クラウドファンディングによって設立された、サザーランドで一番新しい蒸溜所。古城の一角で働く兄弟は、伝統回帰と実験精神を見事に両立させている。 文・ガヴィン・スミス 風変わりな建物で運営される蒸溜所がある。スウェーデン北部のボックス蒸溜所は、旧発電所の建物を利用している。ダブリンのピアースライオンズ蒸溜所は、もともと古い教会だった。エディンバラにあるピッカリングのジン蒸溜所は、かつての動物病院の犬舎である。 だが窮屈で奇抜な場所といえば、この蒸溜所の右に出るものはないだろう。スコットランドのハイランド地方にあるドーノック蒸溜所は、ドーノック城のなかにある。もう用済みになった消防棟の一角に陣取っているのだ。ここで一風変わった方針のモルトウイスキーづくりを実践しているのが、フィリップ・トンプソンとサイモン・トンプソンの兄弟だ。一風変わった方針とは、アルコール収率よりもウイスキーの個性を重視していた時代への回帰である。 まだ十代だったトンプソン兄弟が、サザーランドのドーノックにやってきたのは2000年のこと。父親のコリンと母親のロスが、歴史あるドーノック城を購入したのがきっかけだった。ドーノック城は1947年以来ホテルとして運営されており、豊富なウイスキーの品揃えにも定評があった。息子たちはスコッチウイスキーについて学び始め、ビジネスの一翼を担おうという意欲が芽生えていった。 兄弟が特に惹かれたのは、1960年代から70年代にかけて蒸溜された古いウイスキーだ。情熱が高じて、いっそ自分たちの蒸溜所を建設し、当時のようなオールドスタイルのウイスキーを最高品質でつくってみようではないかという計画が生まれたのである。 2人は2016年3月にクラウドファンディングを開始し、19世紀に建てられた石造りの消防棟を本拠地とすることに決めた。3年後には250人の出資者全員にウイスキーが支給されるという約束である。蒸溜所の立ち上げには、25万〜35万英ポンドが必要だった。クラウドファンディングで調達した資金だけでなく、トンプソン兄弟は自宅を売却して資金を追加し、このベンチャープロジェクトへの本気度を証明した。 最初のスピリッツがスチルから流れ出したのは2016年12月。翌年2月よりシングルモルト用の樽詰めがおこなわれた。蒸溜所の運営は、現在わずか4人でおこなっている。全体を管理するのはヴァーリ。フィリップ・トンプソンは生産と雑用を半々でこなす。そしてもっぱらウイスキーとジンの生産に従事するのがサイモン・トンプソンとジェイコブ・クリスプだ。ジェイコブはヘリオットワット大学の醸造蒸溜学科を卒業した人物なのだとフィリップ・トンプソンが説明する。 「1960〜70年代に生産されたウイスキーのボトルをヒントにしています。あたかも古い精密機械を分解して模倣するようなリバースエンジニアリングで、昔のウイスキーのつくり方を突き止めていきました。1960年代以前のスコッチウイスキーは、設備や原料が近代化する以前の生産物であるため、現代のウイスキーと明らかに味わいが異なります。蒸溜液の個性、口当たり、トロピカルフルーツの香りなどにこだわった味わいですが、このようなオールドスタイルのウイスキーは近年非常に人気が高まっています。ウイスキーづくりは非効率な工程の連続ですが、その非効率性こそが風味をつくる鍵になるのです」 効率よりも風味にフォーカス 過去に回帰するには、原料を見直すことも必要だ。 「大麦は有機栽培のプルーミッジアーチャー種を使用して、ウィルトシャーのウォーミンスター・モルティングズ社にフロアモルティングで製麦してもらいます。個人的に思うのは、ウイスキーの生産でもっとも重要な2項目が大麦と酵母。プルーミッジアーチャー種はビール醸造化に人気の品種で、ミネラル感と酸味が特徵です。タンパク質の含有量も高いので、フレーバーづくりの幅が広げられますが、アルコール収率が低いのでコストは余計にかかります」 フィリップによると、基本的には1950~60年代の大麦品種を使用して、1950年代〜60年代の収率で生産している。セミロイター式の糖化槽が3槽あり、糖化1回分に使用する大麦原料は325kgだ。そして酵母の選択もユニークである。 「酵母を選ぶとき、ほとんどの人はフレーバーとアルコール収率の両方を重視します。でも僕たちにとって、収率はそんなに重要じゃない。とにかくフレーバーが命なのです。何十種類ものビール酵母を試して、それぞれどんな風味構成になるのか検証しました。この実験は、クラウドファンディングに参加してくれた皆さんの樽でもおこなっています。古いスコッチエールに使用されていたビール酵母などもあって種類は豊富です。酵母はすべてここで培養されています」 ヨーロピアンオーク材の発酵槽(容量各1,200L)は全部で6槽あるが、建物がこぢんまりとしているため4槽が2階に置かれている(2槽が1階)。最近のクラフト蒸溜所では長めの発酵時間が人気ではあるのだが、トンプソン兄弟の場合は規格外だ。ドーノック蒸溜所の発酵時間は7日〜10日。「ここまで長時間の発酵をすれば満足できる収率になるし、フレーバーにも優れた影響が現れるんです」とフィリップ・トンプソンが請け合う。 蒸溜設備としては、まずホーガ社のアランビック蒸溜器が2基あるが、そのうち1基は再溜釜として使用されている。ガスの炎による直火式だ。残りの1基はまだ使用されていない。フィリップ・トンプソンが説明する。 「ここにはiStill(オランダのハイブリッド型蒸溜器)があるので、1台をホットリカータンクに使用しています。2台目のiStillにはコラムヘッドが付いていて、『トンプソンブラザーズ オーガニック ハイランドジン』の蒸溜とモルトウイスキーの初溜に使っています。直火式のアランビックだと1,000Lのウォッシュを熱するのに時間がかかるので、現在初溜には速く蒸溜できるiStillを使っているんです」 伝統回帰を標榜する蒸溜所では、カットポイントも機械的ではないようだ。 「すべてのカットポイントを嗅覚と味覚で判断しています。事前に決められた数字ではなく、それぞれのバッチがどのような状態になるのかを官能的に評価してカットを決めます。目指しているのは、ヘビーでオイリーな古いハイランドのスタイル。オイリーで蝋っぽさもある1970年代のブローラから、ピートを除いたような味わいのイメージです」 ドーノック蒸溜所の年間生産量は、現在約20万Lである。 (つづく)
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ドーノック蒸溜所を訪ねて【前半/全2回】
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ドーノック蒸溜所を訪ねて【後半/全2回】
古き良き時代のウイスキーづくりを復活させるため、トンプソン兄弟の挑戦は続く。蒸溜所だけでなく、運営するバーも特別な伝統回帰と実験精神を見事に両立させている。 文・ガヴィン・スミス 効率重視のウイスキーづくりとは一線を画し、1960年代以前の風味を取り戻そうとしているドーノック蒸溜所。運営者の1人であるフィリップ・トンプソンは、使用される樽にもこだわっている。 「これまで130本に樽詰めしました。そのなかには50Lのオクタブ樽が100本ありますが、これはクラウドファンディングの出資者用です。オーガニックであることにこだわっており、バット、ホグスヘッド、シカゴにあるコーヴァル蒸溜所から取り寄せた樽も揃えました。現在の貯蔵庫は、冷凍トレーラーを改造したものです。温度管理は外気の気温まかせなのですけど」 トンプソン兄弟の挑戦は、ひとまず第1ステージを終えて大きな成功を収めている。おかげで業務の拡張が計画されているほどだ。新しい蒸溜所は、スレートふき職人の庭になりそうだという。場所はドーノック城からも遠くない。 現在クラウドファンディングの第2弾を準備中だが、今度は地域内で65万ポンドを調達しようという大スケール。この資金で新しい事業所の土地を購入して再開発し、生産量をさらに拡大して、ショップとテイスティングルームも整備する計画だ。フィリップ・トンプソンが語る。 「1口2,000英ポンドで、50Lのオクタブ樽(バーボン樽)。1口4,000英ポンドなら100Lのバーボン樽が出資者に配当されます。オロロソシェリーでシーズニングしたアメリカンオークのオクタブ樽も用意していましたが、もう完売してしまいました」 既存の設備を移動して、新しいレシーバーも導入する。だが工程はまったく変えずに、従業員の負担だけを減らすのが目標だ。 「直火式だと予熱にかかる時間が長すぎるので、新しい場所では新たにオイルヒーティングを採用するかもしれません。そうすればアランビックの初溜釜2基とアランビックの再溜釜1基という体制になります。さらには特注で鉄製の貯蔵庫を造る計画があります。現在使用している貯蔵庫と同様の環境温度を生み出せるものにします」 新しい蒸溜所での作業は、2018年の末までには始まる予定だ。フィリップ・トンプソンは語る。 「これから8〜9ヶ月は、オロロソシェリーやペドロヒメネスのモンティージャでシーズニングした樽に詰めて蒸溜所用のストックとし、新しい蒸溜所に移ったら出資者用と蒸溜所用の割合を1:1にしていこうと考えています。クラウドファンディングのときに、3年熟成のウイスキーを100人の出資者のために発売する約束もしました。その頃には、おそらく蒸溜所オフィシャルのシングルカスク製品もご用意できるでしょう。販売する製品をすべてシングルカスクの限定品にできたらいいなと考えています。ニューメイクスピリッツも少し販売しますよ」 伝統回帰を志向したドーノックのアプローチは、彼らの実験精神と見事に融合しているようだ。フィリップ・トンプソンの言葉も弾む。 「これまでに実現した面白いことのひとつは、ジェイコブがダンロビン城から調達した地元産の大麦で仕込んだこと。昔ながらの石臼と水車の動力で脱穀して、10マイルしか離れていないゴルスピーの地元産ピートで製麦したんです。蒸溜も済ませました。こんな試みはとてもやりがいのあることなので、どんどん推進していきたいと思っています」 古城バーはスコットランド屈指の人気 ドーノック城のウイスキーバーはスコットランド屈指の人気を誇り、数々のアワードにも輝いている。2014年と2016年には「スコティッシュ・ライセンスト・トレード・ニュース」でウイスキーバー・オブ・ザ・イヤーを受賞。「Whisky Base」のウェブサイトではウイスキーホテルの第1位にランキングされている。 フィリップ・トンプソンは、このバーの魅力的な品揃えについても説明してくれた。 「現在ここでいちばん古いウイスキーは、オークニーのストロムネス蒸溜所がつくったシングルモルト『OO』です。おそらく1900〜1910年のボトリングでしょう。1杯350英ポンドで量り売りしていますが、とてもお値打ちだと思っています。訪れるたびに新しいボトルがあり、いつも適切な価格で提供できるのが理想。ここで飲みたいと自分たちが思えるようなウイスキーバーにしようと頑張っています」 とはいえバーではコレクションの大きさを誇りたいわけではない。魅力はコレクションの数字ではなく質である。 「1970年代の面白いボトルがありますよ。多くがスコッチモルトウイスキー・ソサエティによるボトリングで、80年代に閉鎖されたグレンモール、グレンアルビン、ミルバーンのトリオは自慢です。ソサエティとは、現在「パートナーバー」として提携しるんです」 ジャパニーズウイスキーもかなり力を入れており、秩父蒸溜所のシングルカスク商品も8種類揃っている。 「店に置いてあるウイスキーは、全部で300〜400本くらい。オークションや個人的なルートから入手したり、年に一度イタリアで買い付けたりします。自宅には600〜700本のボトルがあって、随時店に移動させることもできます。バーでよく注文が入るのは地元のブルブレアやクライヌリッシュですが、クライヌリッシュなら素晴らしいシングルカスク商品がたくさんありますよ」 ボトルの購入だけでなく、蒸溜所から購入した樽を管理してオリジナルのシングルカスク商品もボトリングしている。 「ちょうど1989年のブナハーブンと、2005年のアイラシングルモルト(蒸溜所名は非公開)を発売したところ。ベッシー・ウィリアムソンの写真をラベルにデザインしているんです。年間に12~14樽をボトリングしていて、海外のコレクターから引き合いがあります」 サザーランドでいちばん新しい蒸溜所は、世界のコアなファンの心をすでにしっかりと掴んでいるようだ。
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富山でミズナラ樽の製作がスタート
ミズナラ樽熟成の原酒を使用したウイスキーが、世界の注目を集めている。森林資源に恵まれた富山県で、昨年末より伝統の木工技術を用いた洋樽製造が始まった。林業家、工務店、蒸留所の新しい連携をレポート。 文:WMJ 写真:チュ・チュンヨン 世界的な人気が高まるジャパニーズウイスキー。その要因のひとつに、ミズナラ樽で熟成した原酒の存在がある。日本原産のミズナラは、香木のようにエキゾチックな風味をウイスキーに授けてくれるオーク材だ。希少な味わいを求めて、一部のスコッチウイスキーやアメリカのクラフトウイスキーでもミズナラ樽が使用され始めている。 その一方で、日本のウイスキーメーカーは熟成樽の大半を輸入に頼ってきた。日本らしいユニークなフレーバーを加味できるミズナラ樽だが、調達も加工も決して容易ではない。バーボンバレルなどの輸入樽に比べて、コストもはるかに高いのが現実だ。 そんな状況のなか、富山県砺波市の三郎丸蒸留所が地元の資源を活かしたミズナラ樽の製作に乗り出した。プロジェクトを主導しているのは、若鶴酒造の5代目にあたる稲垣貴彦氏である。 山深い富山県西部の南砺市には、良質なミズナラが豊富に生育している。だが国内主要産地として知られる北海道とは異なり、海抜約800mの斜面に生えているので特殊な伐採技術が必要になる。そこで稲垣氏は、まず樽材の調達を南砺市の島田木材に依頼した。同社なら木材搬出の作業道を開設する土木技術も持っている。 島田木材常務取締役の島田優平氏が、地域とミズナラの歴史について教えてくれた。 「富山のミズナラはすべて天然で、昔は薪炭材として使用されていました。萌芽更新によって世代を受け継いできましたが、近年は需要減で放置されるようになっています。径が大きくなったミズナラは、カシノナガキクイムシの食害で赤枯れします。枯れてしまう前に適正に利用し、森のサイクルを維持することで大地の保水力も高まるはずです」 良質な水が大地を潤せば、美味しいお酒づくりにも貢献する。ミズナラ樽の製作は、そんな循環経済の実現にもつながるのだと島田氏は力説する。 富山の自然、人、歴史を体現した樽 木材の調達ができたら、次の難関は加工である。ミズナラ材は樽にしたとき他のオーク材よりも漏れやすく、特別な技術と経験が必要だ。だが幸いなことに、南砺市の井波地区には古来より木彫の伝統がある。井波彫刻といえば、宮大工から生まれた国指定の伝統的工芸品。現在も約200人の職人がこの地で木工に携わり、全国の社寺や山車に見事な彫刻を提供している。 山崎工務店の山崎友也氏は、そんな井波の職人魂を受け継ぐ大工の1人である。国内の洋樽工場を訪ねて工程を把握すると、タイヤ交換機を改造して鏡板の加工機を自作。すぐに1ヶ月で12本分の鏡板を製作し、このたびタガ締め機も導入した。今日も新しい鏡板を製作しながら樽づくりへの思いを語る。 「大工仕事は直線が中心なので、丸いものは難しいんです。でも新しい分野での自由なチャレンジを楽しんでいます。樽材の選定基準は建築よりも厳しく、かなり贅沢な使い方をします。それでも最初に良いものをしっかりとつくれば、長く使えるところが家屋と同じですね。タガ締め機が手に入ったので、いろんな種類の木材も試してみたいと思っています」 板の接合には金属や接着剤を使わず、木製のダボを使用する。樽の止水材として使用するガマも富山県産だ。島田木材は、富山のミズナラを使用したこの熟成樽を「三四郎樽」と名付けた。 清らかな大地と水で育ったミズナラを、伝統ある職人芸で組み上げたオリジナルの熟成樽。三郎丸蒸留所のスピリッツを熟成すれば、富山の自然、人、歴史を体現するようなウイスキーになるだろう。稲垣氏は、独自の樽づくりを3段階で進めていく予定だ。第1段階は、地元産のミズナラ材を鏡板にしたハイブリッド樽の製作。第2段階は、米国から調達したバーボンバレルをホグスヘッドに組み換える作業。第3段階は、側板も含めてまるごと地元産の木材を使用した新樽の製作だ。 林業家、工務店、蒸留所による「農商工連携」のモデルに、島田氏は明るい可能性を見出している。 「ダイヤモンドも磨かないと輝きません。家づくりも、山づくりも、ウイスキーづくりも、みな数十年先を見据えながら受け継いでいく事業。仕事はそれぞれ違いますが、考え方の波長が合うんですよ」 富山らしさを追求する三郎丸蒸留所 これからミズナラ樽を使用する三郎丸蒸留所は、北陸唯一のウイスキー蒸留所として進化を続けている。築90年以上という木造洋式トラス構造の建屋を改装し、再オープンしたのは2017年7月13日のこと。改修費用の一部はクラウドファンディングで賄い、目標額の2,500万円を大きく上回る3,800万円を集めた。蒸留所は一般見学も可能で、2018年には約12,500人もの訪問客を集めている。 生産設備にも、着々と投資をおこなっている。2018年4月に導入した新しい三宅製作所のマッシュタンは、味だけを追究した特別仕様だという。制御盤には北陸コカ・コーラボトリングの技術を取り入れ、品質を高めながら安定した仕込みを可能にした。蒸留器についても新しい挑戦を進めている。 また富山県立大の協力で、富山県産の酵母も使用し始めたところだ。高岡産の大麦から発見された酵母でつくったスピリッツをシェリー樽で熟成中だという。新しいミズナラ樽を含め、すべての要素が「富山らしいウイスキー」へと集約されているのだと稲垣氏は語る。 「最初は頑固な感じがしても、長く付き合うほどに優しさを感じられるのが富山の人柄。スモーキーかつ重厚でありながら、華やかなエステル香を持ったウイスキーを目指しています」 理想の味わいは、さまざまな地元の伝統を味方につけながら着実に歩みを進めている。 WMJ PROMOTION
