Quantcast
Channel: WHISKY Magazine Japan »蒸溜所
Viewing all 527 articles
Browse latest View live

美しい琥珀色のシングルモルト「オマー(OMAR)」

$
0
0
台湾中部 ―― 緑の山々に囲まれた南投蒸溜所(南投酒廠) 伝統的なスコットランドの製造方法にこだわり台湾特有の気候の中で醸造することで、南国の香りが漂うウイスキー「オマー」が生まれる。   美しい天然の琥珀色 スコットランド・ゲール語で琥珀を意味する「オマー(OMAR)」。カラメル色素を添加せず、ていねいな熟成にこだわりを持つ、南投蒸溜所から生まれる美しい黄金色である。 2008年、世界的な金融危機によりスコッチウイスキーの需給バランスが崩れ、ウイスキー価格が大きく変動する中で、立ち上がったのは台湾最大の酒類公営企業TTL(Taiwan Tobacco & Liquor Corporation、前身は専売局)である。台湾は世界の中でもウイスキーの消費量が多い。そこで、台湾産ウイスキーの新境地を開こうと、ウイスキー専用の蒸溜所が設立された。南投蒸溜所では、それまで30年以上に渡り、台湾産フルーツを使ったワイン、ライチ酒、梅酒やブランデーなどを造ってきた。TTLはウイスキーの製造工程を習得するために、1980年代に前工場長である林錦淡をスコットランドに派遣。南投でのウイスキー造りの可能性を探った。30年の月日を経て、2007年には工場が設立され、翌年2008年に初めての新酒が完成したが、当時はウイスキーの生産ラインも整っておらず、麦汁の製造は近くの烏日ビール工場に委託し、それを南投蒸溜所で蒸溜していた。しかし糖化槽(マッシュタン)を2009年にドイツから導入すると、完全自社生産となった。麦芽はすべてスコットランド産で、60~72時間発酵し2度蒸溜する。こうした伝統的なスコットランドの製造方法にこだわり台湾特有の気候の中で醸造することで、南国の香りが漂うオマーは生まれた。   中央山脈の澄んだ水 上質な酒造りには良質な水が欠かせない。南投は台湾で唯一海に面していない県で、3,000メートルを超える高山が41座あり、山地が県の総面積の83%を占めている。そのため山々から流れ出た清らかな雨水が、かの有名な日月潭のように澄んだ湖沼や河川を育んでいる。南投蒸溜所で使用している水も包尾山のものである。   天使をも魅了する味わい スコットランドの夏は平均16度、冬は4度ほどだが、台湾は気候が温かく、南投の夏は平均気温が30度を超え、冬でも15度以上ある。そのためスコットランドと比べると熟成が速く、エンジェルズシェア(天使の分け前)も毎年6~7%と、実にスコットランドの3倍、日本の1.5倍である。だが、熟成が速ければ樽の中で寝かす期間は短くて済む。南投蒸溜所のシングルモルトの平均熟成期間はわずか4年だが、奥行きのある芳醇な味わいは10~12年物のスコッチウイスキーと比べても遜色がない。最高の品質が凝縮されたオマーは、まさに天使が盗んでも飲みたいほどの味わいなのだ。   エレガントで安定した旨さのバーボンタイプと刺激的な甘さのシェリータイプ 南投蒸溜所の主力商品は、バーボン樽で熟成するバーボンタイプと、シェリー樽で熟成するシェリータイプ。いずれも冷却ろ過を行なわないノンチルフィルタード製法を採用し、本来の旨味が残る深い味わいを実現している。黄金色のバーボンタイプは、ドライマンゴーや完熟パイナップル、甘くやわらかいバニラの香りを放つエレガントで優しいシングルモルトウイスキー。シェリータイプはスペイン・へレス地方のオロロソ・シェリー樽で熟成され、つややかなキャラメル色の中に、蜂蜜、リンゴ、ドライフルーツ、オレンジケーキなどの香りと、スパイスのような風味が効いていて、心地よい余韻が楽しめる。   ウッドフィニッシュ・カスクストレングスは秒殺で完売 台湾はトロピカルフルーツの宝庫であり、かつて南投蒸溜所はフルーツワインの生産で有名だった。良質なウイスキーが南投蒸溜所オリジナルの後熟技法と出会った時、ウッドフィニッシュ・カスクストレングスが誕生する。これまでに、南投蒸溜所ではライチ酒、梅酒、ブラッククイーン・ワインの樽で後熟させた3種のウイスキーを発売した。年に数回の限定発売で、世界市場に出回る本数もわずか5,000本足らずと希少。国際的なコンクールでの数々の受賞も後押しし、常に品薄の状況だ。摘んで3日以内の新鮮なライチだけを使うライチ酒は、旬の果実の甘さとエレガントな香りが特徴だ。こうしたライチ酒の樽で後熟させたウイスキーには、ライチ特有のトロピカルな香りが溶け込んでいる。   ウイスキー界の新星 ISCやWWAなどで数々の受賞 オマーは2013年に発売されて以来、世界のウイスキー品評会で数々の賞に輝いている。2017年には、サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティションにて最高金賞、金賞、銀賞、ワールド・ウイスキー・アワードにてベストシングルモルト・タイワン賞、ブリュッセル国際ワインコンクールにて金賞などを受賞している。   **参考:主なコンクール受賞歴** 商品 受賞年・コンクール名・賞別 オマー カスクストレングス・シングルモルトウイスキー(バーボンカスク) 2018年 SFWSC(サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション) 最高金賞 2018年 ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ) 銀賞 2017年 IWSC(インターナショナル・ワイン&スピリット・コンペティション) 優秀銀賞 2017年 MMA(モルト・マニアックス・アワード) 銀賞 2017年 SFWSC(サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション) 最高金賞 オマー カスクストレングス・シングルモルトウイスキー(シェリーカスク) 2018年 SFWSC(サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション) 金賞 2018年 ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ) 銀賞 オマー カスクストレングス・シングルモルトウイスキー(ライチ酒樽後熟) 2018年 SFWSC(サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション) 金賞 2017年 IWSC(インターナショナル・ワイン&スピリット・コンペティション) 銀賞 オマー カスクストレングス・シングルモルトウイスキー(梅酒樽後熟) 2018年 ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ) 銀賞 2017年 IWSC(インターナショナル・ワイン&スピリット・コンペティション) 銀賞 オマー カスクストレングス・シングルモルトウイスキー(ワイン樽後熟) 2018年 SFWSC(サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション) 銀賞 2018年 WWA(ワールド・ウイスキー・アワード) 銅賞 2017年 IWSC(インターナショナル・ワイン&スピリット・コンペティション) 銀賞 オマー シングルモルトウイスキー(バーボンタイプ) 2018年 SFWSC(サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション) 銀賞 2017年 WWA(ワールド・ウイスキー・アワード) 銀賞 2017年 SFWSC(サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション) 銀賞 2016年 SFWSC(サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション) 優秀銀賞 [...]

マッカランの新しい蒸溜所が完成【前半/全2回】

$
0
0
空前の規模で遂行されてきた話題の拡張計画を、ついにお披露目する時が来た。新しいマッカラン蒸溜所は、ウイスキーブランドと蒸溜所建築の未来を先取りしている。 文:ガヴィン・スミス   ここ何年もの間、スペイサイドでは数々の新しい蒸溜所が建設されてきた。何もない土地に建物の基礎ができて、蒸溜器から最初の一滴が流れ出す感動の過程も幾度となく目撃した。だが新しく建設されたマッカラン蒸溜所ほど、度肝を抜かれるようなスケールの事業は他にない。 英国の幼児向け番組「テレタビーズ」を思わせる建築スタイルに目を奪われる 。地下に大きくスペースをとった4つのドーム型構造は、これまでの蒸溜所建築の常識を完全に一新してしまった。マッカランのクリエイティブディレクターを務めるケン・グリアーが、この画期的な建築設計の背景を説明する。 「みんなで『世界の傑作ワイナリー』という本をめくっていて、スペインのラグアルディ町にあるボデガ・イシオスの写真に目が止まったんです。非常に個性的で、未来を先取りしたような外観でした。夢の建設計画が始まったのは、まさにあの瞬間でした」 新しい蒸溜所の建築デザインを公募するコンペがスタートした。議論の過程で、紀元前700年ごろからスコットランドに建設された「ブロッホ」という円塔形の要塞を現代によみがえらせようというアイデアが生まれる。ブロッホは、外観から想像するよりも内部がかなり広く造られているのが特徴だ。最終的に採用されたのは、ロジャーズ・スターク・ハーバー+パートナーズの設計案だった。 「蒸溜所の建築は、建設地の雄大な風景に溶け合っていなければならない。そんな考えから生まれた設計案です。50万トンもの土を掘り出す必要があり、ドーム型の屋根を造るのも信じられないほど複雑な工程でした。外観からは見えない内部構造に、5万トンのコンクリートが使用されています。コンクリートの三角形を2,500個用意し、巨大なジグソーパズルのようにはめ込んで屋根を構成しました」 建設に関わった業者は25社で、総工費は1億4千万ポンド(約200億円)。蒸溜所の設備を一新することで、生産量を以前の3分の1増にあたる年間1,500万リッターにまで増加させる。設備を製造するのは、ロセス村にあるフォーサイス社の仕事である。 「フォーサイスは既存のすべてのスチルからデスマスクを取るように形状やサイズをコピーして、出っ張りや凹みも再現しながら精確なコピーのスチルを製造したんです」とグリアーは振り返る。 「新しい蒸溜所は、世界でもっともラグジュアリーなウイスキーブランドであるザ・マッカランを見事なまでに象徴しています。驚くべき細部へのこだわり、クオリティのあくなき追求、卓越したクラフトマンシップなどが、この蒸溜所の建築にも込められているのです」 計画から6年、着工から3年半でここまで辿り着いた。フルロイター式のマッシュタンは容量17トン。ステンレス製のウォッシュバック(容量69,000L)が21槽ある。ウォッシュスチル(容量13,000L)が12基、スピリットスチル(容量3,900L)が24基に増えた。 近年、ウイスキーブランドは透明性と正統性が重視されている。新しいマッカラン蒸溜所もそのような価値観を代弁する存在だ。 「ザ・マッカランというブランドのタマネギの皮を剥くような気持ちで、蒸溜所の新設を見守ってきました。そして出来上がった蒸溜所は、期待を上回るほど素晴らしいものです。内部に足を踏み入れ、設備に触れながら涙がこぼれてきました。6年間にわたる大事業を完成させた誇らしい気持ちと喜びから溢れ出た涙です」   真新しい蒸溜所の内部を歩く   新しいマッカラン蒸溜所では、どのようなビジター体験が提供されているのだろうか。古代スコットランドの要塞「ブロッホ」をイメージした幻想的な視覚効果を強調するため、メインエントランスへと続く小道は徐々に細くなっていく。辿り着いた広大なスペースは、艶のあるコンクリートや木材で構成された現代的な美観。コンペに勝利したロジャーズ・スタークが得意とする空間演出である。 エントランスの左側には、ケン・グリアーが「マッカランの宝箱」と呼ぶ場所がある。天井から床までの全面を使用したガラス製の壁に、840本のボトルを展示したアーカイブだ。電子潜望鏡のような設備で各ボトルに照準を合わせれば、ビジターは840本すべての詳細情報を得ることができる。 ビジター向けのツアーが出発する階上にはカクテルバーがあり、実に952種類ものマッカランをグラス単位で購入できる。建設計画が始まったときから、マッカラン蒸溜所のチームは1824年以来続くマッカランブランドの伝統を表現するために知恵を絞ってきた。ビジターが目にする最初の展示は、イースターエルキーハウスの見事なミニチュア建築である。タイトルは「スピリチュアル・ホーム」。18世紀から受け継がれた調度品も、窓からはっきり見えるように再現されている。 次に目に入るのは「小型スチルの不思議」と題された展示物。これは大小2種類のスチルを展示用に小型化したもので、コンデンサーに向かって流れる蒸気の様子が観察できるようになっている。スチルのサイズによるメカニズムの変化もわかり、蒸溜の仕組みが視覚的に学べる展示だ。マッカランのスタッフが説明してくれる。 「わたしたちのスチルは小型で、スピリッツが銅に触れる量を極大化できる形状になっています。その結果として、リッチで、フルーティで、ボディもしっかりとしたザ・マッカラン特有のフレーバーがニューメイクスピリッツに授けられるのです」 (つづく) スペイサイドが誇るシングルモルト「ザ・マッカラン」の歴史、製法、商品情報が満載の公式ブランドサイトはこちらから。   WMJ PROMOTION    

1週間だけのウイスキー旅行:北ハイランド編(4) オールドプルトニー蒸溜所

$
0
0
北ハイランドをめぐる「1週間だけのウイスキー旅行」も4軒めの蒸溜所へ。美しい港町ウィックで、オールドプルトニーのユニークなスチルに出会う。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   オールドプルトニー蒸溜所は、ジェームズ・ヘンダーソンによって1826年に設立された。「海のモルト」という愛称は、単なる宣伝用のスローガンではない。ある意味で、この蒸溜所は海と切っても切れない歴史があるのだ。 蒸溜所名の由来となったのは、英国屈指の資産家だったウィリアム・ジョンストン・プルトニー卿。スコットランド北部の寒村を工業の中心地に変えようと考え、まずウィックに港を造った。すると港はニシン漁で大いに賑わい、19世紀初頭には隣にプルトニーという名の町まで設立されることに。「シルバー・ダーリン」とも呼ばれる北海ニシンは、1,000艘の船と7,000人の労働者を港町に引き寄せ、人口わずか数百人の町を大きく発展させた。 19世紀当時、ウィックに陸路で辿り着く方法はなかった。そのためオールドプルトニー蒸溜所も、大麦原料の輸送やモルトウイスキーの出荷を船だけに頼っていた。ウィックの繁栄はすぐに知られることとなり、「あの町には樽に入った銀と金がある」と噂された。つまりニシンの塩漬けとウイスキーのことである。だがそんな喜びも束の間、ある大きな問題が行く手を阻む。 第1次世界大戦前の英国では、禁酒運動が盛り上がりを見せていた。1913年にはスコットランドで禁酒条例の制定を自治体に一任する法令が議会を通過。ウィックの町でも酒類販売の是非を問う住民投票が提議され、1922年5月28日の投票によってアルコールが違法になってしまったのである。 ウィックは1920年代末までにゴーストタウンと化した。ニシン市場も廃れ、ウイスキーの生産も停止されて、かつての銀と金はうたかたのように消えてしまった。 人々が物事を考え直し、社会を変えるのには時間がかかる。ウィックの禁酒条例は、25年後の1947年にようやく廃止。禁酒時代に何度かオーナーが変わったオールドプルトニー蒸溜所は、1946年にロバート・カミングが買収した。カミングはその4年前にもバルブレア蒸溜所を手中に収めている。オールドプルトニーは1950年に電気設備が導入され、1951年に再稼働した。 時は流れて1995年、蒸溜所はインバーハウス・ディスティラーズの傘下に入る。蒸溜所を暗黒時代からよみがえらせ、再び脚光を浴びる存在にまで復活させたのはインバーハウスの功績である。ウィックの禁酒条例廃止から50周年の1997年には「オールドプルトニー12年」を発売。それ以来、蒸溜所はますます元気にウイスキーを生産し続けている。2012年にはウイスキーライターのジム・マレーが著書『ウイスキー・バイブル』で「オールドプルトニー21年」をウイスキー・オブ・ザ・イヤーに選出。蒸溜所の知名度も一段と高まった。   蒸溜所は人生の一部   オールドプルトニー蒸溜所に着くと、アシスタント・マネージャーのラッセル・アンガスが出迎えてくれた。蒸溜所のことを何から何まで知っている人物だ。ここで働いてもう23年。2003年に現在の夫人と職場で出会い、2016年には蒸溜所で結婚式を挙げた。蒸溜所が人生の一部であると言っても過言ではないだろう。 粉砕室に入ると、見慣れたポーテウス社のミルが鎮座している。赤い野獣といった趣だ。ラッセルが説明する。 「ほとんど100年前の機械だよ。でもまだまだしっかり動いてくれる」 大麦モルトはインバネスのベアード社が週に2〜3回運んでくる。毎週約71トンの大麦モルトを糖化し、すべてがノンピートだという。 「あの賞を獲ってから、ピーテッドもやってみたらとも言われたこともある。でも親会社が却下したんだ」 糖化室に移動すると、セミロイター式マッシュタンが1槽ある。胴体がステンレス製で、銅製の蓋がついた造りだ。 「古いマッシュタンが漏れ始めたので、2012年の夏に導入されたマッシュタンだよ。蓋が銅製だからといって特別な効果がある訳じゃない。ただ見映えがセクシーなだけさ」 1回のマッシュで5.1トンの大麦モルトを使用する。お湯を3回投入する蒸溜所が多いなか、オールドプルトニーは4回投入する。現在の方式になって、もう10年以上が経つという。 最初のお湯(17,000L) は68℃、2回目(8,300L)は64.5℃。そこから徐々に温度を85℃まで上げて、3回目と4回目(各9,200L)はそれぞれ87℃と89℃で投入される。 次は発酵室だ。設備は糖化室よりも新しい。昨年の春までは、耐候性鋼材でできたウォッシュバックが5槽あった。最古のものは1920年製で、最新でも40年選手という古株だった。そろそろ交代の時期だと長年言われ、昨年ついにステンレス製ウォッシュバック6槽に置き換えられたのだという。新しいウォッシュバックには、内部の様子を観察できるハッチも付いている。 ウォッシュバックには約23,000Lのワートが注がれる。一般的なリキッドタイプの酵母ではなく、ドライタイプの酵母を使用する数少ない蒸溜所のひとつだ。ドライタイプの酵母のペレットを36℃のぬるま湯に加えて10分待ち、再水和したところでウォッシュバックに加える。ウォッシュバック1槽あたり30kgの酵母が使用される。 「ドライタイプに変更したのは、17年くらい前のこと。それ以前はビール用酵母とウイスキー用酵母を使っていたんだけど、夏季の取り扱いが難しくてドライタイプに変えたんだ」 オールドプルトニー蒸溜所では、7人のスタッフが3交代制で生産工程を管理している。だが土日はしっかり休むのもポリシーだ。 「金曜日の正午には、もうスチルを切って週末モードになるよ。週末に休むから、発酵も短時間と長時間の併用になる。短い60時間の発酵が1週間に6回。長い100時の発酵が8回。どちらの方法でも、最終的にウォッシュの度数が8%になるようにしているよ」   名物スチルとついに対面   さて次は蒸溜室だ。ほとんどのビジターは、ウォッシュスチルの姿を驚いたように眺める。なぜなら必ずあるべきスワンネックがないからだ。これには有名な逸話がある。蒸溜所にスチルが納入された時、蒸溜棟の天井が低すぎて建物に入らないことがわかった。そこで蒸溜所長がてっぺんを切り落とし、直接ラインアームを取り付けることにしたのだ。ラッセルの説明は続く。 「僕らのシステムは変則的なんだ。ウォッシュスチルは一度に16,500Lのウォッシュを蒸溜できるので、ウォッシュバック2槽分でウォッシュスチルの蒸溜3回分に相当する」 初溜には4〜4.5時間かかる。スチルにウォッシュを充填する時間が30分、蒸溜に3時間、排出に30分といった時間配分だ。 オールドプルトニーはスピリットスチルも特異な形状をしており、ラインアームが曲がりくねって精溜器まで付いている。 「スピリットスチルには、約12,500Lのローワインを投入する。再溜の所要時間は全部で6時間だ。フォアショッツ(前溜)が12分で、ハート(中溜)は3時間。フェインツ(後溜)は2時間かけて度数1%になるまで続ける。こうやって約2,000Lのスピリッツができるんだ」 どちらのスチルも、蛇管式のコンデンサーに繋がっているのが面白い。管の長さはそれぞれ約100mある。蛇管を冷却する水は6km離れた小川から採取し、人口の水路を通って蒸溜所まで運ばれてくるのだとラッセルが説明する。 「季節によっては厄介な問題もあるんだ。夏はかなり管が熱くなって、水だけではうまく液化できなくなる。真夏に休業期間を設けているのはそのせいだ。逆に冬になると人口水路が凍ってしまうこともある。今年の冬もそうだったよ」 蒸溜が済んだら、次は樽詰めだ。樽入れは、1週間で約60~70本。残りのスピリッツはブレンディング用になる。ラッセルが熟成の決まりごとを明かしてくれる。 「多くの蒸溜所は加水してスピリッツのアルコール度数を63%にまで下げてから樽入れするけど、オールドプルトニーでは加水せずに69.1%で熟成するんだ」 蒸溜所には5軒の貯蔵庫がある。3棟がダンネージ式で、2棟がラック式だ。オールドプルトニーのシングルモルトとして発売されるものは、すべてこの敷地内で熟成される。現在の原酒ストックは約24,000樽だ。ほとんどのスピリッツは、ファーストフィルのバーボンバレルか、バレルを組み替えたホグスヘッドに樽入れされる。 「お気に入りはバッファロートレースの樽だけど、ヘブンヒルやジャックダニエルなど他の樽も使っている。年間40本くらいはシェリーバットにも樽入れするよ」 この蒸溜所で最古の樽についても尋ねてみた。 「1968年の樽が2本あるね。そろそろ年齢も大台に乗るから、商品化することになっているよ」 ということは、まもなく50年もののオールドプルトニーがお目見えするのだろう。オールドプルトニーのファンを自認される方は、購入資金を確保しておいたほうがいいかもしれない。 テイスティングルームで試飲用のボトルをあれこれと取り出しながら、ラッセルはとりとめのない昔話を始める。 「ここで働き始めた頃は、みんな仕事中に酔っ払ってしまうから、前のシフトの誰かが犯したミスを修正するのも仕事だった。でもそのうち修正役だった人もだんだん酔っ払うようになって、さらに後のシフトで修正しなければならなくなる。おいおい、こんな職場で本当にずっと働いていけるのかよって思った頃もあったね」 もちろん、ラッセルは大好きな仕事を20年以上も続けることになった。オールドプルトニーでの仕事や自身の人生について語るとき、彼の言葉の端々には情熱や誇りが滲み出ている。 北ハイランドの旅はまだまだ続く。通常なら、次の目的地はクライヌリッシュになるところだ。しかしディアジオがブローラ蒸溜所を再建中で工事中の場所が多く、ビジターを安全に迎え入れられる状態にないという。クライヌリッシュとブローラが一般公開されるまでは、一路南へ進路を取るのが賢明だ。テインの町には蒸溜所が2軒あるので、少なくとも丸1日から1日半を見ておきたい。グレンモーレンジィとバルブレアのレポートは、次回以降をお楽しみに。    

