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アメリカンウイスキーの現在【第2回/全3回】

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蒸溜所の新設や拡張が相次いでいるアメリカンウイスキー業界の近況レポート。第2回はウイスキー観光の隆盛と、新しい熟成へのチャレンジにスポットを当てる。   文:ライザ・ワイスタック 【←第1回】   ウイスキー観光の隆盛 ジェイムズ・ジョイスのマニアがダブリン旅行で『ユリシーズ』の主人公レオポルド・ブルームの足跡を辿るように、ケンタッキー州には50ヵ国以上からウイスキーファンがその伝統を学ぼうと巡礼にやってくる。そしてもちろん、学ぶだけではなくたっぷりと飲む。ケンタッキー・ディスティラーズ・アソシエーションが監修する「ケンタッキー・バーボン・トレイル」を参照すれば、主要な蒸溜所への行き方がわかる。このトレイルに参加する蒸溜所も増え、来訪者の数もうなぎのぼりだ。 ビームサントリーのバーボン部門でヴァイスプレジデントを務めるロブ・ウォーカー氏はこう分析する。 「ひとつのカテゴリーとして成長の度合いを考えるとき、観光業の成長率と販売ケース数はぴたりと一致しています」 同社が歓楽街であるルイビル4番街に「ビーム・アーバン・スチルハウス」をオープンさせたのもそのためだ。ウイスキー巡礼者たちは、ここで自分用のボトルにウイスキーを詰めて持ち帰ることができる。 「マスターディスティラーがブランドに個性を与え、ビジターセンターが土地の感覚を与えます」 そう語るのは、ヘヴンヒルの貿易関連部長を務めるラリー・カース氏だ。2013年末、ヘブンヒルズは「ウイスキー通り」とも呼ばれるウイスキールイビルの目抜き通りに、洗練されたインタラクティブな施設「エヴァン・ウィリアムス・エクスペリエンス」をオープンさせた。同じ通り沿いの歴史的な建物には、ミクターズも展示用の蒸溜所を建設中である。 旅行者の来訪者数が5年間で134%も増加したバッファロートレースもまた、ビジターセンターを拡張している。そしてワイルドターキーは、ケンタッキー川を見下ろす断崖に「バーボンの大聖堂」とも呼ばれるモダンで環境に溶け込んだビジターセンターを2014年秋に建設した。そのわずか半年後には、大勢の来客に対応するため第2駐車場も増設している。   多様化するアメリカンウイスキー アメリカンウイスキーのブランドイメージも変容している。そう語るのは、ワイルドターキーの親会社であるカンパリアメリカでダークスピリッツ部門のヴァイスプレジデントを務めるアンドリュー・フロア氏だ。下流白人が飲むガソリンといった野卑なイメージはなくなり、2000年代では69%の男性がウイスキーを「高品質」で「バーで注文することが誇らしい」と考えている。 伝統を誇ることも重要だが、この24時間休みなくソーシャルメディアが情報を回す世の中に適応する必要もある。洗練されたバーの客も、2000年代からの消費者も、いつも何か新しくて特別なお酒を探している。その両方の要望に応えているのがワイルドターキーだ。この道60年のマスターディスティラーであるジミー・ラッセル氏と息子のエディー・ラッセル氏は、さらなるブランディングの強化に余念がない。バーボンとライをブレンドした「フォーギブン」などの新商品もその現れだ。スタッフの間違いから生まれたというこのユニークなボトルは、2014年3月に数量限定で発売された。 後発の企業の多くは、変革者としての使命を自らに課している。ケンタッキーとテネシーに施設を有し、クラフト蒸溜所の指導者的立場にあるコルセアは、何百酒類もの実験的な熟成を試みている最中だ。1997年に著名なバーボン史研究家である父と共にジェファーソンズバーボンを創始したトレイ・ゾーラー氏も、ここ3年は毎年50%ずつの急激な成長を見せており、2015年末までに11種類の新製品を発売した。そのひとつが海に浮かぶ船の上で熟成した「ジェファーソンズ・オーシャン」。またワインの影響を見込んでカベルネ樽で熟成した「ジェファーソンズ・グロスカスクフィニッシュ」もユニークである。 イノベーションを求める消費者に応えるため、ビームサントリーは特にプレミアム路線を意識した戦略を打ち出している。2年前に始まったシグネチャークラフトシリーズの一環として、ユニークな6種類のグレーンにフォーカスした「プレミアム ジムビーム ハーヴェスト バーボンセレクション」を発表。他にも12年ものやクォーターバレルのシグネチャーシリーズも発売を予定している。だがやはりその最高峰といえばペドロヒメネスのシェリー樽でフィニッシュした300ドルの「ジムビーム ディスティラーズ マスターピース」だ。 ヘヴンヒルが毎年限定生産する「パーカーズヘリテージ」は、引き続き同蒸溜所を象徴する実験的なシリーズとして生産される。同社は「リッテンハウス」の人気で手応えのあったライ需要を見込んで、新しい戦略を実行に移している。2015年にも6年ものの「パイクスヴィルライ」を発売し、バーテンダーからの支持に応える形で「ジムビームライ」も再発売した。   小規模蒸溜所ならではのイノベーション ウッドフォードもまた、「ウッドフォードリザーブ ライウイスキー」でライ市場に参入した。同蒸溜所は多彩なフィニッシュによるバーボンを盛り込んだ「マスターズセレクション」でさらに実験的な取り組みをおこなっている。「ウイスキーロウコレクション」の一環で、ライトフィルターのオールドフォレスターを2015年6月に発売。親会社であるブラウンフォーマンのチーフマーケティングオフィサー、ジョン・ヘイズ氏が同社の戦略を説明する。 「実験的なボトリングが幅広くおこなわれており、予想外の反響に喜んでいます。クラフトビールと同様に、消費者はイノベーションと上質な風味を求めています。バーボンの成功は、クラフトビールに負うものが多いですね」 こと実験といえば、より小規模な独立系企業のほうが実験に対して柔軟だ。多数の小規模生産者と事業をおこなうオークビュースピリッツで上級顧問を務めるデイヴ・ピッカレル氏が状況を説明してくれた。 「アメリカの蒸溜酒のすべてのイノベーションが、クラフト蒸溜界で起こっています。イノベーションへのハードルはとても低いので、各ブランドはわずか3ケースで新商品を発売できます。小さなブランドはトレンドが生まれたらすぐに反応できる。イノベーションは彼らの最大の身上であり、誰かのモノマネでは成功できません。メーカーズマークと似たような味で、それより10ドル高い製品を誰が買うでしょう?」 ピッカレル氏によると、アメリカのモルトウイスキーが特に勢いを増している。既存の大手メーカーがまったく手を付けていない分野だからだ。この分野にある潜在的なチャンスは幅広い。クラフトビールからつくったもの、ピートでスモークしたもの、メスキートの木片でスモークしたものなど、フレーバーを施したモルトウイスキーの登場が期待されている。    

グレンフィディックの長い旅【前半/全2回】

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世界に先駆けてシングルモルトを商品化し、スコッチウイスキーのシンボルとして愛されてきたグレンフィディック。新発売のフレーバーにも、伝統への敬意と革新への意欲が宿っている。初来日した6代目モルトマスター、ブライアン・キンズマン氏の独占インタビュー。 文:WMJ   「グレンフィディック」は世界180カ国以上で愛飲され、世界中で数々の栄誉あるアワードを受賞しているシングルモルトウイスキーだ。グリーンの三角ボトルでおなじみの「グレンフィディック 12年 スペシャルリザーブ」を始め、ユニークな熟成手法を取り入れたラインナップがモルト愛好家を魅了している。1月26日に発売された「グレンフィディック 21年 グランレゼルヴァ」は、ロンドンで開催された世界的な酒類コンペティション「第20回インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ 2015」のスコッチウイスキー部門で最高賞を受賞。同じく「グレンフィディック 18年 スモールバッチリザーブ」は金賞を受賞しており、その品質はエキスパートのお墨付きだ。 グレンフィディックの6代目モルトマスターを務めるブライアン・キンズマン氏は、1997年に化学者としてウイリアムグラント&サンズに入社して以来、統計や分析を駆使しながらこの繊細なウイスキーの風味と向き合ってきた。2009年には先代のデイビッド・スチュアート氏より重責を引き継ぎ、伝統を守りながら新しいファン層の期待にも応えている。 意外なことに今回が初来日であるというキンズマン氏は、大阪と東京でプロフェッショナルとメディアを対象にしたブランドセミナーを開催し、熟成年数の異なるバリエーションを試飲するヴァーティカル・テイスティングを実施した。グレンフィディックはそれぞれの商品にユニークな工夫を施しているため、12年、15年、18年、21年といった数字だけでは計れない複雑さがある。それでいて核となる特徴がまったくブレないのも印象的だ。 「グレンフィディック 18年 スモールバッチリザーブ」は、グレンフィディックらしい洋なしのような香りをぐっと凝縮させ、シェリー比率が20%とやや高めであることから複雑な深みがある。また「グレンフィディック 21年 グランレゼルヴァ」は、バニラやトフィーを思わせるクリーミーな感触と、軽やかな甘味が特徴。アメリカンオークの原酒を多く選び、ラム樽でフィニッシュした芳醇な仕上がりだ。このような複雑なカスク構成を自社でまかなえるのがグレンフィディックの底力である。   家族経営ならではの長期的展望 1887年、ハイランドのスペイサイド地域にあるダフタウンの町で、創業者のウィリアム・グラントは1人の石工職人と共に蒸溜所の建設に着手した。グレンフィディックとは、鹿(フィディック)の谷(グレン)を意味するゲール語。翌年に蒸溜所が完成し、1887年のクリスマスに最初のスピリッツが流れ出す。7人の息子、2人の娘が力を合わせた家族経営の伝統は今でも潰えていない。 スコットランドの東北部は比較的気候が安定していて、雨量も少なく、大きな気温の変化がない。キンズマン氏が、蒸留所の立地について教えてくれる。 「夏の暑さも、冬の寒さもほどほどで、大量の液体が置かれた貯蔵庫内の温度はほとんど同じ。夏にはひんやりと涼しく、寒い冬の日には温かいのが貯蔵庫の環境です」 ウイスキーづくりに欠かせない水は、ロビーデューの泉から汲んでいる。ウィリアム・グラントは、ここであらかじめ1,200エーカー(500万平米弱)もの水源地を買い上げたところに先見の明があった。 「どんな蒸溜所でも、水源の確保が必須の問題になります。ウィリアムは今必要な一部の土地だけを買うのではなく、デューの湧き水が確保できるような周辺全域の土地を取得しました。おかげでヒルサイドの利用可能な水源はすべてが敷地内に収まっています。蒸溜所が拡大を繰り返してきた今でも、水源をしっかりと確保できているのはこの最初の判断があればこそなのです」 そんなウィリアム・グラントから経営を受け継いだ2代目は、娘婿のチャールズ・ゴードンだった。現在は5代目のグレン・ゴードンがチェアマンである。世界屈指の出荷量を誇る蒸溜所なのに、家族経営を続ける利点をキンズマン氏は明確に説明してくれる。 「ウイスキーづくりは、長い時間を必要とするビジネス。家族経営なら、目先の利害にとらわれず、長期的視点に立った経営ができます。50年先まで見越した計画ができるのは、家族経営の最大の利点なのです」 世界的なウイスキーブームでモルトウイスキーの在庫不足が懸念されるなか、12年、15年、18年という熟成年別のブランドを維持しているのも、このような長期的視点の産物である。 「一時期、スコットランドのウイスキー業界全体が、需要の冷え込みにあわせて蒸溜量を減らしたことがありました。でもグレンフィディックだけは『ストックがたくさんあるのはいいことだ』と楽観視し、逆に蒸溜量を増やしたのです。今後も年数表示をやめることはありません」 はるか未来を見通し、時の価値を知り尽くしていた男。そんな形容が似合うウィリアム・グラントの精神は、ブライアン・キンズマン氏にもしっかりと受け継がれている。 <後半につづく>     グレンフィディック 18年 スモールバッチリザーブ 700ml  希望小売価格(税別) 10,000円  40%   18年以上熟成したスパニッシュオロロソシェリー樽原酒とアメリカンオーク樽原酒をブレンドし3ヶ月以上熟成。熟した果実やシナモンを思わせる香りで、深い味わいと長く続く余韻が特長。   ※掲載価格は販売店の自主的な価格設定を拘束するものではありません。   商品の詳しい情報こちらから。   WMJ PROMOTION      