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失われたウイスキーがよみがえる
100年以上も前に閉鎖された蒸溜所は、どんなモルトウイスキーをつくっていたのだろう。ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーのプロジェクトは、時を超えた壮大なスケールの実験だ。 文:ガヴィン・スミス 会社の所在地は「ザ・グレート・スチュワード・オブ・スコットランズ・ダンフリース・ハウス(スコットランド大家令のダンフリースハウス)」。こんな住所からも、ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーがかなり特別な事業をおこなっていることが推測できるだろう。事実、そのブレンディングは通常の常識を大きく逸脱している。 同社が取り組んでいるのは、はるか昔に閉鎖されてしまった蒸溜所のモルトウイスキーを再生しようという野心的な試みだ。設立したのは元ディアジオのスコット・ワトソンとブライアン・ウッズ。2012年にクルーシャル・ドリンクス社を設立し、ラムのポートフォリオを拡充しながら唯一無二のブレンデッドモルトウイスキーを生産すべく努力を重ねてきた。 ワトソンとウッズは共にエアシャーの出身で、地域産業の再活性化に貢献したいという思いからキルマーノックで事業を始めた。だが2016年からは、カムナック近郊のザ・グレート・スチュワード・オブ・スコットランズ・ダンフリース・ハウスに住所を移している。ここはスコットランドでも有数の格式を誇る大邸宅であり、2007年にウェールズ公チャールズの尽力によって荒廃を免れたエピソードもある。ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーは本社機能をこの邸宅に置き、ビジターには魅惑的な「ウイスキー・ラウンジ」も公開している。 スコット・ワトソンが、会社創設のいきさつについて教えてくれた。 「ブライアンと僕は、20年くらい前に一緒に働いたことがありました。そのときから、本物のクラフトウイスキーを求める消費者と、実際のウイスキー市場との間に未開拓の分野があるとわかっていたのです。でもウイスキー市場が縮小して会社の統合が進むなか、そんなクラフトウイスキーを見つけるのがどんどん難しくなっていきました。20世紀のスコットランドでは100軒以上のウイスキー蒸溜所が廃業しましたが、これはまさに悲劇だったと思っています。ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーは、かつて有名だったウイスキーと、そこで働いていた人たちの仕事の物語を取り戻すために生まれたのです」 実際に失われてしまったウイスキーを、一体どのようにして再生するのか。クルーシャル・ドリンクスのマーケティング部長を務めるニッキ・カミングが説明する。 「リサーチ開始前に、チームとして蒸溜所の主要な情報を確保する必要があります。蒸溜所が評判の良い高品質のモルトウイスキーをつくっていた証拠となる詳細な資料の存在があって、初めてその蒸溜所の伝統を保護する意義が生まれます。アーキビスト(記録研究者)が本格的な調査と分析を開始するのは、そのような資料の存在を確かめた後です」 社内のアーキビストが、あらゆる側面から蒸溜所の操業状況を調査する。その結果から、ウイスキー生産チームが必要とする十分な情報を供給し、失われたフレーバーのプロフィールを具現化する方法について議論を深めるのだとカミングは語る。 「議論がひとまず決着すると、適切なシングルモルト原酒の調達を開始します。調達先となるのは、現存するスコッチウイスキー蒸溜所の80%程度。失われた蒸溜所の商品を市場に送り出すための期間は、1銘柄で最長1年ほどかかりますね。生産中も記録調査の仕事は継続し、新しい発見や変更があれば商品に反映させます。このような変更の詳細は、ソーシャルメディアで公表していますよ」 過去のウイスキーを分析するための10項目 ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーのチームは、過去のウイスキーに備わっていたと見られる特徴を下記の10項目から特定する。 時代:最後に蒸溜がおこなわれた年月日が極めて重要になる。生産のスタイルとプロセスは、あらゆる製造業と同じように時代を追って変化するものだ。例えば生産工程の機械化によって品質の均一性は増すようになった。また鉄道網の拡大によって新設される蒸溜所の規模が大型化歴史も考慮されなければならない。 場所:近隣の蒸溜所が、同じ水源や、大麦や、酵母を使用していた可能性は常にある。現存の蒸溜所の生産スタイルに、当時の工夫の名残りがあるかもしれない。そのような共通の特徴を、近隣の蒸溜所に見出すことも可能だ。 水:スピリッツをつくる主原料のひとつは水。ボトリング時にアルコール度数を希釈する際にも使用される。軟水であるのか、硬水であるのか、またどのようなミネラルが含まれているのかを考慮する必要がある。 大麦:原料である大麦のタイプを特定する際に、もっとも重要な側面はフェノール類の含有量だ。大麦はどこで栽培されたのか。地元産だったのか。品種は何だったのか。アルコール収率はどこまで一定だったのかなどといった問題が考慮の対象になる。 酵母:サワードウで作ったパンの味は店ごとに異なる。パン屋のなかには、何十年も同じスターター(発酵種)を守っている店もある。このような事実からも、酵母がウイスキーづくりの工程で極めて重要な役割を果たし、最終的なウイスキーの味わいに影響を与えることがわかる。 ピート:原料の大麦モルトは、ピーテッドモルトだったのか、それともノンピートだったのか。そしてピートはどの程度の量が使用されていたのか。ピートは地元産だったのか。そのピートが、最終的な製品としてのウイスキーでどのように表現されたのかを分析する。 糖化槽:マッシュタン(糖化槽)の素材は何だったのか。蓋は付いていたのか、それとも開放型だったのか。温度はどのように管理されていたのか。水分を揮発させるような高温が、酵母の活動を阻害した可能性にも注目する。 発酵槽:ウォッシュバック(発酵槽)は、ほぼ例外なく柾目のダグラスファー材(ベイマツの一種)で作られていた。今でも木製の発酵槽を使用している蒸溜所はあるが、多くはステンレス製に変更された。ステンレス製の発酵槽が、ウイスキーに特殊な風味を授けることはない。 蒸溜器:スチル(蒸溜器)の形状とサイズは、スピリッツの方向性に甚大な影響を与える。例えば、小さくてずんぐりとした形状のスチルは銅とスピリッツの接触が多いため、よりヘビーで粘性の高い酒質になる。 樽材:スピリッツに蒸留された後、ウイスキーの貯蔵や輸送に使用された樽の材質は何だったのか。この樽材の影響は、最終的なウイスキーの風味に現れていたのか。ウイスキーを貯蔵する前、その樽には何が入っていたのか。これらの条件によって、ウイスキーの味わいは大きく変化することが予測できる。 科学的な検証から過去を再解釈 このような調査と研究は、久しく忘れ去られていた蒸溜所のウイスキーづくりに関する知識を大きく広げてくれる。だがオリジナルのウイスキーのサンプルがなく、似たような酵母株や大麦品種を使用してウイスキーをつくる現存の蒸溜所も失われている今、ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーのウイスキーが「再生」というよりも「再解釈」と呼ぶべき成果に留まることは避けられない。同社も実際に出来上がったウイスキーを「はるか以前に閉鎖された蒸溜所のスタイルを採用した手づくりのウイスキー」と定義している。 実際のブレンディングを手がけているのはスコット・ワトソンだ。最初に「ストラスエデン」と「オークナギー」の2銘柄をリリースし、次いで「ガーストン」「ジェリコ/ベナヒー」「ロシット」「トウィーモア」「ダラルアン」が発売された。それぞれの銘柄でクラシック(10~12年熟成のウイスキーを43%でボトリング)、アーキビスト(15~18年熟成のウイスキーを46%でボトリング)、ビンテージ(25年以上熟成されたウイスキーを46%でボトリング)の3種類がある。ディスカバリー・セレクションから発売された最初の6商品をミニボトルに詰めたボックスセットも人気を博しているようだ。 もっとも新しいザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーのボトルは「ダラルアン」。キャンベルタウン地域のウイスキーをテーマにした初めての試みである。かつてキャンベルタウン周辺には34軒以上もの蒸溜所があり、アーガイルシャー港は隆盛を極めていた。それが現在はわずか3軒の蒸溜所を残すのみとなっているのだとスコット・ワトソンが歴史を振り返る。 「ダラルアンは当時から伝説的なウイスキーでした。残念ながら閉鎖されてしまいましたが、その理由は経営の失敗などではなく、ウイスキー業界全体の失速です。キャンベルタウンでは、不況の打撃を特に大きく受けてしまいました。極めて高く評価されていたモルトウイスキーなので、現代で再解釈されたブレンドも往時のエッセンスをうまく捉えていたら嬉しいですね」 ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーの商品は数々の賞に輝き、現在は世界約50カ国で販売されている。リリース予定についてはまだ手の内を明かしていないが、独創的なアプローチによるブレンデッドモルトウイスキーが今後も注目を集めるのは間違いないだろう。
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プルトニー蒸溜所を訪ねて【前半/全2回】
スコットランド本土最北部にある漁港の町ウィック。「海のモルト」の故郷として愛されるプルトニー蒸溜所で、そのユニークな歴史を訪ねる2回シリーズ。 文・ガヴィン・スミス その昔、スコットランド北部がニシン漁の季節になると、ウィックの港は1,000艘もの漁船を迎え入れた。その賑わいぶりは、船のデッキ伝いに歩いて湾を横断できるほどであったという。大勢の船乗りと塩漬け作業の女性が町に溢れかえり、ときに羽目を外した大騒ぎが起こっていたことは想像に難くない。当時の資料によれば、1日あたり500ガロン(2,300L)ものウイスキーが消費されていたというから驚きだ。 かつて栄華を誇ったスコットランドの漁港の大半がそうであるように、現在はケースネス地方の港もかなり静かになった。停泊しているのは蟹やロブスターを獲る小さな漁船が中心で、他には再生エネルギー産業関連の輸送品が往来する程度である。 ウィック港は、スクラブスター港とともにスコットランド最北の郡における主要港だった。この地域はゲール人よりもバイキングの影響が色濃く残っている。漁業の中心地としてのウィックは、19世紀の初頭から隆盛が始まった。大量の船が停泊できる港を整備すると、英国漁業協会の出資によって居住区となる町も建設。漁協の会長を務めていた資産家ウィリアム・プルトニー卿にちなんで、町はプルトニータウンと名付けられた。 19世紀半ばには、造船技術と灯台建築で有名なスティーブンソン家がウィックの防波堤を建設した。だがこの防波堤は、2回の嵐で破壊されてしまう。防波堤建設プロジェクトを指揮したのはトーマス・スティーブンソン。彼の息子ロバート・ルイス・スティーブンソンは『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などの傑作を著した作家である。ウィックの都市計画に関わっていたスティーブンソン家は、ウィックの町にも住んだ時期がある。だが作家にとってウィックの町はお気に入りと言い難かったらしく、エッセイ『技術者の教育』(1888年刊)のなかで「ウィックは男たちの町のなかでも特に不親切で荒っぽい町」と評している。 1826年、その荒っぽいプルトニータウンで、ジェームズ・ヘンダーソンが蒸溜所を建設した。ヘンダーソンは、それまでウィックから16マイルほど西にあるハルカーク近郊のステムスターでウイスキーをつくっていた人物である。1880年代半ばに書かれたアルフレッド・バーナードの著作にこんな記述がある。 「ヘンダーソン氏はほぼ30年にわたって内陸のほうに小さな蒸溜所をひとつ所有していたが、自分のつくるスピリッツの需要が増してきていることに気づいて、海に近い場所で蒸溜所を創設することに決めた。当時はこの地域から南へ人や物を送るのに、海路を使うしかなかったからである」 酔いどれの町に訪れた禁酒時代 ヘンダーソン家による経営が続いた後、プルトニーは1920年にダンディーのブレンデッドウイスキーメーカー「ジェームズ・ワトソン&カンパニー」によって買収された。その5年後、ワトソン社は大企業ディスティラーズ・カンパニーに吸収され、同社が1930年にプルトニーでの生産を終了してしまう。世界的な不況の波が押し寄せていただけでなく、プルトニーの町ではなんとアルコール飲料が全面的に禁止されてしまったのだ。 スコットランドにも、禁酒法時代は確かに存在した。というよりも、正確には自治都市のウィックが1925~1947年にアルコール禁止の「ドライ」な町になった。この禁酒法は、19世紀から20世紀にかけてウィックが酔いどれの町として悪名を轟かせた因果応報でもある。毎日500ガロン(2,300L)のウイスキーを飲み干す町が、万人に健全な環境とは言い難い。 そんなこともあって、プルトニーは1951年にバンフ在住の弁護士バーティーことロバート・カミングに買収されるまで沈黙を保っていた。そのわずか4年後、カナダの大手ウイスキーメーカーであるハイラム・ウォーカーが、カミングからプルトニー蒸溜所を買収する。戦争も終わって時代が変わり、ハイラム・ウォーカーはスコッチウイスキーの分野に大きく進出したいと考えたのである。 プルトニー蒸溜所は、1958~1959年に総合的な第1期再建計画を実施した。現在の外観がほぼ出来上がったのはこの時期である。1961年にアライド・ブルワリーズがプルトニーを購入し、同社がアライド・ドメクと社名を変えた後も操業を続ける。だが1995年に蒸溜所を手放して、インバーハウス・ディスティラーズ(現在はタイビバレッジ傘下)にシングルモルトブランドを売却した。このため現在のプルトニーは、いずれもスコットランドにあるスペイバーン、バルメナック、ノックデュー、バルブレアと同門の蒸溜所ということになる。 インバーハウスによる買収の2年後、12年熟成のオフィシャルボトル「オールドプルトニー」が発売された。受賞歴がもっとも多く、オールドプルトニーで最も有名な製品である。「海のモルト」と謳われたオールドプルトニーは、漁業で有名な本拠地ウィックの伝統をブランドイメージに取り入れている。オールドプルトニーの商品には塩気を感じさせる繊細な味わいがあり、それが海のイメージとしっかり関連付けられているのだ。 (つづく)