マッカランの新しい蒸溜所が完成【後半/全2回】

$
0
0
トップブランドによる史上最大の蒸溜所拡張計画。その背景には、生産力をアップしても決して品質に影響を与えない創意工夫があった。卓越したスコッチウイスキーへの需要増はまだまだ続く。   文:ガヴィン・スミス   新しいマッカラン蒸溜所のビジター体験は、先端テクノロジーを駆使した刺激的なものだ。だが喜ばしいことに、やはり最終的な本物のスターと呼ぶべき存在は、依然としてマッカラン特有のスチルである。 蒸溜所には連結されたスチルの「サークル」が3系統ある。それぞれのサークルでは、ウォッシュスチル4基とスピリットスチル3基が稼働している。合計36基のスチルで世界のザ・マッカランに対する需要を満たせない場合は、新しいスチルをさらに追加できるだけのスペースも蒸溜所内にはある。 ザ・マッカランは、長期間にわたって樽材への大規模投資をおこなってきた。理想の樽を得るため、スペインでシェリーのシーズニングを自社管理しているのもこの一環である。そんな訳で、次の展示は樽熟成の解説だ。オークと樽材がもたらす特別な効果を学び、樽工房内部のバーチャル体験もできる。 カクテルバーの真下にはプライベートセラーがあり、壁にいくつものシェリー樽がはめ込まれている。一般客が購入したり、樽詰めしたりできる原酒が入った樽である。ここは蒸溜所のちょうど中心部にあり、感動的な蒸溜所ツアーのクライマックスにぴったりの場所だ。 旧マッカラン蒸溜所は今年の5月に閉鎖され、将来的に再利用される計画もない。マスターディスティラーのニック・サヴェージが語ってくれた。 「最後の数年間は、旧蒸溜所を完全にコピーしようと苦心してきました。まるで指紋を採取して再現するような細かい作業です。ワートやウォッシュの成分を厳密に調べ、たくさんの基準を採取することで、あらゆる要素を完璧な同水準で再現できるようにしてきたのです。スチルに関していえば、フォーサイスは計り知れないほど価値の高い仕事をしてくれました」 旧蒸留所では、発酵にオレゴンパイン材のウォッシュバックとステンレス製のウォッシュバックを併用していた。だが旧蒸溜所でテストを繰り返してみても両者に違いがないとわかったので、新しい蒸留所ではすべてステンレス製にする決断をしたのだとサヴェージは説明する。 「新しい蒸溜所を期待通りに稼働させるまで、ほとんど時間はかかりませんでした。望ましいスピリッツの特性も、すでに再現できていました。旧蒸溜所のローワインや蒸溜時のテールを使ってテストを繰り返し、全体の流れも完成に近づけておいたのです」 発酵時間はこれまでと同様に平均55時間。スピリッツのカットも、従来どおり厳密に狭くとるという。 「実際に変更を加えた工程は、マッシング時のお湯の投入を3回から4回に増やしたことぐらい。これはモルトから最大限の糖分を引き出すための新しい措置です」 熟成中の原酒についても、そのまま切れ目なく保持していくとサヴェージは断言した。 「新しい蒸溜所だけでつくられた製品を発売したり、意図的に新旧のスピリッツをミックスしたマッカラン製品をつくったりする計画はありません。何といっても、新しい蒸溜所のスピリッツは、旧蒸溜所のスピリッツと完全に同じ品質なのですから。既存の原酒の隣に新しい原酒を並べても、違いに気づく人はいないでしょう」   壮大なスケールアップから生まれる恩恵   総工費1億4千万ポンド(約200億円)をかけた蒸溜所建設も、全体としてみれば予算5億ポンド(約700億円)に及ぶ驚異的なブランド強化計画の一部に過ぎない。12年がかりの計画を推進しているのは、グラスゴーにあるオーナー会社のエドリントンだ。蒸溜所の新築に加え、新しい排水施設の建設にも500万ポンド(約7億円)が投じられた。その他、貯蔵庫、最先端のボトリング施設、 輸送前の排出設備、樽工房などの建設や、これから樽の調達に必要となる多額の予算は別にとってある。 すべてのマッカラン製品は、蒸溜所の敷地内で熟成される。現在の貯蔵庫は全部で54棟。蒸溜所のそばには伝統的なダンネージ式貯蔵庫が何棟かあり、さらに上へ登った丘のそばにモダンな「ダブル式」貯蔵庫が8棟ある。最終的にはすべてラック式にして、14棟の新しい貯蔵庫に収める予定だ。貯蔵庫の収容力は1棟あたり25,000本である。それに加えてT字型をしたボデガスタイルの貯蔵庫も設置され、80,000本の樽を収容する。約40人の貯蔵庫チームが、週あたり800本の樽にスピリッツを詰め、年間40,000本の樽を新たに熟成させる。 新しい蒸溜所を稼働させたザ・マッカランは、製品ラインにも変更を加える。マネージングディレクターのスコット・マクロスキーが説明してくれた。 「ストックを最善の状態で各製品のために配置する戦いは、これまで同様に続きます。ウイスキーの需要は、ここにあるストックをはるかに上回っています」 熟成年数を表示しないノンエイジステートメント製品の売れ行きは好調だった。だがマッカランファンの多くは、年数表示を好むことがわかったのだという。 「ノンエイジステートメント製品は、ナチュラルなウイスキーの色を愛でるのが目的のひとつでした。ゴールド、アンバー、シエナ、ルビーなどの名は、すべて色を表現したもの。素晴らしい製品だったのですが、私たちの目標はコア製品を全世界で展開することであり、その準備がようやく整ったところなのです」 世界一幸運な男を自認するマクロスキーは、マッカランへの愛を包み隠さずに語ってくれた。 「ザ・マッカランが大好きです。他メーカーに務めていた頃から、こっそり隠れて飲み続けてきました。ドライフルーツとスパイスを感じさせるシェリー熟成の風味が素晴らしい。ザ・マッカランの評判は極めて高く、商業的にも成功を収めています。昨年度はほとんどすべての国で売上増を達成しました。将来が楽しみな中国市場は、まだ動き始めたばかりですが手応えを感じます。いずれはインド市場にも本格的に力を入れたいと考えています」 新しい蒸溜所の建築で、未来的なイメージを大胆に提示したザ・マッカラン。だがスコット・マクロスキー率いいるチームは、夢のような現実を本当に手に入れようとしている。 スペイサイドが誇るシングルモルト「ザ・マッカラン」の歴史、製法、商品情報が満載の公式ブランドサイトはこちらから。 WMJ PROMOTION    

アイラらしさを極めたウイスキー「ポートシャーロット」新発売【前半/全2回】

$
0
0
ウイスキーの聖地アイラ島で、手づくりにこだわりぬいたユニークなモルトウイスキーを生産するブルックラディ蒸溜所。ヘビリー・ピーテッドの人気ブランド「ポートシャーロット」が、大幅にイメージチェンジする。ブランドアンバサダーのクロエ・ウッドがその魅力を解説。 文:WMJ   ピートの効いたスモーキーなウイスキーが多いアイラ島でも、特にエレガントな味わいと手づくりへのこだわりが魅力の「ポートシャーロット」。だがアイラ島にポートシャーロットという名の蒸溜所はない。ポートシャーロットは、ブルックラディ蒸溜所で生産されるヘビリー・ピーテッド大麦を使用したシングルモルトウイスキーのブランド名なのである。 ブルックラディ蒸溜所では、年間を通して3種類のシングルモルトウイスキーを生産している。分量でいうと、ノンピーテッドの「ブルックラディ」が70%、ヘビリー・ピーテッドの「ポートシャーロット」が20%、スーパー・ヘビリー・ピーテッドの「オクトモア」が10%という配分だ。 そんな通好みのアイラモルトが、コンセプトをさらに明確化し、ブランドを一新するという。ブルックラディでアジアパシフィック地域のブランドアンバサダーを務めるクロエ・ウッドが、できたてのボトルデザインを披露してくれた。 「これまでのポートシャーロットはボトルもブルックラディに似ていましたが、大胆に差別化を図ることにしたんです。個性的なブルーのボトルのブルックラディと、世界でいちばんスモーキーなオクトモアにはさまれて、ポートシャーロットはちょっと控えめな三人兄弟の真ん中の子の役回りでしたから」 ブルックラディと同じく透明だったボトルは、濃いグリーンに変更された。丸みを帯びていた肩も角張った形状に変貌している。これは伝統的なヘビリー・ピーテッドのアイラウイスキーらしさを取り入れながらも、他とは一線を画すデザインなのだとクロエは言う。おなじみの力強いフォントはそのままに、遠くから見てもポートシャーロットだとわかるシルエットに大きく変身した。   初めて年数を表記したポートシャットの新定番   このたび日本で発売される新商品は2つある。そのひとつ「ポートシャーロット 10年」は、ブルックラディ蒸溜所史上初の年数表記をした主力定番ボトル。これまでのマルチビンテージ商品「ポートシャーロット スコティッシュ・バーレイ」の後継商品とみなしていいだろう。 モルトのフェノール値は40ppmで、ヘビリー・ピーテッドの明確なピート香がある。ブルックラディらしいエレガンスに、バーベキューの煙を思わせるスモーク風味が融合した味わいが魅力であるとクロエが説明する。樽の構成は、ファーストフィルのアメリカンオーク樽が65%、セカンドフィルのアメリカンオーク樽が10%、セカンドフィルのフレンチワイン樽が25%。このようなレシピをすべて公開するのは、公明正大なブルックラディのポリシーである。 グラスに注いだウイスキーは、明るいゴールドに輝いている。香りはアイラモルト有数の軽やかさだが、口に含むとスモーキーな喜びが弾ける。フルーツを炭火焼きしたような芳醇さから、いつまでも続く荘厳なフィニッシュで海のアロマが尻上がりに強まってくる。 「50%という度数は、舌にまったりと絡みつくオイリーさとスモーク香のバランスがちょうどいい度数なんです。グラスを少し回してみてください。内壁にしっかりとウイスキーの膜が残るでしょう? これがオイリーな口当たりの正体です」 この豪華な口当たりは、ノンチルフィルターの賜物だ。少し水を垂らすとフレーバーが開き、スモーク香がいっそう広がっていく。「ポートシャーロット 10年」は、ヘビリー・ピーテッドのアイラモルトを極限にまでエレガントに表現したウイスキーといってもいいだろう。 「ヘッド・ディスティラーのアダム・ハネットが追求した10年熟成の理想がここにあります。蒸溜所の復活から17年が経って、ようやく10年熟成のウイスキーが安定供給できるようになりました。初めての方にもおすすめしたいポートシャーロットの新しいスタンダードです」 (つづく)    

アイラらしさを極めたウイスキー「ポートシャーロット」新発売【後半/全2回】

$
0
0
究極の現地生産を目指す蒸溜所が新たに発売するのは、アイラ島産モルトだけを使用した「ポートシャーロット アイラ・バーレイ」。アイラ島でウイスキー用大麦の栽培を復活させて14年、もっともテロワールに忠実なウイスキーが定番化される。   文:WMJ   ブルックラディが生産するヘビリー・ピーテッドのシングルモルトウイスキー「ポートシャーロット」が、アイラのテロワールをさらに強く打ち出して新発売される。「ポートシャーロット 10年」と同様に注目なのが「ポートシャーロット アイラ・バーレイ 2011」だ。その名が示唆する通り、原材料のモルトは100%アイラ産である。 アイラ島は長らく大麦の栽培には適さないと考えられ、近年までウイスキー用の大麦栽培は完全に廃れていた。そんな状況にあえて抗ったのも、反骨精神旺盛なブルックラディ蒸溜所だった。近所で農業を営むレイモンド・スチュワートが、ブルックラディ蒸溜所のために初めて大麦を栽培してくれたのは2004年のこと。現在はパートナー農家も増え、17軒の農家(19人の農夫)がブルックラディ蒸溜所にウイスキー用の大麦を提供している。 ブルックラディでアジアパシフィック地域のブランドアンバサダーを務めるクロエ・ウッドが、現在の状況について説明してくれる。 「ブルックラディ蒸溜所で使用されている大麦のうち、アイラ島産は年間使用量の33%に達しています。アイラのテロワールを深く追求することはもちろんですが、地元の農業を振興するという大きな目的にも貢献していますよ」 新標品の「ポートシャーロット アイラ・バーレイ 2011」は、前述のレイモンド・スチュワート(サンダーランド農園)、ニール・マクレラン(キルヒアラン農場)、レイモンド・フレッチャー(ダンロシット農園)が提供したアイラ産大麦を100%使用している。樽の構成は、ファーストフィルのアメリカンオーク樽が75%、セカンドフィルのワイン樽(シラーとメルロー)が25%であるという。「ではさっそく味わってみましょう」と、クロエが黄金の液体をグラスに注いでくれた。   アイラらしさを極めた究極のウイスキー   軽やかなアロマの旋風が、グラスのなかで吹き荒れている。土っぽいタールを纏ったスモーキーなピート香。レモン、モモ、リンゴなどのフルーツ香はブルックラディらしいスピリッツの特性を現している。バニラやココナッツのような香りは、アメリカンオークの熟成感を反映したものだろう。 口に含むと塩気があり、アイラ島沿岸部の情景が目に浮かぶようだ。スモーク風味にはドライな印象がある。薬品っぽさよりも、タールや炭を連想させるスモーク感がポートシャーロットの特徴だ。 フィニッシュにかけて、一気に華やいでいくスモーク香。オークの甘味と麦の風味に完璧な調和を見せている。 「アイラで育った大麦は、ブルックラディ蒸溜所のスタイルであるモモやリンゴなどの風味を際立たせてくれます。蒸溜、熟成、ボトリングまですべてをアイラ島内でおこなうヘビリー・ピーテッドのウイスキーはポートシャーロットとキルホーマンのみ。 とりわけ『アイラ・バーレイ』は、原料もアイラ産のみを使用した純然たるアイラモルトです」 今年5月に開催されたアイラフェスティバルでは、このポートシャーロットの新商品が大好評を博したとクロエが振り返る。ブルックラディ蒸溜所は新しいポートシャーロットのブランドイメージに包まれ、あたかも「ポートシャーロット蒸溜所」のようになった。現在もポートシャーロットは、生粋のアイラらしさ を称えたハッシュタグ「# WE ARE ISLAY」(ウィー・アー・アイラ)をSNSで発信している。 「 アイラの多くのウイスキー蒸溜所は、産地を明確にしない麦を使用して、蒸溜だけ島内でおこなったニューメイクスピリッツを島外に運び出して熟成させています。ほんの数日しかアイラで過ごしていないスピリッツが、本当にアイラウイスキーと呼べるのかという問題提起でもあるのです」 島外のマーケティングチームが作り上げたストーリーではなく、アイラで働く蒸溜所スタッフから生まれた構想にブルックラディはこだわる。その構想から、実際の蒸留、熟成、ボトリングまでをアイラで行うことは、アイラのコミュニティにとって意味があるだけでなく、消費者に「産地の明らかな、造り手の見えるウイスキー」を届けるという目的も持つ。「# WE ARE ISLAY」というメッセージには、アイラの人々やテロワールを体現した「真の」アイラウイスキーであるという強い自負が込められているのだ。   妥協のない手づくりで最高品質を目指す   ポートシャーロットを生産するブルックラディ蒸溜所は、7月現在で93人の大所帯。今年中には100人を超える予定だ。アイラ最大の雇用を誇るウイスキーメーカーで、従業員のうち56人が40歳以下という若いチームでもある。契約農家や協力企業を加えたコミュニティの結束も、前ヘッド・ディスティラーのジム・マッキュワンが目指したアプローチなのだとクロエが説明する。 「昨年と同じものをつくり続けるのではなく、いつも可能な限りの最高品質を目指すのがブルックラディの特徴です。そのためには、前例にとらわれないクリエイティブな実験精神が大切。あらゆる情報がボトル1本ごとに明記されていて、隠し事がない透明性も私たちの誇りです」 あらゆる要素がユニークなブルックラディの哲学を説いてくれるクロエ・ウッドは、地元アイラ島の出身だ。蒸溜所にも近いオクトファド農場で育ち、実父はブルックラディに納入するアイラ産大麦の乾燥を手がけてきた。18歳で「ラディ・ショップ」のスタッフとしてブルックラディに入社し、 その後アカデミープログラムのリーダーに抜擢。世界中から訪れるプロやファンに、ブランドの魅力を伝道してきた。2017年11月からはアジアパシフィック地域のブランドアンバサダーとして日本市場も担当している。 「自分の生まれ育った島とウイスキーのお話をしながら、大好きな旅も経験できる仕事なので、やりがいを感じています。日本のみなさんはウイスキーへの関心が高く、生産プロセスなどについて本当に細かく尋ねてくださるのが印象的。そんな質問に答えるのも、大きな喜びのひとつです。何しろ私たちには、隠し事が一切ありませんから」    

