレント・エリオット氏がマスターディスティラーとなり、彼の舵取りで進むブランドの未来も視界良好だ。2005年に品質管理部門のアシスタントマネージャーとしてフォアローゼズにやってきたブレント氏は、蒸溜所とウイスキーを細部まで熟知している。ここ数年間で手がけてきたスペシャルエディションの内容を見るに、彼が手持ちのさまざまな原酒から的確な表現を打ち出す才に秀でていることは明らかだ。 この原稿を書いている段階で最新のスペシャルエディションは、シングルバレルの限定ボトル「エリオッツ・セレクト」。フォアローゼズがここ数年で発表してきたウイスキーのなかでも最高品質のひとつに数えられるだろう。今の時点で、この14年熟成のボトルが日本市場に導入される可能性は不明だ。少なくとも、アメリカでは瞬く間に売り切れてしまった。 ブレント氏はさらなる特別ボトルのリリースを用意している最中であり、幸運にも彼のラボでその計画の一端を味わうことができた。まだ多くは語れないが、今後のフォアローゼズの動向からは目が離せない。 1888年に創業したフォアローゼズはケンタッキー屈指の歴史を誇り、禁酒法時代にも操業を許されたほんの一握りの蒸溜所のひとつでもあった。1943年にブランドを買収したシーグラムは、アメリカ産ストレートバーボンではなくブレンデッドウイスキーのカテゴリーに位置づけた。しかし2002年から親会社となったキリンは、再びフォアローゼズをストレートバーボンウイスキーのブランドとして定義しなおした。当時のフォアローゼズには潤沢な在庫があり、まさに機は熟していた。数十年間の低迷期を乗り越え、バーボンは再び急激な需要上昇の時代を迎えていたのだ。キリン傘下に入ったことも幸いして、フォアローゼズは再びトップクラスの品質を誇るストレートバーボンとして認知されるようになる。   品質は変えず、生産量を倍増させる計画   さらなる市場の拡大を見込み、現在のフォアローゼズは野心的な設備投資プログラムの最中にある。ローレンスバーグ近郊にある蒸溜所の近くに、新しい生産拠点を建設して生産力を倍増させる計画が進行中だ。 現在、蒸溜所では23槽の発酵槽と1槽のビアーウェルが使用されている。これらの多くは木製(旧式はアメリカヒノキ製で、新式はベイマツ製)だが、一部スレンテス製もある。フォアローゼズの生産拡大方針は、設備を倍にしながらスペックは現状を保とうというもの。つまり発酵槽の数を倍に増やしつつ、木製とステンレス製の割合は同じにする。コラムスチルとダブラーについても同様だ。それぞれ新しい設備が、現在使用しているものと完全に同じスペックで拡張工事期間中に導入される。 フォアローゼズでは、2種類のマッシュビルと5種類の酵母菌株が使用されており、これが10種類の異なったレシピを生み出している。発酵槽の8槽分を1バッチとして、月に22バッチを生産する。発酵時間は84時間で、1日に採用するレシピは1種類のみである。 マスターディスティラーのブレント・エリオット氏によると、レシピにはそれぞれ固有の特徴があり、熟成プロセスのピークも異なってくる。7~8年で熟成完了の状態になるものもあれば、12~15年かけて最高の状態に至るものもあるという。 「最適なレシピについてはまだ研究中です。例えば、軽やかでフルーティーな特徴をもたらす『Qイースト』でつくったバーボンは、ほとんどが5~6年熟成の商品に使用されています。これはさほどリッチな風味を生み出すわけでもないのですが、10年くらい熟成させると非常に面白く変化してくるのに気づいて驚きました」 すべてのバッチは4年熟成した段階で評価され、7年時にも再び吟味しなおされる。手間がかかるのはシングルバレル商品だ。あるバッチが素晴らしい品質であると判明したとき、フォアローゼズではバッチ内のバレル280~290樽をひとつ残らず調べるのだ。蒸溜所の拡張プログラムは2018年中に完了する予定だが、その後はブレント氏もチームメンバーもさらに多忙を極めることだろう。 拡張計画で興味深いのは、現存の蒸溜所を建築したジョセフ&ジョセフという建築会社が、新しい蒸溜所施設の施工も担当することである。フォアローゼズ蒸溜所の建物は、ケンタッキーでは珍しいスパニッシュ・ミッション・スタイルで1910年に建設された。この同じ建設会社が、1世紀以上前の設計図や建築材料などを参照しながら拡張工事も手がけるのである。