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プルトニー蒸溜所を訪ねて【後半/全2回】
昨年になって、コアレンジを大幅にリニューアルしたオールドプルトニー。伝統ある「海のモルト」は、さらに幅広いウイスキーファンを魅了している。 文・ガヴィン・スミス これまでのオールドプルトニーは、17年熟成と21年熟成がコアレンジの一角をなしていた。だが2018年にポートフォリオが大きく刷新。12年熟成は据え置かれたもののパッケージデザインを変更し、17年熟成と21年熟成はそれぞれ15年熟成と18年熟成に置き換えられた。この変更の背景には、長期熟成原酒の不足という事情があると思われる。さらにこのたび、熟成年数を記載しないノンエイジステートメント(NAS)の「オールドプルトニー ハダート」もラインナップに加わっている。 「ハダート」は、まずセカンドフィルのアメリカンオーク樽(バーボン樽)で熟成され、その後にヘビリーピーテッドのウイスキーを熟成していたバーボン樽で後熟された製品だ。新しい15年熟成と18年熟成は、まずセカンドフィルのアメリカンオーク樽(バーボン樽)で熟成された後、ある一定期間をファーストフィルのスパニッシュオーク樽(オロロソのシェリーバット)で後熟される。 オールドプルトニーのブランドマネージャーを務めるヴィッキ・ライトが、今回の変更について次のように説明してくれた。 「新しい『ハダート』は、スピリッツにこれまでと違った方法で樽のパワーを及ぼす実験です。消費者の皆様に、何か新しい形のオールドプルトニーを試していただきたいという考えもありました。ピートを効かせた『ハダート』は、ジョセフ・ハダート船長へのオマージュでもあります。ハダート船長は英国漁業協会の水路測量技師として活躍し、協会がプルトニータウンと港を建設する際に尽力した功労者。プルトニー蒸溜所はウィックのハダート通りにありますが、この通りも彼にちなんで名付けられました。そしてハダート船長が活躍していた時代には、プルトニーも現在よりピートの効いたウイスキーを生産していた可能性があるるんです」 コアレンジ全体の変更した意図ついても、ヴィッキ・ライトは次のように語った。 「ウイスキー市場における競争がますます熾烈になっています。オールドプルトニーの既存ラインナップを再活性化することで、ブランドの地位を強化できるのではないかと感じていました。同時に既存のファンの皆様にも、そろそろ新しいものを提示して製品ごとのフレーバーを楽しんでもらう時期が来ていました。オールドプルトニーのコアレンジを成長させることができて、全体の結果には満足しています」 定番の12年熟成に加えて、2017年に発売された25年熟成もコアレンジの一角に残った。同時期に発売された1983年と1990年のビンテージの他、本国では2008年ビンテージ「フロティーラ」も販売されている。また近年のオールドプルトニーが力を入れているのはトラベルリテールだ。現在のことろ2006年のビンテージが販売中で、ノンエイジステートメントの「ダネットヘッド」「ノスヘッド」「ダンカンスビーヘッド」も免税店などで入手可能。製品名はすべてケースネスの海岸に建つ灯台の名称である。 間違いから生まれたユニークな生産設備 蒸溜所に来たのだから、有名な蒸溜設備にも目を向けてみよう。プルトニー蒸溜所にある2基のポットスチルは、スコットランドでも他に類を見ないユニークな形状だ。付設されたコンデンサーも、珍しいステンレス製の蛇管式である。 ウォッシュスチルもスピリットスチルも、人目を引くボイルボールが特徴だ。このボイルボールは、蒸気の還流を促して華やかな酒質を生み出す。ヘッド部分がちょん切られたような形状をしているのにも理由がある。その昔、新しいスチルが蒸溜所に届いたとき、蒸溜棟の天井高よりもスチルのヘッドが高いとわかったからなのだという。 建物内に収めるため、スチル職人はスチルの最上部を取り外して蓋を取り付けるしかなかった。だがこの分断されたような形状のスチルは、意外なほどに良質なウイスキーを生み出してくれた。そこで歴代の蒸溜担当者には「故障しない限りはこのままの形状でいこう」という了解ができたのだという。 このような生産環境から生まれるニューメイクスピリッツは、比較的オイリーで香り高い酒質を持っている。そのほとんどはバーボン樽で熟成されるが、一部にはシェリーバットで熟成されるものもある。プルトニー蒸溜所にある5軒の貯蔵庫には、30,000本までの樽が収容できる。 プルトニー蒸溜所の蒸溜所長は、マルコム・ウェアリングだ。生まれも育ちも生粋のウィック人で、もともと造船技師として働き始めたが、1990年にプルトニー蒸溜所の一員になった。あらゆる生産工程の現場を経験して副蒸溜所長となり、2000年にプルトニーの姉妹蒸溜所であるノックデューに蒸溜所長として赴任。その6年後の2006年8月、生まれ故郷のウィックに戻ってプルトニーの蒸溜所長に就任したのである。そんなマルコムが、蒸溜所の現在について教えてくれた。 「蒸溜所で最近変わったことといえば、新しい糖化棟を建設したこと。2016年から6槽の新しいステンレス製ウォッシュバックを導入しました。オープンしたばかりのテイスティングルームもあって、ビジターセンターの体験ツアーに含まれていますよ」 さらにマルコムは、自らも愛してやまないウイスキーについて語ってくれた。 「オールドプルトニーは、このウイスキーがつくられるケースネス郡ウィックの土地柄を完璧なまでに体現した味わいが魅力。力強い酒質ですが、繊細な柔らかさもあります。海風のような塩気を感じながら、フローラルなエステル香も華やか。心地よいドライなオーク香もしっかりと兼ね添えています」 プルトニー蒸溜所では、ビジター向けにツアーやテイスティングも提供している。歴史あるウィックの町を訪ねたら、ぜひ立ち寄っていただきたい。
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ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所の50年【前半/全2回】
日本で本物のウイスキーをつくりたい。竹鶴政孝による最後の大事業となったニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所が、操業開始から50年を迎える。仙台市青葉区の蒸溜所を訪ねて半世紀を振り返り、次の50年へ想いを馳せる2回シリーズ。 文:WMJ 仙台駅を出発した車は、早春の広瀬川を遡るように内陸へと進む。車窓から見える美しい雪山は、山形県境に聳える大東岳だ。ゴリラの横顔にも似た鎌倉山の手前で道を折れると、橋の下に新川の清流が見えた。 ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所が、この場所でウイスキーづくりを始めたのは今から50年前のことだ。 日本で本物のウイスキーをつくりたいという大きな夢を抱き、1918年に24歳で単身スコットランドへ渡った竹鶴政孝。約2年の留学でひたむきに技術と知識を集積しながら、次のような感想を綴っている。 「ウイスキーのことを知れば知るほど、風土そのものがウイスキーをつくるというこの地方の思想がわかり始めてきていた。ウイスキーが自然の条件のもとでゆっくり時間をかけて熟成を続けてゆく様子は、神秘というほかはないのである」(自伝『ウイスキーと私』より抜粋) ウイスキーは自然がつくる。これは竹鶴政孝の一貫した信念となった。 帰国後、理想のウイスキーづくりを追い求めた竹鶴政孝の人生はNHK連続テレビ小説『マッサン』でも有名だ。最初に探し当てた運命の地は余市。スコットランドのハイランドに似た気候条件のなか、妻のリタと暮らしながら重厚な味わいのウイスキーをつくった。1964年にはカフェ式連続式蒸溜機の導入によって良質なグレーンウイスキーを生産し、高品質なブレンデッドウイスキーでさらに大きく前進した。 この時点で齢70を超えていた竹鶴政孝は、品質向上のために残された最後の大事業へと意欲を見せる。それは余市と異なるローランドタイプのモルト原酒をつくることだった。 運命の地との出会い 国内で複数のモルトウイスキー蒸溜所を運営するという夢の実現を後押ししてくれたのは、息子の威だったという。新しい蒸溜所の候補地は、いくつかの条件を満たす必要があった。冷涼であっても、余市よりは温暖であること。湿潤な気候、清涼な空気、そして何よりも良質な水に恵まれていること。自然環境を大切に考える以上、田んぼを潰したり森林を伐採したりするような場所は選べなかった。 やがて候補は東北南部に絞られ、竹鶴政孝はここ作並の地にたどり着く。余市とは明確に異なる気候条件があり、広瀬川と新川の清流が交わる場所だ。新川の水を汲んでブラックニッカを割り、ひと口飲んだ竹鶴は即座に宣言した。 「実に素晴らしい水だ。ここに決めたぞ」 約17万㎡の土地を取得し、着工したのが1968年3月のこと。建設にあたっては樹木の伐採を最小限にとどめ、周囲の緑に映える赤いレンガ色で建物を統一した。余市とは異なるタイプのモルト原酒をつくるため、当時はまだ珍しかったガスによる蒸気間接蒸溜を採用。コンピューター制御の製造工程も取り入れて、何十年も先の未来を見据えた。 念願の新蒸溜所は、1969年5月10日に竣工。最初のテスト蒸溜を終え、竹鶴政孝は従業員全員を集めて「ファーストドロップ」をテイスティングした。原酒を口に含んだ瞬間、政孝は思わず「違うな」と呟く。「不満足な出来なのか」とうなだれる従業員。だが竹鶴は、すぐに付け加えた。 「これでいいんだ。北海道と違うからいい。これはおれがつくったのではない。この土地がつくってくれたものだ。感謝を込めて、この酒を新川に注いできてくれ」 世界でも珍しいモルト&グレーンの生産拠点 宮城峡蒸溜所の大きな転機は、竹鶴政孝の没後にも訪れた。西宮にあったグレーンウイスキー製造設備が宮城峡蒸溜所へ移設され、1999年9月より本格的に稼働し始めた。これによって宮城峡蒸溜所は、モルトウイスキーとグレーンウイスキーの両方を製造する世界でもあまり例のないウイスキー工場となったのである。 宮城峡蒸溜所のカフェ式連続蒸溜機でつくられる「カフェグレーン」は様々な商品に用いられ、ニッカウヰスキー全体の品質向上にも寄与してきた。特に1970年に発売した新「スーパーニッカ」は、長年貯蔵した芳醇良質のモルトと、貯蔵熟成したカフェグレーンのブレンドで高級スコッチウイスキーと同等の品質を実現。現在もカフェグレーンはニッカウヰスキーの全ブレンデッドウイスキーに使用されており、ニッカらしい味わいの基盤となっている。 モルトウイスキーに比べて控えめに思えても、グレーンウイスキーが無個性のものであってはならない。モルトが華やかな花なら、カフェグレーンはカスミ草。カフェグレーンがモルトを包み込んで、ブレンデッドウイスキーという花束となる。そんな竹鶴の信念は、今でも世界のウイスキーファンに届けられている。 2017年に新設された宮城峡蒸溜所のビジターセンターでは、50周年特別企画展「A traveler of whisky 竹鶴政孝が目指した理想のウイスキーと、その到達点としての宮城峡蒸溜所」が開催中である。蒸溜所設立にまつわる物語を、竹鶴政孝自身の言葉を引用しながら振り返った展示だ。 宮城峡蒸溜所の建設によって、さらなる高みを目指した竹鶴政孝。その夢は今でもこの地で成長を続けている。 (つづく)
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ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所の50年【後半/全2回】
宮城峡蒸溜所の50周年を祝って、希少な原酒をブレンドした特別なウイスキーが発売される。その目玉は、竹鶴政孝もテイスティングした50年前のファーストドロップだ。ニッカウヰスキーの半世紀を味わい、これからの未来を占ってみよう。 文:WMJ 眼の前にあるのは、ウイスキーが注がれた2脚のウイスキーグラス。このたび発売される特別なシングルモルトウイスキーだ。深い琥珀色が、長期熟成原酒の存在を示唆している。 「実をいうと、このウイスキーを提案したのはマーケッターではなくて、ブレンダーの私自身なんです。宮城峡蒸溜所の節目の年で、ようやく実現できました」 ブレンドを担当したニッカウヰスキーの佐久間正チーフブレンダーが、そんな秘話を明かしてくれる。テーマは「ファイブ・ディケイズ」(5つの年代)。宮城峡蒸溜所と余市蒸溜所のモルト原酒から、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代の原酒を厳選してヴァッティングさせている。いわば蒸溜所の歴史を振り返る総力戦。宮城峡蒸溜所の操業開始は1969年なので、60年代の原酒は宮城峡でつくられた最初期の原酒ということになる。 「宮城峡の竣工は1969年の5月10日ですが、実は3月に試作した本当のファーストドロップがありました。竹鶴政孝が初めて味わい、感謝を込めて新川に流したという原酒です。このウイスキーには、まさにそのスピリッツを50年熟成した原酒も入っているんです」 チーフブレンダーとテイスティング 佐久間氏の手引きで、待望のテイスティングが始まる。まずは50周年記念の「シングルモルト宮城峡 リミテッドエディション2019」のグラスを手にとった。 「色が濃いのは、シェリー樽の影響です。香りを確かめてください。ブドウ原料の酒精強化ワインらしい甘さが濃厚です。しばらくすると、宮城峡らしいスピリッツの特性も感じられるでしょう。フルーティーで華やかな、ラベンダーやハーブを思わせる香りです」 口に含むと、耽美な衝撃が走った。圧倒的な柔らかさのなかに、どこまでも複雑な深みを漂わせている。 「熟成感のとれた、古酒ならではの柔らかい甘さ。麦の香ばしさや、カシューナッツのような滑らかさも感じられます。樽熟成による渋みもありますが、年数を重ねているので口当たりは非常にソフト。またライトピートの麦芽を使用しているので、鼻の奥にほんのかすかなピートの余韻も感じられますね」 50年熟成の原酒を筆頭に、十数年の比較的若い原酒までを加えることで溌剌とした印象も表現したブレンダー渾身の作である。 もう一方の「シングルモルト余市 リミテッドエディション2019」は、力強く厚みのある味わいの余市モルト原酒の中から、やはり5つの年代の原酒をヴァッティングしたもの。ダークチョコのようなビターな味わいや、香ばしい麦のコクが特長である。オーク由来のバニラの香りに加えて、力強いピートの余韻が圧巻だ。 「シェリーの甘さとは異なった、バニラのような甘い香り。これは新樽由来の要素です。余市らしいピートが、舌に乗った瞬間に鼻へ抜けていきますね。オレンジピールの華やかな香りも感じられ、口の中にピートや麦の香ばしさがいつまでも広がっていきますね」 各年代のモルト原酒を絶妙に調和させたブレンディングの驚き。どこまでも深く豊かな余韻は、長い歳月と人の英知を積み重ねた贅沢な味わいだ。 「シングルモルト宮城峡 リミテッドエディション2019」と「シングルモルト余市 リミテッドエディション2019」は、3月12日(火)から各700本限定で発売予定。数量が少ないため、ホテルやバーなど業務用市場が対象となる。 「ウイスキー未来基地」から、次の半世紀をスタート 宮城峡蒸溜所の設立50周年を記念し、今年のニッカウヰスキーは数量限定商品の発売や特別企画展などで蒸溜所の魅力を伝えていく予定だ。キャンペーンのテーマは「ウイスキー未来基地」。過去を振り返るだけでなく、革新的なスピリッツの可能性に挑戦を続けていこうというニッカウヰスキーの強い意思が込められている。 アサヒビール洋酒・焼酎マーケティング部の奥田大作部長によると、2018年の国内ウイスキー市場は前年比108.7%と引き続き拡大傾向を示している。目下の問題は、継続的な需要増大による原酒不足だ。 将来的な安定供給を目指し、宮城峡蒸溜所はモルトウイスキーとグレーンウイスキーの両方で増産計画を進めている。2019年の生産量は、ともに2015年比で約180%となる見込みだ。また2021年までに宮城峡蒸溜所でウイスキー樽貯蔵庫を新設して、原酒所蔵能力を約4割増とする予定である。 アニバーサリーイヤーとなる今年は、宮城峡蒸溜所のグレーンウイスキーを使用した「スーパーニッカ」、カフェスチルを活用した革新的スピリッツ「ニッカ カフェジン」「ニッカ カフェウォッカ」などの商品でも50周年を祝う予定だ。ニッカウヰスキーホームページ内に新設する専用サイト(https://www.nikka.com/distilleries/miyagikyo/50th/)で情報をチェックしてみよう。 竹鶴政孝が目指した理想のウイスキーづくりに終わりはない。宮城峡蒸溜所は、新しい半世紀に向けて一歩を踏み出したばかりだ。