1週間だけのウイスキー旅行:北ハイランド編(5) バルブレア蒸溜所

$
0
0
北ハイランドをめぐる「1週間だけのウイスキー旅行」。第5話は、ドーノック湾を見渡す風光明媚なテインの町から歩き始めよう。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   美しいテインの近郊には、長い歴史を持つウイスキー蒸溜所が2軒ある。バルブレアとグレンモーレンジィだ。最善のプランは、まず午前中をどちらか1つの蒸溜所に費やし、昼食をとるためテインの町に戻って、午後にもう1つの蒸溜所を訪ねるパターンだ。 そんな訳で、まずはバルブレアへ向かおう。蒸溜所で出迎えてくれたのは、ジョン・マクドナルド。バルブレアの長い歴史に誇りを持っている蒸溜所長だ。 「バルブレアの記録を遡ると、ウイスキー法制化以前の1749年にまで遡る資料があるんだ。1715年の日付が記された銅製スチル2基の領収書も発見されて、テイン博物館に収蔵されている。つまりバルブレアは、スコットランド最古の蒸溜所のひとつかもしれない。もちろん当時は密造だけどね。最初の蒸溜所は丘の上にあったが、その土地を購入した人たちが蒸溜所の歴史を細かく調べている。だからもっと詳しいことが明らかになるんじゃないかと期待しているんだ」 エダートン村にあるバルブレア蒸溜所は、1790年にジョン・ロスが設立した。1824年に息子のアンドリュー・ロスに引き継がれ、さらにその息子が後を継いだ。19世紀末まではロス家の手にあったようだ。だが鉄道がバルブレアの近くを通ることになり、ロス家はこれを好機と見て事業を売りに出した。インヴァネスのワイン商であるアレクサンダー・コーワンが蒸溜所を購入し、1894年に設備を改修。その後、さらに鉄道に近づけようと800m北へ移転した。 だが蒸溜所は1911年に生産休止となり、第1次世界大戦中は英国陸軍に接収されてしまう。ウイスキーの生産が再開したのは1949年のこと。オーナーが転々と移り変わったが、1996年にインバーハウス・ディスティラーズが買収し、2007年から「ヴィンテージ」の戦略を実行に映した。熟成年数ではなく、ワインのように生産年で管理するスタイルである。それ以来、バルブレアは目覚ましい成長を続けてきた。 ジョン・マクドナルド蒸溜所長は、自分が蒸溜所の新参者なのだと冗談めかして言う。 「ここに来てまだ12年だからね。他の人たちはもっと長いんだ」 自分からは語らないが、バルブレアの前にグレンモーレンジィで17年働いていたのでウイスキーづくりに関してはベテランである。グレンモーレンジィでは副蒸溜所長まで務めたが、バルブレア蒸溜所長のポストは二つ返事で引き受けた。 「ずっとバルブレアのファンだったからね。かつての『バルブレア16年』が特に好きだった。悪い話じゃないし、断る理由なんかなかったよ」 バルブレアのウイスキーづくりは、通年で働く8人の男が担っている。面白いことに、創業者と同じロス姓の者が多く、メンバーの大半が副業を持っている。副蒸溜所長のノーマン・レインは農家で、アラン・モアはロブスター漁師。バルブレア勤続39年のマーティン・マクドナルドはバス運転手で、アラン・ロスは大工。マイク・ロスは熱心なゴルファーでもある。ジョン・ロスという名前の男が2人いるが、その1人は「ペインター」と愛称される画家である。もう1人のジョン・ロスは「タガート」と呼ばれているが、これは警察官のことだ。余暇はボランティア巡査として活動しているのである。   重要なのは一貫した品質   ジョン・マクドナルドは「もっとも大切にしているのは品質だ」と誇らしげに語る。蒸溜所長になって生産工程に変更を加えたことがあるかと尋ねると、ジョンは首を横に振った。 「生産方式はまったく変えていない。故障以外で設備を変更するのはよくないし、変化が吉に出るとは限らないからね。ディスティラーにとって一貫性ほど重要なものはないんだ。バルブレアのニューメイクは素晴らしいから、最初からアドバンテージをもらっているようなものさ」 マッシングに使用する水は、7km先から採取している。蒸溜所とエダートン村に供給するため、川から人工の水路を引いているのだ。軟水で純度も高く、簡単な濾過もおこなわれている。水源の名前は「アルト・デアーグ」で、「赤い水」という意味。その名の通り、鉄分が豊富なので赤みがかった色をしている。 バルブレアでは、1976年以来モルティングがおこなわれていない。かつてのモルティングフロアは、現在ビジターセンターに改修されている。製麦済みの大麦モルトはモルト業者から購入するが、スコットランドをはじめ世界中の蒸溜所がモルトを業者から調達している。現在使用している品種はコンチェルトとクロニクルで、毎週60〜80トンが蒸溜所に届く。大麦モルトを入れる大型容器は10個あり、全部で300トンのモルトを保管することも可能だが、ジョンは設備を満杯にしたくないのだと言う。 入手した大麦モルトは、1965年に製造されたポーテウス社のミルで粉砕される。同社のシリーズで2番めに大型のモデルだ。1時間半で4.5トンの大麦モルトを粉砕し、ハスク(殻):グリッツ(粗挽き):フラワー(粉)は30:60:10の割合にする。バルブレアのマッシュは、1回で4.4トンのグリストを使用している。セミロイター式のマッシュタンに1回目のお湯(14,000L)が69°Cで投入され、65°Cまで温度が下がるのを待つ。2回目のお湯(7,000L)は80°Cで投入され、3回目のお湯は(16,200L)は90°C以上だ。すべてをひっくるめると1回で6時間ほどのマッシュから19,300Lのワートができる。このワートはポンプで熱交換器に送られ、温度が63°Cから18.5°Cまで冷やされた時点でウォッシュバックへの投入準備が完了する。 ウォッシュバックは6槽あり、どれもオレゴンパインの木製だ。6槽のうち2槽だけ少しサイズが大きい。25分かけてウォッシュバックにワートを投入し、酵母が加えられる。現代はこのプロセスもシンプルになった。ボタンを押すだけで、リキッドタイプの酵母が70~80Lほどウォッシュバックにポンプで送られる。 蒸溜所が稼働するのは週5日間で、稼働日は24時間体制のため3交代制のシフトで回している。週末の2日は休業となるため、発酵時間は長短2つのバージョンを併用することになる。日曜日から火曜日にスタートすれば、発酵時間は3日間(65時間で酵母は80L)。水曜日から金曜日にスタートすれば、発酵時間が110時間以上(酵母は70L)。どちらも発酵後のアルコール度数は約10%になる。 さて次は蒸溜工程だ。以前はマッシュ7回分でウォッシュスチルを8回満たす変則システムだったが、現在は分量を調整してバランスをとっている。ウォッシュスチルには19,300Lのウォッシュが充填され、約6時間かけて初溜がおこなわれる。排出される約6,500Lのローワインは、そのままスピリットスチルへ。フォアショッツ(前溜)が10分、ハート(中溜)は2時間〜2時間半、フェインツ(後溜)は3時間で、約2,500Lのスピリッツができる。この蒸溜工程は2011年以来コンピューター制御となっており、人間の作業が入り込む余地はない。人間の役割は、コンピューターがしっかりと仕事をしているか監視することぐらいである。 スチルに取り付けられたラインアームは、昨年フォーサイス社によって取り替えられた。この修理のため、スチルの上部を取り外したのだという。ラインアームは下向きで、コンデンサーは屋外にある。屋外なので蛇管式かと思いきや、コンデンサーは多管式である。これは生産エリアのスペースに余裕がないため。限られた空間をフル活用しなければならない。以前はヘッドとテイルを蒸溜する第3のスチルもあったが、蒸溜棟が手狭になって6年前に撤去された。このスチルは現在ロセス村で展示されている。   映画の舞台となった貯蔵庫   バルブレアは、純アルコール換算で年間110万Lのスピリッツを生産している。その内訳についてジョンが説明してくれた。 「全体の15%はシングルモルト用。あとの85%はシーバスブラザーズ、ホワイト&マッカイ、ジョニーウォーカーなどのブレンド用に取引されているよ」 ジョンが重視しているのは「lpa」という単位で表されるアルコール収率(原料モルト1トンあたりから得られる純粋なアルコール量)だ。 「インバーハウス傘下には5つの蒸溜所があって、アルコール収率を競い合っているんだ。目標値は、1トンあたり405lpa。バルブレアでは先週411lpaを出しているから優秀なものさ」 樽詰めする日は、厳密には決まっていない。度数はスピリッツスチルから流れ出る「レシーバーストレングス」(約68%)で樽詰めされる。使用する樽の大半はバーボン樽で、シェリー樽が使用されるのは後熟(フィニッシュ)用がほとんどである。スタッフの1人が説明してくれた。 「ファーストフィルのシェリー樽で熟成すると、ウイスキーが黒っぽくなるし、シェリーの風味が強すぎるんだ。バルブレアとスピリッツのタイプがよく似ているバルヴェニーでも、同じ話を聞いたことがあるよ。でもザ・ウイスキー・エクスチェンジの人たちは、どういう訳かそのコーラみたいなウイスキーがお気に入りで、シェリー樽熟成の原酒を喜んでボトリングしている」 貯蔵庫は8棟あり、計19,000本の樽が熟成中だ。8棟のうち4棟は新築で、4棟は昔からある。現在は使用されていない貯蔵庫も2棟ある。貯蔵庫はすべてダンネージ式で、樽は3段積み。秋になると、貯蔵庫内の樽の上部には露が降りることもあるだろう。 第3貯蔵庫はケン・ローチ監督の映画『天使の分け前』のロケ地だったので、映画ファンなら見覚えがあるかもしれない。幻のウイスキー「モルトミル」をテイスティングするシーンに、ここで働くジョン・ロスとノーマン・レインの2人も登場している。見学中に当のジョン・ロスとばったり出会ったので、映画出演の体験について感想を尋ねてみた。 「幻のウイスキー『モルトミル』の樽を開栓する役だったよ。ほんの数秒のシーンだけど、撮影に3時間もかかった。今となっては笑い話だね。撮影隊は1週間以上滞在したけど、ウイスキーづくりは平常通りおこなわれていた。ウイスキーづくりの邪魔だけはしないでね、というのが唯一のお願いだったんだ」 蒸溜所長室で新旧のバルブレアをテイスティングする。その前に、ジョン・マクドナルドに訊いてみたいことがあった。バルブレアでは、ピーテッドモルトをつくったことがあるのだろうか? 「ああ、2回やったよ。2010年と2011年だ。ブレンディング用に試してみたいという会社の要望だった。なかなか上出来で、複雑な個性みたいなものも感じられた。でも個人的にはクラシックなバルブレアが好みだね。根っからのハイランド人だから」 そんな言葉に、スチルマンのジョン・ロスもうなずく。 「憶えているよ。2011年に3~4週間ほどピーテッドモルトを蒸溜したとき、生産エリアは灰皿みたいな匂いがしていた。あの匂いだけは、どうしても好きになれなかったなあ」 ジョン・ロスは、蒸溜所で勤続24年になる。入社以前の子供時代もここで遊んで育ったそうだ。蒸溜所で嫌いな仕事はあるかと尋ねると、すぐに答えが返ってきた。 「シフトの夜勤だね。あとはウイスキーへの批判を目にすると腹が立つ」 なるほど。逆に楽しいことは? 「やはりボトリングされた製品を眺めることだね。1994年以降につくられたバルブレアは、間違いなく自分の手でつくったものだとわかる。これは俺のウイスキーなんだぞという気持ちかな」 バルブレア蒸溜所は魅力にあふれた場所で、何日滞在しても飽きることがないだろう。だが旅は続くし、残された時間は短い。残念だが、ランチのためにテインの中心部に戻ることにしよう。 昼食に1時間くらい割けるなら「グリーンズ・マーケット・レストラン」がおすすめだ。時間を節約して周囲の散策に費やしたいのなら、有名な「ウィリアム・グラント・ベーカリー」でパイを買ってリュックサックに入れておこう。このパイは人気なので、なるべく昼までに買っておきたい。腹ごしらえが済んだら、次の目的地であるグレンモーレンジィ蒸溜所に向かおう。    

世界一ラグジュアリーなウイスキーブランドの20年【前半/全2回】

$
0
0
ラグジュアリーなウイスキーと聞いて、真っ先に連想するシングルモルト。20年にわたってマッカランを世界的ブランドに導いてきたケン・グリアー氏が、比類なきクリエイティブなブランディングの極意を語る。 文:WMJ   無数のブランドがしのぎを削るウイスキー業界だが、マーケティングの重大な判断をクリエイティブ・ディレクターに委ねている企業はごく少数だ。製品の一貫性を何よりも重視するウイスキーづくりにおいて、クリエイティブな変革は時に困難なことのようにも思われる。 「いやいや、むしろ制約があったほうがクリエイティブになれますよ。自由な発想は、いつも不自由な状況からこそ生まれますから」 そう語るのは、マッカランのクリエイティブ・ディレクターを務めるケン・グリアー氏だ。過去20年にわたって、スペイサイドの蒸溜所をラグジュアリーなウイスキーブランドに育て上げた仕掛け人である。 グリアー氏が天職に出会ったのは今から20年前。LEGOや清涼飲料水のマーケティングを経て、まだ世界的なブームが到来する前のスコッチウイスキーに興味を持った。長年タッグを組むことになるビル・ファラーの手引きで1998年にハイランド・ディスティラーズに入社。同社をエドリントン・グループが買収したことで、翌1999年にはマッカランもポートフォリオの一部になった。 「スコットランド人として、世界各地で祖国の製品をマーケティングする面白さを感じました。そしてバーで楽しむこともあれば、自宅で楽しむこともある点が、ちょうどオンプレミスとオフプレミスを等しく重視するエンターテインメント産業にも似ていることに気づいて興味が掻き立てられたのです」 エドリントンではディレクター・オブ・モルツに就任し、マッカランの収益性について徹底分析。ブランドに明確なラグジュアリー路線が必要だと判断した。やがてマーケティング・ディレクターとクリエイティブ・ディレクターを兼任しながら、大胆なアイデアを次々と繰り出すようになる。 「強力なブランディングとは何か。本当に特徴のある製品とは何か。マッカランの成功は、私たちが徹底してクリエイティブな考え方をしてきた成果です。他のウイスキーブランドとは違う独自路線を貫くには、クリエイティブであり続ける以外に方法がありませんでした」   消費者の変化に対応してブランドを拡大   かつてブレンド用のモルト原酒生産が主体だったマッカランが、シングルモルト路線に舵を切ったのは1980年代のこと。だが当時のマッカランに現在のような知名度はなかった。 「私がウイスキー業界に入った20年前、シングルモルトに興味を抱く人は少数に過ぎず、それほど大きな市場だとは思われていませんでした。それが今ではすっかり人々の認識も変わり、シングルモルトがオピニオンリーダーとしてウイスキー業界を牽引しています」 グリアー氏がマッカランのマーケティングに着手した1999年当時、マッカランの年間販売量は約15万ケースだった。それが約20年後の現在では100万ケースを超えている。シングルモルト路線に転換したマッカランを、ラグジュアリーブランドとして成長させたグリアー氏の功績は大きい。だが市場の質的な変化も、確かに追い風となったとグリアー氏は分析している。 「現在の若い世代は、かつての若者のようにホワイトスピリッツを大量に消費せず、どちらかといえばブラウンスピリッツの品質に共感しています。商品そのものより高品質のドリンクを楽しむ経験のほうが大切で、本当に価値を認めるものだけにお金を使いたい。クラフトであることや、地元産へのこだわりも高い評価の対象になります」 全体の消費量は減っていても、より品質の高いものを好むようになった消費者。そういった市場の傾向を強みとしながら、シングルモルトの分野が全体として成長できたのだとグリアー氏は説明する。他のあらゆる酒類カテゴリーと比べてもシングルモルトが存在感と競争力を増し、そのムーブメントの中心にはいつもマッカランがいた。 「SNSの力も大きいですね。従来型のイベント、PR、広告もいまだに重要ですが、Instagram、Facebook、Twitterなどで多彩な消費者に一気にリーチできるようになりました。現在の活動をリアルタイムで伝えられるメディアとして、SNSのメリットは計り知れません」 (つづく)