精確なレプリカを建てるのが目的ではないが、現存の建築物と高い親和性を保った建築が構想できるのは利点だ。現在は蒸溜所で生産と見学者の受け入れも継続しつつ、建築プロジェクトをいくつかのステージに分けて遂行することに苦心している。   もうひとつの生産拠点、コックスクリーク   フォアローゼズのバーボンは、蒸溜所から車で1時間ほど離れたバーズタウン近郊のコックスクリークの貯蔵庫で熟成される。ブレンデッドウイスキーの大手だった全盛期のシーグラムはケンタッキー州内に5つの蒸溜所を保有していたが、このコックスクリークを熟成の本拠地とした歴史がある。 現在のコックスクリークは、フォアローゼズ専用の熟成とボトリングをおこなう場所。12万平米(30エーカー)以上の敷地に20棟の貯蔵庫があり、数年内に4~8棟が新設される予定だ。かつてこの敷地内では約30頭の牛が草を食んでいたが、拡張工事のため3年前に他所に移されている。 貯蔵庫はすべて平屋建てだ。同じサイズで1950年代に建てられ、屋内ではバレルが6段積みになっている。室内の温度調整は窓の開閉のみ。各貯蔵庫にはバレル24,000本が収納できるが、大半は樽の追加や移動がしやすいように70%ほどの収容率で稼働させている。施設内では、現在約バレル35万本が熟成中。ちなみにここから車で5分のジムビームでは約200万本、ケンタッキー州全体では約600万本のバレルが眠っていることを知れば、数値のイメージがつかめるだろう。 蒸溜所が稼働している日は、1日にタンクローリー2台分のニューメイクが蒸溜所からコックスクリークまで運ばれてくる。そしてここでインディペンデント・ステイブ社が供給する「チャー4番」の処理を施したウイスキーバレルに1日約300樽ペースで樽詰めする。 コックスクリークではボトリングもおこなわれる。今年前半には、世界的な需要増大に応えるべく新しい瓶詰め設備が導入された。これまでのボトリングホールは1分間に40本という瓶詰め速度だったが、新しい設備はその4倍速で1分あたり160本を瓶詰めできる。この高速ラインは、イエローラベルとスモールバッチのボトリングに採用されている。高速ラインの隣で瓶詰めされているのはシングルバレル商品。このラインは旧式ラインのような形式と処理時間だが、設備自体は最新のものだ。スタッフによると、シングルバレル1本分を約10分で瓶詰めするという。 コックスクリークには大勢の訪問客がやってくる。そのため新しいボトリングホールを設計するときも、フォアローゼズはビジターの視点を忘れずに考慮した。ボトリングホールの一辺全体に伸びる中2階があり、来訪者はそこからすべての作業が見渡せる。新しいボトリングホールは、2016年10月から稼働している。    

未来が眠る、秩父蒸溜所の第1貯蔵庫

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日本におけるクラフト蒸溜所のリーダーとして、新設蒸溜所の重要なモデルにもなっている秩父蒸溜所。ここ数年で樽作りのノウハウも蓄積され、熟成管理が新しい次元へと進化しつつある。このたび画期的な新樽が運び込まれたという第1貯蔵庫に潜入した。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   自社内で樽職人を育成し、熟成の幅を広げている秩父蒸溜所。その取り組みを「木と共に歩む秩父蒸溜所」と題して紹介したのは昨年秋のことだった。記事のなかでは、自前の樽工房で作られたアメリカンオーク新樽の第1号にも焦点を当てた。 あれから約1年が経った秩父蒸溜所は、さらに新しい段階へと歩みを進めている。その象徴が、蒸溜所内の樽工房で自作したミズナラ樽だ。これまでも樽職人たちがミズナラ材のヘッドを他の樽にはめ込んだ例はあったが、「カスク#6818」は蒸溜所内でスタッフがすべてを組み上げた100%ミズナラ樽の第1号である。 2011年以来、肥土伊知郎氏が率いる秩父蒸溜所のチームは毎年北海道の旭川に足を運んできた。日本最大の広葉樹丸太市「北海道産銘木市売」で、ミズナラの丸太を入手するためである。同業者のウイスキーメーカーはもちろん、高級家具メーカーも良質なミズナラ材を求めているので、入札はいつも激戦になる。家具メーカーが求める条件は比較的許容度に幅があるものの、ウイスキーメーカーの理想に適うミズナラ材は希少だ。