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建築デザインから見るウイスキー蒸溜所の未来【前半/全2回】
ウイスキーづくりの長い歴史のなかで、蒸溜所建築はどのように変遷してきたのだろうか。話題の設計事務所を訪ね、ウイスキー業界の未来を探る2回シリーズ。 文・ガヴィン・スミス ウイスキー蒸溜所の建築デザインは、長年にわたって進化を続けてきた。農場で余っている建物を改造した時代に始まり、やがてモルティング用にパゴダ状の煙突を戴いたビクトリア朝様式に移行した。当時の建築家な中では、由緒ある数々の蒸溜所を設計したチャールズ・ドイグが特に有名である。 その後も1960~70年代にスコッチウイスキーの需要が増えた時期に、スコットランドでは蒸溜所の建設や改築が盛んにおこなわれた。この時期に新設された蒸溜所の多くは、ネオブルータリズム様式に分類される建築が多い。 そして現在、スコットランドにおけるウイスキー蒸溜所はかつてないほど増加を続けている。蒸溜所の建築デザインも重視され、とりわけ周囲の環境に対する影響に考慮した設計が注目されるようになってきた。 最近の蒸溜所建築で頭角を現している設計会社が、オーガニック・ディスティラリーズ社である。ガレス・ロバーツが2005年に設立したオーガニック・アーキテクツ社の関連会社だ。アーガイル・アンド・ビュートのヘレンズバラに本拠地があり、世界中の蒸溜所を対象に専門性の高い建築設計とコンサルト業務を提供している。 ガレス・ロバーツはチェシャー州の生まれだが、12歳からはパースシャーのカランダーで育った。都市計画の分野で働きはじめ、米国やロシアでも経験を積んだ後に、自らの会社を興したのだという。独立当時のいきさつを振り返って語る。 「最初は主に住宅を設計していました。目指したのは、コミュニティの形成を意識したエコ建築の新しい形です。最初の蒸溜所は、創立から3年後に手がけることになりました。社名で『オーガニック』を名乗っているは、私たちが物事を『エコ』の視点から捉えているからです。エネルギー効率の問題はもちろん、コミュニティを有機的に進化させる要素も重視します。建築のアイデアを持ってやってくる人たちが、結果的にクライアントになってくれていますね。税制上のアドバイスや、保険制度にまつわるアドバイスも提供しています。蒸溜所を建設してみようかな、と考えている段階から、最初のスピリッツが流れ出すまでのお手伝いが私たちの仕事です」 辺境だからこそ必要となる先進性 同社で最初の蒸溜所プロジェクトは、アードナマーチャン蒸溜所の建築設計だった。場所はスコットランド中心部から遠く離れたアードナマーチャン半島のグレンベッグで、マル島から海を渡ってすぐの海岸沿い。独立系ボトラーのアデルフィ・ディスティラリー社が建設した蒸溜所で、バイオマス発電を採用していることから世界で最も二酸化炭素排出量が少ない蒸溜所のひとつとして知られるようになった。ガレス・ロバーツが説明する。 「あんな辺鄙な場所で、ボイラーを回すためにいちいち灯油を調達すると費用がかさみます。クライアント自身も、地元で調達できる燃料を使用したいと希望していました。そこで土地の木の枝を切ってバイオマス燃料にするシステムを採用したのです。1リッターあたりの生産コストを抑えればビジネス上の恩恵があり、しかもバイオマスなら環境にもやさしいので一石二鳥という訳です」 そしてロバーツは、他にも新しい蒸溜所建設の基準となるようなアイデアを盛り込んだ。 「アードナマーチャン蒸溜所では、スチルを窓際に配置しました。スチルはたびたびネックの交換が必要になるので、窓のそばなら排気にも便利。スチルの部品を置く場所にも困りません。そして窓際に置いたスチルは美しい。夜になると、その存在感は見事ですよ。何しろスチルは蒸溜所のスターですから」 蒸溜所の建築デザインには、克服すべき問題がたくさんあるとロバーツは言う。建築設計は、あらゆる問題へのソリューションを含んだものでなければならない。 「例えば蒸溜エリアは乾燥して高温になりがちですが、糖化エリアは水をたくさん使うので湿度の高い環境です。どちらのエリアも、高度な換気性能を必要とします。そしてもちろん建築法による設計上の規制、はたらく人の健康や安全に対する配慮やベストプラクティスにまつわる法令も守る必要があります。このような要素をすべて検討しながら、建設地の風景に溶け込むようなデザインを考えるのが私たちの仕事。魅力的な外観で、土地の環境にぴったりの建築を設計する必要があります」 そしてもちろん、ガレス・ロバーツは蒸溜所建築がウイスキーブランドと一体であることも忘れてはいない。 「蒸溜所は、ウイスキーメーカーにとってブランドの故郷とでもいうべき存在。視覚的に美しく、感性に訴えるデザインを望むのは当然のことでしょう。私たちの世界で、もっとも重要なのは本物であること。本物の正統性を感じさせないブランドからは、人々の心がすぐに離れてしまいます。そしてビジターの体験も極めて大切。その点では、既存の建物を利用した蒸溜所よりも、ゼロから建設できる蒸溜所のほうがビジターを呼び込むデザインにしやすいですね」 (つづく)
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建築デザインから見るウイスキー蒸溜所の未来【後半/全2回】
新進蒸溜所の設計を見れば、ウイスキーの未来がわかる。オーガニック・ディスティラリーズ社の蒸溜所建築は、長期的な地域コミュニティの維持を目的としている。 文・ガヴィン・スミス 先進的な蒸溜所建築で注目されるスコットランドのオーガニック・ディスティラリーズ社は、英国をはじめ世界中のスピリッツメーカーに優れた建築設計とコンサルティング業務を提供している。創業者のガレス・ロバーツが目指すのは、エコの視点を基本にしながら地域コミュニティーの持続を支援する蒸溜所ビジネスの構築だ。 最初のプロジェクトであるアードナマーチャン蒸溜所を手がけて以来、同社はさまざまな蒸溜所の新規建築やリニューアルを手がけてきた。スコットランドでは、ドリムニン蒸溜所とリンドーズアビー蒸溜所が有名である。 ドリムニン蒸溜所は、アードナマーチャン蒸溜所よりもさらに辺鄙な場所にある。本土からではなく、マル島からアクセスしたほうが早いくらいだ。蒸溜所はかつて農場で使われていた建物を再利用したもので、これはファイフにあるリンドーズアビー蒸溜所も同様であるとガレス・ロバーツが語る。 「ドリムニン蒸溜所の動力も、アードナマーチャン蒸溜所と同じバイオマス燃料のボイラーです。ここもまた交通が不便な場所なので、灯油に頼るとコストがかさんできます。そしてまた、蒸溜所周辺の地域には木も多いのです」 このような蒸溜所の建築を考える時、ロバーツが大切にしているのはテロワールだという。 「テロワールは最大の関心事のひとつです。ウイスキーが熟成される環境は、ウイスキーづくりにおいて極めて重要なこと。マイクロディスティラリーの人々は、私以上にテロワールについて考えているはずです。アードナマーチャン蒸溜所とドリムニン蒸溜所では、新設した貯蔵庫のスタイルに伝統的なダンネージ式を採用しました。リンドーズアビー蒸溜所でも、古い牛小屋をダンネージ式貯蔵庫に改装しています。温度の変化を最小限に留めるには、分厚くて重量のある壁が必要。でもやはりウイスキーが生産地特有の環境から品質に影響を受けるダンネージ式が好きなのです」 オーガニック・ディスティラリーズ社が手がけた最近の設計プロジェクトに、ダートムーアのプリンスタウン蒸溜所がある。蒸溜所の敷地は、コーンウォール公チャールズ王太子の領土なのだとロバーツが説明する。 「中庭を囲むいくつかの建物で構成された蒸溜所です。生産に関する機能は背後にまとめているので、正面からはすっきり整頓された外観ですよ。蒸溜棟から2階建ての貯蔵庫までは移動も簡単。建設は2018年初頭に始まっており、数年内に稼働できるでしょう。建設の各段階では、チャールズ王太子から承認をもらわなければなりません。王太子は芸術に造詣が深い方なので、最初の設計案を水彩画で提出しました。どうやらそれがうまくいって採用されたんです」 蒸溜所の建設は、落成して終わりという訳でもない。なぜならウイスキー業界を取り巻く状況が刻々と変化しているからだ。 「ビジネスパートナーの多くは、将来に設備を拡張できるスペースを確保したがっています。それは需要が増大したとき、ウォッシュバックやスチルを増設するための余分な空間が必要になるから。中庭付きの設計が多いのは、設備へのアクセスが便利な上に、簡単に拡張もできる構造だからです」 持続可能なトレンドでコミュニティの世紀を生き抜く 約10年前に創立されたオーガニック・ディスティラリーズ社は、ウイスキー業界の動きと一体化しながら成長してきた。スコットランド北部から、西部の島嶼地域、イングランド南部まで、英国一帯で起きている新しい流れをガレス・ロバーツはよく理解している。 「私たちの設計や管理思想は、クラフト蒸溜所のニューウェイブと深い関連があります。ビジネスは多角化し、生産するお酒のタイプも豊富になり、ボトリング施設や貯蔵庫などの建築設計にも新しい発想が求められるようになりました」 ウイスキーづくりに参入するベンチャー企業の新しいトレンドは環境への配慮だ。そのひとつが、化石燃料に代わる低炭素燃料の使用である。これはアードナマーチャン蒸溜所とドリムニン蒸溜所の例でも説明した通りだ。 「ウイスキーづくりに参入する新しい事業者は、蒸溜所の運営が長期間にわたる投資であることを理解しています。そのため化石燃料を大量に使用する事業が課税対象となって、設備が時代遅れになる将来のリスクも見込んでいるのです。さらに先見の明がある事業者たちは、環境にやさしい事業に徹することで企業の社会的責任を果たし、消費者の要望にも応えることができると知っています」 さらにロバーツが意識しているもうひとつのトレンドは、地域コミュニティが深く関与する蒸溜所運営のあり方だ。 「地方の地権者の多くが、再生可能エネルギーによる事業から大きな収入を得ています。彼らはブラウンスピリッツの蒸溜所に大きな期待を寄せていますが、その理由はいくつかあります。まずスピリッツづくりが地図に載る事業であること。既存の有名な蒸溜所とのつながりを生まれると、ウイスキートレイルのようなビジターの通り道になります。また蒸溜所運営は、時に百年単位の長期的な利益を生み出す投資にもなりえます。地域コミュニティのビジネスが、自動化をあえて回避して、古風な昔ながらのスタイルで受け継がれることを好むのもポイントです。それは地域コミュニティを支える事業の目的が、まず持って雇用の創出であるからでしょう」 新しくウイスキーづくりに参入したベンチャー企業の多くは、地域コミュニティとのつながりを重視している。地方ではキャリアアップのために地元を離れてからUターンする者もいれば、生まれ育った故郷への愛着からずっと蒸溜所の仕事に携わりたいと考える者もいる。蒸溜所は比較的安定した職場となり、観光業などに好影響を波及させてより広いコミュニティに貢献することもできる。また蒸溜所ができることで、ある一定の季節に偏っていた観光客の数を分散することにもつながる。 ガレス・ロバーツは最後にこう語った。 「ウイスキー蒸溜所のビジネスは、社会にとてもポジティブな影響を生み出しています。遠く離れた地方では、ウイスキーづくりと同レベルの恩恵をもたらせるビジネスは他にほとんど見当たりませんから」
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「ブルックラディ アイラ・バーレイ 2011」が到達した、新たなテロワールの真骨頂
ウイスキーの聖地アイラ島で、妥協のない独自路線を歩み続けるブルックラディ。テロワールの真価を体現した最新作「ブルックラディ アイラ・バーレイ 2011」が発売間近だ。 文:WMJ アイラ島の西岸に建つブルックラディ蒸溜所は、アイラの風土にこだわり抜いたウイスキーづくりで知られるユニークな存在だ。モダンなボトルデザインとは裏腹に、その生産スタイルは愚直の一言。設立された1881年当時の蒸溜設備に手を入れつつ使い続け、今でも多くの工程を手作業に委ねている。 操業を再開した2001年5月29日から、ブルックラディには大きな目標があった。それはウイスキーづくりのすべてをアイラ島で完結させること。ひとつの象徴が、アイラ産大麦100%のウイスキーだ。アイラウイスキーなら当然と思われるかもしれないが、実は島の大麦を使用している蒸溜所はブルックラディとキルホーマンのみで、しかも100%ではない。古くからアイラ島の気候は大麦の栽培に向いていないと考えられ、ウイスキー用の大麦栽培が完全に廃れていたのだ。ウイスキーの聖地といえどもゼロからこの難題に挑む者はなく、実現したところでコスト面での問題も生じる。そもそも法律では蒸溜さえ国内でしていれば、原料はどこのものであろうともスコッチウイスキーを名乗れるのだ。あえてリスクを冒す必要はない。 だがブルックラディは諦めなかった。近隣で農業を営むレイモンド・スチュワートの協力を得て、初めてウイスキー用の収穫に成功したのが2004年のこと。蒸溜所の成長もあって、契約農家は現在17軒にまで増えている。真のスコッチウイスキー、アイラのテロワールを体現するウイスキーづくりを実現し、業界の常識を覆したのだ。 しかも、ただ島内で大麦栽培を行うだけではない。どこで、どんな品種の大麦を、どのように育てるのか。ブルックラディの実験的プロジェクト「大麦探求プロジェクト」は、ほかのどの蒸溜所とも異なるアプローチだ。その3つの柱のひとつ「アイラ・バーレイ」では島内での大麦栽培によるテロワールの探求、究極のアイラウイスキーづくりへの終わりなき挑戦が続く。さらに昨年リリースされた「ジ・オーガニック」では環境負荷の少ない栽培方法の探求、「ベア・バーレイ」では古代品種の大麦から得られる風味、同時に短期栽培品種のため食糧問題解決の可能性の探求がサブテーマとなっている。 このたび4月1日に発売される「ブルックラディ アイラ・バーレイ 2011」は、シリーズ第6弾となる最新作。アイラ島の西部および中心部にある6軒の農家が育てた大麦のみを使用している。なお前作までの「アイラ・バーレイ」は黄色のパッケージだったが、本作からは「大麦探求プロジェクト」のファミリーであることを示すグレーグリーン調に衣替えした。 本作「ブルックラディ アイラ・バーレイ 2011」に使用された大麦は、2010年にアイラ島で収穫されたパブリカン種とオックスブリッジ種。「ブルックラディ」ブランドはノンピートのため、アイラ島産の大麦の風味をそのままウイスキーに残している。 麦に究極的にこだわる一方で、ブルックラディはユニークな樽の使い手でもある。世界各地から優れた樽を取り寄せては、酒質に合わせた樽との組み合わせを試行錯誤し、その素晴らしい効果を経験と実績として蓄積している。本作では、力強い酒質を活かすファーストフィルのバーボン樽を主に使用。さらにファーストフィルのワイン樽(リヴザルト/南仏の天然甘口ワイン)、セカンドフィルおよびサードフィルのワイン樽(ソーテルヌ/オーストリア産甘口白ワイン)を使用し、柔らかな甘さや爽やかなフルーティーさをまとわせている。それぞれの樽で熟成した原酒をヴァッティングして6ヶ月間後熟し、蒸溜所内でボトリングをおこなう。加水はもちろんアイラ島の湧き水で、アルコール度数を最適な口当たりの50%に調整する。ノンチルフィルターで無着色、生粋のアイラ育ちの風味をそのまま楽しむことができる。 アイラ島の風土を余すところなく表現 まさに生粋のアイラモルトと呼ぶべきウイスキーを味わってみよう。 グラスに注ぐと、あふれんばかりの柔らかいフルーツ香とフローラルなアロマが繊細に立ち上がる。エレガントなブルックラディのスタイルが、一段と軽やかになった印象だ。口に含むと感じるのは、美しいほどに柔らかくクリーミーな口当たり。大麦由来のオイリーな感触が舌を包み込み、花々の香りや大麦糖の甘みも伴っている。柑橘系の風味が海の印象を際立たせ、黒コショウとショウガの微かなスパイスも心地よい。 舌に残る余韻も複雑で、完成までの長い道のりを想い起こさせる後味だ。 しっかりとした骨格と、贅沢なテクスチャーはブルックラディの本質だ。テロワールへの忠実を全うすることで、自然の力が魅力的なウイスキーの品質やフレーバーとして表現される。これがアイラ産大麦にこだわった「アイラ・バーレイ」ならではの醍醐味であろう。 細部にまでブルックラディの哲学を宿し、真のアイラらしさを味わえるウイスキー。進化し続ける唯一無二のヴィンテージを味わってみよう。