アメリカンウイスキーの現在【第3回/全3回】

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アメリカンウイスキー業界に関するレポートの最終回。人気のフレーバードウイスキー、大資本による買収劇、小規模なクラフトディスティラーの劇的な増加や背後にある問題点を、アメリカンウイスキーの専門家ライザ・ワイスタックが解説する。 文:ライザ・ワイスタック   成長を続けるフレーバードウイスキー バーボン純粋主義者は聞くのもうんざりかもしれないが、成長率トップの分野を維持しているのがフレーバードウイスキーだ。ここには明確な理由がある。企業各社は、フレーバードウイスキーがウイスキー未経験者をバーボンカテゴリーへと誘いこむ良策であると見ているのだ。先駆者はワイルドターキーで、1976年にジミー・ラッセル氏がハチミツのフレーバーをつけたバリエーション「ワイルドターキーハニー」を開発したのが事の始まりである。同社はアメリカンハニーを発展させ、隠れたコショウの風味が注入された「スティング」を発売している。 最新フレーバーの中で注目されているのは、ヘヴンヒルが開拓したシナモンだ。2015年にはジャックダニエルが「テネシーファイヤー」を全米で発売し、ビームがフレーバーマニア向けの「レッドスタッグ」をリリースしている。2015年夏に「ジムビームアップル」を発売したビームサントリーのロブ・ウォーカー氏(バーボン部門ヴァイスプレジデント)は、この分野の成長を予言する。 「フレーバーのイノベーションが、まだまだ驚くような潜在力を持っていると信じています。この分野はウイスキーカテゴリーの間口を大きく広げ、バーボン市場に新しい人々を呼びこむ役割を果たしているのです」   買収劇とそのインパクト アメリカンウイスキーにおける近年の大きな買収劇といえば、2014年にサントリーがビームを160億ドルで傘下に収めたことである。その後も特筆すべき買収はいくつかあった。ウッドフォードリザーブの設立に寄与した故リンカーン・ヘンダーソンの「エンジェルズエンヴィ」をバカルディが買収した。また5つのレーベルと限定品のバレルセレクションを生産している小規模ブランド「レデンプションライ」を、ニューヨークのドイチュ・ファミリー・ワイン&スピリッツが買収している。大人気のアメリカンウイスキーを、誰もが自分のものにしたいと願っているのだ。 オークビュースピリッツで上級顧問を務めるデイヴ・ピッカレル氏によると、クラフト蒸溜の会議にはいつも有望ブランドの買収を目論む大手企業が参加しているという。状況を見る限り、このような買収への意欲はまだ衰えることがないだろう。   クラフト蒸溜の隆盛と諸問題 サンフランシスコのアンカースチーム醸造所から質素なスチルを買い取ったフリッツ・メイタグ氏が、アンカー・ディスティリング・カンパニーを設立して100%ライウイスキーの生産を始めたのは1993年。あれから20年以上の年月が経った。2008年にジェームス・ビアード・ライフタイム・アチーブメント・アワードで栄誉ある賞に輝いたメイタグ氏は、今やクラフト蒸溜界のゴッドファザーと呼ばれている。この分野は、彼が想像だにしなかったレベルまで大きく成長したのだ(メイタグ氏はアメリカのクラフトビールのパイオニアとしても知られている)。10年前は全米で10社前後だったクラフト蒸溜所も、今では800社以上と試算されている。すべての州に少なくとも1社あり、ニューヨーク州は全体で60社を超えるなど、おどろくほど多数のクラフト蒸溜所が密集する州もある。 小規模蒸溜所の劇的な増加は、昔ながらのアメリカンドリームを感じさせる状況だ。蒸溜所オーナーはそれまでの仕事を辞め、豊かな伝統のあるウイスキー業界で働く情熱に突き動かされている。人々が食べ物の出自に関心を持つようになったことも追い風になった。全米のどこへ行っても、レストランで地元産のウイスキーが飲めるという状況が、ウイスキーへの関心を後押ししてきたのだ。 だがこの「地元産」にはやや疑問がある。多くの自称クラフト蒸溜所では、バーボン、ライなどのウイスキーをインディアナ州にあるMGP蒸溜所のような巨大工場から調達しており、実質的には生産者ではなく商業的なボトラーである。このような事実をボトルに記載していないケースは少なくない。これは酒類の規制やラベル表示を監督する政府機関「酒類タバコ税貿易管理局」の盲点をついたもので、最終工場で扱いさえすればウイスキーの生産地を名乗れるという法の抜け穴だ。 さらに悪いことに、スピリッツを他社から購入しているブランドの多くは、「スモールバッチ」「ハンドクラフト」「ハンドメイド」などの用語をラベルに謳っている。訴訟社会のアメリカでは、このような表示が誤解を招くということで訴訟問題にも発展している。ライウイスキーを「スモールバッチ」と謳ったエンジェルズエンヴィに対する訴訟もそのひとつだが、同ブランドは近頃バカルディに買収された。この問題についてはツイッターなどで痛烈な批判も多く、監視役の市民は「クラフト」を名乗れる基準の明確化と、透明性の義務化を訴えている。 だがこれは商業的なボトラーの引き起こす問題の始まりに過ぎない。大企業はかなり以前からウイスキーの品不足に頭を悩ませている。2013年にはメーカーズマークが供給拡大のためにアルコール度数を引き下げようと画策したが、消費者がその計画を阻止した例もある。あまりにも多くの小規模メーカーが増え、工場を持つ巨大企業から先を争って原酒を樽買いするために、全体の供給量が縮小しているのだ。自社製品が熟成中で時間がかかるため、その間に必要になるのだと言い訳する新興蒸溜所もある。だが自社製品がまだ眠っている間に、母屋の底が抜けてしまわないか気が気でならない。 【←第1回】 【←第2回】

グレンフィディックの長い旅【後半/全2回】

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決して変えてはいけない伝統がある。未来を切り開く革新も必要だ。ブライアン・キンズマン氏は、この2つの価値観を恐れることなく両立させ、現代最高のグレンフィディックを表現する。6代目モルトマスターが思い描く、ウイスキーの未来とは。 文:WMJ   ひなびたダフタウンの町外れにあるグレンフィディック蒸溜所は、ビジネスの隆盛に合わせて生産規模を拡大してきた。それでもまだ1887年の創業時からの建物は健在であり、昔ながらのウイスキーづくりも維持している。 モルトやイーストの品種は自然の流れの中で変わっているが、スピリッツの味は不変でなければならない。原料や環境の変化で発酵状態が変わったり、それによってフレーバーが変わったりすることは許されない。生物化学者たちとテストを重ねながら、ウォッシュやビールの味に変化がないよう毎日目を光らせているのだと、モルトマスターのブライアン・キンズマン氏は説明する。 ウイスキーづくりは、発酵工程で最初の大きな山場を迎える。蒸溜所には容量10tのマッシュタンが2槽あり、24時間稼働している。ここで抽出された大麦麦芽の糖分を古風な木製ウォッシュバックで発酵するのだ。 「青リンゴや柑橘のような香りには、やや長めの80時間発酵が欠かせません。発酵工程でしっかりとフレーバーを固めてしまわないことには、その後でどんなに頑張っても私たちの望むフレーバーが引き出せないのです。発酵工程で生まれる酸やエステルがフルーティーさを生じさせ、このフルーティーさは蒸留されることでまた異なったエステル香を放ち、カスクの成分とも反応を起こして変化します」 大規模蒸溜所にそぐわない、小さなスチルもグレンフィディックのシンボルだ。ウィリアム・グラントが使っていた初代スチルとまったく同じ寸法で、同じボール型とランタン型の組み合わせ。直火で加熱する古風なスタイルも守っている。 「これまでも同型のスチルを増設して需要増に対応してきました。最初は3基だったスチルが31基になっただけ。スチルは決して変えてはならない蒸溜所の心臓部です」 蒸溜所内に樽工房があるのも、現代のスコッチメーカーとしては珍しい。アメリカのバーボン樽も、スペインのシェリー樽も、届いた樽の品質確認は怠らない。熟練した樽職人が1日平均16樽を用意して、長い熟成の準備を整える。70年以上前の古酒を含め、現在抱えている樽の数は約80万本。20世紀初頭に建てられた貯蔵庫を筆頭に、47軒の貯蔵庫がこの谷で大切なウイスキーの原酒を熟成している。 グレンフィディックは、マリイングタンと呼ばれる2,000Lの巨大カスクで3ヶ月間原酒を寝かせて熟成を仕上げる「マリイング」を独自におこなっている。このような特殊なカスクも、樽職人たちが日々管理することで他にはないユニークな風味を生み出す。原酒の豊富なバリエーションは、グレンフィディックの大きな強みである。   伝統から生まれる本物の革新 1963年に世界に向けて初めてシングルモルトウイスキーを発売したグレンフィディックは、生粋のパイオニアとしての遺伝子も持っている。ブライン・キンズマン氏が、モルトマスターの仕事を「伝統と革新の橋渡し」であると定義しているのもそのためだ。 「例えば1963年以来のスペシャルリザーブの品質を守っていくことが、伝統の継承にあたります。既存の約束を繰り返し、数十年後のお客様が味わう風味を一定にするために細心の注意を払わなければなりません」 このような保守業務は、簡単な仕事とはいえないものの管理可能な領域であるとキンズマン氏は語る。だがモルトマスターの責務は、昨日までの前例を繰り返すことだけではない。「21年 グランレゼルヴァ」や「18年 スモールバッチリザーブ」のような新しいフレーバーで、新旧ファンの期待に応える必要もある。 「伝統よりも、より難しい領域が革新です。みんなを驚かせるようなウイスキーは、比較的容易につくれます。しかしそれが、グレンフィディックのブランドに合っていなければ意味がない。私たちの伝統をしっかりと反映させた上での革新的なウイスキーなのかという整合性が必要なのです」 シングルモルト最古参のグレンフィディックでも、日々さまざまな試行錯誤を重ねているのだとキンズマン氏は明かす。カスクの種類、形、大きさはもちろん、蒸溜や発酵の工程でも細かな工夫を凝らし、常にその実験の記録をとっておく。 「ウイスキーづくりは長い年月をかけて考えていく必要があります。どのような変化をしていくのかをじっくりと調べていくことで、実現可能なアプローチを見極めます。小規模な実験は100種類をゆうに超えていますが、実際に商品になるかどうかはわかりません」 ウイスキー界に新しい価値をもたらすチャレンジは、いつもエキサイティングだと語るモルトマスター。伝統と革新を両立させる決断に、迷いはないのだろうか。 「比較的簡単な基準を設けているんです。それは、出来上がったものをみなさんの前でプレゼンするときに、本当に満足して自分で誇りに思えるものであるかどうか。100%の自信がなければ、それがいくら美味しいウイスキーであったとしても、グレンフィディック向けではありません」 そしてキンズマン氏が「100%の自信」を持ってリリースしたウイスキーが、今ここにある。19世紀に1人の男が始めた挑戦は、世代を越えて受け継がれながら進化を遂げ、最高のかたちで私たちの手元に届いたところなのだ。   グレンフィディック 18年 スモールバッチリザーブ 700ml  希望小売価格(税別) 10,000円  40%   18年以上熟成したスパニッシュオロロソシェリー樽原酒とアメリカンオーク樽原酒をブレンドし3ヶ月以上熟成。熟した果実やシナモンを思わせる香りで、深い味わいと長く続く余韻が特長。   ※掲載価格は販売店の自主的な価格設定を拘束するものではありません。   商品の詳しい情報こちらから。   【←前半】 WMJ PROMOTION

ハイランドの女王、タリバーディン【前半/全2回】

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20世紀半ばに創設されて以来、ウイスキーの盛衰とともに激動の歴史を歩んできたタリバーディン蒸溜所。5年前よりブルゴーニュの名門ミッシェル・ピカールがオーナーとなり、ユニークなブランディングでファン層を広げている。ガヴィン・スミスによるレポートの前半。 文:ガヴィン・スミス   1949年、パース州ブラックフォード村でスピリッツの生産を始めたタリバーディン蒸溜所は、スコッチウイスキー史に重要な1ページを加えている。意外なことに、タリバーディンは1900年以降にスコットランドで新設された最初の蒸溜所であり、その後の着実なスコッチウイスキー業界の隆盛を予言するものとなった。 ハイランドでも次々に設備投資がなされる1960年代のウイスキーブームに向かって、事態が静かに動き出す時期だったのである。   ウイスキーづくりにおいては新参だったタリバーディンだが、タリバーディンという名の蒸溜所は18世紀後半から19世紀前半にかけてこの地域に実在したようである。初代タリバーディンの所在地は特定できなものの、第2代タリバーディンの建設地に選ばれたブラックフォード村は、スコットランドのお酒に縁の深い場所である。ここにはかつて有名なビール醸造所があった。1488年、スコットランド王ジェームズ4世が、 パース近郊のスコーンでおこなわれる戴冠式の前に立ち寄ってビールを購入した記録が残っている。   戦後のタリバーディン蒸溜所を牽引したのは、後にアイル・オブ・ジュラ蒸溜所とグレンアラヒー蒸溜所の創設に関わることになるウィリアム・デルメ=エヴァンズだった。1953年からグラスゴーのウイスキー商であるブロディヘプバーン社が運営し、1971年にインバーゴードンに引き継がれた。   1973年に1組のスチルを追加導入したタリバーディン蒸溜所は、一気に生産量を増加させる。だがその20年後、1993年にインバーゴードンがホワイト&マッカイに買収されると、パース州の工場は生産過剰とみなされて翌年に閉鎖の憂き目を見た。   スターリングとパースを結ぶA9道路沿いに建つ現在のタリバーディン蒸溜所は、この時点で永遠にウイスキーづくりを終了させるはずだった。だがさらに10年後の2003年、ある合弁企業がホワイト&マッカイからタリバーディンを1,100万ポンド(約19億円)で購入すると、その年の暮れには早くも生産が再開される。新しい経営陣の計画では、隣接地に小さなショッピングゾーンを建設することになっていたが、結局その土地は不動産開発会社に売却された。そこで経営目標は転換され、シングルモルトとしてのタリバーディンを強化し、多彩なカスクフィニッシュで商品を多角化していく方針が打ち出されたのである。   ブルゴーニュの名門ワイン商がオーナーに   2011年、タリバーディンは新しいオーナーに売却される。そのオーナーこそ、ブルゴーニュのシャサーニュ・モンラッシェに本拠地を持つ著名な家族経営のワイン商「メゾン・ミッシェル・ピカール」であった。   それまではブレンディング用のスピリッツを他社に販売してキャッシュフローを確保してきたタリバーディンだが、ピカールは方針をがらりと変えた。これからは厳選されたプレミアムなシングルモルトのボトリングに重きを置くことを第一の目標と定めたのである。このようなプレミアムボトリングの枠におさまらない原酒は、ピカールの人気銘柄である「ハイランドクイーン」や「ミュアヘッド」に使用されることになる。同社はこれらのウイスキー銘柄をグレンモーレンジィ・カンパニーから2008年に取得している。   そして2013年になると、タリバーディンはポートフォリオを見直し、パッケージとラインナップも大胆に一新した。それまで「エイジドオーク」の名で呼ばれていた定番シングルモルトは「ソブリン」となり、以前のビンテージは、20年と25年のボトリングに切り替えられた。国際営業部長のジェームズ・ロバートソン氏が、この新ラインナップについて説明する。   「現在、コアなフィニッシュは3種類あります。『225ソーテルヌ』は「シャトー・シュデュイロー」を熟成したカスクでフィニッシュしたもの。『228ブルゴーニュ』は「シャトー・ド・シャサーニュ・モンラッシェ」のカスクで、『500シェリー』は主にペドロヒメネスのシェリーカスクでフィニッシュしました。名称の数字は、12ヶ月間にわたってウイスキーをねかせるカスクの容量(リッター数)を示しています」   ブルゴーニュとの結婚で、他の蒸溜所が真似のできないユニークなフレーバーを獲得したタリバーディン。この価値を消費者に伝えるのは新しいブランディング手法だ。   「かつてのタリバーディンは、罪深いことに相場よりもかなり安値でウイスキーを売っていました。ブランディングを見直すことで、ビンテージも熟成年数に相応しい価格に設定し直すことができたのです。6種類のウイスキーでタリバーディンのコアなバリエーションを定義し、それぞれが明確な特徴を持っているので、消費者も『マイブランド』だと感じやすくなっているはず。これが新しいファンにも、昔ながらのファンにも有効なのです」   (つづく)    