お目当ては、柾目がまっすぐで節のない最上級の木材である。 今回完成した「カスク#6818」は、2011年初頭に購入したミズナラの丸太を材料にしている。丸太は購入から半年後に北海道で樽材に切り分けられ、同地で2年間にわたって空気乾燥された。その後、樽材は秩父に移されて、最大限に有効活用できるタイミングを待ち続けてきたのである。 実際に樽を製作したのは、秩父蒸溜所の若手樽職人である渡部正志氏と永江健太氏の2人。「100%ミズナラカスク」プロジェクトの第1弾として、まずは2本のホグズヘッド(250リッター)を製作することにした。ミズナラ材は他のオーク材に比べて多孔質であるため、細かい穴から中身が漏れやすいという難点がある。せっかく作った2本の樽からウイスキーがダダ漏れになる事態を避けるため、彼らはまず1本の樽だけに取り掛かり、周囲の樽材を組み換えながら樽が完全に密閉できる状態まで持っていった。 さらにミズナラ材は、ウイスキーの熟成に使用される一般的なオーク材よりも扱いが難しい。樽材が通常のオーク材よりも分厚くなるため、樽形に湾曲させる際にひび割れてしまうリスクが高いのだ。秩父蒸溜所スタッフの言葉を借りるなら、「カスク#6818」はまさにサバイバー。蒸溜されたノンピートのスピリッツを入れて、このたび第1貯蔵庫に移されたばかりだ。背後の列には、秩父蒸溜所が自作した第1号樽の「カスク#3826」が眠っている。   フレーバーの幅を広げ、一貫性を保つためのカスク戦略   このミズナラ樽をひとつ作るのに、かなりの投資が必要だったのは想像に難くない。いったいどれくらいのコストを見込んでいたのかと尋ねると、ベンチャーウイスキーの肥土伊知郎社長はこう答えた。 「カスクひとつを作るのに必要なコストは、実際のところ計算したくありません。数字を見たら断念しちゃいそうで怖いんですよ」 できることは可能な限り蒸溜所内でやる。これは単なる自己満足ではなく、ウイスキーづくりの全段階で品質をコントロールできるようにするための戦略である。肥土氏は過去に独立系の樽工房からミズナラ樽を購入したこともあったが、完全に満足できる品質ではなかったという。樽材の柾目が、密に詰まっていないことにも気づいていた。しっかりとした柾目の樽材は、ウイスキーの熟成中に、木のフレーバーとアロマをより緩慢に授けて一体化させてくれる。これが熟成年を引き伸ばす際に都合がいいのである。柾目が詰まった樽材からはより豊かな木のアロマが得られるが、柾目がゆるい樽材は同じ時間でより多くのタンニンをスピリッツに放出することになる。 ここ第1貯蔵庫には、他にも注目すべき新顔がいる。それはフランスの樽工房、タランソー社が制作した10,000リッターの木製ヴァットだ。この見上げるような大桶は、同じタランソー社の手による卵型のオーヴァムの隣に置かれている。オーヴァムがフレンチオーク製であるのに対し、新しい大桶は北米のホワイトオーク製。ちなみにオーヴァムは「イチローズモルト ワインウッドリザーブ」をつくる際のマリッジタンクとして使用しており、蒸溜棟から最近になって第1貯蔵庫に移されたものだ。 新しい大桶は、ベンチャーウイスキーのベストセラー「イチローズ モルト&グレーン ホワイトラベル」のマリッジに使用されている。モルト&グレーンは世界の5大ウイスキー生産地であるスコットランド、アイルランド、アメリカ、カナダ、日本のウイスキーをブレンドした商品。以前はバッチごとにボトリングされていたが、この新しい大桶でソレラシステムのマリッジが可能になるため、より一貫性のあるフレーバーで瓶詰めできるようになる。近い将来には、サイズも素材も同じ大桶があと2槽フランスから届くことになっている。 短期(ブレンドやマリッジ)と長期(通常の熟成)の両方で、秩父蒸溜所のスタッフは妥協のない一流品質の熟成を目指している。そこに投じられる労力や金額は相当なものになるだろう。だが彼らは、そんな努力が最終的に実を結ぶことを疑っていない。今から5年後、10年後、20年後、この樽で熟成されたウイスキーがグラスに注がれる時はやってくる。未来の人々が驚き、その風味が夢ではないと確かめる瞬間を、じっと心待ちにしているのだ。    
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