世界一ラグジュアリーなウイスキーブランドの20年【後半/全2回】

$
0
0
マッカランのクリエイティブ・ディレクターを退任し、新しい道を歩もうとしているケン・グリアー。わずか20年で世界的なラグジュアリーブランドを築いた躍進の条件について振り返る。 文:WMJ   世界のウイスキーメーカーの大半が高品質を謳っている。しかし現実にラグジュアリーなイメージを市場に浸透させているブランドはほんの一握りだ。マッカランのクリエイティブ・ディレクター、ケン・グリアー氏もその難易度を十分に理解している。 「いくらラグジュアリーを自称しても、周囲がラグジュアリーだと認めてくれなければ目標は達成できません。聴衆が笑ってくれない限りコメディアンとはいえないのと同じです。私が意識してきたのは、マッカランがシングルモルトウイスキーの会社だという前提を忘れること。ラグジュアリーブランドの会社が、たまたまシングルモルトを扱っているのだと考えることにしました」 持てる資産を十分に活かし、物語性たっぷりに伝えることがブランディングの常道である。マッカランのシェリー樽原酒が高品質であるなら、それに見合った値付けも重要だ。誰もが価格に納得できるような物語によってブランドの価値が上昇するのである。 「商品の提供場所は一流店舗のみに限定しました。キャラクター重視のノンエイジステートメント商品も、当時の高級ウイスキーブランドには珍しいアプローチでした。あえてコレクターアイテムとなるように仕掛けた超高級品も目的は同じです。他業種とのコラボレーションは、超一流のブランドや人物だけに限定しました」 マッカランのコラボレーションはいつも印象的だった。スペインのミシュラン3ツ星レストランを運営するロカ3兄弟。ジェームズ・ボンド「007シリーズ」への登場。世界的なクリスタルガラスメーカー「ラリック」のデキャンタ。著名写真家をはじめとする超一流のクリエイターとのコラボレーション。個性豊かなパートナーたちが、若い世代にマッカランのブランドイメージを力強く浸透させた。 「ブランディングに魔法はありません。大切なのは、目的を明確にして最大の努力を注ぐこと。ゲーリー・プレーヤー(南アフリカのゴルフ選手)の『練習をすればするほどラッキーになる』という言葉が大好きです。ラグジュアリーブランドになるカンフル剤があるのではなく、あくまで長年にわたる努力の積み重ねの結果ですから」   マッカランのクリエイティビティを体現した新しい蒸溜所   そしてケン・グリアー氏のクリエイティビティを象徴する究極の存在が、完成したばかりの新しい蒸溜所である。総工費1億4千万ポンド(約200億円)を費やし、蒸溜所建築の概念を根底から変える現代建築。グリアー氏にとってもキャリアの集大成に位置づけられる大事業である。 「6年ほど前に市場を分析して、マッカランにはまだまだ潜在的な需要があるとわかりました。これからも増え続ける需要に応えるには、新しい設備が必要です。生産量を3割アップの年間1,500万リッターにまで増加させ、なおかつラグジュアリーなブランドイメージを体現できる蒸溜所を模索していました」 今でもグリアー氏の書棚に置いてある『世界の傑作ワイナリー』という本をめくっていると、スペインのラグアルディ町にあるボデガ・イシオス(サンティアゴ・ カラトラバ設計)の写真に目が止まった。独創的でありながらエレガントで、未来を先取りしたような建築である。スペインのマルケス・デ・リスカル(フランク・ゲーリー設計)やナパバレーの「ドミナス・エステート」(ヘルツォーク&ド・ムーロン設計)にも感銘を受けた。 「こんな建築を採用しているウイスキー蒸溜所は、まだ世界にひとつもない。だったら自分たちがやってやろうと考えたんです」 新蒸留所のデザインを決める指名コンペが始まった。参加者はノーマン・フォスター、ロジャーズ・スターク、ヘルツォーク&ド・ムーロン、ディビッド・ アジャイという錚々たる面々である。そして最終的に採用されたのは、ロジャーズ・スターク・ハーバー+パートナーズの設計案。まだ完成したばかりだが、スコッチウイスキーの歴史上もっとも成功した蒸溜所建築であることは疑いようもない(蒸溜所建設の経緯はこちらから)。 「細部へのこだわり、クオリティのあくなき追求、卓越したクラフトマンシップ。この蒸溜所は、世界でもっともラグジュアリーなウイスキーブランドを見事に象徴しています」 新蒸溜所の完成を見届けたケン・グリアー氏は、次世代にバトンを渡すことにした。2018年10月からは独立してコンサルタント業務を始めるという。分野はワイン、スピリッツ、写真、高級品などのブランディング。さらに2019年1月から3年間は、スコッチウイスキーの権威である「ザ・キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒ」の代表も務めることになっている。 グリアー氏に、20年のキャリアでもっとも記憶に残っている出来事を挙げてもらった。ラリックのデキャンタに入ったマッカランが世界最高額(46万ドル)で落札されたこと。マッカランがジェームズ・ボンドお気に入りウイスキーとして『007 スカイフォール』に登場したこと。世界的な写真家アニー・リーボヴィッツとの共同プロジェクト。香港で437名のゲストと「Mデキャンタ」の発売を祝ったこと。そして新しい蒸溜所が落成した日。 「でも誰かがマッカランをバーで注文するのを見たり、ファンやパートナーたちと語り合ったすべての瞬間が宝物です。このように絶えず進化し続けてきたことが、マッカランを世界でいちばん価値のあるシングルモルトブランドに押し上げた理由ですから」  

1週間だけのウイスキー旅行:北ハイランド編(6) グレンモーレンジィ蒸溜所

$
0
0
たった1週間の休暇で、できる限り多くの蒸溜所を訪問するのが旅の目的だ。テインの町から、グレンモーレンジィ蒸溜所を目指す午後。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   午前中のバルブレア訪問を終え、町の中心地に戻ってたっぷりとランチをいただく。満腹なので、腹ごなしを兼ねて蒸溜所まで歩こう。ついでに喉の渇きを覚えたら一石二鳥だ。目的地までは徒歩15分以内である。 グレンモーレンジィ蒸溜所は、モーレンジィ農場を買収したウィリアム・マセソンによって1843年に創設された。モーレンジィ農場は、ターローギーの泉から水を引いてビールも醸造していた。マセソンがこの醸造所を蒸溜所に造り変え、「静寂の谷」を意味する「グレンモーレンジィ」に改名したのが物語の始まりである。 その後、蒸溜所は1918年に主要顧客のマクドナルド&ミュア社が買収し、約1世紀の間マクドナルド家の手で運営された。そして2004年にモエ・ヘネシー・ルイヴィトンに売却されると、ラグジュアリーなシングルモルトづくりに舵を切ったのである。 グレンモーレンジィの仕込み水は、今でもターローギーの泉から採取している。雨が大地に染み込み、石灰岩と砂岩の地層を100年以上かけて通過した天然水だ。スコットランドではほとんどの水が軟水だが、このターローギーの泉は大地に含まれるミネラルを含んで硬水になっている。 1980年代、ターローギーの泉の周辺で土地開発が持ち上がった。大切な仕込み水が、質量ともに変化してしまうのではないか。そんな最悪の事態を防ぐため、グレンモーレンジィの親会社は水源地一帯に広がる約600エーカー(2.4k㎡)の土地を購入。さらに確実に水源を守るため、現在は私有地を約850エーカー(3.4k㎡)にまで広げている。   グレンモーレンジィ蒸溜所の内部を見学   蒸溜所には6つのモルトビンがあり、各20トンの大麦モルトを保管できる。原料の供給サイクルはとても速く、毎週約300トンのモルトが使用されている。すべてスコットランド産で、ノンピートの大麦モルトだ。蒸溜所は毎週32回のマッシングをおこなう能力があるものの、現在は毎週18回に留めている。これは後述する嫌気性消化工場の処理能力に合わせた量なのだという。かつては蒸溜所内のモルティングフロアで精麦していたが、1977年にフロアモルティングは廃止された。この時に蒸溜所のポットスチルを2基から4基に増やしている。 バッチあたり10トンの大麦モルトが、ポーテウス社製の古いミルで粉砕されてマッシュタンへ投入される。お湯を投入する回数は3回。1回目から順に38,000L(64°C)、15,000L(75°C)、34,000L(90°C)といった流れである。マッシングと蒸溜を担当するリー・ハウエルズによると、細かな数字はマッシュルームの室温やモルト自体の品質によっても調整するのだという。出来上がったワートは、熱交換器で18°Cにまで冷やしてからウォッシュバックへ送られる。 グレンモーレンジィ蒸溜所には、ステンレス製のウォッシュバックが12槽ある。すべてがスイッチャー付きで、発酵のピーク時にも泡が取り除ける仕組みだ。48,000Lもあるワートをウォッシュバックに移すのは時間がかかるが、満タンになるのを待たず、3,000Lが入った時点で酵母を投入する。 酵母はクリーム状にしたウイスキー酵母で、2週間おきに蒸溜所に届けられる。ウォッシュバック1槽に投入される酵母の量は215L。発酵時間は60時間とかなり短めだ。ウォッシュのアルコール度数が約8%になったところで蒸溜の準備が完了となる。 グレンモーレンジィ蒸溜所のスチルハウスは、大聖堂のような迫力である。スコットランドでもっとも背の高いスチル(ネック高5.14m)が12基。グレンモーレンジィでキリンのぬいぐるみを見つけて「なぜキリンが?」と戸惑う人もいるだろうが、のっぽのスチルを象徴するマスコットなのだ。 スチル12基の内訳は、容量11,400Lのウォッシュスチルが6基と、容量8,200Lのスピリットスチルが6基。熱源はそれぞれ蒸気鍋と蒸気コイルだ。すべて下向きのラインアームと多管式コンデンサーが取り付けられている。 ウォッシュバック1槽から流れ出すウォッシュは、ウォッシュスチル4基に振り分けられる。スチル1基あたり約12,000Lのウォッシュを充填する時間は約15分。その後、蒸溜に約4時間、出来上がったローワインの排出に約15分なので、初溜全体の所要時間は4時間半くらいだ。 ウォッシュスチル4基分で約15,000Lのローワイン(アルコール度数約24%)ができると、今度はスピリットスチル2基に振り分けて再溜をスタート。フォアショッツ(前溜)が15分、ハート(中溜)は火力を落として3時間(72~60%)、フェインツ(後溜)は1%になるまで蒸溜を続ける。 リー・ハウエルに「グレンモーレンジィ シグネット」の生産工程について尋ねると、顔色がさっと明るくなった。 「原料はチョコレートモルト10%と、普通のモルト90%の組み合わせだ。蒸溜していると、スチルハウスに香り高いコーヒーみたいな素晴らしいアロマが立ち込めるよ。朝はあの香りを嗅ぐだけで目がさめるんだ」 ところが同僚のスチルマンであるケニー・マクドナルドは、「俺は普通のアロマのほうがいいんだけどな」と釘を刺すように言う。ケニーは前話に登場したジョン・マクドナルド(バルブレア蒸溜所長)の実弟で、蒸溜所勤続40年のベテランである。 もう何十年にもわたって、蒸溜所での生産工程は「テインの16人」と呼ばれる男たちに委ねられてきた。現在は3交代シフトになり、年中無休の24時間体制なので、とても16人では回しきれない。正確には「テインの23人」と呼ぶのが妥当だが、面倒なので「テインの男たち」としておこう。年間生産量は、純アルコール換算で年間600万Lだ。   環境に配慮したウイスキーづくり   蒸溜所の外では、樽詰めの時を待つ樽が大量に積まれている。樽詰め時のアルコール度数は63.5%とごく一般的で、仕込み水と同じターローギーの泉の水を加えてボトリング時の度数に落とす。グレンモーレンジィで使用される樽は、ファーストフィルとセカンドフィルのみ。用済みになった樽はスペイサイドの樽工房に売却され、再びチャーを施されてブレンデッドウイスキーのメーカーに転売される。 古いファーストフィルの樽はヘッドを朱く塗り、セカンドフィルの樽はヘッドを黒く塗っているので誰でもすぐに見分けがつく。だが現在は毎週1,000本のペースで樽詰めされるので、全部のヘッドに色を塗るのは不可能になった。代わりに採用されたバーコードシステムは退屈な見映えだが、もちろん色分けよりも効率がいい。 1994年以来、グレンモーレンジィは樽材の管理で業界をリードしてきた。ウイスキーマガジンでも、ビル・ラムズデン博士とのインタビューで詳細を紹介している。ラムズデン氏はグレンモーレンジィとアードベッグの蒸溜、熟成、ブレンドをすべて管轄する責任者だ。 樽材の戦略ほど有名ではないが、グレンモーレンジィは環境に配慮したウイスキーづくりも本気で推進している。冒頭で紹介した嫌気性消化工場は、蒸溜工程から生まれる副産物を浄化する施設である。ドーノック湾に返す排水の95%を工場で浄化し、残りの5%は「ドーノック環境改善プロジェクト」(通称DEEP)を開始して完璧を期している。 ドーノック湾には19世紀まで天然の牡蠣が自生していたが、乱獲で絶滅してしまった。だがグレンモーレンジィは、ヘリオットワット大学と海洋保護協会の協力を得て、100年以上ぶりにドーノック湾に天然の牡蠣を再導入した。牡蠣には強力な浄化作用があり、グレンモーレンジィが排出した有機物(残りの5%)を自然に浄化してくれるのだ。このプロジェクトの目標は、2022年までに大きな牡蠣礁を復活させることである。 グレンモーレンジィは、170年以上にわたってドーノック湾の岸辺という地の利から恩恵を受けてきた。次の170年も美しい環境を保全するのは当然の責務だろう。私たちにも、この気高い理想を支援する方法がある。もちろん、グレンモーレンジィをたくさん飲むことである。 蒸溜所を訪問するなら、ドーノック湾の岸辺を散歩する時間を残しておこう。運悪く時間切れになってしまったらしようがない。翌日の目的地は、クロマーティ湾の岸辺にあるダルモア蒸溜所だ。    

台灣南投酒廠の復活の道 完璧な風味が生み出したOMARウイスキーの味

$
0
0
南投酒廠復活の道のり   南投酒廠は、1973年にTTL(台湾酒公司/元専売局)傘下唯一のフルーツワイン専門醸造所として設立された。初の台湾製ワイン「金台美酒」を含め、TTLのフルーツワインは全て南投酒廠で生産している。南投酒廠は、他の醸造所と比べ地元との関わりが深く、農家と契約を結び密接な関係を保っている。酒類が専売制から自由化されて、南投酒廠は次第に競争力を失った。更に、1999年に発生した921大地震の被害は深刻で、貯蔵庫数棟が焼け落ち、高価なブランデーが大きな損失を被り、醸造所は解散の危機にまで追い込まれた。 当時の工場長林錦淡は、この危機を乗り越えるべく、市場で人気の高いウイスキーに活路を見出そうとした。南投酒廠はそれ以前にもウイスキーを販売していたが、輸入した原酒を使ったブレンデッドモルトで、仕入れ先と品質が安定しないという問題があり、売れ行きも芳しくなかった。そこで林錦淡は以前スコットランドのHeriot-Watt大学でウイスキー醸造技術を学んだ経験を活かし、自社製の原酒と輸入原酒を混ぜ合わせ、品質の安定した安価な酒を作ろうと考えた。 2008年、長らく赤字の状態が続いていた南投酒廠は、新たに醸造所を建設する資金に乏しく、やむなく各地の醸造所から遊休設備をかき集めた。そのため、南投酒廠のウイスキー醸造所は「寄せ集め」から始まったと言ってよい。ウイスキー蒸溜棟にある4基のポットスチルは、形や造りが一様ではなく、イギリスのA.Forsyth A & Son(Rothes)社製とベルギーのFrilli Engineering Spa社製がある。ポットスチルごとにラインアームの角度が異なるため、抽出される風味も違うものになる。ポットスチル4基を使い蒸溜2回を経て生産される原酒がどんなものになるのか、初めは誰にも分からなかった。 2012年、南投酒廠の工場長(当時)の潘結昌は、4年物の原酒の優れた風味と品質に気づき、ウイスキーの専門家を招いて樽試飲を頼んだところ、予想以上に良い反応を得た。これに自信を得た南投酒廠は原酒の発売を決め、シングルモルトウイスキーを発売、オマー・ウイスキーの第一歩を踏み出した。 2013年、南投酒廠が初めて「オマー・カスクストレングス」を発売すると、ウイスキー愛好家たちの間で一気に噂が広まった。問い合わせが殺到し、直接醸造所を訪れて並ぶ人々まで現れた。試飲室の販売スタッフは、「あれほどの盛況は久しぶりだった」と語る。毎年1.9億の損失を出していた南投酒廠は、逆転勝利を収めた。ウイスキーが南投酒廠を救ったのだ。 南投酒廠は、2013年に初めてウイスキーを発売して以来、オマー・シングルモルトウイスキー46%、ウッドフィニッシュ(ライチ、梅、ワイン)を次々と発売し、世界中で好評を得ている。2017年には台湾ピーテッドモルトウイスキー第一弾を発売、2018WWAベストシングルモルト・タイワン賞を獲得した。現在、南投酒廠はフルーツワインの醸造とオマー・シングルモルトウイスキーの成功により、再び安定した成長の道を歩み出している。更に、オマーに対する世界中の消費者の需要に応え、南投酒廠が新たな境地を切り開くために、工場を拡張する計画もある。 愛好家のお勧め: オマー・ピーテッドモルト・カスクストレングスウイスキー:ピートの煙で麦芽を乾燥させて製造するシングルモルトウイスキーは、明るく澄んだ黄金色で、台湾の風土が息づき、ドライ龍眼や焼き芋のようなスモーキーな香りと、烏梅の蜜漬けや龍眼蜂蜜のような甘みがある。甘く潤いのある長い余韻と、心地良いスモーキーな香りが、脳裏に幼い日の食卓を思い起こさせる。(参考小売価格(税抜)18,000円)     WMJ PROMOTION    