ハイランドの女王、タリバーディン【後半/全2回】

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豪華絢爛な新商品で、スーパープレミアム市場に参入したタリバーディン。ユニークな会員制度も開始し、画期的なブランディングでウイスキー業界を先導している。入門に最適な「ソブリン」と、ハイエンド新商品「1952」のテイスティングノートもご紹介。 文:ガヴィン・スミス   ブルゴーニュワインで有名なメゾン・ミッシェル・ピカールの傘下となり、2013年に商品ラインナップを一新させたタリバーディンは、着実にそのブランディング戦略の成果を勝ち取っているようだ。国際営業部長のジェームズ・ロバートソン氏が語る。   「ピカールのおかげで、タリバーディンは蒸溜所としての存在感を増してきました。経営陣は蒸溜所のトータルなブランド運営をしっかりと計画しています。財政面での安定感を高めてくれたうえに、ピカールの既存の顧客層であるワインファンにもアピールする機会が生まれたのです。生産部門のために、機器や工場への設備投資もおこないました。現在は40ヶ国の市場に進出し、2014年には9Lケースを10,000ケース販売しています。2012年の5,000ケースに比べたら倍増の勢いです」   2015年に発売した「タリバーディン 1952」は、これまででいちばん熟成期間が長く価格も高い。パッケージの演出も豪華で、金をあしらったバカラのクリスタルデキャンタが、特注品の木製キャビネットに入れられている。フレーバーの決め手は、ペドロドメックのシェリー熟成に使用したクォーターカスク。これがタリバーディン「カストディアンズ・コレクション」の第1弾なのだと、ロバートソン氏は説明する。   「タリバーディンを、まったく新しいスーパープレミアムのカテゴリーへと連れ出してくれる商品です。2015年6月に公式発売した70本は、これまでに32本が売れました。タリバーディンの知名度と、2万英ポンド(約345万円)という価格を考えると素晴らしい成果だと思っています。カストディアンズ・コレクションの第2弾は、今年中に発売される1970年のビンテージになる予定です」   カストディアンという名の上位メンバーシップ   このようなタリバーディンの上位カテゴリーは、購入者にプレミアムな特権をもたらす会員制度とセットで販売されることになる。そのメンバーシップが「カストディアン」と呼ばれる資格だ。   「タリバーディンのカストディアン(後見人)にならないと購入できない会員限定商品なんです。2つのグラス、お客様のお名前とボトル番号が記載されたブラックカード、そしてデキャンターボックスの2段目の引き出しにナンバーキーが入っています。この番号で、タリバーディン蒸溜所ビジターセンターにあるお客様の個人用金庫が開けられます。その金庫には『1952』の熟成に使用したカスクの一片が入っているのです。カストディアンになると蒸溜所への入場が無料となり、今後もさまざまな特典が用意されています」   過去最高級のボトリングが注目を集めている間に、蒸溜所内でも大きな変更があった。これまでのショップがなくなり、蒸溜所内に移転して統合されたのだ。新しいショップはボトリングをおこなう大きな建物の中にあり、同時に新しい研究所とお酒以外のグッズを販売するショップもできる。かつてのショップエリアは、総面積は約2,800平米にもなる3棟の貯蔵庫に様変わりするという。   生産拡大を見込んだ蒸溜所での設備投資。極めて特徴的なシングルモルトのラインナップ。世界中で伸びる販売実績。「カストディアンズ・コレクション」として新発売されるスーパープレミアムのシングルモルト。 古くて新しいタリバーディン蒸溜所には、明るい未来が約束されている。     タリバーディン蒸溜所の基本データ 「タリバーディン ソブリン」 度数:43% 香り:フローラルで、バニラファッジと刈りたての干し草を思わせる香り。 味:フルーティで、モルト、マジパン、ミルクチョコレート、やわらかなスパイス風味。 フィニッシュ:バニラ、ココアパウダー、柑橘類やシナモンのような感触。 「タリバーディン1952」 度数:40.2% 香り:ブランデーのような香りで幕を開け、マジパン、コショウ、亜麻仁油の香りが立ち上がってくる。樽栓の布、古いシェリー樽のリッチな風味。 味: 極めて口当たりが滑らかで、ドライシェリー、ダークベリー、スパイスを感じさせる風味。 フィニッシュ:余韻は非常に長く、スパイス、チョコレート、ビターオレンジ、カンゾウの風味が増す。   【←前半】  

世界が評価したディスィラリーマネージャー【前半/全2回】

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2016年3月17日に発表された「アイコンズ・オブ・ウイスキー2016」で、世界一のディスティラリーマネージャーとして表彰されたニッカウヰスキー北海道工場長の西川浩一さん。「マッサン」で大人気の余市蒸溜所を、工場長が直々にご案内。 文:WMJ 写真:チュ・チュンヨン 札幌から西へ、穏やかな石狩湾を横目に走る函館本線。余市駅で降りた観光客の多くが、徒歩2分ほどの余市蒸溜所を目指す。古城のような石門の背後には赤いパゴダ屋根のキルン塔がそびえ立ち、異国情緒もたっぷりだ。正式名称は「ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所」。NHKの連続テレビ小説「マッサン」の舞台となった昨年は、過去最多となる90万人以上の見学者が訪れた。 この蒸溜所のあるじが、世界的アワード「アイコンズ・オブ・ウイスキー2016」で、世界一のウイスキー工場長を意味する「ディスティラリーマネージャー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた西川浩一さんである。ここ余市蒸溜所では、生産の責任者であると同時に、訪問客へのビジターエクスペリエンスを提供する株式会社北海道ニッカサービスの社長も兼任している。余市のディスティラリーマネージャーとは、日々どんな仕事をしている人なのだろうか。 「商工会議所、地方法人会、ライオンズクラブ、観光協会など、地域の団体の会合でよく外出します。アサヒビールのお得意様から政治家まで、蒸溜所を訪問される方々のおもてなしも多く、昨年はそのようなVIPが1日4組重なった日もありました。そうした合間を縫って事務の仕事もします。製造現場の社員がのびのびと仕事ができるように、なるべく工場内をウロウロしないようにしていますよ(笑)」 ここはニッカ創業の地であり、ブランドイメージの発信地でもある。蒸溜所の顔として、対外的にさまざまな人と付き合うのも北海道工場長の役割なのだ。 工場長の案内で、余市蒸溜所のツアーが始まる。まずは蒸溜所のシンボルでもあるキルン塔(乾燥棟)。ここはかつて発芽させた大麦を燻して原料のモルトを作る「製麦」がおこなわれていた場所である。現在ではオーダー通りのピートで乾燥させた大麦麦芽をスコットランドから輸入しているが、蒸溜所主催のイベントなどがおこなわれる時などに炉で地元産のピートを焚くことがある。ニッカのピート畑は石狩川の河口付近にあり、定期的にピートを採取している。炉の傍らに置かれたピートからは、「マッサン」でも表現されていたスモーキーフレーバーが漂っていた。 余市蒸溜所では、ヘビーピートとノンピートのモルトを併用しながら多彩な原酒をつくっている。製麦済みのモルトは1トンごとに袋詰めされ、粉砕・糖化棟で出番を待つ。1日の仕込みに使用するモルトは6トン。現在ミルで粉砕しているのは、翌日の朝から仕込むためのモルトだ。粉砕はローラー4本で挟みながら押しつぶすスタイル。粉々にしないで、麦芽自体に濾過材の働きをさせるのだと工場長が説明する。 この粉砕されたモルトを、糖化槽で約70℃の温水と混ぜて、1時間ほど静置してから濾過する。これを2回繰り返すことで、甘い麦汁(糖化液)が得られる。3度めの濾過には90℃位の熱湯を入れ、翌日の糖化に使う仕込液に回す。これらの作業はコンピューターで制御されており、異状があれば警報が知らせるようになっている。 「昔はすべて手作業でしたが、人手に頼らずに済むことは機械に任せるようになりました。制御や計測の技術が進み、経験や勘に頼っていた作業も人工知能が担うようになるかもしれません。人間はそれを越えられるように努力することで、ウイスキーもまだまだ進化していきます」   あらゆる細部に宿る余市のアイデンティティ   同じ棟では、ニッカ独自の酵母も培養されている。ほとんどのウイスキー蒸溜所が固形のプレス酵母を使用するなか、ニッカは昔ながらの酵母液を使用している。平面培地上の酵母を、3段階に分けて徐々に培養液の量を増やして増殖させ、発酵に用いるのだという。手間がかかる方法だが、この選びぬかれた余市蒸溜所のオリジナル酵母は、ここで生産されるウイスキーの特性を形作る重要なDNAのひとつである。 その酵母が糖化液に投入されるステンレス製の発酵槽は、隣の発酵棟にある。扉を開けると、もろみの匂いが漂っていた。発酵初期の槽を覗き窓から見ると、炭酸ガスの泡が勢いよく噴き出している。泡の吹き出しも3日ほどで収まって発酵は落ち着く。この時点でのアルコール度数は8%程度。「ビール」とも通称されるもろみである。 さあ、いよいよ余市蒸溜所見学のハイライトでもある蒸溜棟だ。いまやスコットランドでも姿を消し、筆者が知るかぎり世界唯一となった石炭直火蒸溜は、生きた産業遺産と呼んでもいいだろう。銅製のポットスチル(蒸溜器)はどっしりとしたストレート型。交換したばかりの新しい部位が、きれいな光沢を放っている。直火による焦げ付きを防ぐため、蒸溜器の底を掃除する「ラメジャー」という機械がキュルキュルという摩擦音をたてる。ネックに巻かれたしめ縄が神々しい。竹鶴政孝の実家である竹鶴酒造(広島県竹原市)の伝統を援用しているのだという。 「よく見ると、同じストレート型でも、スチルごとに形と大きさが違うでしょう? この違いで出来上がるウイスキーの風味も異なり、多彩な特徴の原酒が得られるんです」 スチルからコンデンサー(冷却装置)へ向かうラインアームは下向きだ。コンデンサーは、今では珍しい昔ながらの蛇管式。蛇のようにとぐろを巻いた1本の長い管を水で冷やしてアルコール度数の高いスピリッツを取り出す。 「どれも余市らしい濃厚なフレーバーを生み出すための設備です。効率を上げるために近代化を議論したこともありましたが、結局は伝統のフレーバーを維持するために温存しました」 蒸溜棟の担当者は、7~8分ごとに石炭を釜にくべている。8時半から5時まで、蒸溜工程をたった1人で管理していることに驚いた。 「余市蒸溜所は製造部と総務部の2部門しかなく、部長の他に管理職は5人。合計25人ほどで生産をまかなっています」 初溜釜、再溜釜と2種類のポットスチルで蒸溜されたもろみは、無色透明な度数65%程度のスピリッツになる。これを樽の中で長期間熟成することでウイスキーの原酒ができる。工場長が、貯蔵庫の鍵を開けてくれる。余市蒸溜所では、現在26棟の貯蔵庫でウイスキーが熟成中だ。樽はアメリカのホワイトオークが主体だが、オロロソやアモンティリャードなどのシェリー樽もある。スペインのシェリー樽に至っては樽1本ごとの香りを確かめて購入している。また、樽空けされた樽は再利用するため、必要があれば余市蒸溜所内の樽工房でも修理と整備をおこなう。 「ご覧のとおり、貯蔵庫に空調はありません。密閉しているわけでもなく、樽は常にまわりの空気を呼吸しています。水や気候はもちろん、竹鶴政孝がこの地を選んだ理由のひとつは、ウイスキーづくりに欠かせない澄んだ空気なのです」 (後半につづく)   WMJ PROMOTION  

世界が評価したディスィラリーマネージャー【後半/全2回】

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質のよいウイスキーをつくり続けるには、一人ひとりの人間と向き合う日々の活動が欠かせない。数々の工場を渡り歩き、世界一のディスティラリーマネージャーとして表彰された西川浩一さん(ニッカウヰスキー北海道工場長)が理想のウイスキーづくりを語る。 文:WMJ 写真:チュ・チュンヨン   余市蒸溜所の顔として多忙な毎日を送る西川浩一さんは、これまでにさまざまな生産現場で研鑽を積んできた。故郷の京都大学で醗酵工学を学び、1982年にニッカ入社。グレーン蒸溜の西宮工場で7年半を過ごし、貯蔵基地の栃木工場を経て、ボトリング主体の柏工場へと異動した。ウイスキーづくりの工程をひと通り経験した後で、再び西宮工場に戻り、設備を仙台工場へ移転する難事業をやり遂げた。だがほっと一息を付く間もなく、予想外の出向が待っていた。 「現在の日田市大山町で、梅酒をつくるというミッションでした。名物の梅がある以外は、ノウハウも、設備も、免許もありません。町役場の産業振興課に、ぽつんとデスクがひとつ置かれていました(笑)」 まったくゼロから工場を建設し、1年後に梅酒を仕込むところまで漕ぎ着けるのが与えられた任務だった。町役場のデスクで工場の青写真を描き、原料の処理から瓶詰めラインに至るすべてのレイアウトを決める。必要な業者を手配し、原料も仕入れ、なんとか梅酒づくりの立ち上げに成功した。本人が語るとおり、「タフな仕事」だったのは間違いない。だが西川さんには、どこかでそんな苦労を笑い飛ばしてしまうような鷹揚さがある。 その後、初めてのモルトウイスキー蒸溜所である仙台工場で1年半務め、生産技術センターを経て、傘下のベン・ネヴィス蒸溜所へ赴任。ウイスキーの本場スコットランドで、3年半ほどカンパニーセクレタリーを務めた。 「スコットランドの人は、日本のように親会社の意見だからと全部聞き入れてくれるわけではありません。雇用も流動的で、赴任中にスタッフの3分の2くらいが入れ替わりました。小さな町だから、タクシーの運転手をやっている元スタッフに出くわしたり(笑)。文化の違いを実感した海外勤務でした」 帰国して、初めての余市蒸溜所で3年間勤務。西宮工場での2年をはさみ、2015年に工場長として余市蒸溜所に帰ってきた。それから1年を待たずして、アイコンズ・オブ・ウイスキーの「世界一のディティラリーマネージャー」に選ばれたというわけである。 「昨年は空前のウイスキーブームで、余市蒸溜所は国内外から大きな注目が集まりました。そんなタイミングもあって、長年にわたるニッカのウイスキーづくり全体を評価してくれたありがたい賞だと思っています。授賞式はスコットランド駐在時にも出席しましたが、ずいぶん部門が増えていたのが驚きでした。今回はロンドンのショップを訪問し、ジャパニーズウイスキーの豊富なラインアップを目の当たりにして人気を実感しました。台湾のカヴァランの方ともお話をして、アジアでのウイスキー文化の広がりも嬉しく思いました」   優れたウイスキー蒸溜所の条件とは   危機に際しても長期的な視野を忘れない沈着さ。周囲の人を動かしながら、難問にじっくりと取り組む人間味。西川浩一工場長に感じるのは、そんな「ブレない男」のオーラだ。 「いろんな場所で仕事をしてきましたが、新しい環境に単身で乗り込むのは苦になりません。自分のペースを崩さず、周囲とうまくやっていけばいいだけのことですから」 余市の生活はとても気に入っている。自然が近く、食材も豊富だ。本州では見慣れない品種のフルーツを味わうのが、季節ごとの楽しみなのだという。 「秋になってだんだん色づいてくるリンゴや、ブドウのふさが大きくなる様子を観察しながら散歩します。冬の朝、足跡ひとつない新雪が蒸溜所を覆っている光景も美しい。自然環境が厳しいので、余市の人たちには助け合いの精神があります。よそ者に寛容な開拓者精神が生きているのでしょう」 数多くの生産現場を経験してきた西川さんに、優れたウイスキー蒸溜所の条件を訊ねてみた。 「質のよいウイスキーをつくるのは当たり前。でもそれは香りや味わいの良さといった単純な話だけではありません。決められたペースで、予定された年間生産量を守ること。遅れもなく、余計な経費もかけずに高品質を保つこと。そのような広義の高品質を可能にするのは、最終的に人間の力です」 自分がつくったものに対してプライドと愛着を持てなければ、いいウイスキーはつくれないと西川さんは断言する。モチベーションが下がり、パフォーマンスが下がると、ウイスキーの品質が下がる。だが人間ほど難しいものはない。個性も目標もそれぞれに異なる人たちを、リーダーとしてどのようにまとめていくのか。 「会社が人を大事にしないと、人も会社を大事にしてくれません。他人との付き合いが苦手な人には、周囲がその人への理解を深める雰囲気を作って孤立を防ぐ。必要があれば専門家のカウンセリングを活用したり、希望する部署への異動を叶えさせます。かなり細かい部分まで働く人のケアをして、誰とでも正面から向き合える工場長であろうと心がけています」 余市蒸溜所がたった25人で生み出しているウイスキーの特徴は、人の手を介在させた「手づくり感」にある。本場スコットランドでさえ失われてしまった伝統技法を生かしながら、ブレない工場長はニッカ創業の理念を忠実に守っているのだ。 「本物のウイスキーをつくるという竹鶴政孝の想いを忘れたことはありません。これからも、世界中の皆様に喜んでいただけるウイスキーづくりをお約束します」   WMJ PROMOTION  