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シングルモルトのパイオニア「グレンフィディック」を味わう【前半/全2回】
世界最高の売上を誇るシングルモルトウイスキーは、伝統を守りながらもチャレンジを忘れたことがない。ウイスキーの未来を切り開いてきたグレンフィディックの足跡を辿る2回シリーズ。 文:WMJ 世界中で大人気のシングルモルトウイスキー。数ある銘柄のなかで、堂々の売上ナンバーワンはグレンフィディックだ。世界最多の受賞歴を誇り、2017年の売上は122万ケース。これほどのブランドが、今もまだ家族経営で伝統製法を守っているのは驚きである。 グレンフィディック蒸溜所を創設したのは、1839年生まれのウィリアム・グラントだ。仕立て屋の息子として育ち、家計を助けるために羊飼いとして働いた経験を持つ。この頃の経験からスペイサイドの風土を熟知し、後年の蒸溜所建設に役立ったといわれている。 27歳からモートラッハ蒸溜所に勤務し、自分の蒸溜所を持ちたいと思うようになったウィリアム・グラント。1886年に独立を決意したときは、もう47歳になっていた。通常なら引退を考えるような年齢で、最高の1杯をつくるために大きな一歩を踏み出したのである。 ハイランドのスペイサイド地域にあるダフタウンで、ウィリアム・グラントは9人の子どもたちと1人の石工職人の力を借りながら蒸溜所建設に着手した。鹿(フィディック)の谷(グレン)を意味するゲール語から、蒸溜所を「グレンフィディック」と命名。7人の息子と2人の娘の力を結集した家族総出の船出だった。 当時はブレンデッド全盛の時代である。創業者の娘婿にあたる2代目のチャールズ・ゴードンは、1898年にブレンデッドウイスキー「グランツ」を発売。これが人気を博して1909年には海外進出も果たした。試練が訪れたのは、創業者の孫にあたるグラント・ゴードンの時代だ。米国では1920年から禁酒法が施行され、大恐慌も追い打ちをかけてウイスキー市場は大打撃を受けた。 メーカーが軒並み生産を制限するなか、グレンフィディックは「厳しいときがチャンス」とばかりに生産量を拡大する。この逆張り戦略は、未来を見通す見識から生まれたものだ。「禁酒法はいつか終わる。その時には巨大な米国市場に打って出よう」と考え、事実その通りになったのである。 周囲の反対を押し切ってシングルモルトを普及 さらに大きな挑戦を敢行したのは、創業者の曾孫にあたる4代目のサンディ・ゴードンだ。彼こそが、シングルモルトウイスキーという新カテゴリーを初めて世界に売り込んだ人物である。ブレンデッド一色の1963年に、シングルモルトウイスキーを携えて単身ニューヨークに渡った。一見無謀な試みに、冷ややかな目を向ける周囲の人々。マディソンアベニューの広告代理店も「この国でシングルモルトは流行らない」と決めつけた。 だがサンディ・ゴードンには、成功への秘策があった。ニューヨークとシカゴを結ぶ鉄道内でグレンフィディックを提供し、ハリウッド関係者と交流することで映画に露出。「もうブレンデッドでは満足できなくなる」という大胆な広告を打ち、とうとうシングルモルトの普及に成功したのである。グレンフィディックが「初めて世界に挑戦したシングルモルト」と呼ばれる所以だ。 1969年に、世界で初めてのビジターセンターを開設した蒸溜所もグレンフィディックだった。シングルモルトウイスキーの成功によって、多くのファンが生産地に足を運びたいと考え始めていた。現在スコットランドのウイスキー蒸溜所は年間100万人以上の観光客を迎え入れているが、その先鞭をつけたのはグレンフィディックである。シングルモルトというカテゴリーを創造して英国に繁栄をもたらした功績により、1974年にはウイスキー業界で初めて英国政府公認の「クイーンズアワード」を受賞している。 世界的なビッグブランドになった今も、グレンフィディック蒸溜所では創業家の親族が汗を流しながら働いている。ウイスキーづくりは長い時間を必要とするビジネス。目先の利害にとらわれず、長期的な視点で判断できるのは家族経営の賜物だ。 (つづく) シングルモルトウイスキーのパイオニア「グレンフィディック」の歴史、こだわり、商品ラインナップなどを網羅した公式ホームページはこちらから。 WMJ PROMOTION
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シングルモルトのパイオニア「グレンフィディック」を味わう【後半/全2回】
世界で初めてシングルモルトを普及させ、今なお家族経営で独立を守るグレンフィディック。グローバルブランドアンバサダーのストゥラン・グラント・ラルフ氏とともに、豊かなラインナップを味わおう。 文:WMJ 世界180カ国以上で愛飲され、数々の栄誉あるアワードを受賞してきたグレンフィディック。今回日本にやってきたのは、グローバルブランドアンバサダーのストゥラン・グラント・ラルフ氏だ。スペイサイドに生まれ、バーテンダーの経験も豊富な彼がグレンフィディックのウイスキーづくりについて詳細に解説してくれる。 蒸溜所が密集するスペイサイドのなかでも、ダフタウンは特にウイスキーづくりに最高の環境だ。グレンフィディックが仕込みに使うロビーデューの泉は、山岳地の雪解け水が石灰岩の地層で濾されたミネラル豊富な名水。創業時に1,200エーカー(500万平米弱)もの水源地を買い上げたウィリアム・グラントには、間違いなく先見の明があったといえるだろう。 現在のモルトマスターは、6代目のブライアン・キンズマン氏。あらゆる工程を内製化しているグレンフィディックは、昔ながらの手づくりを守るため、スペイサイドの蒸溜所では最多となる250人以上を雇用している。 ストゥラン氏が、個性豊かな同僚たちの横顔を紹介してくれる。マッシュマンのアリ・バッケン氏は、クラシックカーを自作するほどの機械マニア。スチルマンのジョージ・ガリック氏は、自分の父親が建てた蒸溜棟の番人だ。デニス・マックベイン氏は1957年入社の蒸溜器職人で、スチルを叩いた音を聞けば交換時期がわかる。イアン・マクドナルド氏は、もうすぐ勤続50周年を迎える小柄で頑健な樽職人。熟成庫番のマイク・ドーソンは、最高の原酒の在り処を誰よりも熟知している人物だ。 ウイスキーづくりは、発酵工程で最初の大きな山場を迎える。木製のウォッシュバックに投入した麦汁が長めの発酵時間でアルコール度数を10%以上にまで高め、青リンゴや柑橘のようなグレンフィディックらしい香りがもろみに備わる。 大規模蒸溜所にそぐわない小型スチルも、グレンフィディックのシンボルだ。ウィリアム・グラントが使った初代のスチルとまったく同じ寸法で、ボール型とランタン型の組み合わせも不変。今では珍しい伝統的な直火加熱も守っている。 グローバルブランドアンバサダーと一緒にテイスティング ストゥラン氏の手引きでテイスティングが始まる。まずは1963年に生まれた定番品「グレンフィディック 12年 スペシャルリザーブ」だ。おなじみグリーンの三角ボトルは、ロンドンの地下鉄も設計したハンス・スフレーヘルによるデザイン。水、麦芽、風土の三要素を表現したユニークなフォルムなのだとストゥラン氏が説明する。 「グレンフィディック 12年 スペシャルリザーブは、バーボン樽熟成原酒とオロロソシェリー樽熟成原酒をヴァッティングしています。長時間発酵で生まれるフルーツ香がはっきりと感じられ、宵の口に飲むハイボールに最適。洋ナシのスライスやレモンツイストなどを添えると味わいが引き立ちますよ」 グレンフィディックは、1998年から容量2,000Lの木製桶で3ヶ月以上原酒を寝かせる革新的な行程を採用している。これはシェリーを熟成するソレラシステムの応用だ。常に半分以上を桶内に残すので、うなぎのタレのように長期熟成原酒を受け継いでブレンドに深みが加わる。 このシステムから生み出された「グレンフィディック 15年」は、原酒の構成も面白い。バーボン樽熟成原酒、シェリー樽熟成原酒、そしてオーク新樽の熟成原酒を融合させた味わいだ。 「バーボン樽はハチミツやオレンジの香り。シェリー樽はリッチなフルーツ香や長い余韻。そして新樽はフレッシュで乾いたオークの香りを生み出します。このウイスキーはチェイサーといっしょにストレートで楽しみ、ダークチョコレートと合わせるのがおすすめですね」 その名の通り小ロットでつくられた「グレンフィディック 18年 スモールバッチリザーブ」は、「12年 スペシャルリザーブ」と同じバーボン樽原酒とシェリー樽原酒を使用。だが熟成期間を延ばすことによって、グレンフィディックらしさが凝縮されている。 「原酒を6ヶ月間後熟して、バランスのとれた融合感を表現しました。スペシャルリザーブが食前酒なら、こちらは食後酒にぴったりです」 最後に味わった「グレンフィディック 21年」は、バニラやトフィーを思わせるクリーミーな甘さが素晴らしい。バーボン樽の熟成原酒を多めにして、カリビアンラム樽で4ヶ月間フィニッシュした芳醇な仕上がりだ。 「自社内に樽工房を抱えているおかげで、ラム樽も独自にシーズニングしています。バナナ、イチジク、タバコ、少し酸化したフルーツなどの重層的な熟成感があり、夜の締めにふさわしいウイスキーですね」 それぞれのボトルに革新的な工夫がある。だが核となるフルーティーな特性にブレはない。世界屈指の出荷量を誇りながら、今なお家族経営を続けるグレンフィディックの底力が感じられるテイスティングだった。 「伝統を保持して職人技を重んじる。その一方で、新しい挑戦も忘れてはならない。6代目モルトマスターのブライアン・キンズマンはいつもそう語っています」 シングルモルトの分野を切り開いたグレンフィディックは、これからも新しい挑戦で私たちを驚かせてくれるだろう。 シングルモルトウイスキーのパイオニア「グレンフィディック」の歴史、こだわり、商品ラインナップなどを網羅した公式ホームページはこちらから。 WMJ PROMOTION
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世代交代が告げられた夜
デービッド・スチュワートがウイスキー業界での勤務56周年を祝った特別な宴。ウイスキーを愛する人々とテームズ川に漕ぎ出し、バルヴェニーの世代交代を予告した。 文:フィービー・カルバー 初めてのテイスティング体験は、生涯忘れないものだという。ウイスキーマガジンで働き始めたばかりの私自身にとっても、それは印象深い経験だった。バルヴェニーのモルトマスターであるデービッド・スチュワートが、ウイスキーの愛好家やエキスパートを集めて開催したテイスティング会。しかも後継者にケルシー・マッケニーを指名するというサプライズがあり、人生最高の瞬間を祝う特別な夜になったからだ。 その宴は、ロンドンのセントジェームズにあるスタフォードホテルで始まった。この日の催しにぴったりのロケーションである。なぜなら一同は、まずボートに乗ってテームズ川に漕ぎ出すことになっているからだ。行き先は誰にも告げられていない。 夕暮れの日差しを浴びながら「バルヴェニー カリビアンカスク」を飲んで身体を温める。1時間後、船はグリニッジ天文台に到着した。思いもよらない展開だが、バルヴェニーの新時代を祝うのには完璧なセッティングだ。25年熟成のダブルウッドコレクションを味わいながら、遠くダフタウンの蒸溜所を想いながら夜空を見上げた。 こんな場所まで連れられてきた理由を、私たちはまだ知らされていない。それでも何か公式な発表がありそうなムードはひしひしと高まっていた。 この日でウイスキー業界56周年を迎えるデービッド・スチュワートが、ついに一同に向かって告げる。それはバルヴェニーの世代交代にまつわる大きな決断だった。部下であるケルシー・マッケニーを、モルトマスターの見習いに任命したのだ。
ノウハウの継承はすでにスタート 一時代を築いた師匠と若き弟子。2人の深い信頼関係は、周囲からもはっきりと感じ取れた。翌朝、スタフォードホテルのアメリカンバーで今回のいきさつについて2人に訪ねた。ケルシー・マッケニーが語り始める。 「ここ数週間、今回の話は社内でも秘密にしていたんです。社員食堂でデービッドを見かけても、まるで他人のように無視したり(笑)。やっとリラックスできるので嬉しいです」 デービッドも経緯を説明する。 「難しい決断ではありませんでした。私とマスターブレンダーのブライアン・キンズマンは、ケルシーと密接に連携しながら働いてきました。会社のなかで完璧なトレーニングと経験も積んでいるケルシーを見て、ずっとモルトマスターの最有力候補であると考えていましたから」 ウイスキー業界で働き始めたいきさつはそれぞれに異なる。それでも2人はバルヴェニーの将来についてほとんど同じ見解を持っているのだとケルシーは語る。 「私はもともと生物医科学を学んでいましたが、もっと自分がやりたいことをしようと考えて大学院では蒸溜と醸造を学びました。モルトマスターはずっと憧れていた夢のような仕事。ブレンディングのチームと一緒に、ノージングやテイスティングをするのが大好きだからです。蒸溜所とウィリアム・グラント&サンズの仲間たちには、仕事に対する本物の誇りがあります。だから今後のことを考えると、喜びだけでなく大きな責任も感じています」 ここ8年の間、デービッドはバルヴェニーブランドだけに専念して商品レンジ全般の変革に取り組んできた。今後は第一線からも徐々に退いていくことになるだろう。デービッドが静かに語る。 「素晴らしいファミリーに囲まれながら、これまでモルトマスターを務められたのは本当に光栄なこと。これからケルシーの船出をサポートしていく過程も楽しみにしています」
世代交代の際に、師匠から弟子に膨大な知識の継承がおこなわれるのは言うまでもない。バルヴェニーの伝統をしっかりと守るため、2人にとってはここからが真剣勝負となるだろう。ケルシーが抱負を語る。 「学ぶべきことがたくさんあります。でも自分が幸運な立場にいることは疑いようもありません。デービッドは気付いていないかもしれませんが、横で一緒に働いているだけでたくさんの専門知識を学ぶことができるのですから。これは本当に素晴らしい環境です」 今後も2人は一緒に働きながら、数年間にわたって革新的なスピリッツづくりのノウハウを共有していく。そして引き継ぎが完了したと双方が納得できた時点で、正式に新しいモルトマスターが誕生するのだとデービッドが説明する。 「徐々にケルシーの仕事を増やし、自分はいずれゆっくり休めるような体制に移行させていきます。これから数年内に発売が予定されている商品を一緒に準備するのが楽しみです。ケルシーも私も、3〜4件のプロジェクトを同時進行するのが好きなタイプ。時間のかかるプロジェクトばかりなので、しっかりとした準備も必要です」 昨夜のテイスティングでも、2人の革新的な能力を垣間見る機会はあった。今回の決断が正しかったかどうかは、将来に味わうウイスキーの品質で証明されることだろう。 ただひとつだけ確かなのは、バルヴェニーのダブルウッドが新しい時代に一歩を踏み出したということだ。モルトマスター見習いがスポットライトを浴びる日まで、たくさんのドラマが用意されているはずである。未来を担うケルシー・マッケニーが意気込みを語ってくれた。 「ここまでの経験も素晴らしいものばかり。興味の赴くままに小さな試みをたくさん積み重ねながら、舞台裏でウイスキーの可能性を模索し続けています。これからどんなウイスキーが生まれてくるのか、私も本当に楽しみにしています」
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富山で世界初のポットスチル鋳造が進行中