1週間だけのウイスキー旅行:北ハイランド編(7) ダルモア蒸溜所

$
0
0
ドーノック湾からクロマーティ湾へ。美しい北ハイランドの海沿いに旅を進める。ダルモア蒸溜所では、スチュアート・ロビンソン蒸溜所長が出迎えてくれた。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   前日に訪れたバルブレアとグレンモーレンジィの余韻も冷めやらぬまま、たっぷりとスコットランド流の朝食をいただく。今日もまた南へ旅を続けよう。テインからアルネスまでは電車でわずか15分だが、いかんせん本数が少ない。それでも午前9:45にはアルネス駅に到着して、ダルモア蒸溜所へと向かう。やや殺風景な道ではあるが、駅から徒歩で10分ほどの道のりだ。そしていざ蒸溜所に入れば、ウイスキーファンにとって素晴らしい光景が待っている。ビジターセンターの開業時間までに到着できたら万事順調だ。 ダルモアといえば、マスターブレンダーのリチャード・パターソンを思い浮かべるウイスキーファンも多いだろう。昨年、ウイスキー業界で50周年を迎えたばかりの有名人である。だが日々のウイスキーづくりを管轄しているのは、蒸溜所長のスチュアート・ロビンソンだ。出迎えてくれたスチュアートはまずビジターセンターの一角にある「カストディアンズ・ラウンジ」というVIPコーナーに招待してくれた。ダルモア蒸溜所長に至るまでの経歴についてうかがうことにする。 「最初はローズアイル蒸溜所のモルティング工場で1990年から1995年まで働いた。それから当時のユナイテッド・ディスティラーズ(現ディアジオ)で管理職コースに進んで、イアン・マクミランと一緒にリンクウッド蒸溜所で働くうち、リンクウッドとグレンエルギンの両方を担当することになった。1999年から2002年まではクラガンモア蒸溜所長を務めて、同時にグレンスペイも担当していたよ。2002年から2006年までは、インチガワー、オスロスク、ストラスミルという3つの蒸溜所の所長だった。2006年にキャンベルタウンへ引っ越して、フランク・マクハーディーと一緒にスプリングバンクとグレンガイルの仕事をした。2010年にダンカンテイラーに移ったんだけど、これは失敗だったね。新しい蒸溜所の設立に関わって、設備を再構築する予定だったんだが、よく話を聞いてみると投資家の数が足りていない。すぐに逃げ出して、運良く再びディアジオに戻って1年だけオスロスク蒸溜所で働いた。2011年にはベン・ネヴィスに移った。以前から好きな蒸溜所だったけど、ニッカの設備投資がちょっと悠長すぎたね。だから2012年にリチャード・パターソンから電話があったときには飛びついたよ。ダルモアの蒸溜所長の募集に応じて、今の仕事を得たんだ。2012年10月からここで働いている。同じ蒸溜所にいる期間としては最長記録だね」 スチュアート・ロビンソンの多彩な経歴には驚かされるが、もともと多才な人物のようである。 「ウイスキー業界に入る前は漁師だった。海上の石油掘削装置で働いていたこともある。電子機器関係の仕事もやって、ようやくウイスキーに落ち着いたんだ」 ダルモア蒸溜所は、地元の実業家であるアレグザンダー・マシソンによって1839年に創設された。当時この地方は仕事も少なく、自分自身も地域の住民たちも将来を楽観できるように、経済状況を改善したいとマシソンは考えたのである。 かつての製粉所を改装した蒸溜所が完成すると、マシソンは運営者に貸し出した。最初はサザーランド家に、次はパティソン家にリースして、1965年にマッケンジー家が借り受けると本格的なウイスキーの生産がスタート。現在ダルモアがリリースしているシングルモルト(12本セットの限定商品も含む)は、ほとんどがマッケンジー家によって築かれた伝統の賜物だ。 蒸溜所にはベンジャミン・ウエストが描いた1786年の大作『牡鹿殺し』の複製画が展示されている。スコットランド王のアレグザンダー3世が牡鹿に角で突かれたとき、マッケンジー家の先祖によって救われたという1266年の史実が題材だ。本物はエディンバラのナショナル・ギャラリー・オブ・スコットランドに収蔵されている。 その後、マッケンジー家は1886年にアレグザンダー・マシソンの子孫から蒸溜所を買い取ってウイスキーの生産を続けた。ウイスキー市場の浮き沈みに合わせ、蒸溜所も多難な時代を経験している。1917年にはすべてのウイスキーの在庫が蒸溜所から運び出されて生産停止に。工場は海軍本部に接収され、地雷の組立工場になった。マッケンジー家は1920年に蒸溜所を取り戻すものの、アメリカの禁酒法時代から第2次世界大戦にかけてウイスキー市場の不況は続く。第2次世界大戦中に3年間の休止を余儀なくされた後、ようやく1945年に再稼働した。1960年に運営母体がホワイト&マッカイに吸収されると、1964年には4基だったスチルの数も8基に増強。以来ダルモアは、ホワイト&マッカイの旗艦蒸溜所として活躍している。   重厚な風味を生み出すための生産工程   蒸溜所の周辺を歩きながら、スチュアートが建物を指差して蒸溜所の歴史を教えてくれる。それぞれの建物から、さまざまな時代の記憶が呼び起こされるようだ。なかでも興味深いのは、古いモルティングフロア。発芽用のスペースが2階層あり、その上にモルティング用のフロアが2階層乗っている。各階の収容量は15トン程度というのがスチュアートの推測だ。 「1956年に生産量を拡大して、必要なモルトの量も増えた。そのときにフロアモルティングをやめて、3槽のサラディンボックスを用意したんだ。モルティングの処理量は増大したよ。サラディンボックスは各槽30トンの容量があったから、かなりの生産拡大だった。毎週50〜120トンの大麦モルトが蒸溜されていたけど、当時の基準としてもかなり大規模なスケールだ」 サラディンボックスは1982年まで使用されたが、その後は他の多くの蒸溜所と同じようにモルト業者から原料を購入するようになった。 蒸溜所にはモルトビンが7槽ある。スチュアートがモルト原料の詳細を教えてくれる。 「現在のところ、使用している品種はコンチェルトとクロニクル。すべてノンピートだ。最後にピーテッドモルトを使用したのは2011年だけど、ブレンデッド用だったからダルモアのシングルモルトには使用されていない」 ポーテウス社製のミルは、1バッチ(10.4トン)のモルトを3.5時間かけて粉砕する。 「標準的な4ロール式のミルで、蒸溜所が改修された1960年代の製造だろう。蒸溜所では細かく記録を残しておく習慣がなかったから、このへんの歴史は曖昧なんだ」 糖化と冷却に使用される水は、アルネスから11マイル(18km)北西に離れたモリー湖から採取する。湖を水源とするアルネス川から水路を引いて、蒸溜所に供給しているのである。ピートに富んだ大地を流れてくる水は、蒸溜所に到達する頃までにやや茶色くなっている。マッシングや樽詰め前の度数調整で加水する際にも、この水を濾過せずにそのまま使う。スチュアートによると、季節の変化によってもスピリッツの特徵に影響が現れるのだという。 「年中同じスピリッツをつくるなんて無理な話だろう? 夏は水温が18°Cで、冬は2°Cくらいまで冷え込む。時には水路が凍りつくことだってあるんだから」 生産体制は1日24時間で年中無休。生産部門の13人がシフトを組んで回している。生産管理に8人、貯蔵庫に3人、それに蒸溜所長と醸造責任者が各1人という内訳だ。現在の生産量は純アルコール換算で年間420万L。設備と人員をフル稼働すれば、毎週23回のマッシュが可能である。マッシュタンは、ステンレス製のセミロイタータンだ。 「マッシュタンの底板を2年前に取り替えた。高価だったけど、全体の効率が上がったから投資の甲斐はあったよ」 ダルモアの糖化工程では、お湯を投入する回数を伝統的な3回ではなく2回で済ませる。スチュアートが冗談めかして言う。 「ちょっとした秘密もあるんだ。10.4トンのグリストは最初のお湯(63.5~64°Cで44,000L)に入れるだけが、2回目のお湯はスプレー式で上からかけていく。その温度も72°Cから82°Cまで徐々に上げていくんだ」 2回目のお湯はウォッシュバックとお湯用のタンクに分けられる。約14,000Lのお湯をウォッシュバックに送って、ワートの総量が48,500Lになるように調整するのだ。残りはお湯用のタンクからマッシュタンにスプレーされる。「3回お湯を入れる方法に比べて、おだやかなマッシングだ」とはスチュアートの弁。糖化工程にかかる時間は1回6〜6.5時間なので、1日に3回できる計算になる。 ワートは温度を冷ましてからオレゴンパイン材でできたウォッシュバックに送られる。ウォッシュバックは8槽あり、6槽が古くて2槽が新しいものだ。 「発酵工程は、季節を考慮する必要がある。夏の間は、ワートを16〜18°Cに冷却する。でも冬は18〜20°Cなんだ」 ウォッシュバックに深さ10cmほどワートが注がれた時点で酵母が投入される。リキッドタイプの酵母が、ウォッシュバック1槽あたり200L加えられる。 「緊急時のために、ドライタイプの酵母も常備しているよ。新しいパックを注文する度に古い酵母は消費しなければならないから、ランダムにドライタイプも使っている。そのときはリチャード・パターソンに報告が必要なんだ」 現在使用している酵母の酒類は、ウイスキー酵母の「MS1」である。 「かつてはビール酵母を使用していたけど、アルコール収率への影響を考えて1990年代初頭からウイスキー酵母に切り替えた。それが吉と出ているのか、凶と出ているのかはわからない。アルコール収率に関しては上々だけど、フレーバーについては明確に検証していないから」 ダルモアの発酵時間は、約50時間と短めの部類に属する。 「発酵時間が短めなのは、重厚なタイプのウイスキーをつくりたいから。発酵時間を引き延ばすほど、酵母と酸の相互作用でウイスキーの酒質が軽やかになるんだ」 初溜の準備が整う頃までに、ウォッシュのアルコール度数は約9%になっている。   風変わりなスチルがダルモアの個性を形作る   発酵で出来上がったウォッシュは、熱交換器で42°Cから64°Cにまで温められてウォッシュスチルに入る。ウォッシュスチルは4基あり、大小2基ずつ。大きなスチルの容量は、小さなスチルの2倍ある。ウォッシュバック1槽分で、4基のウォッシュスチルすべてが満たされる。蒸溜所を訪ねる人は、すぐにウォッシュスチルの形状を見て驚くことだろう。スチルのヘッド部分が切り落とされ、ラインアームがスチルの側面から突き出しているからだ。この形状について、スチュアートは一家言ある。 「天井が低すぎてヘッドを切り落とさなければならなかったという逸話をよく聞くんだけど、ダルモア蒸溜所の場合はそんなアクシデントじゃなくて意図的だった。マシソンは自分の蒸溜所を開設する前にバルブレアとプルトニーを訪ねたはずだ。そこでヘッドが切り落とされたスチルを目にして、それが当たり前の形状だと思ったんじゃないかな」 蒸溜棟の構成はかなり複雑だ。ウォッシュスチルが4基とスピリットスチルが4基あり、どちらも大小2基ずつ。スチュアートが由来を説明する。 「大きいウォッシュスチルは、小さいウォッシュスチルを大型化したレプリカだ。大きなスピリットスチルもサイズだけ違う小さいスピリットスチルの複製なんだ」 そして前述の通り、ウォッシュスチルはヘッドがなくて平らになっている。この形状が還流を促し、蒸溜液から蒸気の分離を増やすのだという。 「蒸気の分離は、蒸気の濃度によって引き起こされる。一定の濃度条件を持つ蒸気だけが、ラインアームを通って縦型のコンデンサーに進むことができるんだ。この形状のスチルは、ローワインにある種のヘビーな酒質を加えてくれる。主にシリアル、パン生地、ナッツ、スパイス、オート麦のような風味が強まるんだ」 ダルモアはスピリットスチルの構造も風変わりである。スチュアートが説明する。 「盛大に還流を促すため、ネックにウォータージャケットを巻くことで銅の表面を冷やしている。これで蒸気の液化が促進され、液化した蒸気は釜に戻って蒸溜を続けることになる」 このウォータージャケットは、ハート(中溜)の時間だけ稼働する。その間(約3〜3.5時間、カットポイントの度数は78〜79%と61%)は蒸溜速度が減退する。フォアショッツ(最初30分の前溜)とフェインツ(最後2時間の後溜)ではジャケットを使用しないので蒸溜は速い。スチュアートによると、ウォータージャケットの果たす役割は極めて重要だ。 「ウォータージャケットがなければ、スピリットが硫黄臭くなる。スピリットセーフに流れ出したとき、マッチが燃えた匂いや焦げたゴムの匂いが蒸溜棟に立ち込めるほどだよ。ネックの周囲にウォータージャケットを機能させることで、スピリッツには完全に異なった特性が備わってくるんだ」 ウォータージャケットだけでなく、スピリットスチルに取り付けられたコンデンサーも縦に長いタイプなのが興味深い(通常は横長)。スチュアートが笑顔で解説する。 「ラインアームをなんとか通過できた蒸気は、縦型のコンデンサーと冷却器のなかで液化される。こうすることで蒸気と銅の接触時間がたっぷり確保できるので、液化中に硫黄の風味を減らすことができるんだ。ダルモアは本当に面白いことを考える蒸溜所で、そこら中に予想外の工夫が隠れているよ」 ビジター用の特別室には14本のボトルがあり、フォアショッツ(前溜)からフェインツ(後溜)に至るスピリッツの変化を実物展示している。各段階の香りを嗅ぐことで、再溜時にアロマやスピリッツの特性がどのように変化するのか体感できるのだ。このノージング体験は極めてユニークであり、私の知る限り世界でこのような機会を提供してくれる蒸溜所はダルモア以外にない。普通は蒸溜所でスチルマンにならない限り、不可能な体験である。 「ダルモア蒸溜所で生産されるスピリッツはヘビーな酒質だ。お気に入りのバーボン樽で長期熟成しても樽香に負けない力強さがあるんだ」 [...]