東北の新星、安積蒸溜所が誕生

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2016年は、日本のウイスキー業界にとって記念すべき年。開業が予定されているクラフトディスティラリーのひとつが、いよいよ東北で始動する。福島県郡山市で、正式な開業間近の安積蒸溜所を訪ねた。 文:ステファン・ヴァン・エイケン   「面白い時代を生きられますように」という中国の諺がある。平和な時代を凡庸に生きるより、激動の時代を人間らしく生き抜いたほうがいいという、バイタリティーあふれる人生観だ。 今や日本のウイスキーづくりは、間違いなく「面白い時代」に突入したといえるだろう。2016年中に、少なくとも5つの小規模蒸溜所がウイスキーの生産を開始する予定である。茨城県那珂市にある木内酒造など、すでにいくつかのメーカーでは生産が始まっている。そして本坊酒造の津貫蒸留所や、厚岸蒸溜所、静岡蒸溜所などが創業に向けて最終局面に入っており、いずれも年内の生産開始が期待されている。 そして安積蒸溜所でも、ついに3月中旬から試験蒸溜が始まった。正式な生産開始は5〜6月になる予定だという。安積蒸溜所? どこにあるの? そう聞かれる方がいるのも無理はない。正式名称は、笹の川酒造安積蒸溜所。福島県郡山市にある老舗酒造メーカー、笹の川酒造の新規事業なのである。 創業1765年の笹の川酒造には、長い酒づくりの歴史がある。日本酒と焼酎が中心だが、ウイスキーもまったくの新参というわけではない。 第2次世界大戦の最中から戦後にかけて、日本の多くの酒造メーカーは原料の米不足に苦しんだ。それと同時に、戦勝国による日本の占領状態が、多くのウイスキー需要を生み出すのではないかという予測もなされた。当時の笹の川酒造の人々は、さまざまな将来の可能性を勘案して、戦後間もない1946年にウイスキー製造の免許を申請。それが認可され、すぐにウイスキーづくりは始まったという。笹の川でつくられたウイスキーには2級の等級が与えられていた。輸入したモルトウイスキーの「原酒」に、自前のアルコール飲料をミックスしたブレンデッドウイスキーがここで生産され始めたのである。 戦後日本の経済成長とともに、人々の舌も肥えていった。笹の川酒造は、よりよい品質の洋酒を生産すべく、手づくりのスチルによって独自のモルトウイスキー生産を試みる。当代の山口哲司社長のおぼろげな記憶によると、ここにはスチール製のスチルがあったという。スチルの底が鋼鉄でできていて、ヘッドやライパイプなどは銅製だった。 何十年もの歴史のなかで商売の浮き沈みはあったものの、独自の生産体制のおかげで、笹の川酒造はウイスキーづくりを持続できた。日本酒の生産に必要なのは年間200日ほど。残りの150日をダラダラと遊んで過ごすより、従業員が空き時間でウイスキーづくりの仕事をしたほうがいいと考えたのだ。 ところが80年代後半にさしかかる頃、日本のウイスキー市場は陰りを見せ始める。笹の川酒造は徐々にウイスキーの生産量を縮小させたが、貯蔵庫で熟成させるのに十分な量のウイスキーをすでに保有していたため、今日まで酒屋に供給できる在庫を保持することができた。そして日本のウイスキーに対する需要がかつてないほどに高まった2015年、創業250周年という大きな節目を迎えた笹の川酒造は、いよいよ本格的なモルトウイスキーの蒸溜所を設立することに決めたのである。   本格的なモルトウイスキーを東北から   笹の川酒造は、当初スコットランドのフォーサイス製のポットスチルでウイスキーをつくろうと考えた。だが納品までに4年がかかるとわかってすぐに断念。一方、日本の三宅製作所なら1年以内にできるという。フォーサイスより割安というわけではなかったものの、さまざまな利便性を考慮して三宅製作所のスチルを購入することにした。空きスペースになっていた貯蔵庫の一画には、2015年12月までに2基のポットスチルが設置され、小さな蒸溜棟に様変わりした。 モルトの粉砕から蒸溜まで、ウイスキーづくりの全工程がひとつの屋根の下で完結する。糖化槽が1つと、3,000Lの発酵槽が5つある。いずれもステンレス製だ。ポットスチルはかなり小型で、2,000Lの初溜釜(ウォッシュスチル)、1,000Lの再溜釜(スピリットスチル)という組み合わせ。蒸溜の熱源はパーコレーターである。 原料となるモルトのタイプ、イースト菌、発酵時間など、ウイスキーづくりの細部はまだ議論の最中だという。笹の川酒造のウイスキー生産チームは、似通った設備が設置されている秩父蒸溜所を4月に視察し、ウイスキーづくりの細かな工程について最終的な判断を下していく予定だ。 笹の川酒造は、秩父蒸溜所の肥土伊知郎社長の依頼に応じて、閉鎖された羽生蒸溜所のカスクを秩父蒸溜所の開業まで預かった過去がある。つまり肥土さんは、秩父蒸溜所をゼロから設立した自身の経験を笹の川酒造のチームと共有することで、苦難の時に支えてもらった恩返しをしているのであろう。 現在のところ、安積蒸溜所は郡山がかなり暑くなる夏以外の季節に蒸溜をおこなうという基本計画を立てている。大半はノンピーテッドのウイスキーを生産するが、夏休み前の数週間はピーテッドウイスキーの蒸溜もおこなう予定だ。貯蔵はバーボン樽が主体だが、一部はシェリー樽やワイン樽でも熟成をおこなう。「1日1樽」を目安にして、年間200〜250樽のウイスキーを貯蔵するのが目標であるという。 安積蒸溜所の開業は、東北地方にとっても非常に楽しみな話題である。公式に始動してからも最新の状況をレポートしていくつもりだ。数年後、本格的なモルトウイスキーが自社内でつくれるようになった笹の川酒造安積蒸溜所から、素晴らしい品質のウイスキーが発売されることになるのは間違いない。    

日本に学んだ世界のウイスキー(第1回)ミズナラ新樽熟成、ベインブリッジ「ヤマ」

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日本のウイスキーづくりをヒントにした、ユニークなウイスキーが世界各地で生まれている。今回ご紹介するのは、米国で生まれた「ベインブリッジ『ヤマ』ミズナラカスク」。素晴らしい味わいの背後には、語り継ぐべき歴史があった。 文:ステファン・ヴァン・エイケン   日本のウイスキーの歴史は、スコッチウイスキーの伝統から出発している。だが約100年に及ぶ発展過程で盛り込まれた日本独自の工夫が、今では海外のウイスキーメーカーにも影響を与えるようになった。 そんな「日本に学んだ世界のウイスキー」を紹介するシリーズの第1弾は、「ヤマ」。米国ワシントン州のベインブリッジ・オーガニック・ディスティラーズが、ミズナラ樽で熟成したシングルグレーンウイスキーである。 「ヤマ」という商品名は、シアトル沖のベインブリッジ島に実在した村名からとっている。1883年創立のヤマ村は、ベインブリッジ島に住み着いた日本人移民たちの村だった。茶屋、風呂屋、寺院、宿泊施設、店舗などが建ち並び、日本人の家族がたくさんの子どもたちと一緒に暮らしていた。ヤマ村の男たちは、多くがすぐそばの製材所で働いていたが、1922年にこの製材所が閉鎖になると大半の住民が島内で移住。90年以上が経った今、かつての村の跡地は草木に覆われている。 米国にある日系移民一世の居住地のなかで、再開発による破壊がおこなわれず最後まで残った村のひとつがこのヤマ村だった。ベインブリッジ・オーガニック・ディスティラーズの創設者であるキース・バーンズ氏は、この歴史の1ページを人々に知ってもらおうと、自社でつくるウイスキーの熟成にミズナラ材の樽を使うことにしたのである。 この類まれなプロジェクトについて、キース・バーンズ氏にお話をうかがうことができた。   *   ステファン: 日本のウイスキー以外で、初めて手づくりのミズナラ樽のみで熟成されたウイスキーが「ヤマ」であるとのこと。最初から最後まで、本当にミズナラだけで貯蔵したのですか?   キース・バーンズ: その通りです。最初から最後まで、ミズナラの新樽のみで熟成されています。樽材は北海道で手に入れて米国まで運び、アーカンソー州ホットスプリングスにある家族経営のギブス・ブラザーズ・クーパレッジで樽に組まれました。「ヤマ」は100%ミズナラ熟成のウイスキーです。   ステファン: 未製麦(アンモルテッド)の地元産大麦麦芽を使用していますが、通常の製麦済みモルトに比べて、どのような特徴をスピリッツにもたらすのでしょうか?   キース・バーンズ: 「ヤマ」は、アメリカ合衆国農務省認定品種の「オーガニックアルバ」と「フルパイントバーリー」をすべて未製麦のまま使用しています。私たちがいつもスピリッツで表現しようとしている要素のひとつは穀物のフレーバーであり、これこそが生産地特有の風味であると考えています。とりわけ未製麦の大麦は、製麦済みの大麦に比べて複雑な穀物らしい特徴を余すところなく保持しています。そこから生まれるスピリッツの重みが、ミズナラの新樽から得られるスパイスや独特の風味と完璧なコントラストをなしてくれるのです。   ステファン: 日本でミズナラ材を手に入れることは、非常に難しくなっています。日本のウイスキーメーカーもミズナラ材を確保するために八方手を尽くしていますが、競争が激しく価格も高騰しています。いったいどうやって手に入れることができたのですか?   キース・バーンズ: 我が社がモットーにしている絶え間ない努力、諦めない粘り強さ、そして家族の力の賜物です。ときどき市場に出回る少量のミズナラ材に、優先的に入札できるよう取り計らってくれる日本の友人たちに恵まれました。「ヤマ」をつくってきたここ5年の間に、入札の競争は激化して木材の価格もかなり上がっています。なんとか入手できた木材の多くも、他のウイスキーメーカーに競り負けないよう高値で入札しなければなりませんでした。またこうして「ヤマ」が発売されたことで、これから私たちが大量の木材を確保するのはますます難しくなっていくでしょう。   ステファン: 日本でミズナラ樽といえば、大型(パンチョンサイズ)のものばかり。木材の性質が扱いにくいので、小ぶりの樽を作るのが難しいと樽職人たちは言います。でもベインブリッジの樽はとても小さいですね(38Lと57L)。ミズナラを扱った経験のない樽職人たちでも、問題なくつくれたのでしょうか?   キース・バーンズ: ミズナラ材から10〜15ガロンの樽をこしらえるのは、難しいなんてものじゃありませんでした(笑)。木材は本当に扱いにくく、樽詰めしたスピリッツが漏れたり染み出したりしていないか四六時中見張っていなければなりません。もし樽職人にミズナラの経験があったら、このプロジェクトへの参加を断られていたのではないかと思います。でもジェイ・ギブスは才能と経験にあふれた樽職人で、じっくりと時間をかけながら、これらのバレルを手づくりする意欲がありました。初回納品分のミズナラバレルが完成したあと、ギブス・ブラザーズは社員に1週間の休暇を与えました。あの木材を損傷なしで曲げるために、みんな相当の苦労をしたようです。検討の結果、中央部の膨らみが少なく、反りをおさえた形状にすることで、木材にかかるストレスを減らして漏れにくいバレルができたのです。とても美しく、フレッシュなミズナラのアロマも見事。ぜひ実際に見ていただきたい、本当に素晴らしい樽です。   ステファン: とはいえ、ミズナラ樽の漏れやすさは生来のもの。何か問題は発生していますか?   キース・バーンズ: 確かに漏れは多いし、蒸発率も高いのは事実。それでも私たちは漏れを最小限に抑えて修復する方法を学びました。また蒸発を抑えながら、この島の潮風が樽に風味を授けてくれるような貯蔵環境も見出しています。   ステファン: 日本ではミズナラ熟成に関してさまざまな議論があります。あるウイスキーメーカーは、ミズナラがスピリッツに好ましい影響を及ぼすためには20年ほどの歳月が必要だと考えています。しかしそれよりかなり短い熟成期間でウイスキーをつくったり、フィニッシュに用いたりしている別のメーカーは、短期間でも個性的なウイスキーができると考えています。この点についてどのようにお考えですか?   キース・バーンズ: ウイスキーメーカーはどこも独自の品質を確立して、それぞれの見解や哲学を表現しようと努力しています。だからミズナラ材の最適な使用法について日本国内でも見解の相違があるのは当然でしょう。ベインブリッジ・オーガニック・ディスティラーズは、バランスと対比、複雑さとニュアンスを常に追求しています。ミズナラ材を焼いたり、内側を焦がしたりする際にはさまざまな要素を考慮します。原料となる穀物の種類、複数の穀物を組み合わせる際のレシピ、発酵や蒸溜。それらのすべてがミズナラ樽熟成に最適化されていなければなりません。小規模な蒸溜所なので、可能性への挑戦にはオープンです。すべての小さな決断が、ウイスキーの特徴を形づくります。樽材を含むすべての原料が本来の個性を輝かせることで、私たちに無限の可能性を与えてくれるのです。   ステファン: 現在、貯蔵庫にミズナラ樽はいくつありますか? この樽を使った将来のプロジェクトや、他に日本のウイスキーづくりを取り入れた商品の企画はありますか?   キース・バーンズ: これから届く分を入れても、「ヤマ」に使用するミズナラバレルの数は100を下回ります。決して多くはありませんが、限られた量のウイスキーとなるのは先刻承知のことでした。注目を浴びる瞬間もあれば、やがては忘れられていくのも変わり種の運命。できればこのウイスキーがさざなみを起こし、自然の摂理で波がどんどん弱くなっていっても、引き続きそのかすかなうねりが感じられるような成果を目指したいと思っています。 はっきりと言えることは、「ヤマ」がジャパニーズウイスキーのまがい物でも、ただの物真似でもないということ。明治維新の頃、危険を冒してまでこのベインブリッジ島に渡ってきた日本人移民たちの物語を知ってもらうために「ヤマ」はつくられました。彼らがここで築いたヤマ村は、島のユニークで重要な特徴の一部になったのです。今では村もなくなりましたが、彼らが残したインパクトは今まだここに息づいていて、そのさざなみが感じられるのです。 ベインブリッジ「ヤマ」をつくるためにミズナラ材を使ったのは、それが移民たちの故郷の産物だからです。 馴染み深い土地から、挑戦と可能性に満ちた未知の土地へ、彼らの足跡を辿るようにして木もこの島にやってきました。先祖たちが切り拓いた村を称えるウイスキーをつくることで、確かにここにいた人々との正統なつながりを生み出したい。ミズナラ材が、そのつなぎ役となりました。 [...]