世界で初めてとなる鋳造ポットスチル「ZEMON」(ゼモン)が、北陸唯一のウイスキー蒸留所に生まれつつある。前例のない挑戦を決断した若鶴酒造と、高度な技術で新分野を拓いた老子製作所を訪ねた。 文:WMJ 写真:チュ・チュンヨン 暖かい南風が、北陸の大地にも春を運んでくる。 富山県砺波市の若鶴酒造は、1952年からモルトウイスキーを生産してきた老舗酒造メーカー。ここ数年は北陸唯一のウイスキー蒸溜所である三郎丸蒸留所の設備を強化している。クラウドファンディングで蒸留所を改装し、その後マッシュタンを更新し樽のタガ締め機を導入した。そして、このたび新型のポットスチル(単式蒸溜器)を開発に取り組んでいる。 ウイスキー用のポットスチルは、銅板を加工する鍛金製法が世界基準。だが三郎丸蒸留所の新しいポットスチルは、伝統産業である高岡銅器の鋳造技術で造られているという。鋳造によるポットスチルは、世界中どこにも前例が見当たらない。つまり史上初の画期的な挑戦ということになる。 木造合掌造りの三郎丸蒸留所を訪ねると、真新しい2基のポットスチルは吹き抜けエリアに行儀よく収まっていた。容量は1基3,000Lで、同じ鋳型から生まれた双子のような姿である。若鶴酒造5代目の稲垣貴彦氏が説明する。 「富山が誇る高岡銅器の技術を、ウイスキーづくりに活かしたいと思っていました。従来のポットスチルは製造に時間がかかり、銅板の厚みにも限界があります、また、複雑な形状を造るためには高度な技術が必要になってしまいます。技術的な条件さえクリアできれば、鋳造によりそのような課題も克服できるのではないかと考えていたのです」 砺波市に隣接する高岡市は、日本の銅器の9割以上を生産している。有力メーカーの中から白羽の矢が立ったのは、創業約300年の老子(おいご)製作所。江戸時代以来、梵鐘の製造で日本一のシェアを誇る老舗だ。50トンクラスの超大型梵鐘を製造できる国内唯一のメーカーでもある。 いかに経験豊富な老子製作所といえども、ポットスチルは初めての挑戦だ。それでも製造部長を務める老子祥平氏は、稲垣氏に「できる」と請け合った。納期は約6ヶ月で、一度型を作れば2基目からは低コストで造れる。だが世界初の試みゆえ、稲垣氏には製造前に払拭すべき懸念があった。 「鋳物は銅合金なので、錫が8%ほど含まれます。もともと錫は焼酎の冷却蛇管にも使用されており、酒質をまろやかにするといわれています。、この錫のニューポットの風味への影響を分析する必要がありました。そこでステンレス板金、純銅板金、銅錫合金の3種類で容量2Lの小型スチルを製造してもらい、パーツを入れ替えながら成分と風味の変化を検証しました」 ポットスチルに銅を使用するのは、硫黄化合物の不快な風味を取り除いてくれるから。それが銅錫合金ならどうなるのだろう。業界の常識を一変させるかもしれない検証に、富山県立大学、富山工業技術センター、パネラーとして酒類総合研究所が協力した。 実験結果は、予想を上回る内容だった。初溜と再溜の両方で、銅錫合金は純銅と同レベルで硫黄臭を低減させている。そればかりでなく、肉や汗のような不快臭については、わずかだが純銅を上回る低減効果も示したのである。 「銅と錫はよく似た金属なので、同様の化学的効果は予想していました。それに加えて鋳物の表面は滑らかな鍛金よりも凹凸が多いので、表面積に比例して触媒作用が発揮されたのではないでしょうか」 鋳造ポットスチルのメリットは豊富 老子製作所は、若鶴酒造から北に5kmほど離れた高岡市内の工業団地にある。梵鐘や銅像を始め、日本中の銅器を幾世紀も造り続けてきた職人の町。鋳造は江戸時代初期に勃興した産業だが、ここ高岡では室町時代から鋳造師がいたらしい。 案内してくれるのは、ポットスチルの製造を指揮した老子祥平氏。ベテラン職人と若手が混在し、活気あふれる職場だ。炉内で溶かした銅を鋳型に流し込む作業がおこなわれている。 老子氏が、初めてのポットスチル製造を振り返って語る。 「普段から細かい造形を鋳造しているので、鋳型さえ造れば製造工程は大差ありません。それでも材料の均一性と耐久性については気を配りました。鋳物の良さは、鋳型さえあれば再生産が容易なこと。砂に樹脂を混ぜた自硬性砂型に液体の銅を流し込みます。銅は炉内で1,200℃くらいにまで熱しますが、鋳造時の温度はもう少しさがります」 鋳造でポットスチルをつくるメリットは、意外なほどに多いと稲垣氏は説明する。三郎丸蒸留所のポットスチルは厚みが従来の倍以上もあるので、板金のポットスチルより耐用年数が長くなることを期待できる。銅板では難しい複雑な曲面なども実現できる。 ポットスチルは2基で1対となることが多いので、同じ鋳型を利用できるメリットは大きいだろう。まったく同型のスチルで、風味を変えずに増産対応ができるからだ。ユニット単位で設計しているためネックランタン型からバルジ型に変えたり、ネックとラインアームの長さや角度を変えたりといった調整も部品交換で可能になる。銅と錫の両方からの効果が得られる点も、風味上の特徴になりえると稲垣氏は考えている。 世界唯一のポットスチルでモルトウイスキーをつくる 三郎丸蒸留所の新しいポットスチルは、浅いくびれのあるランタン型だ。ストレート型よりもネック上部を太くして、鋳物らしい丸みも出したかったのだという。左右対称のデザインで、2つの窓は採光用と視認用になる。 下向きのラインアームは、すぐコンデンサー(冷却器)に接続されている。このコンデンサーは銅板金で、大阪のケミカルプラント社が製作したもの。同社は三郎丸蒸留所の以前の蒸留器の改修を担当した企業でもある。同社の酒井博也社長は、稲垣氏が信頼を寄せる蒸溜設備のプロフェッショナルだ。グラビティだけで留液を流せるよう、コンデンサーの位置が高い。自然エネルギーを無駄にしない設計思想が各所に見受けられる。 世界で初めての鋳造ポットスチルは「ZEMON」(ゼモン)と名付けられた。老子製作所の屋号が次右衛門(ジエモン)で、地元の方言で「ゼーモン」に聞こえるのが由来だという。古来からの伝統技術に敬意を評し「高岡式蒸溜器」と呼んでもいいだろう。 本格的な稼働までは、試験蒸溜で模索が続くことになる。初溜では迅速な加熱により豊かな香味成分を得るため、間接加熱と直接蒸気加熱並式方式となる。これは焼酎づくりの経験がある若鶴酒造らしいノウハウで、共沸による高沸点成分の抽出を狙っているだが再溜は間接加熱だけでゆっくりおこない、精溜効果を重視するのだと稲垣氏は言う。 「初めての挑戦なので、未知の要素はたくさんあります。でも鋳造ポットスチル特有の厚みは、熱効率でも有利に働くはず。カットポイントなども研究しながら、試行錯誤を続けてみます」 若鶴酒造のウイスキーシーズンは、6月から9月までの約3ヶ月間。これまでは1基のポットスチルで初溜と再溜を賄ってきたが、2基になれば生産量も倍増する。だが設備投資で工程を効率化した分、4人いるスタッフの作業はむしろ軽減される見込みだ。 稲垣氏が構想する「富山らしいウイスキー」は、重厚でありながら華やかな香りも兼ね添えたタイプ。一見頑固そうなのに、優しさあふれる富山県人のイメージだ。高岡産の酵母や南砺市産のミズナラ樽を手に入れ、このたびユニークな高岡銅器のポットスチルも加わった。大きな夢は、着々と実現に近づいている。
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アロハ・スピリッツ:ハワイのクラフト蒸溜所(1) コハナ
楽園のようなハワイの島々で、ユニークなスピリッツづくりを始めたクラフト蒸溜所が注目されている。オアフ島の小規模メーカー3軒を訪問する新シリーズ。まずはラム蒸溜所の「コハナ」から始めよう。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン ハワイアンラムをつくる蒸溜所「コハナ」は、ホノルルから車で35分という便利な場所にある。健康のために歩きたいという方も、ショッピングのメッカ「ワイケレ・プレミアム・アウトレッツ」から徒歩10分で行けるのが嬉しい。 コハナに到着すると、搾りたてのサトウキビジュースであたたかい出迎えを受けた。話を聞かせてくれるのは、創業者のロバート・ドーソン。2008年にアメリカ本土から移住してきた人物である。 「アリゾナでテクノロジー関連のコンサルティング業務に携わっていました。ハワイで息子を育てたいと思って、ここに越してきたんです。妻も僕のミッドライフ・クライシスによく耐えてくれました。当時は人生を変えようと農業関連の道を探っていたのですが、サトウキビで再生可能エネルギーを作ろうと画策したこともありました」 だがロバートは、ビジネスパートナーであるジェイソン・ブランドと出会って当初の方針を見直した。ジェイソンもまた、ロバートと同じような理由でハワイにやってきた移住組である。 「ハワイ伝統のサトウキビ品種であるマヌレレを紹介されて、すぐに気付いたんです。このサトウキビ品種は、大切に育てて後世に伝えていくべきものなのだと。燃やしてガソリン代わりにするなんてとんでもない」 ハワイ諸島に初めてポリネシア人たちがやってきたのは約千年前。星の位置だけを頼りに、カヌーで大海原を渡った。船に積んできた植物には、サトウキビも何種類か含まれていた。当時の品種は、日常生活の必需品だったのだとロバートは説明する。 「マヌレレ品種は、さまざまな儀式にも使用されていました。古代の愛の秘儀にも使われていたそうですよ。この絞り汁を飲めば、2人の関係が永遠に続くという。まあ、反対の効果をもたらす別の秘儀もあったようですけど(笑)」 ハワイ伝来のサトウキビに受け継がれる豊かな歴史に魅了され、ロバートは上質なハワイアンラムをつくろうと決心した。 「社名はマヌレレ・ディスティラーズ。でも発音が難しいので『コハナ』と名乗ることにしました。『サトウキビの仕事』という意味です」 世界では少数派のアグリコールラムにした理由 ロバートがアグリコールラムを志向していた点は重要だ。世界のラムは大半が糖蜜からつくられる。歴史をたどると、ハワイに砂糖精製工場がたくさんあった時代には、砂糖精製の副産物として得られる糖蜜を原料としたラム蒸溜所も存在した。だがロバートがつくるアグリコールラムは、サトウキビの絞り汁そのものを原料とする。 「ハワイでアグリコールラムがつくられた前例はありませんでした。何しろ糖蜜からつくるラムに比べて、20倍のコストがかかりますからね」 蒸溜所建設に着手したとき、ハワイにはもう砂糖精製工場が2軒しか残っていなかった。かつて栄華を誇った産業の名残りだから、この2軒は必ず存続するだろうと地元の人々は信じていた。だがロバートは、いずれすべての工場がなくなるだろうと予想し、事実その通りになった。現在、ハワイ諸島に砂糖精製工場はひとつも残されていない。 「皮肉なことに、普通のラムをつくりたかったら、原料の糖蜜を輸入しなければいけないということですよ」 こうなるとロバートに迷いはなかった。地元のサトウキビにもさまざまな伝来種があることに興味を抱き、100%の「ファーム・トゥ・ボトル」を目指したのだ。 「地産地消の原則は厳格に守っています。地元産100%の原料でつくり、カカオ豆やハチミツなどリキュールに使用する副次的な原料もすべてハワイ産です」 ロバートの開業準備は2009年に始まった。ハワイ中の植物園を訪ねて、ほとんど忘れ去られているハワイ原産のサトウキビ品種を探し求めた。 「書物に載っている昔の品種は、商業化できるほどの量が残っていません。だからそんな品種をひとつずつ探し出し、自分の農場で増殖する必要がありました」 自前の栽培地が、農場と呼べるような規模になるまで丸3年かかった。初めてラムをつくったのは、2012年のことだという。 「現在は34種類の地元産サトウキビ品種を保有しています。それぞれ風味の特徴が異なり、糖度も14.5〜20とまちまちです。商業用のサトウキビは硬くまっすぐに育ち、果汁が少ない割に糖度が高いのですが、ここで使っている伝来種はその反対。自然の影響を受けやすいので、根本で折れたり、穂を出したりして収率を下げることもしばしばです」 商業用のサトウキビは年中栽培して収穫できるが、伝来種の場合はそうもいかないようだ。 「うちの畑の30%は穂を出してしまうので、収穫のタイミングをしっかり見計らう必要があるんです」 収穫期になると畑の中で搾汁がおこなわれ、サトウキビジュースを蒸溜所まで運び込む。このジュースは、もちろん品種ごとに分けて管理される。 「できるかぎり新鮮な状態で使用して、品種ごとに別々のバッチで扱います。発酵も、蒸溜のカットポイントも、それぞれに異なってきますから」 生産行程は五感を総動員する作業だ。自動制御装置がひとつもないので、単に手を動かすだけでなく、すべての行程で人間の感覚を頼りにしているのである。 搾りたてのサトウキビジュースは、4槽あるステンレス製の発酵槽のひとつに入れられて3〜5日間発酵される。使用する酵母は、地元のカカオ農園で見つかった酵母を培養したもの、一般的なラム用の酵母、 さらには少々の自然酵母を混合で使用しているという。 「いろいろと変更は加えています。これから冷蔵設備を導入して発酵温度を調整し、発酵時間を7〜10日に引き延ばそうと考えているところ。自然酵母100%の発酵もやってみたいですね」 蒸溜設備は、コラム付きのポットスチル1基だ。アーティザン・スティル・デザイン社が製造・設計したものである。 「単式蒸溜ですが、コラムを通すことで蒸気を精溜する仕組みになっています」 スチルに付いた名札には「ダ・ラム・マシーン」と書かれている。どんな意味なのか尋ねると、ロバートが笑いながら答えた。 「6歳になる息子が蒸溜所の絵を描いたので、『これはなに?』とスチルを指さしたら『ラム・マシーンだよ』と教えてくれたんです。それを正式名称に採用しました」 ホワイトラムができると、一般的なアグリコールラムの行程に従って90日間休ませる。その後、一部のホワイトラムはバレルに樽入れして熟成する。各樽には単一のサトウキビ品種しか入れない。ほとんどの樽はアメリカンオークの新樽で、ケンタッキー州にあるインディペンデント・スターブ社がレベル2のチャーを施している。 「通常はアメリカンオークの新樽で18カ月熟成します。美味しさ至上主義なので、樽内で眠っているラムの状態によって熟成期間も変えていきます。バラエティを重視するため、一貫性よりも味わいを優先します」 そうはいっても、熟成行程自体には実際かなり一の貫性があるようだ。 「夏と冬の気温差は約5℃。だから温度差のある他の地域と違って、大きな調整は必要ありません。湿度もかなり低いので、いわゆる天使の分け前は年間約8%です」 ロバートは、ときどき2種類目の樽で後熟をおこなうこともあるという。 「マデイラ樽、ポート樽、バーボン樽、ラフロイグ樽などを用意してフィニッシュに使っています。シェリー樽は人気が高くて入手しにくいので」 現在、蒸溜所内の小さな貯蔵庫には約100本のバレルが置かれている。だがロバートは、バレル800本が熟成できる貯蔵庫を新設する予定だ。ここにある最古の樽は、4年強にわたってラムを熟成中のフレンチオーク樽。ロバートが栓を抜いてアロマを嗅がせてくれた。 「特別な1本です。このラムに関しては、種まき、栽培、収穫、蒸溜、樽詰めを、全部この手でやりましたから」 このラムは、ひょっとしたら10年熟成を目指しているのかもしれない。 手づくり感たっぷりのラインナップ 現在、コハナは固定メンバーによるチームで運営されている。 「農場チーム、蒸溜所チーム、ツアーチーム、ボトリングチーム。最近、パティオにピザオーブンを導入して、訪問者がピザをつまめるようにしました。オーブンだけはハワイ製じゃなくてイタリア製。でも地元の広葉樹を薪にしています。4カ月後にはカクテルバーも完成して、クラフトカクテル、地元産のビール、地元産のスピリッツが味わえるようになります」 コハナは、近隣地域の経済も活性化している。テイスティングルームやビジターセンターは、かつて雑貨屋だった建物を改装したもの。近所にはデルモンテ社の農場があり、ジュース製造と缶詰め行程もおこなわれていた。ここは工場で働く労働者たちが暮らす農村だったなのだ。 「デルモンテが2006年に撤退してから、この地域の景気が悪化しました。だからこの地域を活性化したいという思いもあったんです」 コハナの主力商品はホワイトラムの「ケア」(度数40%)だが、すべてのボトルが同じ中身であるとは限らない。ラベルの横部分に収穫時期と使用品種が記されているので、異なったバリエーションを試してみる価値はあるだろう。他には樽熟成を施した「コホ」(度数45%)もある。コホとはハワイ語で「厳選」の意。こちらもバッチごとに内容が変わっている。 「今ここにあるのは、アメリカンオークの新樽で15カ月熟成してからウッドフォードリザーブライの樽で2カ月後熟したものです」とロバートが説明する。ときどきシングルカスクの「コア」も発売される。コアとはハワイ語で「骨太」。他の商品には、度数30%のリキュール「ココレカ」もある。 [...]