1週間だけのウイスキー旅行:北ハイランド編(8) グレンオード蒸溜所とモルティング工場

$
0
0
北ハイランドをめぐる「1週間だけのウイスキー旅行」も終盤へ。「シングルトン」で知られるグレンオード蒸溜所には、モルティング工場も隣接している。ウイスキーづくりの全貌が見学できる希少な場所だ。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   次の目的地はグレンオードだ。ダルモア蒸溜所から南西に25kmほどの場所にある。そんなに遠くないので、2つの蒸溜所を同じ日に訪ねるのは簡単だ。アルネスとミュアー・オブ・オードは鉄道でも結ばれているが、電車の本数はとても少ない。蒸溜所ツアーの予約時間が決まっていたりすると、待ち時間の無駄が気になってしまう。そんなときの最善策は、ダルモア蒸溜所からグレンオード蒸溜所まで個人ハイヤーを予約しておくことだ。土地勘のある熟練したドライバーなら、移動時間は20分もかからない。道中では美しい田舎の風景を楽しめるだろう。 ダルモアからグレンオードまでハイヤーで直行する場合、ちょっと困った問題は昼食が抜きになるということだ。だがミュアー・オブ・オードには素晴らしいカフェやレストランが何軒かあるので、グレンオード訪問後にゆっくり食事をとればいい。さらにグレンオードでは、希望すれば小さなサンプルボトルに試飲用のウイスキーを詰めて持ち帰れるので、空きっ腹にあまりウイスキーを流し込みたくない場合も心配は無用だ。蒸溜所では味見に留めて、あとからゆっくり楽しめばいいのである。 グレンオード蒸溜所は1838年にトーマス・マッケンジーによって創設され、すぐにD・マクレナンとロバート・ジョンストンが設立したオード・ディスティラリー・カンパニーが使用許可を得た。1847年にジョンストンが破産すると蒸溜所は売りに出され、1855年に創設者の親戚であるアレグザンダー・マクレナンとトーマス・マクレガーの手に渡る。マクレナンは1870年にこの世を去るが、未亡人となった妻が引き続き蒸溜所を運営。1877年にアレグザンダー・マッケンジーという名の銀行員と再婚したので、蒸溜所はまたマッケンジー一族の手に戻ることになった。こちらのマッケンジーは19年のローンを組んで新しい蒸溜棟を建設したが、不幸なことに完成後すぐ焼失してしまう。当時、グレンオードのウイスキーはシンガポールや南アフリカなど英国の植民地に販売されていた。アレグザンダー・マッケンジーは1896年に死去し、蒸溜所はブレンデッドウイスキーを生産するジェームズ・ワトソン&サンに売却。その後、他の多くの蒸溜所と同じく2回の世界大戦中に生産停止を余儀なくされ、所有権の変更も幾度かあった。蒸溜所は1966年に改修され、スチルの数は2基から6基に増えた。 グレンオードの新時代は、蒸溜所がユナイテッド・ディスティラーズ(現ディアジオ)の傘下になった1985年から始まった。2002年には12年熟成の商品が発売されたが、2006年になってブランド名を「ザ・シングルトン・オブ・グレンオード」に変更。とりわけアジア太平洋地域での売上が好調だったことから、ディアジオは2011年に300万ポンドを投じて新しいウォッシュバックを追加し、純アルコール換算で約100万Lだった年間総生産量を約500万Lにまで引き上げた。さらに2013〜2014年には新しいマッシュタン1槽、ウォッシュバック10槽、蒸溜棟(スチル8基)、ボイラー棟、制御室を導入する大規模投資を敢行し、年間総生産量を純アルコール換算で約1000万Lにまで倍増させている。   新旧の設備が同居する蒸溜所   現在のグレンオードは、21世紀の効率性と19世紀の伝統を同居させた新旧ミックスのウイスキーづくりを実践している。新しいモダンな工場では人的要素がほぼ皆無なので、ビジターが見学できるのはもっぱら古い伝統的なグレンオードの世界である。近代的なシステムは、人間が視界に入らないとなおさら無機質に感じられる。古い蒸溜所のようにロマンチックなウイスキーづくりの詩情が伝えられないのであろう。 使用される大麦原料は、敷地内で隣接するグレンオード・モルティングズから供給される。2008年までは一部ピーテッドモルトも蒸溜されていたが、今は厳格にノンピートのみを貫いている。これから「ザ・シングルトン・オブ・グレンオード」の風味が少々変わることもあるかもしれない。なぜなら現在ボトリングされているウイスキーには、2008年以前に蒸溜された原酒も含まれているからだ。もちろんある時点を境に、すべての原酒は2008年以降のスピリッツとなる。 マッシュタンは、同じサイズのフルロイタータンが2槽ある。1回のマッシュで使用するグリストは12.5トンで、6.5時間で糖化が完了する。ダルモア蒸溜所と同様に、お湯の投入回数は2回のみ。最初のお湯は64°Cで、2回目は徐々に85°Cまで温度を上げていく。糖化の工程で目指しているのは、最終的なウイスキーのなかにトフィーやエステルの風味を生み出すクリアなワート。対象的なシリアル風味はどちらかといえば避けている。1回のマッシングで59,000Lのワートができ、17°Cまで温度を下げてからウォッシュバックへと送られる。 ウォッシュバックは全部で22槽もあり、すべてが同じサイズだ。8槽は古い蒸溜所にあって、材質はダグラスファーである。残りの14槽も木製で、新しい蒸溜所にある。設置場所は12槽が旧キルン、2槽がその隣の部屋。リキッドタイプのイーストを約230Lウォッシュバックに投入し、約75時間かけて発酵する。 次は蒸溜だ。古い蒸溜棟には、ウォッシュスチルとスピリットスチルが3組ある。中庭をはさんだ新しい蒸溜棟は4組の合計8基だ。ウォッシュスチルでは18,000L強のウォッシュが初溜され、スピリットスチルでは16,000L強のローワインが再溜される。ミドルカットは75%〜58%で、取り出すスピリッツの平均は66%。珍しいのは、コンデンサー内部で使用されるのが水ではなくお湯であることだ。このお湯は、隣のモルティング施設から送られてくる。多管式(シェル&チューブ式)のコンデンサー内部に温度の高い水を流すと、蒸気が液化するスピードが遅くなって、その分だけ銅との接触時間が長くなる。実際の液化は冷却器を通った後で起こっている。 新旧2つの蒸溜棟は、ほぼ同じプロセスを採用している。だが前述した通り、新しい蒸溜棟は純粋な実用性だけを求めた設備だ。すべてがコンピューター制御なので、スピリットセーフすら置かれていない。スピリッツはコンピューターの設定に従って、直接スピリットレシーバー(ニューメイクを一時溜めておくタンク)に送られる。理論上では純アルコール換算で年間1150万Lのスピリッツを生産できるが、スピリットレシーバーの容量がスピリッツを104,000Lしか保持できないため、生産量全にも制約ができる。そして実際に1週間で約20万Lのスピリッツを生産しているため、フル稼働で生産を続けるにはタンク車をひっきりなしに往復させなければならない。このようなことから、実際の生産量は純アルコール換算で年間900万L程度に留まっている。 蒸溜所内には、5棟のダンネージ式貯蔵庫がある。すべて2階建てで、どちらの階でも樽は3段積みだ。だがほとんどのストックは別の場所で熟成される。これは熟成タイプによって3種類のシングルトンをつくり分けているディアジオの方針によるものだ。「ザ・シングルトン・オブ・グレンオード」は、シェリー樽熟成のリッチな味わいが中心。「ザ・シングルトン・オブ・ダフタウン」はバーボン樽熟成が中心。「ザ・シングルトン・オブ・グレンデュラン」は主にアメリカンホワイトオークの古樽を使用して、軽やかなタイプのシングルトンを熟成している。グレンオードの2つの樽(1995年のシェリーバットと1999年のホグスヘッド)から100mlのウイスキーを持ち帰ることができた。ビジターセンターで蒸溜所限定のウイスキーがボトリングできるチャンスを見逃してはならない。どちらも非常に良質なウイスキーで、グレンオードのオフィシャルなシングルカスクを味わえる機会も希少である。   現代のモルティングを見学できる稀有な場所   蒸溜所の見学を終えて満足したら、次の蒸溜所へと足を向けたい人もいるだろう。だがこの地域でグレンオード蒸溜所の訪問がマストなのは、同じ場所で現代的なモルティングの様子を見学できるからである。グレンオード・モルティングズの創設は1969年。工場はグレンオード蒸溜所のすぐ隣で、ここからグレンオード蒸溜所と姉妹蒸溜所のタリスカー蒸溜所にもモルトを供給している。必要があれば、ディアジオ傘下の他の蒸溜所もグレンオードのモルトを使用する。 モルティング工場に原料の大麦が届くのは、収穫期である8月~9月。この大麦原料から、まずはデブリ(小石や金属)を取り除かなければならない。工場内の符牒で「着替える」(dress)と呼ばれる工程だ。生の大麦(通称「グリーン・バーレイ」)は含水率が20%ほどあり、保存するためには含水率を12%にまで下げなければならない。モルティングまでの保存期間は数ヶ月ほどと長くはないものの、ときには最長で2年間に及ぶこともある。 大麦をモルティング(製麦)する際は、まず2日間かけて含水率を46%にまで増やす。この工程は「スティープ」と呼ばれる大きな容器で3段階に分けておこなわれる。各段階にかける時間や大麦に加える水の温度は、季節や大麦の品質によっても異なってくる。今回訪問した季節は春で、水温11.7°Cで4時間かけていた。その後スティープから取り出して大麦を11時間ほど寝かせ、2回目のスティープを水温16.6°Cで7時間おこなう。さらに12時間寝かせた後で、最終段階のスティープを8時間おこなう。水温は第2段階と同じである。その後、2時間にわたって水気を切ったら終了だ。2018年の春は全部で44時間の工程だったが、2017年の夏には36時間かかっていたという。 モルティングは週7日で休みなくおこなわれている。グレンオード・モルティングズには18槽のスティープがあり、それぞれ15トンの大麦を収納できる。大麦の品種はコンチェルト種だった。これらのスティープが泡を立てているそばを歩くのは面白い光景だ。水が流し込まれている様子は、子供がふざけてストローでジュースをグラスに吹き戻しているようでもある。含水率が46%になったら、大麦はスティープの下にある大きなドラム缶に移される。巨大なシリンダーを横にしたような形状で、偽の地面のなかで5日間かけて発芽させる装置である。 ひとつのドラム缶で、スティープ2槽分にあたる31トンの大麦を処理できる。温度は16°Cに保たれ、大麦の発芽を促す環境だ。芽がこんがらかるのを防ぐため、ドラム缶は8時間で一周するようにゆっくりと回っている。ドラム缶内部の状態は定期的に検査して、計画通りに発芽が進んでいるか確認する。 発芽が終わったモルトは、キルンで乾燥される。ドラム缶1つ分のモルトが、キルン1回分に相当する。グレンオード・モルティングズには巨大なキルンが4つある。そのうち2つ(第1キルンと第2キルン)はガスを燃料とし、残りの2つ(第3キルンと第4キルン)はガスと水を燃料にする。キルンでの乾燥は22時間。ピートの煙でモルトを燻せるキルンは1つだけ(第4キルン)。そしてピートを使用するのは、最初の4時間のみだ。必要なのはピートの熱ではなく煙だけなので、ピートにが直接火をつけず燻ってくすぶらせる程度だ。乾燥が終わったら、大麦モルトは再度デブリを取り除き、最低3週間は寝かせてから蒸溜所に送られる。 このモルティング工場の壮大なスケールを、言葉で表現するのは難しい。1週間で900トンの大麦を処理する生産力を理解するには、現地に出かけて自分の目で確かめる以外にないだろう。ウイスキーファンなら、グレンオード(蒸溜所とモルティング工場)の見学を決して外してはならない理由がここにある。大麦から熟成までに至るウイスキーづくりを俯瞰して、本質的に理解できるような場所は他にない。 丸一日をかけた蒸溜所見学が終わる。ダルモアもグレンオードも内容が濃く、たっぷり試飲もいただいた。エネルギーを使い果たした見学者は、滋養のある夕食が必要だ。ミュアー・オブ・オードは小さな町だが、素晴らしいレストランが何件かある。ヘルシー派の人には有機栽培の食材を使ったディナーもあるし、そうではない人もフィッシュ&チップスやケバブの屋台で舌鼓が打てる。だが夜更かしは避けるのが賢明だ。明日は朝早くから最後の目的地へと向かう。美しいグランピアン山脈の麓にあるトマーティン蒸溜所だ。  

1週間だけのウイスキー旅行:北ハイランド編(9) トマーティン蒸溜所

$
0
0
たかが1週間、されど1週間。短くも充実した北ハイランドのウイスキー旅行がフィナーレを迎える。最後に訪ねたのは、インヴァネスとエディンバラの間にあるトマーティン蒸溜所だ。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   最北のオークニーから、1週間をかけてインヴァネスまで南下してきた。ここからエディンバラへ急行列車で一気に移動して旅を終えるのはもったいない。道中に「ソフトなハイランドモルト」を代表するトマーティン蒸溜所があるからだ。 トマーティンはインヴァネスとエディンバラを結ぶ鉄道沿いにあるものの、残念ながら鉄道駅からは距離がある。そこでインヴァネスからバスに乗って蒸溜所を目指すことにする。最寄りの待避所からは徒歩約15分だ。 トマーティン蒸溜所の創業は19世紀末であるが、同地では1700年代から密造酒が生産されていた証拠も残っている。秘められた過去の暗示は、蒸溜所の名前からも推察される。「トマーティン」とは、「ジュニパーが茂る丘」という意味。ジュニパーの木は、燃やしても煙が出ないため、酒を密造する者とって格好の燃料になるのだ。往時には家畜商人たちが北ハイランドから中央市場を目指して歩き、この地に立ち寄ってしばし休憩したのだろう。フラスクに補給したのは、もちろん水だけではなかったはずだ。 1897年、3人の男と幾人かの投資家がこの地に蒸溜所を創設した。名前は、ザ・トマーティン・スペイ・ディストリクト蒸溜所。ちょうどビクトリア時代のウイスキーブームが起こったばかりで、スコットランドでは他に10軒もの蒸溜所が同年に創設されている。 辺鄙な土地柄だが、ウイスキーづくりに有利な条件もあった。運行が始まったばかりの鉄道がすぐそばを通っていたこと。インヴァネスからわずか30km南の場所であること。そしてハイランドらしい軟水の小川「オウルタナフリー」もすぐそばを流れている。 唯一の問題といえば、地元の労働力をあてにできなかったことだ。そこで蒸溜所の創業者たちは蒸溜所内に従業員たちの家を建てた。蒸溜所が大きくなるにつれて、住宅の数も増えていく。現在は蒸溜所の敷地内に30世帯が暮らしており、全労働力の80%をこの住民たちで賄っている。トマーティンで働くことは、単なる仕事を越えたひとつの生き方でもあるのだ。 最初の創業者チームは、長期にわたって蒸溜所を維持することができなかった。1906年、創業から10年も経たないうちに事業は頓挫し、1909年に新しいオーナーのもとで生産を再開した。1950年代半ばから1970年代半ばまでは生産量も一気に増大する。初代のスチルは2基だったが、1956年に2基を追加。1958年にはさらに2基、1961年にはさらに4基を加えて5対(合計10基)のスチルによる大型の生産体制を確立した。 1964にはさらにスチルが1基追加されたが、1974年にはスチルの合計が23基(ウォッシュスチル12基とスピリットスチル11基)となる大規模な拡張がおこなわれた。当時のトマーティン蒸溜所は、生産量が純アルコール換算で年間1,200万Lというスコットランド最大の蒸溜所だった。 かつてトマーティンのウイスキーは、大半がブレンデッドウイスキーに使用されていた。だが1980年代にウイスキー(主にブレンデッド)の需要が落ち込むと、蒸溜所の悪戦苦闘が始まる。1984年には会社を整理し、過去数十年で最大のお得意先だった宝酒造に買収された。こうしてトマーティン蒸溜所は、スコットランドの蒸溜所としては初めて日本企業の完全子会社になったのである。蒸溜所は生産量を縮小しながら、量より質を追求するようになった。近年の生産量は、純アルコール換算で年間170万L程度である。   ノンピートとピーテッドを別ブランドで展開   原料の大麦モルトは、ベリック・アポン・ツイードにあるシンプソンズ社が毎週130トンを納入し、モルトビンに保管されている。10槽のモルトビンに合計500トンが常備されているが、これは4週間分の生産を賄うことができる量だ。使用されているモルトは2種類あり、ノンピートがレギュラーの「トマーティン」用、ピーテッドが「クボカン」用だ。グレアム・ユンソン蒸溜所長が説明してくれる。 「クボカンを最初につくったのは2005年。もともとはフェノール値15〜18ppmのピーテッドモルトを使っていたけど、最近になって38ppmまで上げたんだ。もっとピートが効いたウイスキーもつくれるし、ノンピートのモルトと混ぜ合わせて既存の15ppmに調整することもできる。これからいろいろな方向性が柔軟に模索できると思うよ」 マッシュは週に12回で、月曜日の午前中から金曜日の昼食時まで休みなく続ける。これまでは1回8.2トンだったが、最近になってグレアムが調整を加えた。現在のマッシュは各9.2トンで、使用する水の量は以前と同じである。これによって糖化工程全体の時間が長くなった。以前6時間だった工程は7時間15分に延長。液体の量は変えずに糖分だけ増えたので、麦汁の粘り気も増して排出にも時間がかかるのだとグレアムが語る。 「酵母の株も、以前のマウリから新しいタイプに変えた。糖度が高い麦汁から、高めの温度でもうまく発酵できるようにね。そうやってスピリッツの品質は変えずに、マッシュの量だけを増やすことができたんだ。嬉しい副産物といえば、エネルギー消費量を削減できたことかな」 体積あたりの糖分が増えたため、同じエネルギーで生産できるアルコールの量も増えた。結果的にエネルギーの削減につながっているのである。 トマーティン蒸溜所でのお楽しみは、かつての遺構が放置されているところだ。蒸溜所には1930年代から使用されていた古いミルがまだ残っている。新しいミルが設置されたのは1974年で、マッシュ1回分のモルトを1.5時間で粉砕する。同様に1960年代に設置された古いマッシュタンも残されており、内部からじっくりと観察できる。これはスコットランドで最初に製造された2槽のフルロイター式マッシュタンのひとつ。マッシュタンの中に入って内部を観察できる機会はなかなか貴重だ。新しいマッシュタンは1980年代に設置されたもの。お湯の投入回数は一般的な3回で、1回めが64.2°Cで33,000L、2回めが77°Cで14,000L、3回めが90°Cで10,000Lという流れである。 以前に行ったことのある蒸溜所でも、再訪する価値は常にある。設備や工程の変更を知らされるだけでなく、まったく予想外の細部に気づくこともあるからだ。今回も蒸溜所内を歩きながら、糖化棟から屋外に突き出したパイプの中にサッカーボールが1つ入っているのに気づいた。おそらくパイプ内の掃除に使われているものだろう。サッカーボールをパイプに入れ、空圧をかけることでボールに掃除をさせる。かつてはサッカーボールの代わりに豚の膀胱が使われていたので、英国ではパイプ掃除のことを今でも「pig the pipes」と呼ぶのである。   特別な原酒が眠る第6貯蔵庫   生産工程の話に戻ろう。麦汁はポンプで熱交換器を通って60°Cから20°Cにまで冷却され、12槽あるウォッシュバックのひとつに送られる。マッシュ2回分がウォッシュバック2槽分にあたり、そしてウォッシュバック2槽分がウォッシュスチル6基分、スピリットスチル4基分という具合に配分される。 麦汁がウォッシュバックに溜まって、深さ1mほどになったら酵母が加えられる。使用する酵母はペースト状で、ドライとリキッドの中間にあたるタイプだ。冷暗所なら1ヶ月も保存できるのだという。酵母はウォッシュバック1槽あたり100kgが加えられる。発酵時間は54時間で、週末をまたぐとさらに長くなる。最終的にはアルコール度数8〜10%のもろみ(ウォッシュ)が出来上がる。 古いミルやマッシュタンと同様に、耐候性鋼材でできた古いウォッシュバックも蒸溜所内に残されていた。もう発酵工程には使用されていないが、緊急事態が発生したときのために待機しているのだ。緊急事態とは、悪天候のためにポットエールをトラックで運び出せないような状況を想定している。 いよいよ蒸溜棟へ移動しよう。ウォッシュスチル6基とスピリットスチル6基が両側に分かれて並んでいるが、スピリットスチルで稼働しているのは4基のみ。ウォッシュスチルは手前の2基がピカピカで、それ以外はくすんだ色をしている。スタッフがその理由を教えてくれた。 「訪問者から間近に見える近い2基だけ磨いているんだよ。1基きれいにするのに1,000ポンド(約15万円)もかかるから、他のスチルはそのままさ」 泡立ったウォッシュがネック付近で沸騰してコンデンサーに入ってしまうと、バッチがまるごと台無しになるので細心の注意が必要だ。ウォッシュスチルに覗き窓は付いていないが、ヘッド上方からロープで吊るされている木製のボールが役に立つ。このロープを引っ張るとボールがヘッド部分に当たって音を立て、その音色の変化でスチル内部の状況を教えてくれるのだ。この手法は石炭直火でスチルを加熱していた時代の名残である。木製のボールがあれば、スチルマンが目でスチル内部の様子を確認するために駆けずり回る必要はない。ただ時折ボールを当てて音を確かめ、スチルの下で火加減の調整に専念すればよいのである。 トマーティンのローワインは、かつてアルコール度数が23%ほどだったが、マッシュを9.2トンに増やした現在は25%に近い。再溜は比重計を用いて進行状況がチェックされ、カットは時間で区切られる。フォアショットと呼ばれる前溜は30分、ミドルカットは4.5時間(アルコール度数は75〜65%)、その後はテイルである。蒸溜所の稼働中は、マッシュマン1名とスチルマン1名が常時付きっきりで工程を監視する。 スピリッツは平均度数71%ほどでスチルから取り出され、樽入れ度数の63.5%まで水で希釈される。マッシュ1回分の蒸溜で3,500L(希釈前)のスピリッツがつくられ、蒸溜所内で樽詰めされて熟成に入る。 現在、蒸溜所内では約170,000本の樽が熟成中だ。特別な樽(いわゆる重要資産)は第6貯蔵庫にある。前回訪れた時に比べると、トマーティンの象徴でもある1976年のビンテージバレルが増えていた。ファンには嬉しい兆候である。この「第6貯蔵庫コレクション」には注目しておこう。 蒸溜所には小さな樽工房と、原酒を樽出しするエリアがある。樽を抜け出したウイスキーは、タンクローリー車でブロックスバーン(エディンバラ近郊)のボトリング工場に運ばれるのだ。タンクローリー車1台には、3万〜4万Lのウイスキーを積載できる。一番安いウイスキーでも100万英ポンド(約1億5千万円)に相当する液体だから、実に高価な貨物であるといえよう。 ビジターセンターの訪問時間は多めにとっておきたい。品揃えのいいバーがあり、ショップでも面白い商品がたくさん用意されているからだ。ハードコアなファンなら、お気に入りのバレルを選んで自分のボトルに手詰めできるコーナーも要チェックである。 蒸溜所を去る前に、グレアムから将来の計画を聞き出そう。だがグレアムは笑いながら答えた。 「訊いてくれてありがとう。でも秘密を教えたらマーケティングチームに怒られちゃうので、悪いけど今日ここで見たものから想像してほしい。今は4〜5年後のリリースに向けた準備を始めたところ。準備に何年もかかるから、先手先手で動く必要があるんだ」 南を目指して、最後の旅を進めよう。トマーティン蒸溜所までは公共交通機関で簡単に辿り着けたが、帰りは少々工夫が必要になる。基本的には蒸溜所からアヴィモアまで移動して、エディンバラ行きの急行列車に乗るのが近道だ。おすすめは蒸溜所のスタッフにタクシーを呼んでもらい、アヴィモアでたっぷりランチを食べてから電車に乗ること。エディンバラまでの旅は午後いっぱいかかるが、夜に市内の素晴らしいバーをはしごするだけの時間は残されているだろう。 北ハイランドを巡る1週間の旅は、オークニーに始まりトマーティンで終わった。通して読んでいただいた方にはおわかりいただけるように、時間が足りないからといってディープな蒸溜所体験を諦める必要はない。欲張って無理なスケジュールを組まなくとも、ある特定の地域に集中すれば、ウイスキーづくりを深く掘り下げて理解することはできるのだ。レンタカーなしの一人旅でもそれは可能である。運転しない代わりに、節度を保ちながら道中でたくさんのウイスキーも味見できる。 来年はまた別の地域を目指すとしよう。1週間という限られた時間を最大限に活用し、大好きなウイスキーの魅力をより深く理解したい。ウイスキーがつくられる土地の魅力と、ウイスキーづくりに携わる人々との出会いが、かけがえのない思い出を残してくれる。  