日本に学んだ世界のウイスキー(第2回) 梅酒樽フィニッシュのシングルモルト「ボーラー」

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日本のウイスキーづくりに触発された、海外のユニークなウイスキーを紹介するシリーズ第2弾。今回は米国で発売されたばかりのシングルモルトウイスキー「ボーラー」(セントジョージスピリッツ)に注目。 文:ステファン・ヴァン・エイケン   セントジョージスピリッツは、サンフランシスコ近郊のアラメダで1982年に設立されたスピリッツメーカーである。創設者のヨルク・ルフ氏は、ドイツからカリフォルニアに移住してすぐにこの工場を建てたことで、一企業のみならず現代アメリカにおけるクラフトスピリッツ・ムーブメントの土台を築くことになった。ルフ氏は2010年にセントジョージスピリッツの現場から退いており、現在のマスターディスティラーは1996年からセントジョージスピリッツで働くランス・ウィンターズ氏だ。原子力技師として働いた後に、ビールづくりを学んで酒づくりの世界に入った人物である。 今回ご紹介する話題のシングルモルトウイスキー「ボーラー」をつくったのも、このランス・ウィンター氏だ。いわく「日本風のひねりをきかせた、カリフォルニア流のスコッチウイスキー」なのだという。ウイスキーはハイボールを念頭に置いてつくられたものだが(これが名前の由来)、ボビーバーンズ、ロブロイ、ブルバルディエなどのカクテルベースに使っても美味しく楽しめる。 2016年4月に「ボーラー」を発売した直後、ランス・ウィンター氏に詳しい話をうかがうことができた。そもそも「ボーラー」のアイデアは、いったいどこから生まれたのだろう。   *   ステファン: このウイスキーのアイデアは、いったいどんなきっかけで思いついたのですか?   ランス・ウィンターズ: 「ボーラー」のアイデアは、もともと食べ物から来ているんです。そのきっかけは、オークランドにある「ラーメンショップ」という名前のレストラン。この店をオープンさせた素晴らしい友人たちからヒントをもらいました。あのリッチで脂っぽいスープと麺の味には、シャープでスモーキーなウイスキーがぴったり合うのではないかと考えたのです。   ステファン: 日本のウイスキーは水やソーダで割ったロングドリンクのかたちで飲まれることが多く、その代表がハイボールです。このようなウイスキーの楽しみ方は、アメリカでも定着していますか?   ランス・ウィンターズ: 徐々に浸透していると感じです。ここではもっぱらスピリッツをベースにしたカクテルがもてはやされてきました。カクテルは美味しいのですが、そのブームもやや頭打ちです。ショートカクテルより味のバランスをとりやすいロングドリンクの良さに、アメリカでも人々が気づき始めています。   ステファン: 「ボーラー」を樽で貯蔵する前の蒸溜液についてお訊ねします。原料やプロセスはどのようなものですか?   ランス・ウィンターズ: 原料のマッシュビルは、大麦にフォーカスしています。大半がペールモルトで、ミュンヘンモルトやビスケットモルトも少々。ビスケットモルトは、ペールモルトよりほんの少しだけ高温でトーストされます。高温といっても砂糖がカラメルにならないくらいの温度で、大麦の特長を強調できるのです。熟成前のスピリッツは、くっきりした味で軽い甘みもあります。   ステファン: 熟成のプロセスはかなり複雑な印象です。異なったタイプのカスクを初期熟成に併用して、最後は梅酒を貯蔵したカスクでフィニッシュしてますね。   ランス・ウィンターズ: もともとわたしたちは、ウイスキーに複雑なニュアンスを持たせるよう、異なったさまざまなタイプのカスクで原酒を熟成することが多いのです。フレンチオークのワイン樽で熟成した原酒もあれば、バーボン樽で熟成した原酒もあります。樽に詰めるのは同じボーラー用の蒸溜液ですが、それぞれが異なったニュアンスのある原酒になります。2年半の初期熟成を経た原酒は、すべて梅酒樽のなかで半年間の旅を経験します。   ステファン: その梅酒について教えてください。同じ工場でつくられている、セントジョージスピリッツの梅酒なのですか?   ランス・ウィンターズ: 幸いなことに、カリフォルニアにはさまざまな世代の日系人家族が住んでいます。わたしたちは北カリフォルニアで梅を栽培している農家をいくつか探し出しました。その梅を買ってここまで運び、枝を取り除いて砂糖と一緒にタンクの中で何層にも積み重ねます。そこに自社製の焼酎を注いで(そう、焼酎もつくっているんです)、6カ月寝かせた後で濾過して樽詰めします。まだ現在は自社製として販売するほどの量をつくる予定もありませんが、この梅酒は本当に美味しいので、いつかポートフォリオに加えたいと願っています。   ステファン: 梅酒樽でウイスキーを後熟する方法を、最初に編み出したのは日本のサントリーです。シェリー樽などを経なくても、ウイスキーにはっきりとした梅の香りを授けてくれるのが特徴です。最近は小規模メーカーも梅酒樽を使い始めましたが、この手法はさほど広く知られているわけでもありません。日本のウイスキーと梅酒の関連を、どのようにして知ったのですか?   ランス・ウィンターズ: これはもう本当に偶然のたまものです。梅酒とウイスキーの関連を、以前にどこかで聞いたわけではありません。わたしたちは焼酎をつくり始めてしばらく経つし、少量ですが梅酒の生産についても同じくらいのキャリアがあります。梅酒のバッチをテイスティングしながら、この梅樽熟成の構想について考えるようになりました。梅の果実味を加えるのではなく、梅の種からくるナッツのような特徴に注目したのです。シェリー樽熟成でもたらされるようなナッツ風味が梅酒樽から得られるなら、これは素晴らしい方向性じゃないかと考えたのです。   ステファン: 「ボーラー」には心地よいスモーキーなフィニッシュがあって、余韻が長く続きますね。このスモーク香はどこから来ているのですか?   ランス・ウィンターズ: このスモーク香は、ニューメイクのスピリッツを濾過するときに得られるものです。濾過にはカエデ材の木炭を使用しています。濾過といえば通常はある種の風味を取り除くためにおこなわれますが、このウイスキーは逆に濾過で新しい風味をつけています。この事実は気に入っていますね。   ステファン: 「ボーラー」は、売り切ったらおしまいの単発商品ですか? それともまた発売したり、季節ごとの商品や定期的な生産品になる可能性はありますか?   ランス・ウィンターズ: [...]

ウイスキー業界の原動力、北ハイランドの蒸溜所【前半/全2回】

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ハイランド北部には、スコッチファンを魅了するウイスキーの生産拠点が点在している。おなじみのブランドから知る人ぞ知る蒸溜所まで、ウイスキーの今を知るグレートブリテン島最北部の旅。 文:ガヴィン・スミス     歴史あるハイランドの首都、インヴァネス。ここはグレートブリテン島最北部の蒸溜所を訪ねる旅の拠点として最適の場所だ。スコットランドでもほとんど観光化されていない地域を旅しながら、見事な風景と素晴らしいウイスキー体験を楽しんでみよう。 インヴァネスの25kmほど南、ハイランドを南北に貫く幹線道路であるA9を少し外れた場所にトマーティン蒸溜所がある。その起源は1897年にまで遡るが、1960年代に建設された現在の建物からは創設時の面影を偲ぶことができない。それでも蒸溜所を訪ねれば温かな歓待があり、トーマティンは今や世界中のシングルモルトマニアが買い求める人気銘柄となった。特にファンが多い市場はアメリカである。 トマーティンは近頃ブランドの全ラインをリニューアルした。新デザインのボトルは、すでに世界中で発売されている。さまざまなシングルモルト製品の他に、ピーテッドモルトのコレクションを「クボカン」のラベルでリリースしている。 トマーティンからA9で北のインヴァネスに向かう代わりに、B9090経由でロイヤルブラックラ蒸溜所に寄り道してみよう。海辺の町ネアンの少し南、のどかな田園の中に蒸溜所は建っている。残念ながらまだ一般公開はしていないが、親会社であるジョン・デュワー&サンズがビジターセンターの設置を計画中だ。 ブラックラの設立は1812年だが、トマーティンの影に隠れてあまりその名を知られていない。現在の蒸溜所設備は、1970年頃に建設されたスチルハウスの中にある。スチルの数が2基から4基に倍増したのもその頃のことだ。 ブラックラがその名に「ロイヤル」を冠するようになったのは1835年以来のこと。だが長年にわたってブレンデッドウイスキー用のモルトウイスキーとして重用されてきたため、知る人ぞ知る存在であった。それでも昨年、デュワーズが比較的無名な蒸溜所に光を当てた「ラスト・グレート・モルツ」というプログラムを始め、ロイヤルブラックラの12年、16年、21年のボトルをリリースしたことから徐々に知名度も上がっている。   インヴァネスからさらに北へ   ロイヤルブラックラからは、アバディーンとインヴァネスを結ぶA96でインヴァネスに向かう。ケソック橋を通ってA9を北へ進み、A832からグレンオード蒸溜所を目指そう。グレンオードもまた1838年以来の長い伝統を持つ蒸溜所だが、古風なガラスをあしらった玄関を持つ蒸溜所のスチルハウスは1960年代半ばに建てられたものである。 だがここにはロイヤルブラックラよりも多くの19世紀建築が残されている。古いキルンとモルトの貯蔵庫は、昨年になって新しい仕込み室に改装された。これまでサラディン式モルトティングをおこなっていた製麦室は第2のスチルハウスとなり、既存の6基を補う新たな8基のスチルが導入されてる。いまやグレンオードはスコットランドのモルト蒸溜所で生産規模トップ5に入り、年間1,100万Lのスピリッツを生産するようになった。 ディアジオの傘下にあるグレンオードは、そのスピリッツをさまざまなブレンデッドウイスキー用に供給している。だが2006年に12年ものを発売した「ザ シングルトン グレンオード」は、アジア市場におけるディアジオの特筆すべき成功例のひとつとなった。蒸溜所のそばには、1960年代からディアジオ傘下の蒸溜所へモルトを供給している製麦工場がある。この製麦工場は、第一級のビジターセンターと合わせてグレンオードの自慢である。 グレンオードから来た道をA9まで戻り、そこから一路北へ。クロマーティ湾にもほど近い、アルネスの町を目指す。海上にはたくさんの油田掘削装置が見える。あまり風光明媚な立地とは思えないアルネス工業団地の一画に、目当てのノーザンハイランド蒸溜所、別名ティーニニック蒸溜所はあった。 グレンオードと同様に、ティーニニックもまたディアジオ傘下の蒸溜所であり、ここにも1970年に建設されたガラス張りのスチルハウスがある。このスチルハウスが建てられたのは、新規の生産ユニット「ティーニニックA」が既存の生産ユニット(以降こちらがティーニニックBになった)の隣に設置されたときであった。やがてこのユニットは廃止され、2014〜2015年にグレンオードと同様の大規模な生産拡大プログラムを実行。3組6基の真新しいスチルがすでに導入され、生産量はほぼ年間1,000万Lに達しようとしている。 ティーニニックの生産拡大プログラムの他にも、ディアジオにはエルギン近郊にある同社のローズアイル工場に倣った第2の「スーパー蒸溜所」を建設する計画があった。だが世界的なスコッチウイスキーのセールスが縮小傾向を見せたため、この計画は2014年にお蔵入りとなっている。 ティーニニックは一連のジョニーウォーカー製品のブレンドにおいて重要な役割を担っているが、シングルモルトとして味わう機会を見つけるのはたいへん難しい。唯一のチャンスは、現在のところ「フローラ&ファウナ」というブランドでボトリングされている10年ものである。 (つづく)    