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アロハ・スピリッツ:ハワイのクラフト蒸溜所(2) コオラウ
ハワイのスピリッツ生産者を紹介するシリーズの第2回は、いよいよハワイアンウイスキーの登場である。昨年末に設立されたコオラウ蒸溜所は、手探りで大きな第一歩を踏み出したばかりだ。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン コオラウ蒸溜所はオアフ島の東側にある。名前の由来となったコオラウ山脈は、ハワイの神話の舞台としても知られる古代の火山群だ。コオラウの山々が天国と出会う場所にはいつも霧がかかっており、そこが神々の住処なのである。霧から滴り落ちた熱帯の雨は、大地に滲み込んでから約300年かけて地層に濾過される。この地に蒸溜所を建設した理由のひとつは、恵まれた水質であった。 だからといって、スコットランドのハイランド地方みたいな蒸溜所を期待してはならない。山々の姿は間違いなく素晴らしいが、蒸溜所自体はとても質素な造りである。場所はハイウェイH3沿いにある小さな工業団地の一角。蒸溜所の設備は本当に小規模なので、ここ以上にマイクロディスティラリーの名に相応しい場所もないだろう。 出迎えてくれたのはCEOのエリック・ディル。コオラウ蒸溜所を創設したメンバーの1人だ。会った瞬間から、新しいベンチャー事業にかける情熱がひしひしと伝わってきた。 この蒸溜所建設は、まさにベンチャーの鏡と呼ぶに相応しい。エリック・ディル中佐と、ビジネスパートナーのイアン・ブルックス中佐は、軍関係の任務でハワイに駐在している。共にアメリカ海兵隊に所属しているが、エリックは現役でイアンは予備役だ。この2人に加え、飲料業界で15年の経験があるヘザー・ペンスが営業やマーケティングを担当する。エリックが創業までのいきさつを説明してくれた。 「事業のアイデアが生まれたのは3年前。当時はオーストラリアの大学院で学んでいました。でもスピリッツの蒸溜に興味を持ったのは、それより前の2008年に遡ります。イラクに派遣されていたときに、密造ウイスキーをつくって捕まった軍人の話をニュースで見て、原材料からウイスキーをつくる方法を知っている同僚がいること自体に驚いたのです」 当時はYouTubeやインターネットで得られる情報も少なく、ウイスキーづくりの知識を集めるのには苦労した。 「興味があったので、自分で色々と調査を始めました。そしたら自分の蒸溜所を建設して成功させた海兵隊員がいると教えてもらったんです。その蒸溜所とは、インディアナポリスの『ホテルウイスキータンゴ』でした。創業者のトラビス・バーンズに連絡をとって、成長中のビジネスを眺めながらウイスキーづくりを学びました」 そんな実例を見ながら、エリックは軍隊を引退後に始める事業の構想を描き始めたのである。 「会話が途切れそうなときでも、ウイスキーづくりの話をすると誰でも乗ってくるんですよ(笑)。最初はテキサスで蒸溜所を立ち上げようと思っていたのですが、次の任地がハワイになるとわかったんです。以前からイアンと一緒にビジネスをやろうと話し合っていたので、ちょうどすべてがうまくハワイの地で実を結びました」 水の恵みを活かしたウイスキーづくり 2017年12月、エリックはハワイへと降り立った。その1年後にはすべての開業準備が完了していたというから、見事な段取りである。この完璧なロケーションを見つけるのにも、さほど時間はかからなかったようだ。 「ハワイの水は上質で、スムーズなウイスキーをつくるのに重要な役割を果たしてくれます。何しろ周囲が海に囲まれて、一番近い大陸はアラスカですから。雨水の純度が極めて高く、大地に降り注いだ水は火山岩地層で28年間も濾過されます。このような水を使うことで、たとえ熟成年が若くても本当にスムーズなウイスキーがつくれるのです」 話を聞きながら、設備が見たくなってきた。生産行程はどうなっているのだろう。「蒸溜所を見せてもらえますか?」と言おうとして、自分がもう蒸溜所の中にいることに気付いた。実際、そのくらい小さな蒸溜所なのだ。 エリックによると、ウイスキーの原料はコーンと二条大麦である。 「コーンのほとんどは地元産。でも既存のサプライチェーンからウイスキー用に分けてもらえる量には限界があります。まだ事業の規模が小さいので、農家の方々にウイスキー専用のコーンを作ってもらう訳にもいきません。でも5年後くらいには100%ハワイ産のコーンでウイスキーがつくれると思いますよ」 コオラウ蒸溜所ではすべての生産行程が人の手でおこなわれる。コーンの脱穀も手作業だ。マッシュができたら、機能的な間取りの発酵室へと送られる。 「ここハワイでは、すべてが暑さとの戦いです。この部屋では室温を常に25℃に保ち、ドライタイプのウイスキー酵母で7〜10日かけて発酵させています。これを手動で濾すと、度数7~11%のビア(エール)ができるんです」 発酵が終わったら蒸溜だ。他の設備と同様に、スチルも非常に小型である。容量はわずか100リットルで、高さもエリックの背丈ほどだ。 「ホテルウイスキータンゴから譲り受けたスチルなんです。蒸溜は週に2回で、1回の蒸溜時間は6〜8時間ほどですね。パートナーと話しあって、コンデンサーに冷却用の水を還流させる特別なシステムを搭載しました。なるべく環境に配慮し、少しでも環境にやさしい方法をどんどん採用することにしています」 このような環境保護に向けた倫理観は、蒸溜所外の活動にも見ることができる。使用済みの穀物から、エリックの娘のテイラーが犬用のビスケットを作っている。このドッグビスケットは地元で販売され、ハワイ動物愛護協会がドッグフードやキャットフードを購入する資金として寄付されている。地元ハワイ州の「4-Hプログラム」(全米規模で推進中の青少年育成活動)に関連した取り組みだ。 ニューメイクを数日間休ませたら、これまた小さな20Lの樽で熟成される。樽入れ時の度数は63%で、樽の内側にはミディアムのチャーが施してある。 ハワイの気候にあった味わい 看板商品の「オールド・パリロード・ウイスキー」は3月1日に発売され、ハワイ中の厳選されたリカーショップやバーに並んでいる。たった3カ月前に開業したばかりの蒸溜所が、どうやってウイスキーを発売できたのだろう。タネを明かすと、現在は他の蒸溜所からも原酒を調達しているのである。 「4年熟成のバーボンウイスキーをケンタッキーから入手して、ここでつくったウイスキーとブレンドしています。自分たちのウイスキーを熟成したら、樽から取り出して度数40%になるまで加水します。その後、ケンタッキーのウイスキーとヴァッティングして43%でボトリングするんです。現在、最終的に瓶詰めされたウイスキーの約45%がハワイ産です。私たちがつくったウイスキーと、度数を下げるために加えた水を含めて45%という意味です。でもこの割合は徐々に上がっていきますよ。もちろん目標は100%現地生産の『オールド・パリロード・ウイスキー』をリリースすることです」 エリックは、この段階的な移行がスムーズに行くものと確信している。ケンタッキーから入手しているウイスキーが、コオラウのウイスキーとよく似たマッシュビルでつくられているからだ。 小さな会社のオーナー5人が、すべて手作業で業務を遂行する。全員が他の仕事も持っているが、そんなことは気にしていない。 「会社を大きくすることには興味がありません。とにかく皆さんに喜んでもらえる良質なウイスキーをつくりたいと思っています」 エリック自身が甘口のバーボンを好むこともあって、意図するハウススタイルも甘みがあって飲みやすいタイプのウイスキーだ。そのようなウイスキーが、実際ハワイの気候にも合うのである。 「美味しいスタウトビールは僕も好きですが、ハワイのビーチで黒ビールを飲みたいとは思わないでしょう? ウイスキーもそれと同じですよ」 「オールドパリロードウイスキー」の第1弾は、1,800本限定でハワイに流通している。この夏にはビジターも受け入れる予定なので、オアフ島でワイキキに疲れたら足を向けてみるのもいいだろう。風光明媚なカイルアへ行く途中、ぜひ蒸溜所に立ち寄っていただきたい。ハワイまでは遠くて行けないという人にも朗報がある。間もなく東京の池袋に「アロハ・ウイスキー・バー」が誕生するらしい。他のハワイ産クラフトスピリッツと共に、ハワイ初のウイスキーを楽しめる日は近づいている。
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秩父で完成間近の第2蒸溜所を見学【前半/全2回】
世界的な人気の急騰に応えるため、ベンチャーウイスキーが秩父に新しい蒸溜所を建設した。本格稼働を目前に控えた現場からレポート。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン ウイスキーファンの「イチローズモルト」ブランドに対する熱狂は、留まるところを知らないようだ。だが素晴らしい熱狂も、行き過ぎると制御不能に陥ってしまう。今年5月に開催された「東京 インターナショナル バーショー 2019」で、そんな過熱ぶりを象徴する出来事があった。 騒動はバーショー初日の朝に起こった。動機はあまり褒められたものではない。100本限定で販売された秩父蒸溜所の記念ボトル(シングルカスク)を求め、禁止されている前夜からの行列ができた。ウイスキーファンと転売目的の業者グループが入り乱れて混乱が起こる。小競り合いに発展して警察が出動する事態に至り、2日目の販売は中止を余儀なくされたのである。 このような事態が起きてしまったことに、関係者全員が嘆いている。だがイチローズモルトをめぐる過熱ぶりが、すぐさま沈静化されることも想像しがたい。 需要が供給を大幅に上回る。その極端な例が、現在起こっている。幸いなことに、ベンチャーウイスキー社長の肥土伊知郎氏は、いつも道のだいぶ先にあるカーブを察知できるタイプの人物だ。他の誰もがそんなカーブすら見えていない時点で、一足先に準備が始められる。だから現在の状況に対しても手は打っていた。需要増大への対策はひとつしかない。つまりは増産であり、具体的には新しい第2蒸溜所の建設である。 5月中旬、ウイスキーマガジンは秩父を訪ねた。「もともと秩父蒸溜所の生産量が少なすぎたんですよ」と説明する肥土氏。2交代制で稼働させても、1日に生産できるスピリッツは純アルコール換算で約320Lだった。これはわずかにバレル2本分を超える程度の量である。 「第2蒸溜所の建設について考え始めたのは5年くらい前のことです。それを実行に移そうと決めたのは3年前。秩父蒸溜所の設備を納入してもらったフォーサイス社に連絡を取りました」 サントリー、ニッカ、本坊酒造などの先駆者たちは、いずれも2軒目の蒸溜所の建設地を1軒目とは大きく異なった場所に求めた。これはもちろん異なった特性を持つ原酒をつくるためである。だが肥土伊知郎氏は、あくまで本拠地である秩父に留まろうと決めていた。 「場所探しは簡単に行きませんでした。第2蒸溜所の建設地を求めて候補地をたくさん見学しましたが、ここぞという場所に出会えなかったんです」 だが運命の場所は、意外なくらい近所に見つかった。実際に訪ねてみると本当に近い。車ならわずか2分ほどの距離なのだ。埼玉県が地元企業に貸し出している工業団地の一区画で、もともとの借り主は自動車メーカーに提供する部品を製造している会社なのだという。 「その会社の社長さんが、ウイスキーが大好きなんです。というか、秩父蒸溜所の『モルトドリームカスク』のオーナーでもあります。その会社の隣に広さ15,000㎡の未使用の土地があり、なんとか賃貸契約を引き継げるように取り計らってもらいました」 蒸溜所の建設は、2018年4月に着工。それから1年以上が経った今、蒸溜所はほぼ完成といえる段階にまで到達した。ほとんどの設備に青い防水シートが被せられ、6人の建設作業員が忙しそうに建物周辺で仕事をしている。期待と高揚感の入り混じったムード。新しい生産拠点の仕上がりには肥土氏も満足しているようだ。 「試験生産を6月中にスタートできると思います。夏休みをはさんで、いよいよ初年度のシーズンが始まります」 人間の感覚に頼ったアナログ路線を堅持 探究心が旺盛な肥土伊知郎氏であるが、あらゆるパラメーターを変更しながら実験をおこなうのは無意味だと考えている。例えば複数の酵母菌株を使用して発酵工程にバリエーションを求める蒸溜所もあるが、秩父蒸溜所で使用される酵母菌株は1種類のみ。新しい蒸溜所の設計も、既存の秩父蒸溜所と大きく異なるものではない。 実際のところ、第2蒸溜所ではかなりの部分がこれまでの秩父蒸溜所の方針を踏襲している。だが大きく違うのはスケールだ。第2蒸溜所の生産規模は、これまでの5倍である。予定される年間生産量は、純アルコール換算で240,000Lだ。このような大増産を、たった一度の設備拡張で達成しようというのである。 蒸溜所の建物周辺を歩きながら、肥土伊知郎氏が新しい生産工程のあらましについて説明してくれる。原料は大麦モルト2トンでワンバッチ。ノンピートが主体だが、メンテナンスのために設定する夏休み直前の数週間はピーテッドモルトも使用する。アランラドック社製の最新型ミル(粉砕機)は、すでに稼働準備が整っていた。使用する水は、これまで秩父蒸溜所で使用してきた水と同一である。 マッシュタン(糖化槽)はステンレス製で、銅製の蓋が付いている。秩父蒸溜所のマッシュタンはとても小さく、これまでは人間が木べらでかき混ぜてきた。セミロイタータンも付いて大幅に省力化されるが、行程は事細かにモニタリングされるのだという。マッシュタンの側面にはガラスでできた縦長の覗き窓がある。 「この窓は特注で付けてもらいました。グレーンベッド(麦芽の殻の層)の状態や、濾過されていく状況をしっかりとチェックしたいですから」 いささか神経質ではないかという人もいるだろう。だがこのような細心の注意こそ、肥土氏のウイスキーが素晴らしい品質を維持している理由のひとつなのだ。 発酵工程について、肥土氏はこれまで通り木製のウォッシュバック(発酵槽)を継承した。だがその内容はまったく同じではなく、真新しい変更を加えている。 「これまでの蒸溜所と同様に日本のオーク材を使いたいと思ったのですが、サイズがここまで大きくなるとミズナラ材の桶板はまず手に入りません。そこでミズナラを諦めて、フレンチオークにしようと決めたのです。何度も訪ねたことがあるフランスのタランソー樽工房で、素晴らしい木製のタンクが造れることを知っていました。そこで新しい蒸溜所のためにウォッシュバックを注文したんです」 現在ここにあるフレンチオーク材のウォッシュバックは5槽。容量は各15,000Lで、普段の業務では10,000Lのワート(麦汁)が投入される。だが蒸溜所内には、まだ空いているスペースがあった。「2交代制のシフトになるタイミングで、新たに3槽を追加します」と 肥土氏は語る。 酵母に関しては、これまでの秩父蒸溜所と同じ酵母菌株を使い続ける。前述のように、パラメーターをいじりすぎないようにするためだ。 「同じ酵母菌株を使うのは、新しい蒸溜所のスピリッツをこれまでの秩父蒸溜所のスピリッツと比較したいから。その検証が済んだ後、もっと別の良い方法があれば変更を検討するかもしれません」 (つづく)