アイラの歴史を掘り起こす【前半/全2回】

$
0
0
スコットランドの歴史に、新たな光を当てる大発見。ラガヴーリンの記念事業に支援されたアイラ島の発掘活動で、支配者たちの盛衰を物語る印鑑が大学生によって掘り当てられた。 文:ロブ・アランソン   アイラ島のラガヴーリン蒸溜所近郊でおこなわれたダニヴェイグ城の第1回遺跡発掘活動で、ある大学生が偶然掘り当てた遺物が空前の大発見として注目を集めている。 レディング大学で学ぶゾーイ・ヴィアチェックさんは、発見の瞬間をありありと憶えている。発掘中に瓦礫をどかしたら、封印用に使用される古い印鑑が見つかった。それが1615年にアイラ島の領主となった第3代コーダー公ジョン・キャンベル卿(1576〜1642年)のものだと判明したのである。 「見た瞬間に大発見ではないかと思いましたが、詳しい正体まではわかりません。すぐに発掘監督を呼んで引き上げてみると、付着していた土が落ちて銘の部分が見えたのです。全員が大喜びで興奮しました。このプロジェクトとアイラにとって重要な発見に関われたことを誇りに思っています」 勅許状や法的文書の署名と封印に使用されていたとされる印鑑は、鉛製の円盤に「IOANNIS CAMPBELL DE CALDER」の文字が刻印されている(もともとのコーダーの綴りは現在の「Cawdor」ではなく「Calder」だった)。 印鑑にはコーダーの紋章の他にガレー船と牡鹿の図案も描かれており、持ち手の側には1593年の年号と「DM」の文字が刻まれている。 この発掘活動をおこなっていたのは、スコットランドの慈善団体であるアイラ・ヘリテージである。発掘費用は、ラガヴーリン200周年記念基金の一部から捻出された。   発掘物が歴史を語りだす   ダニヴェイグ城の発掘プロジェクトを指揮していたのは、アイラ・ヘリテージの代表を務めるスティーブン・ミセン教授である。今回の発見についても早速コメントを寄せた。 「発掘活動の終盤で、本当に画期的な発見が待っていました。チームが一丸となって頑張り、大量の芝土や瓦礫を掘り起こした後なので喜びもひとしおです。アイラの過去とスコットランドの歴史のかけらが見つかりました。2019年に再びおこなう予定の発掘活動が今から待ちきれません」 ミセン教授によると、この印鑑の発見によって建物がキャンベル氏族の所有するものであるとわかったという。 「建造されたのが、17世紀初頭であることもわかりました。どうやら印鑑は紛失してしまったか、壁の隙間などに隠され、そのまま忘れ去られて廃墟化したものと見られます。石の瓦礫の上にあった芝土の壁面も発見しました。瓦礫は印鑑が見つかった床の上に敷き詰められていたもので、城の海門を塞ぐ構造になっていたようです」 またミセン教授は、この城の内部で中世のウイスキーが見つかるのではないかと期待も寄せている。ビールの醸造とウイスキーの蒸溜は地域の重要な活動の一部であり、画期的な発見物があればラガヴーリンが世界最古の蒸溜所だと証明される可能性もあるのだ。 考古学のチームは、他にも新しい仮説を立てている。マクドナルド家の子孫であるアラスデア・マッコーラが、キャンベル家から1646年に奪還した時にこの原始的な防御壁を造り、父親のコーラ・キオタッハを住まわせたのではないかというのだ。ミセン教授の話は続く。 「マッコーラ家が城に攻め込んできたとき、キャンベル家の守備隊は慌てて城外に逃亡しました。その際に印鑑を落としたという可能性もあるでしょう。キャンベル家が支援する部隊は、すぐ1647年に城を再包囲しました。追い詰められたコーラ・キオタッハは降伏し、処刑されて城壁に吊るされています。こうしてキャンベル家が再びダニヴェイグ城を手に入れ、最後の城主となったのです」 (つづく)  

アイラの歴史を掘り起こす【後半/全2回】

$
0
0
アイラ島のダニヴェイグ城から出土した発掘物から、当時のスコットランドの政治や人々の暮らしぶりが想像できる。中世への旅は、まだ始まったばかりだ。 文:ロブ・アランソン   発掘活動の舞台となったダニヴェイグ城は、ロード・オブ・ジ・アイルズ(島々の君主)を守る最重要な海軍の要塞だったこともある。この城を巡って、キャンベル家とマクドナルド家が激しく争ったのは14~17世紀のことだ。アイラ・ヘリテージの代表を務めるスティーブン・ミセン教授は、この期間における城やアイラ島のさまざまな背景が今回の発見によって明らかになってくるのではないかと語る。 「ダニヴェイグ城は、単なる要塞以上の存在だったのではないかという有力な説もあります。交易、手工業、饗宴、歓楽の中心地であった可能性もあるでしょう。当時の城の生活や、支配者たちの様子については、まだほとんど詳しい情報が得られていません」 それでも発掘を指揮したミセン教授は、2018年の活動が幸先の良いスタートになったと断言する。 「城壁の外にあるさまざまな建造物が発見されたことで、これらの建物には職人が住んでいた可能性も見込まれます。敷地内で発見された遺物も、これから徐々に明らかになっていくでしょう。ここで見つかった陶器、ガラス製品、動物の骨、金属加工品などの修復も始まっており、マスケット銃や大砲の弾も整理されています」 現代と同様に、当時の人々にも貧富の差があった。支配者一族、職人、兵士、農夫などがいたアイラ島には、人間の生活も多様だったとミセン教授は説明する。 「ロード・オブ・ジ・アイルズは芸術を振興したので、ダニヴェイグ城には吟遊詩人、歌手、音楽家などの芸術家もいた可能性があります。加えて海上の移動は極めて重要であり、ときには多くの危険も伴ったことでしょう。当時は黒死病と呼ばれたペストがヨーロッパで猛威を奮った時期でもあります。ペストがスコットランドにまで到達したかどうかは、今もまだわかっていません」 このプロジェクトの主目的は、ダニヴェイグ城を中心とした周囲の環境を再建すること。過去の植生を調べるため、考古学者たちは堆積物に残された花粉の調査と分析を進めている。14〜17世紀は大きな気候変動があった時期でもあり、ミセン教授は人口密度が時代によって大きく変動しがちであった点も指摘している。 「寒さが厳しく嵐が続いた時期もあり、そんな時代には人口も減少しがちでした。牧草地で家畜がうまく育たなかったり、穀物の栽培が困難になったためです。このような時期は兵士による襲撃や戦争が相次いだ可能性もあります。このような考察を深めて解明していくことも私たちの仕事です」 この発掘活動は、今後4年間にわたって継続したいとミセン教授は望んでいる。 「来年もまた、この地で発掘できることを祈っています。そのためには城の所有者であるディアジオとラガヴーリンの他に、国指定の重要文化財であることからスコットランド歴史環境協会の許可も必要となります。十分な調査資金も確保しなければなりませんね」   ラガヴーリン200周年が契機となった考古学的偉業   今回の発掘プロジェクトは、40組の強力なチームが3週間にわたってアイラ島に滞在しておこなわれた。調査を率いたのは、フィールドワークを専門とする英国随一の考古学者、地球物理学者、考古科学者、中世の風景を再現する旧人類環境学者といった各界の専門家たちだ。この発掘活動を通して、30人の大学生が調査や発掘方法の実績を積んでいる。アイラ・ヘリテージは、2023年まで、少なくともあと4回の発掘活動を可能にする追加資金が調達できることを望んでいる。 ラガヴーリン200周年記念事業を率いた人物の一人が、ディアジオでウイスキー関連のアウトリーチ活動を率いるニック・モーガン博士だ。彼も今後の発掘活動を支援する重要人物である。 「アイラ島は、世界最高のウイスキーアイランドとして知られています。同時に、スコットランドでも最重要の歴史遺産を抱える地域でもあります。ラガヴーリンの200周年記念事業によって、アイラ・ヘリテージを支援することができました。この島が考古学的にも注目を集め、地元のコミュニティと観光客に話題を提供するための資金を調達できたことを嬉しく思っています」 ラガヴーリンの200周年記念事業の資金は、特別ボトルの販売によって調達された。蒸溜所チームとディアジオCEOのアイヴァン・メネゼスが厳選した「ラガヴーリン1991年 シングルモルトウイスキー」の樽からボトリングしたものである。販売数量はわずか522本で、そのうち521本はウイスキー・エクスチェンジの投票によって1本1,494英ポンドの値がついた。この1494という数字は、記録に残されている最古のスコッチウイスキーが蒸溜された歴史的な年も意味している。記念すべきボトル番号1番は、Whisky.Auctionの競売にかけられ、8,395英ポンドで落札された。 ラガヴーリンの記念事業全体で調達できた588,395英ポンドの資金は、アイラの地域コミュニティに還元されることになった。アイラ・ヘリテージの他に英国王立鳥類保護協会、アイラ・フェスティバル協会、アイラ・アーツ、フィンラガン・トラスト、マクタガート・サイバー・カフェ、マクタガート・レジャーセンターを運営するアイラ&ジュラ・コミュニティ・エンタープライズ株式会社の活動支援に活用されている。  

遊佐蒸溜所で山形初のウイスキーづくりが始動【前半/全2回】

$
0
0
湧水に恵まれた鳥海山麓から、山形県初の本格的なシングルモルトウイスキーが生まれる。開業間もない遊佐蒸溜所を訪ねる2回シリーズ。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   新しい蒸溜所の誕生といえば、何かと感動的な逸話が付き物だ。行動を促すような啓示や、運命の出会い。壮大な野望への挑戦や、不可能だと思われていた夢の実現。失われた過去を再現するケースもあるだろう。市場の関心を引くためには、人々の心に響く物語が必要だと思われている。 ここに日本でもっとも新しいウイスキー蒸溜所を運営する人物がいる。株式会社金龍の佐々木雅晴社長だ。真新しい遊佐蒸溜所で私たちを出迎えると、彼はまず「感動的な裏話なんてありませんからね」と釘を差した。「創業の物語を作ろう」と善意から進言する者もいたが、佐々木社長は事実だけを語りたい実直な人である。その事実とは、企業のシンプルな生き残りの物語であった。 遊佐蒸溜所を運営する株式会社金龍は、1950年に山形県酒田市で創業した。県内の日本酒メーカー9社による合弁事業で、いわゆる醸造用アルコールと呼ばれるニュートラルスピリッツを生産する会社である。醸造用アルコールは、日本酒の品質調整や増量のために加えられる低コスト原料だ。やがて金龍は、連続蒸溜機でつくる甲類焼酎も生産するようになった。原料はモラセスが中心である。 金龍は山形唯一の焼酎専門メーカーであると同時に、山形県内の酒造メーカーを得意先としている。目下の問題は、焼酎の全体的な焼酎や日本酒の消費量がここ数十年で下降していること。だがもっと深刻な下降線は人口だ。今から30年後、山形県の人口は30%以上減少するといわれている。これは日本平均の2倍にあたる減少率であり、10〜20年後には会社が危機的な状況に陥ることが誰の目にも明らかだった。佐々木社長は語る。 「いま動かなければ、いずれ手遅れになる。20年後に手を打つのではなく、まだ時間があるうちに動き出そう。そんな判断から、ウイスキーづくりが思い浮かびました」   ウイスキーづくりの理想郷   明るい未来への道を探る金龍の佐々木社長が、ウイスキーづくりに関心を持ったことに驚きはない。 「ウイスキーへの参入を検討し始めたのは2年前のことです。でも事を急ぐつもりはありませんでした。笹の川酒造、ベンチャーウイスキー、ガイアフローなどの小規模メーカーを見れば、ウイスキーづくりがもはや大企業独占の分野でないことは証明されています。いろいろな人に話をうかがって、日本のクラフト蒸溜所の実情なども理解した上で、ウイスキーづくりを始めるのが正しい道であるという確信を強めました」 そして2017年2月、フォーサイス社を視察するためにスコットランドを訪問。プロジェクトは本格的に動き出した。 金龍のチームは、1年がかりで蒸溜所の建設地を探した。候補地は10箇所にも上ったが、最終的に鳥海山麓にある遊佐町の物件がすべての必要条件を満たしていた。鳥海山は日本の山で最大の降水量があり、良質な湧水には事欠かない。周囲の広大な田園風景を見れば、この地域の水の豊かさは一目瞭然だ。 「生産業務には1時間あたり約22,000Lの水が必要ですが、ここでは苦もなく1時間あたり約50,000Lの水が手に入ります。質量ともに、水の心配はまったくありませんでした」 建設地は、周囲の景観の美しさも重視された。鳥海山は見る角度によって姿を大きく変える山である。遊佐蒸溜所の蒸溜棟からは、大窓越しに鳥海山が見える。その美しい双峰は蒸溜所のロゴにも表現された。映画ファンなら、見覚えがある風景かもしれない。アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと』(2008年)にも、蒸溜所の近所で撮影された美しい鳥海山が登場する。 「イヌワシのつがいが2組いて、頂上付近を滑空しているのがよく目撃されています。残念ながら、私はまだ見たことがありませんけどね」 佐々木社長はそう言って、建設地の話に戻る。 「もちろん実用性も重要でした。ここなら道路が整備されているのでトラックのアクセスも容易で、必要な電力も得られます。蒸溜で生じる副産物の廃液は、銅の含有率を無害な水準にまで下げてから下水システムに排出できます。インフラを考えても、ここは生産の負担が軽減できる環境だと判断しました」   全員初心者のチームで出発   蒸溜所設備の発注先も悩みどころだ。検討の結果、金龍はスコットランドのフォーサイス社で行くことに決めた。国産の三宅製作所も有力候補だが、ここでも佐々木社長は実利を優先した。 「三宅製作所さんは、いわばプロ向けなんです。設置が終われば、すぐに帰られてしまう印象でした。設備の使い方を理解している会社ならそれでもいいのですが、私たちは違います。金龍にはフォーサイス社が向いていると思ったのは、設置後も丁寧に使い方を教えてくれて、新参メーカーに必要なサポートを惜しみなく与えてくれるからです」 単式蒸溜器(ポットスチル)が酒田港に到着したのは6月29日のこと。通関手続きは7月4日に完了し、その2日後には蒸溜所の建物内に設備を運び込んだ。その後、フォーサイスから派遣されたサポートチームが、暑い真夏の3ヶ月間(7〜9月)を丸ごと使って開業準備を進めた。佐々木社長が振り返る。 「フォーサイスからは、最多で11人が来てくれたこともありました。普段も4人くらいが現場で働いてくれましたね」 そして9月27日、遊佐蒸溜所は管轄する酒田税務署からウイスキー製造免許を受けた。1年半の準備期間と約7億円の資金(主に蒸溜所の建物費と設備の購入費)を費やした金龍のウイスキー事業は、新しい冒険にようやく第一歩を踏み出したのである。 「10月後半はフォーサイスのチームがずっと付き添って、蒸溜所を軌道に乗せてくれました。試験蒸溜は10月13日に始まりましたが、公式な初蒸溜は11月4日です」 初年度のシーズン開始から10日経ったが、今のところ業務は滞りもない。4人の従業員全員が完全な初心者であることを忘れさせるほどだ。 佐々木社長が任命したチームは、糖化担当の岡田汐音さん、蒸溜担当の齋藤美帆さん、貯蔵庫担当の佐藤紘治さんという驚くほど若いメンバーで構成されている。岡田さんと齋藤さんは大学を卒業したばかり。佐藤さんは32歳で、務めていた銀行を辞めてウイスキーづくりの夢に飛び込んだ。佐々木社長がこの人選について説明する。 「専門家やベテランを招聘するつもりはありませんでした。ベテランに任せると、蒸溜所がその人の色に染まってしまいますからね。意欲のある若い人たちの力でゼロからスタートを切れば、そこから遊佐蒸溜所らしさが生まれてくると思ったのです」 ウイスキーづくりを実地で学ぶため、埼玉と福島の同業者を頼ることにした。生産チームの2人が3月に秩父蒸溜所で1週間の視察と研修をおこない、岡田さんは6月に安積蒸溜所に3日間滞在しながら実務を学んでいる。 (つづく)  