ウイスキー業界の原動力、北ハイランドの蒸溜所【後半/全2回】

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ハイランドを徐々に北上するウイスキーの旅。ほとんど観光化されていないスコットランドの風景に出会いながら、ファン憧れの蒸溜所が次々と現れる。 文:ガヴィン・スミス   前回紹介したティーニニック蒸溜所は、蒸溜所の名もシングルモルトの存在もさほど広くは知られていない。だが同じアルネスにあるもうひとつの蒸溜所は、世界的にも有名だ。 ダルモアの創立はティーニニックよりも数十年遅い1839年だが、シングルモルトの有名ブランドとして長く名声を誇ってきた。最近は「コンステレーション・コレクション」などでザ・マッカランに匹敵するコレクターズアイテムとしても注目を浴びるようになっている。コアな製品も売上を伸ばし、2014年には100万本のセールスを記録した。 ダルモア訪問には贅沢なビジター施設が用意されている。見逃せないのは、オークがウイスキーに与える重要性が理解できるプログラム。蒸溜行程から異なった段階のスピリッツを取り出してノージングするという貴重な体験をするのもいいだろう。ウォッシュスチル(初溜釜)からの最初の1滴とフェイントを比較し、蒸溜による変化の多様性も理解できる。8基のスチルを擁する2棟のスチルハウスはダルモア訪問のハイライト。銅製のウォータージャケットを纏った、珍しい1874年製の第2号スピリットスチル(再溜釜)は特に見ものだ。 ダルモア訪問のついでに、かつてのインバーゴードン海軍基地へも足を延ばして、ハイランド唯一のグレーン蒸溜所(IV18 0HP)を一目見てみるのもいいだろう。一見ただの工場のようであるが、馬車馬のように稼働するグレーン蒸溜所の本質が垣間見られる場所である。ダルモアのような観光目的に沿ったシングルモルト蒸溜所の魅力はない。インバーゴードンに、花籠のような飾りは不要なのである。 再びA9に戻って北を目指すと、道の右側にグレンモーレンジィ蒸溜所が現れてくる。背景にはドーノック湾がある美しい立地。グレンモーレンジィにはスコットランドでもっとも背の高いポットスチルがあり、シングルモルトは国内売上ナンバーワンを誇っている。蒸溜所の創立は1843年で、スピリッツの生産量は年間600万L。これまでも段階的に生産力を拡大し、現在6組のスチルを擁する見事なスチルハウスが自慢だ。ずらりと並んだスチルの壮観は、どんな蒸溜所のツアーにもひけをとらないだろう。 グレンモーレンジィからA836を通って7kmほど西へ走ると、インバーハウスディス・ティラーズ が保有するバルブレアがある。バルブレアの歴史は北ハイランドにある他のどんな蒸溜所よりも長く、その設立は1790年にまで遡る。近隣にある後発の蒸溜所に比べると生産規模はやや小さく、保有するスチルも1組のみである。 バルブレアは60~70年代の増築や改築を免れたおかげもあって、少なくとも外見上は古きよきハイランドの蒸溜所の典型といった趣である。建物の中にはスタイリッシュなビジターセンターがあり、そのときに開いているカスクから自分の手で直接ボトリングが体験できる。スタンダードなバルブレアは2007年以来ヴィンテージ制を採用しており、最新のリリースは2005年のヴィンテージである。   いよいよブリテン島の最北部へ   再びA9の路上に戻って、北へと向かう。ブローラの北西のはずれで、地平線に見えてくる次の蒸溜所はクライヌリッシュだ。クライヌリッシュはディアジオ傘下の蒸溜所であり、ロイヤルブラックラ、グレンオード、ティーニニックと同様にガラス張りのスチルハウスが目印だ。これは60〜70年代にディスティラーズカンパニー社が好んだスタイルなのである。 現在のクライヌリッシュ蒸溜所は1967年に設立された施設を使用しているが、近隣にあった元祖クライヌリッシュの歴史は1819年にまで遡る。この旧蒸溜所はブローラと名前を変え、1983年以来生産を中止していた。だがその設備が無傷のまま残されていたことから、熱心なファンの間でブローラがカルト的な人気を誇るようになった。 新しいクライヌリッシュ蒸溜所は、一連のジョニーウォーカー製品の主要な原酒として重用されながら、同時にシングルモルトの販路も拡大してきた。クライヌリッシュには第一級のディアジオ流ビジター体験が待っており、蒸溜所限定の「クライヌリッシュ アメリカンオーク カスクストレングス」を購入するチャンスもある。 さあ次は、かつてのスコットランド本土最北端の蒸溜所を訪ねよう。昔はニシン漁で栄えた漁師町ウィックも、いまではやけに都会的な雰囲気に様変わりしている。プルトニーがあるのは、そんなウィックの裏通り。ビジターセンターでは船舶が主な交通手段だった頃のウィックの伝統について学べ、カスクから自分でボトリングするオプションもある。 プルトニー蒸溜所の設立は1826年。オーナーであるインバーハウス・ディスティラーズが「海のモルト」というイメージを打ち出して商品レンジを拡大したことから、シングルモルト「オールドプルトニー」は近年になってさらに知名度を増している。プルトニー蒸溜所の見どころは、ユニークなウォッシュスチルだ。瓢箪のように大きな「ボイルボール」があり、建物に収めるため切断してしまったというT字型のネックが珍しい。 このプルトニーから「本土最北端」の称号を奪った蒸溜所が、ウルフバーン蒸溜所だ。サーソー郊外のビジネスパークでモダンなビルの一画を借り、とりたてて大きな標識もなく操業している。2013年の生産開始以来、ひっそりと雑音を封じながらウイスキーをつくり続けているため、ウルフバーンにはまだビジター用の施設がない。だがその沈黙も長くは続かないだろう。最初のシングルモルトが今春発売され、北ハイランドのシングルモルト史に新しい1ページが刻まれることになるはずだ。      

大地と海のコニャック【前半/全2回】

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フランスのカミュ社が、2つのプレミアムコニャックを日本で新発売する。どちらのボトルも、生産地の風土が育んだユニークなフレーバーが特長だ。2回シリーズの前半は、コニャック地方の心臓部ボルドリーから「カミュボルドリーVSOP」をご紹介。 文:WMJ ブランデーは果実酒からつくられる蒸溜酒。なかでもフランスのコニャック地方で生産されるブドウ原料のブランデーだけがコニャックと呼ばれる。AOC(原産地統制名称)で規定され、グランド・シャンパーニュ、プティット・シャンパーニュ、ボルドリー、ファン・ボワ、ボン・ボワ、ボワ・ア・テロワールという6つのクリュに区分され、ブドウの品種はユニ・ブランを主体にフォルブランシュやコロンバールも用いられる。どれも酸が強めの品種だが、熟成中にこの酸が重要な香味成分に変化するのだ。ブドウを収穫した年の10月1日から翌年の3月31日までにシャラント式ポットスチルで蒸溜し、1度目の蒸溜で約28%、2度めの蒸溜で約70%の「オー・ド・ヴィ・ド・コニャック」と呼ばれるスピリッツができる。コニャックを名乗るにはオーク樽で最低2年以上の熟成が必要であり、熟成期間の長さで等級が決まる。VS(Very Special)は2年以上、VSOP(Very Superior Old Pale)は4年以上、XO(Extra Old)は6年以上の熟成を経た原酒をブレンドしたものだ。   このたび日本で新発売される「カミュボルドリーVSOP」は、コニャック地区で最も希少なボルドリー地区のブドウ(コニャック全体の5%)のみを使用しており、数量限定のためボトル1本ごとにナンバリングが施されている。カミュ社はこの地区では最大となる180ヘクタールの畑を所有し、5世代にわたって個性的なコニャックをつくり続けてきた100%自己資本の独立系家族経営コニャックメーカーだ。   ボルドリーというクリュの名は、コニャック地方で最初にワイン造りを始めた農家の名前に由来している。地区の中央にはシャラント川が流れ、かつては水上交易で英国やオランダへワインが運ばれた。カミュ社の創設者であるジャン=バティスト・カミュが、この地で初めてコニャックをつくり始めたのは1863年のこと。そんな歴史からも、ボルドリーは「すべてが始まる場所」と呼ばれるコニャックの心臓部なのである。   「カミュボルドリーVSOP」が注がれたグラスを片手に、テイスティングが始まる。手引きしてくれるのは、カミュ社のグローバル・ブランド・アンバサダーを務めるフレデリック・ドゥゾジエ氏だ。グラスを鼻に近づけると、花やバニラのようなアロマに包まれる。ほんの少量だけ口に含むと、滑らかな口当たりとリッチな味わいが印象的だ。   「カミュボルドリーVSOPには、4年から32年熟成の原酒をブレンドしています。熟成の秘密を少しだけ明かすと、ポイントになるのは2種類のセラー(貯蔵庫)。湿度の低いドライセラーは乾燥しているため、水分が揮発してアルコール度数の高いドライな原酒になります。一方のヒュミッドセラーは水よりもアルコールの揮発が多いためアルコール度数が低くなり、丸みのある飲み口になります。このふたつをうまく管理することで複雑なフレーバーが生まれるのです」   ヒュミッドセラーのほうが、いわゆる天使の分前が多いのだと説明するフレデリック氏。年間2.8%も蒸発するというから、この地方の天使たちは毎年2,200万本ものコニャックを飲み干していることになる。   風土の特性を最大限に引き出す   フレデリック氏いわく、ボルドリー地区はマイクロクライメートに富んでいる。ブドウ畑の限られた範囲内でも、気候や土壌などの微妙な差異が豊かなのだ。   「収穫直前にブドウ畑を歩くと、果皮に焼けたような色がついているのに気づきます。ちょうどバカンスで日焼けしてきた人のような色ですが、重要なのはこの果皮に含まれるベータカロテン。ベータカロテンは醸造の過程でベータイオノンに変化し、スミレやアイリスのような香気成分になります。フローラルな香りがお好きな女性なら、香水にも使えるほどですよ」   そしてボルドリーには、素晴らしいテロワールもある。他のコニャック地方とは、土壌の層が微妙に異なるというのだ。   「コニャック地方のクリュがどこも石灰質の土壌であることに違いはありませんが、ボルドリーは同じ石灰質でも土壌が3層構造になっています。一番深い石灰岩は、爽やかさや酸味のもと。水はけのよい中間の粘土層はふくよかさのもと。そして表層の火打石からはミネラル感がもたらされます。地中深くまで張ったブドウの根から、複雑な味わいの要素が得られるのです」   蒸溜の方法は、150年以上前から変わっていない。特にワインの底に沈殿した澱(おり)ごと蒸溜するのが、カミュ社のこだわりだ。   「この澱には、豊富な香気成分になるエステルや、リッチな風味のもとが含まれています。大量生産を目指さないカミュ社では、今でも小型のポットスチルで高品質を維持しています。自然なフレーバーが最大の優先事項なので、オーク樽のタンニンは最低限に抑えるよう配慮しています」   ストレートのカミュボルドリーVSOPとは別に、フレデリック氏は特別なカクテルも用意してくれた。その名も「ボルドリー・フレシェール」。まずはミネラルウォーターにレモンジュースとショウガを入れて軽く煮立て、粗熱をとってから凍らせる。こうしてできたジンジャーアイスを、ボルドリーVSOPが入ったグラスの中に落とせばできあがりだ。ショウガの温かな風味が、ボルドリーのフレッシュさ、ミネラル感、フローラルな特長などを際立たせる。   「温度が変化するにつれ、アロマが徐々に変化していくのがわかりますか? このスミレを思わせるフローラルな香りが、ボルドリーの真骨頂なのです」   (つづく)   カミュ社の歴史、哲学、商品に関する詳細情報はこちらから。  

カナディアンの至宝と呼ばれたライウイスキー【前半/全2回】

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  ロッキー山麓の台地で育まれ、最高のカナディアンと評されたウイスキーが日本にやってきた。香ばしいアルバータのライ麦からつくられた2つの銘酒を手に、カナディアンウイスキーの歴史をマスターアンバサダーが語り出す。 文:WMJ 写真提供:カナダ・アルバータ州政府   「世界5大ウイスキー(スコッチ、アイリッシュ、アメリカン、カナディアン、ジャパニーズ)の中でも、カナディアンは比較的歴史の新しいウイスキー。でもカナダ建国前の18世紀半ばから、スコットランド、アイルランド、ドイツなどからの移民がそれぞれの知識を駆使してからウイスキーをつくり始めていました」 カナディアンウイスキーの歴史を紐解くダン・トゥリオ氏は、カナディアンウイスキー界のゴッドファザーと呼ばれる人物である。35年間にわたって母国のウイスキーづくりに従事してきた彼が、東京の在日カナダ大使館で特別なセミナーを開催するために来日している。 「日本でもお馴染みのカナディアンクラブは、1856年にハイラム・ウォーカーがオンタリオ州ウォーカーヴィルで創業しました。1920~1933年のアメリカ禁酒法時代には、アメリカの友人たちの渇きを大いに癒やしたものです。つまりあのアル・カポネも、カナディアンウイスキーの成長に貢献した重要人物のひとりでした」 トゥリオ氏いわく、カナディアンウイスキーの大半はブレンデッドウイスキーである。コーン、ライ麦、大麦、ライ麦麦芽、大麦麦芽、小麦などの穀類を使用し、カナダで蒸留し、小さな樽で、最低3年間貯蔵しなければならない。 そしてカナディアンウイスキーは、その多くが「フレーバリングウイスキー」と「ベースウイスキー」をブレンドしてつくるのが大きな特徴なのだという。これはスコッチでモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドする手法にあてはめると理解しやすい。 グレーンウイスキーに相当するベースウイスキーの原料は、安価でアルコール収率が高いコーンが主力。アルコール度数約13%のマッシュを連続式のコラムスチルで2回蒸溜し、約94%のピュアなスピリッツを生み出す。 一方のフレーバリングウイスキーには、主にライ麦、ライ麦麦芽、大麦麦芽などが使用されている。こちらはフレーバーを逃さないよう単式のポットスチルで蒸溜し、取り出した度数64%のニューメイクをオーク樽で熟成することになる。   ロッキー山麓のライ麦から生まれるアルバータの銘酒   「カナディアンクラブがつくられるカナダ東部のオンタリオ州は、夏が長く、日照時間も降雨量も十分で、コーン栽培にぴったりの土地です。でも私が今日紹介したいのは、カナディアンウイスキーが誇るもうひとつの重要な生産拠点。カナダ西部にあるアルバータ蒸溜所のウイスキーです」 1946年に創設されたアルバータ蒸溜所は北米最大規模のライウイスキー蒸溜所として知られ、ここで生産されるライウイスキーは北米の他の蒸溜所で生産されるライウイスキーの総量よりも多い。自社製品はもちろん、高品質なライウイスキーのサプライヤーとして、70年にわたって北米のウイスキーづくりを支えている。 アルバータ蒸溜所は、世界的なマウンテンリゾートとして知られるアルバータ州カルガリーの近郊にある。カナディアンロッキー東麓に広がる標高1,048mの台地で、氷河を水源とする清冽なグレイシャルウォーターに恵まれた土地だ。 アルバータ州の面積は約6万平方キロで、日本の2倍近くもある。245の川と600以上の湖が潤す広大な大地では高品質な農作物が育ち、主要作物のひとつがライ麦だ。プロジェクターに映し出されたアルバータの風景を眺めながらトゥリオ氏は語る。 「まさに絵に描いたような自然の美しさ。でも決して過剰な演出ではありません。アルバータの男たちは、今でも本当にカウボーイハットをかぶっているんですよ」 アルバータ州のライ麦は、日本のパン職人たちにも重用されている。生育期間が短く、乾燥していて、昼夜や季節間の気温差が大きいため、濃縮された豊かな風味が宿るのだ。この特別なライ麦が、カナディアンの至宝と呼ばれるウイスキーをつくる。 「さあ、何はともあれ、私たちのライウイスキーを味わっていただきましょう」 (つづく)   アルバータ プレミアム 容量750ml 希望小売価格1,800円(税別) 度数40%