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秩父で完成間近の第2蒸溜所を見学【後半/全2回】
ベンチャーウイスキーが秩父に建設した新しい蒸溜所の見学レポート。一見同型に見えるポットスチルには、蒸溜所の未来を変える大きな変更がなされていた。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン 秩父に建設されたベンチャーウイスキーの第2蒸溜所。蒸溜室に入ると、不思議な既視感にとらわれた。もちろんスチル(蒸溜釜)のサイズは大きくなった(10,000Lと6,500L)が、驚くほど既存の秩父蒸溜所にあるスチルにそっくりなのだ。ベンチャーウイスキー社長の肥土伊知郎氏が微笑む。 「形状は同じなんです。ラインアームの角度(12°下向き)まで同じですよ」 だがそっくりな形状に騙されてはいけない。実は大きな違いもあるのだ。既存の秩父蒸溜所のスチル(初溜釜も再溜釜も)は間接式加熱だったが、新しい蒸溜所のスチルは直火式加熱である。 「とても伝統的なスタイルを採用しています。この変更によって、スピリッツの特性が大幅に影響を受けるかもしれません。理想とするスピリッツですか? 今よりも力強くて、複雑な個性を持ったタイプです。でもやってみないとわかりませんね。結果はいずれ明らかになるでしょう」 直火式加熱にしたことで、蒸溜工程の調整はより難易度が高くなるのではないか。そう訊ねると、肥土氏は頷く。 「もちろん、そのとおりです。だからこそやるんですよ。この蒸溜所で働くのは、これまで経験を積んできたスタッフ。秩父蒸溜所でウイスキーのつくり方を学んできた面々です。積み重ねた経験があったので、この新しいチャレンジに踏み切ることができました」 初溜釜の前面と背面に備えられた一対の覗き窓。温度調整の方法を実演しつつ、その覗き窓でスチル内の様子を見る。蒸溜室の大窓から降り注ぐ自然光を頼りに、初溜のモニタリングと調整をおこなうことになるのだろう。 目で見て確かめるという設計は、間違いなく肥土氏の指示によるものだ。これまでの秩父蒸溜所と同様に、蒸溜のカットは数値ではなくノージングとテイスティングによって決められる。他のすべての行程でも、新しい蒸溜所は人間の感覚を重視しているのだ。 「近頃の蒸溜所は、コンピューターで運営できるようになっていることも知っています。でもこの蒸溜所では、あらゆるウイスキーづくりの行程で、瞬間ごとに起こっているすべての事象を、働いている人が把握できるようにしたいのです」 そうなると、人手の確保も必要になるだろう。新しいスタッフは募集したのだろうか。 「昨年、新たに6人を雇い入れました。現在は秩父蒸溜所で研修中です。この新しい蒸溜所が完成したら、経験のあるスタッフは第2蒸溜所に異動して、既存の蒸溜所は新しいスタッフに引き継いでいくことになります」 肥土伊知郎氏は、蒸溜室の大きな窓から外を眺める。 「夏は木々の葉が茂って、蒸溜所を覆い隠すので見通しが効きません。でも冬になって葉が落ちると、本当に景色が良いんですよ」 どちらかといえば機能的な蒸溜所なので、絵葉書のように美しい建築デザインを誇れる訳ではない。だが少なくとも、蒸溜所からは周囲に広がる秩父の美しい四季を楽しむことができる。 さらに先の未来へ向かって ボトリング設備が置かれるエリアを通る。部屋の隅には、古風な台秤が置かれていた。そろそろ頭の痛い問題について訊ねてみよう。この蒸溜所の名称だ。いつまでも「第2蒸溜所」と呼び続けるのは、いささか不便ではないか。 またその質問か、といった様子の肥土氏だが、実際のところ正式名称はまだ決めかねている様子である。 「例えば山崎蒸溜所みたいな蒸溜所を思い起こしてみると、色々なタイプのスチルがあるのに単一の蒸溜所として認識されていますね。一方、ここの場合はスチルの形状が同じなのに別々の場所にある。でもその2つの場所は、地理的に近い。生産するスピリッツは違ったものになりますが、まあ山崎蒸溜所だって幅広いタイプのスピリッツをつくっているんだし……」 肥土氏はあれこれと考えを巡らせている。 「第2蒸溜所には新しい許可が必要だったので、実質的にこれまでの秩父蒸溜所とは別の蒸溜所であるということになります。例えば、白州蒸溜所をヒントにしてもいいのかもしれませんね。あそこも白州西蒸溜所と白州東蒸溜所に分かれていますから。でも秩父の場合、2つの蒸溜所が東西の位置関係にある訳ではない。やっぱり新しい名前を考えたほうがいいのかな……」 第2蒸溜所の建物を後にするとき、貯蔵スペースの問題についても訊ねてみた。ウイスキーを大増産するのだから、それ相応の熟成用スペースも必要になるだろう。すると肥土氏はドアを開けて、蒸溜所の隣に建つ巨大な新築の貯蔵庫を指さした。 「あれが第6貯蔵庫です。他の貯蔵庫と同じダンネージ式。あそこがいっぱいになっても、新しい貯蔵庫が建設できる土地を確保しています。もっと大きなダンネージ式にするか、ラック式にするかはまだ決めていません」 未来のことはわからない。だがひとつ明らかなのは、肥土伊知郎氏がさらなる新しい挑戦の準備を始めているということだ。肥土氏と秩父蒸溜所のスタッフたちは、これまでも常に挑戦者の意識を忘れることがなかった。未来では新しい冒険がいつも手招きして待っているのだ。 秩父蒸溜所に戻る途中で、樽工房に立ち寄った。ここでも新しい動きが始まっている。几帳面に積まれた樽板を指さしながら、肥土氏が説明してくれる。 「これは秩父産のミズナラ材です。これまで何年にもわたってミズナラ樽を使用してきましたが、樽材はいつも北海道産銘木市売で競り落としてきました。でもここにあるのは地元産のミズナラなんです」 肥土氏は誇らしげに微笑み、素晴らしい品質を確かめるかのように樽材を触る。3年がかりの努力によって入手した秩父産のミズナラ材から、十数本の樽を組み上げる予定なのだと語ってくれた。だがちょっと心配になる。コストは天文学的な数字になるのではないか。 「ええ、そうですね。北海道で入手するより、ずっとずっと多くの資金が必要でした。もう高額すぎて、コスト計算が馬鹿らしくなるくらい。これは生産コストというより研究開発費ですよ」 5年前に構想が始まった第2蒸溜所の完成は間近で、初めてスチルに火が入る日も目前に迫っている。「そろそろ第3蒸溜所も考える時期なのでは?」と冗談めかして訊ねたら、肥土氏はきまり悪そうに笑った。間違いない。この人はもう遥か先の未来まで見通しているのだ。
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スペイサイドのダークホース、タムナヴーリンに注目【前半/全2回】
50年以上前にウイスキー王国のスペイサイドで創業したタムナヴーリン蒸溜所が、シングルモルトウイスキーに本腰を入れ始めた。その歴史と未来への戦略を2回に分けてレポート。 文:ガヴィン・スミス 2016年、タムナヴーリン蒸溜所は創業50周年を祝って新しいシングルモルト商品を発売した。というよりも、シングルモルト商品の発売自体がまったく初めての出来事にも見えた。なぜならタムナヴーリンのオフィシャルなシングルモルト商品が前回発売されたときのことを憶えている人はほとんどいないからだ。それでもこの記念ボトルはフランスでよく売れ、年間の販売量は3万ケースに達したという。熟成年は表記されていないが、12年熟成ではないかと推測されている。 どんな業界でも、創業から半世紀が経った企業は称賛に値する。だがここはスペイサイドで、しかも歴史あるスコッチウイスキー業界だ。タムナヴーリンから半径20マイル以内に、19世紀から続く蒸溜所は20軒もある。醸造担当のサム・ダグラスは「スペイサイドの中じゃ、まだまだティーンエイジャーみたいなものですよ」と冗談めかして話す。 タムナヴーリンという名は、ゲール語で「丘の上のミル」という意味。蒸溜所はダフタウンととトミントールの間に広がる美しい自然に囲まれている。その環境とは対照的に、蒸溜所の姿は質実剛健で機能的だ。建設されたのはスコッチウイスキーブームに湧いた1960年代。最初の運営者はインバーゴードン・ディスティラーズの子会社であるタムナヴーリン=グレンリベット・ディスティラリー・カンパニーである。蒸溜所の主な目的は、プライベートラベルのボトリングを供給すること。当時のインバーゴードンのビジネスに欠かせない部門だった。 その後、1993年にホワイト&マッカイがインバーゴードンを買収する。主な狙いは、ハイランド東部のクロマティ湾岸にあるクロマティ蒸溜所(グレーンウイスキー)を傘下に収めることだった。そんな背景もあって、1995年5月にタムナヴーリン蒸溜所は運営休止に追い込まれてしまう。その後、2007年夏に操業を再開するまでに12年の歳月が過ぎた。ただしその間、2000年に6週間だけ稼働して40万Lのスピリッツを蒸溜したこともあった。近所にあるトミントール蒸溜所の従業員が、モルト原酒の不足を回避しようとタムナヴーリン蒸溜所の設備を利用したのである。 ホワイト&マッカイは、シングルモルトブランドのダルモアとジュラを大きく売り出すために多大な投資をおこなった。そして伝統的には無名の部類に入るフェッターケアン蒸溜所のことも重視した。そんな中でタムナヴーリンは、依然として無名なモルトウイスキーの供給源としてブレンデッドウイスキーの生産を支えることになったのである。 無名ブランドとしては異例の成功 タムナヴーリン蒸溜所で使用する大麦モルトは、ノンピートのコンチェルト種が中心。容量11トンのフルロイター式マッシュタンを使用し、毎週最多21回のペースで糖化をおこなう。また容量5万Lのステンレス製ウォッシュバックが9槽あり、発酵時間は54時間ほどである。蒸溜設備は容量16,000Lのウォッシュスチル3基と容量1万Lのスピリットスチル3基の組み合わせ。年間の生産量は純アルコール換算で約450万Lだ。 ホワイト&マッカイのインターナショナルモルト部門を率いるクリスティーン・ビーストンは次のように語っている。 「タムナヴーリンはずっと無名で日陰の存在でした。それがここ18ヶ月から2年にかけて、大きな成功を収めたことに驚いています。2016年には蒸溜所創設50周年記念の『タムナヴーリン ダブルカスク』を発売しました。これを機に、 ホワイト&マッカイ全体のポートフォリオの中でもこの蒸溜所にもっと光を当てたいと考えたのです」 タムナヴーリンのシングルモルトは、リーズナブルな価格設定に徹しているのだとクリスティーン・ビーストンは説明する。 「お客様にとって、お求めやすいブランドでありたい。当社のシングルモルトは、タムナヴーリン、ジュラ、フェッターケアン、ダルモア、スーパープレミアムという序列です。『タムナヴーリン ダブルカスク』を発売した狙いは、本物のスペイサイド産シングルモルトウイスキーをお手頃な価格で提供すること。もちろん品質では妥協しません。ウイスキーファンの皆様からは好評をいただいています。毎日気軽に飲めるモルトウイスキーで、普段ブレンデッドウイスキーの人にはちょっとした贅沢。リピート率が高いということのは、最初は価格に惹かれて購入したお客様も、間違いなくウイスキーの品質を気に入ってくれた証拠です。今ではロシア、台湾、そして英国内でも販売されています」 (つづく)
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