遊佐蒸溜所で山形初のウイスキーづくりが始動【後半/全2回】

$
0
0
真新しいスコットランド製のポットスチルから、ついにニューメイクスピリッツが流れ出す。若いスタッフが支える遊佐蒸溜所は、最高品質のウイスキーを目指してフル稼働中だ。 文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン   誕生したばかりの遊佐蒸溜所には、最高品質のウイスキーをつくるという究極の目標がある。佐々木雅晴社長によると、そのビジョンは「TLAS」(トラス)の頭文字で表されるのだという。 最初の「T」は、「ちっぽけな」を意味する「Tiny」だ。蒸溜所の敷地は4,550㎡あるが、そのうち蒸溜所の建物はわずか620㎡なので小さい蒸溜所であることは間違いない。佐々木社長が説明する。 「そもそも大量生産できないんですよ。1日にバレル3本分です。週のうち6日稼働して、原料1トン分のバッチを5回こなします。将来は毎週7バッチを目指していますけどね」 次の「L」は後回しにしよう。「A」は「本物」を意味する「Authentic」だ。 「日本酒の消費量は減少していますが、山形の杜氏たちは伝統的な生酛造りの製法を守っています。ウイスキーづくりの伝統にも、同様の敬意を払う必要があると考えました。本場スコットランドの伝統的な製法を用いつつ、日本らしいこだわりを大切にしています」 設備と工程は、教科書通りのスコットランド流だ。原料の大麦もスコットランドから輸入する。ハウススタイルはノンピートだが、今シーズンの最後(2019年7月)に少量のヘビリーピーテッドモルト(フェノール値50ppm)を数バッチ仕込む計画がある。 蒸溜所に届いたモルト原料は、3基あるサイロに保存される。サイロ1基あたり約9トンが収納できるので、3基でほぼ1ヶ月分の分量になる。糖化は容量5,000Lの糖化槽でおこなわれ、お湯を投入する回数は標準的な3回だ。糖化工程を担当する岡田汐音さんが説明してくれる。 「糖化はいつも午前9時半にスタートします。最初に投入するお湯は63.5°Cで3,750L。午前10時頃には麦汁を発酵槽に移して、30分後に酵母を追加します。正午くらいには糖化槽に2回目のお湯を入れますが、今度は76°Cのお湯が1,750Lです。これも午後1時半くらいまでに発酵槽に移して、糖化槽には3回目のお湯を入れます(86°Cで3,210L)。このお湯は翌日のバッチに使用する分です。それと並行して、翌日分の粉砕もやってしまいます。1時間から1時間半くらいかかりますね。午後3時頃には、糖化槽を空にして掃除できるようになります」 発酵工程には、5槽ある木製の発酵槽が使われる。静岡県の日本木槽木管株式會社が、ベイマツ(ダグラスファー)で製造した日本製の発酵槽だ。同社は秩父蒸溜所にも同様の発酵槽を納入している。糖化は月曜、火曜、木曜、金曜、土曜におこなわれ、発酵時間が90時間(ほぼ4日間)であることから最低4槽の発酵槽が必要になる。もしものトラブルに備えて5槽が用意されているのだ。発酵工程では、5,000Lの麦汁に5kgのウイスキー用酵母が加えられる。   ニューメイクスピリッツを味わう   発酵が終わると、もろみが熱交換器を通って初溜釜(ウォッシュスチル)に入れられる。初溜釜の容量は5,000Lで、ヘッドはストレート型だ。「マッカランを参考にしたんですよ」と佐々木社長が笑顔で言う。蒸溜担当の齋藤美帆さんが詳細を説明してくれる。 「初溜は午前9時半頃から始めます。度数1.5%まで蒸溜するのに4〜5時間。再溜は次の営業日におこないます。日曜日はお休みなので、木曜日の初溜と金曜日の再溜はありません」 再溜釜の容量は3,400Lで、ヘッドにはボイルボールが付いている。佐々木社長が「こっちはグレンドロナックを参考にしたんです」と明かしてくれる。まだ試行錯誤中ということで、再溜の詳細(カットポイントなど)は公開できない。2基の蒸溜器には、どちらも下向きのラインアームと多管式のコンデンサーが取り付けられている。 遊佐蒸溜所のスピリッツは、どんなタイプを目指しているのだろうか。佐々木社長に訊ねてみると、肩をすくめながら答える。 「まだ今も模索中なんですよ。それでも、風味がリッチでありながらクリーンなスピリッツを志向するという方向性は決まっています。現在は初溜を手早くおこなって、再溜でカットの幅を狭くとるというアプローチを試しています」 生産棟1階にある研究室に移動して、待望のニューメイクを味わう。フルボディだがクリーンな味わいで、大麦糖、天ぷらの衣、未熟なフルーツなどの素晴らしい風味。甘味のレベルもちょうどよく、かすかな塩気もある。この素晴らしい出来栄えが、ビギナーズラックだとは思わない。 熟成の方針は徹底して古典的だ。樽詰め時のアルコール度数は63.5%。スペイサイド・クーパレッジから仕入れるバーボン樽が主体で、ダンネージ式の貯蔵庫が2棟ある。第1貯蔵庫の片隅を占拠している樽詰め用の装置もレトロだ。最新式のポンプはなく、樽詰め前後に樽の重さを計測する台秤が古風だ。50年前のスコットランドとほぼ変わらない光景である。佐々木社長が語る。 「1号樽に樽詰めしたのが11月6日なので、ちょうど1週間前のこと。現在は11本まで樽詰めが完了しています。最新の樽に少しだけ漏れがあるのですが、今日の午後は14本の樽に詰める予定です」 2棟ある蒸溜棟には、まだ数えるほどの樽しかない(訪問時)。すべてがバーボンバレルで、見覚えのある名前が並んでいる。ウッドフォードリザーブ、ワイルドターキー、バートン、フォアローゼズなどの高品質な樽だ。 「バーボン樽が優先ですが、いくつかシェリー樽も注文しました。樽を簡単に買えないことが初めてわかりましたよ。コンテナ1個分のシェリー樽を注文しようとしたら笑われちゃいました。ともあれシェリー樽は5本確保しています。これからが楽しみですね」   愚直なまでに品質を優先   遊佐の季候はスコットランドとまったく異なるが、佐々木社長は利点もあると感じている。 「ここでは年間の温度差が40°Cもあるんです。最低が-5℃ で、最高が36℃。だから熟成の進み方も速いのではないかと期待しています。遊佐の5年ものが、スコッチの8年ものに相当するような」 2棟のダンネージ式貯蔵庫では、2,000〜3,000本の樽が熟成できる。この2棟がいっぱいになったらどうするのだろうか。佐々木社長が微笑む。 「問題ありませんよ。安い土地ならいくらでもありますから。森の中でも、山の方でも土地は探せます。実は蒸溜所も森の中に建てたかったのですが、物流が大変なので諦めたんです」 金龍はウイスキーの発売を急いでいる訳ではない。これがビジョンの頭文字「S」で、「最高」を意味する「Supreme」を現している。 「生産するのはシングルモルトだけ。他の会社のように、ブレンデッドの市場で競争できるような生産力もノウハウもありませんから。品質第一なので、熟成が完了していないウイスキーを販売することもありません。山形県の酒造メーカーは、国内外の品評会で最高賞を何度も受賞しています。山形の名に恥じない品質を保ってくれるのなら、協力を惜しまないとも言ってくれました。まさにそんな最高品質こそが目標なんです」 新しいウイスキー蒸溜所は、どこも地元色を打ち出そうと躍起になっている。だが金龍では、まず何よりもウイスキーの品質が第一だ。この付近にミズナラの木はあるのかと尋ねると、佐々木社長は答えて言った。 「たくさんありますよ。でもそっちの方向は考えていないんです。町長は地元産の大麦という話もしていましたが、まだ視野にはありません」 注目を浴びるための策略には、あまり興味がない。なぜなら、他にもっと大事なことがあるから。そんな潔い蒸溜所の方針を聞くのは新鮮な思いだ。 最後に残ったビジョンの頭文字は「L」。これが「かわいい」を意味する「Lovely」なのだと佐々木社長が説明する。 「この地域は、冬の間とても暗い日が続きます。みんな服装の色も暗いし、風に飛ばされないように体を縮めてうつむき加減で歩いています。遊佐蒸溜所には、そんな風景を明るく照らす光になってほしい。蒸溜所の真っ白な壁と真っ赤なドアや窓枠を見て、ここで何か特別なことが始まっているんだと感じてもらえたら嬉しいですね」  

イングランドの新しいウイスキーづくり【前半/全2回】

$
0
0
スコットランドやアイルランドの隣にありながら、長らくウイスキー不毛の地と目されてきたイングランド。革新的なイングリッシュウイスキーの生産者を紹介する2回シリーズ。 文:ロブ・アランソン   英国のウイスキー業界では、静かな革命が進行中だ。革命が静かなのには理由があって、それは現在のところ爆発的なクラフトジンブームの影に隠れているからである。 蒸溜所を新設したのはいいが、手っ取り早くキャッシュフローを生み出す方法は何か。その答えは、とりあえずジンを生産することだ。この傾向は特にイングランドにおいて顕著である。イングランドで始動している多くの蒸溜所は、急成長中のウイスキー市場への参入を目指している。まだ生産していないからといって、ウイスキーを決して諦めている訳ではない。 イングランドは、もともと有名なウイスキーの産地ではなかった。お隣のスコットランドやアイルランドに比べたら、歴史と呼べるようなものもない。だが旅するウイスキーライターとして活躍したアルフレッド・バーナードの記録によると、イングランドにも4軒の蒸溜所があった。隣国に比べるとほんのささやかな数だが、少なくともゼロではなかったと言っておこう。 歴史を振り返ると、ノーサンブリアやカンブリアといったイングランド北部の地域で、スコットランドとの国境を越えてウイスキー蒸溜が伝播した可能性もありそうに思えてくる。確かにウイスキーとラムは大量に持ち込まれていたが、生産していた証拠はほとんど見つかっていない。ジンづくりは存在したものの、ウイスキーづくりの記録は見当たらないのである。 アルフレッド・バーナードが19世紀末に著した分厚い研究書『英国のウイスキー蒸溜所』には、英国のウイスキーづくりの全体像を俯瞰する貴重な洞察がある。世紀の変わり目に起きたパティソン事件のスキャンダルで、ウイスキー業界が激変してしまう以前の話だ。バーナードは1885年から1887年にかけて英国内を旅行し、その調査の成果を書き記した。ちょうど世界がブレンデッドスコッチウイスキーの美味しさに目覚め、需要がピークに達していた頃だった。 バーナードは少なくともスコットランドで129箇所、アイルランドで29箇所、イングランドで4箇所の蒸溜所を訪問している。イングランドの4箇所とは、ロンドンのリーバリー蒸溜所、ブリストルのブリストル蒸溜所、リバプールのバンクホール蒸溜所とボクソール蒸溜所のことである。 イングランドで最後の蒸溜所となったリーバリー蒸溜所は、遅くとも1905年までに廃業している。その一方で、スコッチウイスキーはブレンデッドウイスキーの人気に後押しされて成功への道を力強く歩むことになった。ほとんどの大手ウイスキーメーカーが、スコットランド産であることに価値を置いてイングランドでの生産業務を北へと移転させたのである。それ以来、2003年になるまでイングランドのスチルからスピリッツが流れ出ることはなかった。   ダラムからヨークシャーへ   イングランドの新しいウイスキーメーカーは、そのほとんどがスコットランドに倣ってオーク樽で最低3年間の熟成を自らに課している。これはスコットランドで法的にウイスキーと呼べる条件のひとつだ。 その一方で、イングリッシュウイスキーの面白さは、スコッチウイスキーの規制に従う必要がない点にもある。たくさんのイングランドのメーカーが実験的な試みをおこなっており、実験の対象となる分野はマッシュビル(穀物配合のレシピ)、ヘリテージグレーン(古来のグレーン原料)、そして樽材などに及ぶ。来年になると多くの蒸溜所が最初の蒸溜期間を終えるので、どんな商品を発売してくるのか楽しみである。 自由でフレッシュなイングランドのウイスキーづくりの現場を訪ねてみることにしよう。マッシュタンではどんな原料が調理され、どんなスピリッツがスチルから流れ出しているのだろうか。 まずはイングランド北東部のはずれ、大聖堂で有名なダラムの町へ行こう。ダラム蒸溜所ではジンのブランドをすでに発売しているが、次はイングランド北東部で初めてとなるシングルモルトウイスキーの発売を目指している。この記事を執筆している時点で、会社は町の中心部にある新しい場所への移転を決めたところだ。新拠点では「グレーン・トゥ・グラス」の方針を徹底して、地元産原料100%のウイスキーをつくる予定。蒸溜は2回、特注品の銅製ポットスチルは初溜釜が容量1,200L、再溜釜が容量1,000Lという生産体制である。 そのまま東海岸を下ったヨークシャーには、2軒の新しい蒸溜所がある。クーパーキング蒸溜所とスピリット・オブ・ヨークシャー蒸溜所だ。 クーパーキング蒸溜所の成り立ちは面白い。創設者のカップルがオーストラリアの旅に出かけ、ウイスキーづくりに取り憑かれて帰ってきたのが事の発端だ。しかも帰るときに、タスマニアから容量900Lの銅製スチルまで連れてきたのだから驚いてしまう。現時点で、おそらくオーストラリア国外にある唯一のオーストラリア製スチルであろう。 クーパーキングでは地元産100%の大麦を使用し、大麦を収穫した畑の場所まで特定できる。製麦をおこなっているのは、現存で英国最古のウォーミンスター・モルティングズ。努力の成果が味わえるのは2022年になりそうだ。 一方のスピリット・オブ・ヨークシャー蒸溜所では、ヨークシャー郡で初めてのウイスキーがすでに熟成され、発売の時を待っている。 フォーサイス社製のポットスチル2基は、スコットランドを除いた英国内で最大容量のもの。隣には4段プレートの銅製コラムスチルも設置され、再溜釜と連携してスピリッツを蒸溜している。生産部門の指揮を取るのは、ウイスキーづくりに精通したジム・スワン氏だ。スコッチの模倣に留まらない独自のウイスキーを目指している。 スチルに初めて火が入った2016年5月以来、スピリット・オブ・ヨークシャー蒸溜所ではシェリーバットやバーボン樽など数百本の多彩な樽にニューメイクスピリッツを貯蔵してきた。ここで熟成されているウイスキーには、間違いなくヨークシャーらしい品質へのこだわりが染み込んでいるはずだ。使用される大麦原料と湧水は、すべて家族経営の農場から供給されている。 (つづく)  

イングランドの新しいウイスキーづくり【後半/全2回】

$
0
0
スコットランドから一流の経験者を招聘し、規制に縛られないチャレンジに挑む。イングリッシュウイスキーが市場を席巻する日はすぐそこまで来ている。 文:ロブ・アランソン   ヨークシャーから南に下ると、東側にはイーストアングリア地方がある。広大な大地は穀物の生産が盛んで、大きな空とうねるような大地の起伏が美しい。 この地域で最初に訪ねたいのは、ノーフォークにあるイングリッシュ・ウイスキー・カンパニーだ。穀物畑のただ中にあるセントジョージズ蒸溜所は、現在のところイングランド最大の生産量を誇るモルトウイスキーのメーカーである。 セントジョージズ蒸溜所は、農夫でありビジネスマンでもあるジェームズ・ネルストロップと、息子のアンドリューによって2006年に設立された。ネルストロップ父子はすでに数千本の樽を費やしてイングランド産のウイスキーを熟成しており、ノンピートとピーテッドを併用している。大麦の他にライ麦などの穀物原料も実験的に使用しているのが面白い。蒸溜所直下の帯水層から、純度の高い水が引けるのは地の利というべきである。フォーサイス社製のスチルで蒸溜し、主に最高級のバーボン樽で熟成しているが、一部シェリー樽やワイン樽も使用する。着色料は一切使用しない。 そこからサフォークの海岸を目指して進むと、この地域にあるコッパーハウス蒸溜所にたどり着く。ビールで有名なアドナムス傘下の蒸溜所である。 ビールづくりでは長い歴史のあるアドナムスが、この蒸溜所を設立したのは2010年のこと。カール社の蒸溜機器を導入して、さまざまな穀物原料からウイスキーを含む多彩なスピリッツを生産している。英国内でもっともエネルギー効率のよい蒸溜所のひとつとして知られ、蒸溜所からビール醸造用の水や蒸気も供給する仕組み。ここでも地元産の原料からスピリッツをつくるこだわりは重視されており、蒸溜所から数マイルの畑で自前のライ麦を栽培しているほどだ。 サフォークから内陸に少し戻ると、霧の町ロンドンはもうすぐ。現在のロンドンにはウイスキーファンに関係のある蒸溜所が3軒ある。ロンドン・ディスティラリー・カンパニー、イーストロンドン・リカーカンパニー、ビンバー蒸溜所だ。 とりあえずジンで有名になったロンドン・ディスティラリー・カンパニーは、タワーブリッジから徒歩で数分の場所にある。スチルは3基あり、それぞれが特徴的な種類のスピリッツを蒸溜している。原料はロンドン市内および近郊から調達し、手づくりを基本とした生産スタイルだ。ウイスキーは現在熟成中で、とても興味深いボトルが近々発売されるものと期待されている。 イーストロンドン・リカーカンパニーでも、間もなく新しいウイスキーが発売される見込みだ。その内容は、ロンドン産のライウイスキーとなる見込みである。この蒸溜所もポットスチルとコラムスチルを併用しており、フレンチオーク材や栗材を使用した多彩な樽で熟成しながら、スモールバッチのウイスキーを生産していく計画である。 ロンドンで3軒目のビンバー蒸溜所は、2019年の初夏に最初のバッチが出荷可能になるようだ。これが実現すれば、おそらく100年以上ぶりにロンドン産のシングルモルトウイスキーが発売されることになる。蒸溜所によると、ニューメイクスピリッツは4種類の異なった樽で熟成されている。バーボン樽、ペドロヒメネスのシェリー樽、ポート樽、アメリカンオークの新樽だ。   ロンドン以南のユニークな蒸溜所   ロンドンから南下する前に東の方角へ向かい、歴史あふれるチャタム工廠まで足を延ばしてみよう。 チャタムは414年の長きにわたって造船業と産業の革新を担ってきた。歴史ある工廠で最後の船が進水してから50年後、この地にコッパーリベット蒸溜所が誕生したのは感慨深い。 蒸溜所の設備は、古めかしいポンプ小屋のなかにある。チームは原料から製品化までの全行程を自前でおこなう「グレーン・トゥ・グラス」の方針を堅持しており、特注のスチルと最高級の樽で品質を追求している。 ロンドンからはるか南、海を挟んで浮かぶワイト島にも極めて斬新な蒸溜所が誕生した。パブ「マーメイド」の中にアイル・オブ・ワイト蒸溜所が設立される以前に、この島で蒸溜所が運営された記録はない。隔絶された島の蒸溜所であるため、チームは地元産の原料のみを使用して、ワイト島で初めてとなるシングルモルトウイスキーの仕込みを2015年に開始している。 アイル・オブ・ワイト蒸溜所のウイスキーはアメリカンオークとフレンチオークの両方で熟成されており、その他さまざまな樽で後熟を施されることで独自の魅力を打ち出す。後熟に使用するのは、シェリー樽、マデイラ樽、コニャック樽、ポート樽、さらにはピーテッドウイスキー樽などだ。 旅も終盤。ザ・レヴェラーズの名曲「バトル・オブ・ザ・ビーンフィールド」よろしく国道303号線を南西に走ると、イングランド最古のウイスキー生産地がある。ヒックス&ヒーリー蒸溜所はコーンウォールで300年以上ぶりに創設された蒸溜所。ヒーリー・サイダー農園とセント・オーステル醸造所による合弁事業である。 さらに先へ進むと、比較的新しいダートムーアウイスキーがある。周辺の起伏の激しい地形は、いかにもウイスキーづくりにぴったりの場所といったイメージだ。生産を開始したのは2016年のこと。ウイスキーが大好きなグループがアイラを訪ね、デボン州でウイスキーをつくろうと心に決めて帰郷した。理想的な季候、土壌、水質から、素晴らしいウイスキーが生み出されるのは時間の問題である。 そこから北へ進むと、コッツウォルズ蒸溜所がある。この牧歌的な蒸溜所については、すでにさまざまなメディアが取り上げてきたのでご存じの方も多いだろう。最先端の蒸溜設備を導入し、スタートアップ時から偉大なジム・スワン氏の知見を取り入れたことで、すでに素晴らしい品質のウイスキーを世に送り出している。 最後に再びイングランドを北上して、スコットランドとの境界線にも程近いレイクス蒸溜所を紹介しよう。 国立公園にも指定されている湖水地方は、ウイスキーづくりにぴったりの場所に違いない。そう断定したのは、1995年にアラン蒸溜所を創設したポール・カリー氏である。 ビクトリア朝時代の酪農場を修復したコッツウォルズ蒸溜所では、独自のスタイルで高品質のウイスキーがつくられている。熟成には主にシェリー樽を使用し、バーボン樽はごく少量。マスターブレンダーのダーバル・ガンディー氏は、濃厚でエレガントなシェリー樽熟成のスタイルを数年のうちに完成させると語っている。 今までイングランドのウイスキーを知らなかった方々も、いずれ無関心ではいられなくなるはずだ。わずか数年以内に、この地から素晴らしい製品が次々と生まれてくるととは間違いないのだから。  
Viewing all 527 articles
Browse latest View live