大地と海のコニャック【後半/全2回】

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コニャックの中心地ボルドリーから、潮風が吹き抜ける大西洋へ。カミュ社の「イル・ド・レ クリフサイドセラー」は、海のアロマをたっぷりと吸い込んだ個性的なコニャックだ。グローバル・ブランド・アンバサダーのフレデリック・ドゥゾジエ氏と共に味わってみよう。 文:WMJ   「さて今度は、ボルドリーから西の果てまで旅をしてみましょう。コニャック地方は、インスピレーションの源です」 カミュ社のグローバル・ブランド・アンバサダー、フレデリック・ドゥゾジエ氏が、もうひとつのボトルを取り出す。どっしりとしたデザインが、コニャックというよりもウイスキーを連想させるボトルだ。フレデリック氏はフランスの地図を広げて、このお酒の生産地を示す。そこはなんと海の上だった。 コニャック地方といえば、うねるような大地に広がるワイン畑が思い浮かぶ。だがその反面、この地方が大西洋に面しているのを意識したことはなかった。 カミュ社のコニャック「イル・ド・レ クリフサイドセラー」は、コニャック地方最西端に位置する大西洋上の島「イル・ド・レ」(レ島)でつくられている。 「イル・ド・レは、空気の匂いもボルドリーと異なります。熟れたブドウを摘んで口に含んでみると、ほのかな塩味を感じることでしょう。イル・ド・レ産のブドウは、本土の10倍も塩気が強いのです。カミュ社5代目のシリル・カミュは、この特徴的な風土を新しいコニャックづくりに活かそうと考えました」 本土のコニャック地方に比べて、イル・ド・レは気温差が少ない。太陽の光もほどよく降り注ぎ、砂質の土壌と湿った空気もブドウ栽培には理想的だ。天候の変化も穏やかで、ブドウも順当な成長が見込めるのだという。 現在カミュ社はイル・ド・レに350ヘクタールの畑を農家と契約し、ユニ・ブラン種のブドウを栽培している。ここで湿った潮風に吹かれたブドウからワインを造って蒸留すると、塩気とヨード分を含んだ独特の風味を持つコニャックが生まれるのである。 「面白いのはこれからです。この島で10年以上熟成した原酒を、特別なセラーでフィニッシュします。そのセラーがある場所は、海からわずか25メートルしか離れていない、16世紀の要塞フォール・ド・ラ・プレ内にある専用セラーです」 そうやって潮風にさらしてできたコニャックが「イル・ド・レ クリフサイドセラー」だ。クリフサイドセラーとは、すなわち崖っぷちの貯蔵庫という意味。時には嵐で波をかぶり、屋根から海水が滴り落ちてくるワイルドなセラーだとフレデリック氏は説明する。   波の音が聞こえるコニャック   「海洋性のキャラクターを引き出すために、さまざまな工夫をしています。やや低温でワインを醸造し、蒸溜時にもポットスチルに加える温度や冷却温度を調整することで、イル・ド・レならではの特長を際だたせるのです。クリフサイドセラーでのフィニッシュ期間は10~12カ月程度。湿度が高ければ期間を短く、乾燥していれば長く調整します」 グラスからストレートで味わうと、まさに海沿いの蒸溜所でつくられたスコッチウイスキーを思わせる潮のアロマがある。エレガントな甘味に、さっぱりとしたドライな感触。コニャックのまろやかさを完全に保ちながら、体験したことのない複雑さを宿している。 「どうですか? これが、波の音が聞こえる唯一のコニャックです」 味わいは複雑だがバランスは強固で、ストレートでもオンザロックでも独特な風味は崩れない。フレデリック氏はそう請け合うと、さらにとっておきの楽しみ方も教えてくれた。 「海のフレーバーが溶け込んでいるので、もちろんシーフードとの相性も抜群です。生牡蠣を食べた後、貝殻に直接このイル・ド・レを少量入れて、残っている海水といっしょに飲んでみてください。このコニャックだけに許される最高のカクテルです」 カミュ社は「クリフサイドセラー」の他にも2種類のイル・ド・レ産コニャックを日本で販売している。「ファインアイランド」は、海のキャラクターを活かすために大きめのオーク樽で熟成した軽めのタイプ。フレンチハイボールで飲んでみたが、非常に爽やかな飲み心地だった。また「ダブルマチュアード」は、島で2年間熟成した後に樽から原酒を取り出し、樽の内側にチャーを施して本土で再熟成する。生来の海っぽさに加えて、樽から授かったスモーキーな特徴も備えた濃厚な味わいだ。 今回カミュ社が日本でリリースする「ボルドリーVSOP」と「イル・ド・レ クリフサイドセラー」には、コニャックの伝統と未来が宿っている。生粋のコニャック党はもちろん、コアなウイスキーファンにもおすすめであることは言うまでもないだろう。   カミュ社の歴史、哲学、商品に関する詳細情報はこちらから。  

カナディアンの至宝と呼ばれたライウイスキー【後半/全2回】

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ライウイスキーの魅力を余すところなく伝える新商品「アルバータ プレミアム」と「アルバータ ダークバッチ」をテイスティング。国の至宝と称えられる理由が、いま明らかになる。 文:WMJ 写真提供:カナダ・アルバータ州政府   このたび日本で新発売されたアルバータ蒸溜所のウイスキーは2種類。そのひとつ「アルバータ プレミアム」は、ライ麦100%のウイスキーである。 「糖化時に大麦麦芽を使用することを除けば、原料の穀類にコーンも大麦も小麦もつかっていません。フレーバリングウイスキーも、ベースウイスキーも、100%ライ麦だけを使用した贅沢なウイスキーなのです」 ダン・トゥリオ氏がこの点を強調するのには訳がある。アメリカでもカナダでも、ライウイスキーは法定ぎりぎりのライ比率51%でつくられることが多い。フレーバーが豊かな反面、コーンよりデンプン量の少ないライ麦は、生産コストを押し上げてしまうからだ。 さらにアルバータ州のライ麦は生育期間が短く、少量のデンプンが分厚いタンパク質で保護されているため糖化がやりにくい。この難問を突破したのが、特許取得済みの糖化酵素だ。また木製のウォッシュバックでおこなう発酵工程でも、高効率の酵母が威力を発揮する。化学のイノベーションによって、アルバータ蒸溜所は早期からライウイスキー生産の効率を高めてきたのである。 「生育期間が短い分、アルバータ産のライ麦は風味が濃厚です。他地域のライ麦をバニラに例えるなら、アルバータ産のライ麦はチョコレート。それくらいコクのある風味がウイスキーでも表現されています」 トゥリオ氏は比較テイスティングの材料として、アメリカ産のライウイスキーを用意していた。ライ比率51%、新樽2年熟成のタイプで、新樽らしいスパイスや酸味が持ち味だ。 そんなごく一般的なライウイスキーの後にライ麦100%の「アルバータ プレミアム」を味わうと、まずは舌触りの滑らかさに驚く。上品な甘味があり、スパイスはあくまでやわらかで深い。新樽60%、古樽40%の比率でカスクの影響をマイルドに仕上げているのである。 「美味しいでしょう? これが私たち自慢の味です。アルバータへようこそ!」 トゥリオ氏が誇らしげにグラスを掲げた。1958年の発売以来、「アルバータ プレミアム」は地元アルバータ州で売り上げナンバーワンのスピリッツである。ジム・マーレイ氏の『ウイスキーバイブル』では、4年連続でカナディアンウイスキー・オブ・ザ・イヤーに認定され、国の至宝という最大級の賛辞が贈られた。その表現も、決して誇張ではないと今ならわかる。   大胆なブレンドから生まれた濃厚な風味   もうひとつの新発売商品「アルバータ ダークバッチ」は、ライウイスキー91%、バーボン8%、シェリー酒1%をブレンドしたウイスキーである。 「シェリーとバーボンをブレンド? それでカナディアンウイスキーと呼べるの? 実はカナディアンウイスキーには、最低2年間の熟成がなされてさえいれば、内容の9.09%まではどんな原酒をブレンドしてもいいという規則があります。この自由度をうまく使ったクラフトスタイルのウイスキーがダークバッチなのです」 テーブルには、この「ダークバッチ」の原酒4種類が並んでいる。フレーバリングウイスキーは、ポットスチルで蒸溜し、新樽で6年間熟成したライ麦100%の原酒。なめらかでクリーミー、ライ麦と新樽由来のおだやかなスパイスがある。ベースウイスキーもライ麦100%だが、コラムスチルで蒸溜して古樽で5~12年熟成したもの。もともと度数94%なのでピュアなアルコールの力強さがある。ここから先が、カナディアン以外のブレンド要素だ。ひとつはライ比率が高いケンタッキー産バーボン。このバーボンを8%ブレンドするのは、既存のバーボンファンへ門戸を開く狙いもあるのだとトゥリオ氏は明かす。そして最後の原酒が、ペドロヒメネスのオロロソシェリー。加水していない度数38%の濃厚な味わいだ。これをわずか1%加えるだけでも、ウイスキーは濃い赤銅色に染まり、シェリー特有のアロマが授けられる。 ひととおり原酒を理解した上で、「アルバータ ダークバッチ」を味わう。この重層感は驚きだ。シェリーの甘味を感じるやいなや、舌の両側をライ麦のやわらかなスパイスがくすぐる。バニラ、プラム、カシスなどの風味が、複雑な深みを感じさせながら余韻を持続させる。 「力強い風味のウイスキーがほしいという要望に応えたウイスキーです。おかげさまで、コアなファン、バーテンダー、ミクソロジストたちの評価は高く、オールドファッションドなど禁酒法スタイルのカクテルにもあうと評判です」 ライ100%の風味を活かしたウイスキーづくりに加え、この約9%の自由から革新的なフレーバーを提案できるのもカナディアンウイスキーの魅力といえるだろう。トゥリオ氏は、アルバータのウイスキーを外国で販売するのは日本が初めてなのだと明かした。 「これまでの調査から、アルバータのスムースな味わいが日本の皆様の嗜好にぴったりだと確信しています。カナディアンウイスキーは、楽しくくつろぎながら、友情を深めて人々の絆を深めるためのウイスキー。ぜひ大切な人と一緒にじっくりと味わってください」   アルバータ プレミアム 容量750ml 希望小売価格1,800円(税別) 度数40%

未来を切り開くデンマーク産ウイスキー【前半/全2回】

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  1999年にスウェーデンでマクミラ蒸溜所が誕生して以来、個性的な生産拠点が増えているスカンジナビア。ウイスキー新興国のデンマークでも、ベンチャー精神に溢れたブランドが立ち上がっている。旅する2人組のウイスキージャーナリスト、ハンス・オフリンガによるレポート。 文:ハンス・オフリンガ   デンマークは面積が日本の1割強、総人口が東京の半分以下の約550万人という小さな国。だがここで生産されるウイスキーは、急速にニッチ市場を拡大させている。業界大手もこの動きを重要視しており、近頃ディアジオがデンマーク西岸にあるスタウニング蒸溜所に1000万英ポンド(約16億円)の 投資をおこなって話題になった。 スタウニング蒸溜所は、デンマーク北西海岸のユトランド地方にあるスタウニング村でウイスキーづくりを始めてもう10年ほどになる。最初のスピリッツがスペイン製のポットスチルから流れだしたのは2006年8月のこと。現在はアンピーテッドシングルモルト、ピーテッドシングルモルト、そしてヨーロッパでは珍しいモルテッドライの3種類を生産している。 スタウニングは、それぞれ職業も異なる30代前半から50代後半までの9人が仲間同士で設立した。エンジニアが4人、医者、肉屋、教師、調理人、パイロットが各1人という構成である。みなデンマークの伝統に誇りを持っており、地元産の大麦、ライ、ピート以外の原料は使用しない。 スタウニング蒸溜所は特別な公開日を除けば、予約なしでの訪問には対応していない。現在のところ、蒸溜所ツアーはデンマーク語とドイツ語で実施されている。詳しくは同社のウェブサイトをご参照のこと。www.stauningwhisky.dk デンマークはバイキングの国である。11世紀初頭に、デンマーク王でありながらイングランド王とノルウェー王を兼ねたクヌート1世が有名だ。彼の祖父にあたるハーラル1世の英語名はハロルド・ブルートゥースで、通称「青歯王」。いまやIT製品のワイヤレス接続に欠かせない技術として世界的に有名な名前でもある。 ハーラル1世の父親は初代デンマーク王とされるゴーム老王で、その威光を示すためにハーラル1世が世界遺産のイェリング墳墓群を造った。イェリング墳墓群はユトランド半島中部にあり、1世の偉業がルーン文字で刻まれている。10世紀の石碑は保存状態もよく、文字を解読するとこんなことが書いてある。 「ハーラル王は、父ゴームと母チューラを記念して碑を建てる。ハーラル王はデンマークとノルウェーを統一し、デーン人をキリスト教へ改宗させた」 古きバイキングたちがヨーロッパを去って久しいが、今やウイスキーによる攻勢が平和裏に進められている。スタウニングの他にも注目すべきバイキングウイスキーの生産者をご紹介しよう。   現代の農場蒸溜所、ファリーロカン   イェリングからもさほど遠くないファー村に、イェンス・エリック・ヨルゲンセンが設立したファリーロカン蒸溜所がある。スコットランドのエドラダワー蒸溜所を訪ねたとき、イェンスは自分が理想とするスタイルに出会ったのだという。そのスタイルとは、田舎町での小さなファームディスティラリー(農場蒸溜所)だった。2009年に建設を開始し、同年12月31日に初めてのスピリッツを蒸溜。その後2013年まで待ってから公式にファリーロカンをオープンし、同時に3年熟成のシングルモルトを発売した。 ファリーロカンは、製麦されたモルトをスコットランドから輸入している。その一部は蒸溜所内でスモークされ、ノンスモーキーモルトとスモーキーモルトの2種類が用意される。ピートの代わりに、イラクサを燃料に使うのが特徴だ。これはイラクサでスモークしたチーズなどの伝統食材を作るイェンスの母親からヒントを得たのだという。 ファリーロカンの施設は、すべてが小ぶりだ。木の床でできたモルティングフロアは防水シートで半分だけ覆われている。家畜の餌を粉砕するために使用されていたという小さなモルトミルもある。ウォッシュスチルとスピリットスチルは、エドラダワーのモデルを参考にしてフォーサイス社が製造した。 理論上、この小さな蒸溜所が生産できるのは年間14,000本ほどのウイスキーである。イェンスと同社のクルーは敷地内で設備を拡張中。現在の生産規模では国外に販売するネットワークを持てないため、すべてのボトルは国内で消費されている。 ファリーロカンが生産するウイスキーは4種類。サマー(ノンスモーク)、フォール(ピートレベル1 ppmの原酒をシェリー樽で6カ月フィニッシュ)、ウインター(ピートレベル15 ppm)、スプリング(ピートレベル7.5 ppm)と、四季をテーマにした構成だ。4年熟成の「サマー」(度数46%)と3.5年熟成のウインター(度数54%)を試飲してみた。どちらも豊かな味わいがあるが、やや若く、刺々しさが残っている。だがあと数年もすれば、ファリーロカンのウイスキーは間違いなく熟成の恩恵を受け始めることになるだろう。  

未来を切り開くデンマーク産ウイスキー【後半/全2回】

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デンマークで徐々に隆盛しつつあるウイスキーづくり。前回のスタウニングとファリーロカンに引き続き、氷河の氷と美しい古城でウイスキーをつくるブラウンスタインの取り組みをご紹介。 文:ハンス・オフリンガ   トーブヘレネでは、デンマークウイスキーのファンたちと楽しい夜を過ごした。会場はヴァイレ中心部にある素晴らしいホテルで、そこのホテルバーがスコッチモルトウイスキーソサイエティのデンマーク支部になっていた。 翌日はヴァイレから西へ。デンマークの首都コペンハーゲンから南に車で45分ほどの美しい古都キューエに入る。この町にあるウイスキー蒸溜所が、ブラウンスタイン・ブリュワリー&ディスティラリーだ。同社はクラウス・ポールセンとミケール・ポールセンの兄弟によって2004年に設立された。 古い港のそばにある施設に着くと、セールスとマーケティングを担当しているミケールがあたたかく出迎えてくれた。美しいテイスティングルームに腰を落ち着けると、ミケールがブラウンスタインの成り立ちについて説明を始めた。 曽祖父が設立した鉄骨製作工場の跡取りとして育ったポールセン兄弟のもとに、2000年頃「断ることができないオファー」が届く。競合する大手企業に家業が買収され、兄弟は突然まとまった資金を手にする。起業家の血を引く2人は、今こそ新しい挑戦のときだと考え、ウイスキー蒸溜を始めるために古い港にあった穀物倉庫跡を購入した。 兄弟にとって、ウイスキーは決して異国の存在ではなかった。父も祖父もスコットランドに造詣が深く、よく兄弟が小さな頃からスコットランドに旅行をしていたのである。彼らはスペイ川で鮭釣りをし、有名なクライゲラヒーホテルに宿泊した。父と祖父はいくつかの蒸溜所を訪ねて、ウイスキーを樽ごと購入していた。この慣わしは2010年まで続いたのだという。 ミケールが会社の頭脳なら、クラウスは嗅覚である。兄弟はすぐに穀物倉庫跡で蒸溜所を設立したかったが、デンマーク政府がライセンスを発行してくれなかった。兄弟は方針を変更して、小さなビール醸造所用に書類を書き換え、首尾よく2004年から生産を開始。そこから1年をかけて取得済みのライセンスがウイスキー蒸溜も含められるよう政府と交渉した。つまり公式なブラウンスタイン・ウイスキー蒸溜所の設立は2005年ということになる。 現在の従業員は8人。全員が複数の業務を担当しながら、同じ賃金で働いている。我々が訪問した2015年の段階で、すでに12,000人のウイスキーファンがブラウンスタインを訪問済みだった。蒸溜は週6日、朝4時〜夕方6時におこなわれている。ブラウンスタインは、ウイスキーの他にジン、ウォッカ、アクアヴィットを蒸溜している。そしてもちろんビールもある。同日に試飲したビールは、非常に風味豊かで美味しかった。   兄弟が拡大するベンチャービジネス   ブラウンスタインは、ユトランドで製麦された大麦からノンピーテッド・ウイスキーを生産している。その一方で、ピーテッド・ウイスキーは少々変わったルートをたどって入手する。デンマーク産の大麦をアイラ島のポートエレンに運び、ピートの煙で製麦と乾燥を済ませてから再びキューエに送り返すのだ。蒸溜設備はポットスチルとコラムスチルの組み合わせによって成り立っており、1バッチ1,250Lを生産できる。そして第3のウイスキーは、やや変わり種の「ダニッシュコーンウイスキー」だ。デンマーク産のトウモロコシから年間約5,000Lを生産する。年間総生産量はスピリッツ全体で約80,000L。そのうちウイスキーは年間15,000本である。現在のところ、ブラウンスタインはデンマーク海軍の安全基準によって生産量を制限されている。蒸溜所がある場所が、軍事的に重要な港だからだ。 発酵時間はおよそ80時間で、2種類の酵母菌株が使用される。アメリカと同様に、酵母菌株はブリュワリーからいつも生きたものが手に入る。2種類の酵母菌株は、それぞれピーテッドウイスキーとノンピーテッドウイスキーに使い分けられる。 ブラウンスタインは、蒸溜所の敷地内で貯蔵をおこなわない。貯蔵庫はデンマーク各地に散らばっており、多くが古城の敷地内にある。ミケールによると、そのような不動産物件のオーナーが、安価で長期の賃貸に応じてくれるのだという。ハムレットの舞台であるヘルシンゲルのクロンボー城でも、ブラウンスタインのカスクが眠っている。そのような話を聞くと、フレデリク王太子がブラウンスタインの出資者であるという事実に驚きは感じない。 我々が訪問した時点で、60万Lのブラウンスタイン・ウイスキーがデンマーク各地の貯蔵庫で熟成中だった。カスクは主にバーボンバレルとシェリーバットであり、小規模ながらラムカスクも使用している。ミケールが笑いながら説明したところによると、彼らはまずカリブ海のアメリカ領ヴァージン諸島にあるセントクロイ島でラムを樽ごと買い、中身のラムはスウェーデン人に売って、空いた樽に自分たちのスピリッツを詰めるのだという。兄弟は200L樽で最低5年間熟成したウイスキーを、年間100~150樽のスモールカスクに入れ替える。ウイスキーファンはこのカスクを買って貯蔵地を選び、ボトリングのタイミングも決められる。 オフィシャルのボトリングである「ライブラリー・エディション」については、ミケールとクラウスが2人でボトリングのタイミングを決める。すべてのバッチが、先行の他バッチと異なる。ほとんどのウイスキーは度数約46%でボトリングされ、グリーンランドの氷河から得られる特別な水を加えて調整される。この取水地は、ブラウンスタインが旧魚肉加工工場から25年契約で借りているもの。氷河から自然に削り落とされた巨大な氷を800kgのブロックごとに分け、溶かして濾過をほどこし、25,000Lのコンテナに詰め込んで6週間おきにデンマークまでロイヤルグリーンランドシッピングカンパニーが船で輸送する。このような特別なウイスキー体験を拒む手はない。キューエから車で5分のヴァロ城で、テイスティングを楽しむことにした。 ミケールの楽しい話を聞きながら、何時間も過ごして蒸溜所を後にする。手土産にはブラウンスタインの哲学と見事な写真が掲載された美しい本をいただいた。ウイスキー評論家のチャールズ・マクリーンがデンマーク語で前書きを寄せている。 ブラウンスタインのウイスキー哲学は極めて単純明快だ。「ウイスキーは万人のもの」。ウイスキーは、それぞれの人が思い思いに楽しむものであり、ブラウンスタインのウイスキーが好みではない人がいても一向にかまわないとポールセン兄弟はいう。彼らは独自のダニッシュウイスキーをつくり、一度でもいいから味わってもらえたら満足なのだ。 好きでも好きじゃなくてもかまわない。兄弟はそう言ったが、私たちはウイスキーの味わいに大満足だった。  

北陸の秘宝「三郎丸1960」が55万円で限定発売

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富山県の小さな蒸溜所から、55年もののシングルモルトウイスキーが発売される。その名は「三郎丸 1960 シングルモルト55年 カスクストレングス」。秘密を探るべく、富山県砺波市の若鶴酒造内にある三郎丸蒸留所を訪ねた。 文:WMJ 写真:チュ・チュンヨン   高岡を出発した2両編成のディーゼル車は、のどかな田園を眺めながらゴトゴトと走る。散居村の屋敷森が点在する砺波平野は、かつて加賀百万石を支えた穀倉地帯だ。飛騨高地から花崗岩層を通って流れる庄川の水が扇状地を潤し、どんな日照りの年にも水不足に悩まされることはない。 油田駅を降りると、若鶴酒造は目の前にある。2013年に創業150年を迎え、富山で知らない人はいない酒造りの名門だ。だがこの敷地内にある「三郎丸蒸留所」の存在を知っている人は決して多くない。戦後間もない1952年より細々とモルトウイスキーを蒸溜しており、地ウイスキー「サンシャインウイスキー」などのロングセラー商品も生産してきた古参のマイクロディスティラリーである。 若鶴酒造の工場敷地内に入ると、1922年に建てられた「大正蔵」が出迎える。木造切妻造を取り入れた見事な工場建築で、現在は資料館を兼ねたビジターセンターとしてイベントなどに利用されている。 若鶴酒造の歴史は平坦なものではなかった。江戸時代末期に加賀藩から免許を受けて酒造り始めた人々が、この砺波の地で若鶴酒造を創立したのが1918年。昭和の金融恐慌にあえぐ1927年には、周囲の反対をよそに巨費を投じて深井戸を掘った。この井戸から得られる伏流水が、現在に至るまで若鶴の酒づくりを支えている。 ウイスキーづくりが始まったのも、戦争という惨禍がきっかけだった。富山空襲などで酒販網が壊滅し、米の統制により清酒の製造は往時の10分の1までに激減、満足に清酒が造れない局面を打開するために蒸溜酒部門への進出を決意した。1947年に若鶴醗酵研究所を設立。自力で獲得した技術によって1949年にアルコール製造免許を取得。1952年にはウイスキーとポートワイン製造の免許も取得した。 そしてサンシャインウイスキーを発売するが、翌1953年には工場施設約1,000坪を焼失。万事休すかと思われたが、地元の人々の協力によって半年かからずに復興したという逸話がある。また1989年の酒税法改正で94%の地ウイスキーづくりが廃れたときも、もともとモルト比率が高かったサンシャインウイスキーはしぶとく生き残った。いつの時代も、逆境をバネに成長してきた酒造メーカーなのである。   三郎丸蒸留所のモルトウイスキーづくり   ウイスキー蒸溜棟は、工場敷地の奥まった場所にある。瓦屋根の古い建物で、入り口には「三郎丸蒸留所」と筆書きされた木の看板。ここの住所が砺波市三郎丸で、三郎丸(さぶろうまる)とは田んぼの区割りが語源なのだという。 この蒸溜所は木造合掌造りで、上層部に骨組みを設けて、下に広い作業空間を確保している。もともとは金属加工の軍需工場を移築した建物だというから、歴史は戦前にまで遡る。 薄暗い内部に入ると、5,000Lはありそうな仕込み樽が目に飛び込んでくる。吉野の杉と能登の竹でつくられた第一級の工芸品だ。蒸溜所を案内してくれるのは稲垣貴彦氏。この地で酒造りを始めた稲垣小太郎氏の曾孫にあたり、自身もウイスキーの大ファンである。 「焼酎はもう何年もつくっていないので、設備はほぼウイスキー専用になっています」 ウイスキーづくりの設備は、わりとコンパクトにまとめられている。手前にウォッシュバックと一番奥にマッシュタンがあり、間にシルバーのポットスチルが鎮座している。 三郎丸蒸留所で生産するモルトウイスキーは年間2,000L。日本酒やリキュールが一段落する7月中旬から8月いっぱいまで、毎年真夏の作業なのだ。蒸溜の責任者である矢口恵一氏が説明してくれる。 「ウイスキーの担当は4人で、ひとたび始まったら休みなく続きます。真夏なので温度管理が大変ですね。気温が高いので発酵が鈍りますが、日本酒造りのノウハウも活かしながらウイスキーを仕込んでいます」 温度管理では、おそらく冷たい地下水も役に立っているのだろう。使用している原料は、一貫してスコットランド産の50PPMのピーテッドモルトであるという。そういえば、サンシャインウイスキーには確かにしっかりとしたピートのスモーキーな感触があった。酵母は昔からビール酵母を使用している。「ウイスキー用酵母なんて昔はなかったし、どこで入手できるのかわからなかったからね」と矢口氏は語る。 ポットスチルは古い国産のもので、珍しいステンレス製。容量は1,000Lだという。この1基で初溜と再溜の両方をまかなうのが三郎丸のスタイルだと稲垣氏が明かす。 「火災後には日本で5社にしかなかったというフランスのメル社製アロスパス蒸溜器で蒸溜していました。おそらく蒸溜器を導入したときに、日本蒸溜工業から指導を受けて蒸溜の基礎を学んだのでしょう」 スチルのネックはストレート型で、ラインアームは下向き。つまり三郎丸蒸留所のウイスキーは力強いフレーバーだと考えてほぼ間違いない。カットは初溜でアルコール度数50%を基準にしているのだと矢口氏が教えてくれた。 蒸溜棟を出て、貯蔵庫に向かう。日本酒や酒粕の保存庫と共用の建物なので、酒粕の匂いが立ち込めていた。「この匂いがウイスキーに移っちゃうかもしれませんね」と稲垣氏は笑うが、酒好きにとっては嫌な匂いではない。若鶴のロゴが入ったバーボン樽の他に、大小サイズの異なる樽も並んでいた。 「過去にはポートワイン製造のため山梨で購入した赤ワインの空き樽を利用していました。現在はバーボン樽がほとんどですが、赤ワイン樽などの実験も進めています。これからは樽のバリエーションを増やしていければと思っています」 樽の数が少なく、専門のブレンダーもいないので、みんなでブレンドを考えてボトリングする。まさに手づくりのウイスキーだ。   55年熟成のウイスキーの味は?   さて今回発売されたのは、55年の歳月を経て熟成された「三郎丸 1960 シングルモルト55年 カスクストレングス」。度数は47%で、限定155本という超希少品だ。富山の薬瓶をルーツとする吹きガラスのボトルに入り、桐箱と真田紐もついている。55万円という値段は希少性から考えると良心的かもしれない。1年1万円と考えても、その価値は十分にあるだろう。この樽は昨年、貯蔵庫にあるのを「再発見」されたのだと稲垣氏が発売のいきさつを教えてくれた。 「数年前に20年もののシングルモルトを限定品としてリリースしたら好評をいただき、同様のボトリングを続けようと考えていました。現在も貯蔵庫には、少量ですが小太郎おじいさんの遺産が眠っている状態です。これを活かすには、ひとつひとつの樽を見て判断していかなければなりません。同時に新しい原酒もつくっていきたいと考えており、北陸の活性化に貢献できればと思っています」 富山市内でBAR白馬館を経営し、日本バーテンダー協会富山支部長を務める内田信也氏は、三郎丸蒸留所のウイスキーを長年見続けてきた地元ウイスキーファンの一人である。今回のボトルもさっそく試飲し「長期熟成を経たブランデーやラムのような素晴らしい芳香」と評している。 このウイスキーの発売を機に、これから三郎丸蒸留所では徐々に本格的なシングルモルトウイスキーにも力を入れていく方針のようだ。稲垣氏が今後のビジョンを語ってくれた。 「私が考える理想のウイスキーは、富山らしいウイスキーです。富山の人は、第一印象では頑固な感じがしても、長く付き合っていれば優しさや丸みが感じられるのが魅力。そんなタイプのウイスキーが私自身も好きなのです」 老朽化した三郎丸蒸留所の建物も、過去の雰囲気を残しながら修復したい。銅製のポットスチルを導入して、初溜釜と再溜釜のセットにしたい。伝統のピーテッドモルトだけではなく、原酒の幅を増やしたい。稲垣氏の夢は大きく、細部まで具体的だ。 三郎丸蒸留所の前には、カシの苗木が植えられていた。この木が大きく育って樽材となり、その樽で熟成されたウイスキーが味わえる日は、遠い未来の先にある。    
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